序章 玄関先の攻防 -1-
ある晴れた日曜日。俺は意気揚々と寮を出て、先生の家に向かった。歩いて二十分ほどの道のりだ。
寮とはいえ、家を離れてひとり暮らし出来ることと、先生の家が近いこと。その二点で、俺は今の高校への進学を決めた。
俺は幼い頃、先生に命を救われた。先生は『下天一統流』という古流武術を伝える家の出だ。現在、その流派に跡取りはいない。だから俺は決めた。俺が、下天一統流を継いでみせる。先生のように強くなる。
もっとも先生には冗談半分と思われているようで、今のところ弟子入り希望は断られ続けているのだが。
だが俺は昨日、通っている空手道場で段位を手にした。
これで黒帯。もう『弱すぎる』とは言わせない。今日こそは必ず、先生に入門を認めさせるぞ。
先生の家は、商店街から少し奥まったところにある古い洋館だ。戦国時代から続く武術を伝える家なのに洋館というのもおかしな感じだが。先生の本業は英米文学の研究者だから、その点ではイメージに合っているかもしれない。
敷地だけはやけに広い。門をくぐってから十メートルほどもある前庭を通り、やっと玄関に到着。チャイムを押す。キン・コーンというありがちな音が、家の中から聞こえてくる。
そのまま、先生が出てくるのを待った。尊敬する先生だが、一人暮らしの女性だ。規律は守らなくてはならない。
と、思った時。家の中から、耳障りな音がした。
何かが割れるような音だ。コップを落したとか、そのくらいの音じゃない。それだったら外までは聞こえないだろう。
だが、中からはガラスや陶器を叩き割るような音が断続的にしている。
不穏な予感がした。
「先生」
呟いて、ドアノブに手をかける。
てっきり鍵が閉まっていると思っていたのに、あっさりと開いた。
俺は一瞬ためらった。だが、鍵が開けっ放しという時点で十分異状だ。
心を決めて、玄関に足を踏み入れた。
もし、何かが起きているなら。先生の力にならねば。
「先生!」
玄関先から、大声を上げて呼んだ。
「高原康介です。何かあったんですか、先生!」
答えはなく、代わりに館の奥からドスドスと速足の足音が迫ってきて。突き当りの廊下から、不意にとんでもなくキレイな顔がのぞいた。
年は、俺と同じくらいだろうか。それとも、少し下? 色白で、ぱっちりした茶色の瞳。すっと通った鼻筋と、小さめの口許。少しウェーブのかかったやわらかそうな髪は、茶がかって透き通っている。
見たこともない顔だ。しかも、最高級の美少女。俺は思わず息を呑んで棒立ちになる。
その間に絶世の美少女は、大股で廊下を進んでこっちに近付いて来ていた。
細くて華奢で、足が長い。Tシャツにジーンズ、白い靴下、背中にナップザックという、飾らない恰好だ。
胸は……ないな。まるで男みたいな。というか。男? まさか、こいつ男なのか? 嘘だろ。
と、ここまで思考した辺りで。
「康介か?! ソイツを止めてくれ!」
という先生の大声がして、俺はようやく我に返った。
俺は、こんなヤツ知らない。
先生はひとり暮らしのはずだ。
男か女か知らないが、コイツがさっきの不穏な音の原因である可能性が高い。
そして、先生が助けを求めている!
俺は、とっさに両手をパッと開き、相手の進路を塞ぐように立ちはだかった。
「イヤ待て、やっぱりやめろ、逃げろ康介」
先生の声がしたが、今さらだ。
それに俺は有段者だ。こんな細っこいヤツに負ける道理がない。