4 別の世界 -3-
「それでどうなったんです」
俺は思わず聞いた。
先生は表情を変えないまま、コーヒーを口にする。
「どうもしない。その頃、坪田一家は北アフリカに住んでいたのだが。家族はヤツの心を開こう、時を戻そうと努力した。だが時間は戻らないし、七歳から十二歳までの少年期を殺し殺されるだけの戦場で過ごした者を何も知らなかった幼い日に戻そうなどと無理な話だ。そして」
次の言葉を口にするまで、先生は少し間を置いた。
「外国人が集まる教会に対するテロ事件が起きた。教会のボランティア活動に参加していた坪田家の次男がその事件で死んだ。その直後、カズヒトは民家に押し入ってそこに集まっていた四人の男をサブマシンガンで撃ち殺して警察に捕まった。後の調べで、その場所がテロを起こした組織のアジトだったことが分かった。カズヒトが二年前からそこに出入りしていたことも。カズヒトはその組織について知ることを全て警察にしゃべり、司法取引で釈放された。一家はその国にいられなくなりヨーロッパに逃げた。本拠をアメリカに移すことを考えているところに、私が現れた。そういう話さ」
俺は、気分が悪くなってきた。
胃の中がザラザラする。いくらミルクを入れたって、もうコーヒーが飲めない。
「アイツは、いったい。その死んだ弟って」
「さあ。ヤツは警察にはしゃべったが、両親には何も言わないそうでね」
先生の声は、冷たいほど静かだ。
「ご両親も、正直もう息子とどう接したらいいのか分からない状態なのだそうだ。メールにはこうも書いてあったよ」
先生は携帯を取り出し、メガネをかけて画面を見て、ゆっくりと読み上げた。
『彼が本当に私たちの息子なのか。それさえももう分らない。息子の皮をかぶった、他の何かなのではないか。そう思えることさえ、あるのです。私たちは和仁を探すべきではなかった。あの時、ホテルからいなくなった時、和仁は死んだのだと諦めるべきだったのだ。そう今は思います』
それはなんて悲しい言葉だろうか。
五年の間、引き離されて、無事にヤツが戻ってきたのは喜ばしいことのはずだったのに。
そんな結末にしかたどり着けなかったのか。
「坪田家の次男の死を巡って、何があったのか私たちには分からん」
先生は言った。
「ただ、分かっているのはヤツが四人を殺したこと。兵士だった時代にはもっと殺しているだろうこと。康介、お前はアイツと何がしかの交流が出来たのかもしれないが」
いったん言葉を切って。
それから、深い憂いを顔に浮かべて先生は続けた。
「そのことは忘れろ。ヤツはお前とは別の世界に生きる人間だ。人を殺したらな、康介。世界は変わる。元の世界には戻れん。昼間も言ったが、私はお前にそんな世界には関わり合ってほしくない。お前は今のお前のまま大人になり、そのままで人生を進んでいってもらいたい。ヤツとは話をせねばなるまいが、それは私が一人でやる。お前も今話したことは忘れて、明日には寮に帰れ。下天一統流のことも忘れろ」
それだけ言うと先生はコーヒーカップを持って立った。そのまま寝室に入る。
閉ざされたドアのこちら側に、俺だけがまたも一人きりで残された。