2 武術の極意 -4-
だが、すぐに心を決めた。
技の数、熟練度、それに立ち合いの経験は、俺が先生に及ぶべくもない。俺が先生に勝っているのは肉体的条件のみ。だったら、それを以て不利を有利に変えるしかない。先生の変幻自在な技に反応速度の速さで何とか対応し、後は力で押し切る!
そうとなったら、やることはひとつ。
俺は全速力で先生に向かって走り、正拳を構える。突き出すことに抵抗はない。先生は俺よりも強い。全力でなければかなわない。だから年配の女性であっても遠慮はない。そんなことを考えていたら、こっちがやられる。
突き出した拳を、先生は流れるような動きで避ける。
普通は手が出るものだが。こちらの動きは読めていて、払うまでもないということか。
自分が格下でしかないことが悔しいが、それだけの人だからこそ師事する価値もある。こちらも避けられることは覚悟の上だ。
間髪入れずに関節を狙って蹴りを叩きこむ。試合では禁止されている技だが、先生相手になりふりかまってはいられない。 この一撃は、先生が多用してくる柔道の足払い系の技を牽制する意味もある。空手の蹴りは柔道に比べたらどうしても大振りになるが、その代わり威力は強い。だから拳と関節蹴りで牽制して、隙を見付けて一撃を叩きこむ。
それが俺が立てた作戦だった。攻撃さえ入れば、力は俺の方が強いのだ。
先生は俺の蹴りをフットワークでかわす。柔道の足さばきというより、キックボクシングのボクサーのような動きだ。
ヤバい、と思ったとたん、鋭い蹴りが中段に来た。
ブーツの先がとがってるし、アレをくらったら本当に洒落にならん。俺も慌ててよける。だが、すぐに立て直した。
先生は真っ向勝負を受けた様子だが、蹴りの打ち合いなら俺に分があるはずだ。弱気になるな、高原康介。
拳で牽制しながら先生を射程にとらえ、一気に得意の横蹴りをたたきこんだ。先生の体が沈む。素早くかがみこむことで、俺の蹴りはよけられた。
そして、おいっ。
先生は、そのまま両手を床に付けると、つま先までぐっと力を入れて体を伸ばした。その手を支点にして、体操選手かダンサーのように体をぐるんっと旋回させる。
勢いよく飛んできた先生の脚が、俺の軸足をなぎ払った。
もう格闘技ですらねえよ! そんなことされたらたまらない。俺はそのまま不様にしりもちをついた。
それでも素早く立ち上がろうとする目の前で、ピンクのスカートがひらっと翻る。五十代女子のパンチラは勘弁、と思ったところで。
「ここまでだ」
俺の目の前に、銃口がつきつけられた。
ちょっと待て。それってアリなのか。
五十代女子のひらひらレースのスカートの中から拳銃が出てくるのもシュールすぎるんだが。武道の立ち合いをしていたつもりの俺には、それ以上に先生の意図が読めない。
「これはエアガンだが、この距離から撃てばお前の目を潰すくらいのことはできるぞ」
先生は言った。
「当たり所が悪ければ死ぬこともあるかもな。実銃ならもちろん、死亡確定だ」
何言ってんだ。
「先生、立ち合いは」
俺はそう言って、体を起こそうとする。だが先生は、更に銃口を俺に近付けてきた。
「納得がいかないという顔だな、康介」
先生は首をかしげた。目だけは射るように俺を見続けている。
「いきません」
俺は答えた。
「エアガンで決着なんて。俺をバカにしてるんですか」
「そう思うなら引き金を引いてもいいぞ」
先生は言った。冗談とは思えない、真剣な声だった。
「康介。武術を伝統芸能か何かとカン違いしていないか。戦国時代の戦い方をそのまま保存して継承する、そんなことに何の意味がある。下天一統流は武術だ。そして武術の目的はひとつ」
先生の目が。冷たく光る。
「敵を殺すことだ」
俺は。迫力に押されて、一言も言い返せない。
「現代の戦闘で、銃器を想定しないなどナンセンスだろう。当然、それへの対処法も考えるし、自分でも持つ。いいか、康介。下天一統流とはそういう流派だ」
先生の声は淡々と続く。
「そしてな。当流の奥義は、人を殺したことのないヤツには伝授できない」
その言葉に、俺の胃の腑は冷たくなる。
「人を殺した経験のある者にしか伝えないし、人を殺したことがない者が聞いても無意味な奥義だ。わかったか。下天一統流はお前が思っているような流派ではない」
そう言って先生はエアガンを下げ、スカートの下のホルスターに戻した。
「戦国時代、殺戮は日常だった。江戸時代、武士にとって殺人術は身に着けておくべきたしなみだった。敗戦までは、軍人になり武勲を立てることは名誉だった」
先生は立ち上がり。
「だから下天一統流は継承されたし、継承される意味もあった。だが今の世の中、人を殺すのは単なる罪だ。分かるか?……もう意味はないのだ」
俺に、背を向ける。
「私は子供たちが誰も殺さないで済むこの国のありようを尊いと思うし、お前に人殺しなどしてほしくない。だから、もう継ぎたいなどと言うな」
それは、俺に渡された引導。
「先生は」
俺は、無理やり言葉を紡ぎだす。
「その奥義を会得しているのですか」
先生が俺を振り返る。ピンクの口紅を塗った唇が、動く。
「ああ」
そして、それ以上何も言わずに母屋に向かって立ち去った。
俺は、道場の冷たい床の上に茫然と座り込む。
突然つきつけられた、下天一統流の真実。それが受け止めきれなくて。
奥義を会得していると言った、先生の言葉の意味を理解したくなくて。
拒まれた俺の夢を、どうしていいか分からなくて。
ただ、床に拳を打ち付けるしか出来なかった。




