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魔王放浪記

作者: 曾良

 石敷きの廊下は一歩踏み出すたびに、かつんっ、と甲高い音を響かせる。なまじ力強く床を踏んでいるだけ、その音は大きい。


「今日という今日は逃がしませんよ……!」

 

 廊下を走らずとも競歩で進んでいく細身の男――――――カルルスバント・ヴィヴァーニは二枚目なその顔に何十という皺を刻み付けながら、主の部屋へと続く廊下を歩いていた。踏み出すごとに日々の鬱屈した感情がはちきれそうになるのを堪えながら、ヴィヴァーニは主のいる部屋の前へとやってきた。

 幾万といわれる魔族を統べる魔族の王、その側近たる彼がここへ訪れたのは主たる魔王への謁見もといなかなか起きてこない彼を叩き起こすためだった。


「さぁ、魔王様! 今日こそはたまりにたまった仕事を処理しましょう! 加えて各地に派遣していた臣下達との貧民救済策についての会議が、すでに一時間前から始まっております! ですから、ただちに先週勝手にお買いになった怪鳥の羽毛で作られた超高級ベッドから、一刻も早いお目覚めを!」


 目的地を前にして、たまっていたものが一気に噴き出した。扉をあけながら早口でまくしたてる。

 現代魔王、クニエダ・ファウスト・カムイ(都合上長く、語呂が悪くなったために本人やその他大勢は縮めてカムイもしくは魔王と呼ばれている)は史上稀にみるさぼり癖があった。これは魔王就任以前から問題視されていたことでもある。彼はその性格上、とにかく面倒事を嫌っていた。書類仕事などもってのほかで、各国の諸侯との会議にもヴィヴァーニが引っ張り出してこなければ、顔すら見せないほどだ。それでよく魔王が務まると思うが、彼には実力と実績があった。魔族住む土地である魔界の領土拡大を図った先々代、その領土拡大が原因である人間との大戦を終結させ、民に平和をもたらした先代魔王。その両者とも個人によって見解は異なるが、その功績や政策は評価されているものが多い。そんな偉大なる先人と比べれば現魔王のカムイの業績など霞んでしまうのだろうが、彼が魔王となってからは各地で起こっていた争いもなくなり、大戦によって意気消沈していた民の顔にも笑顔が多くなったのは事実だった。仕事を放りだしては、魔界のいたるところへ遊びに出かけ、子供たちや住民たちの交流にいそしんでいるその賜物だろう。

 とはいえ、そういった交流が深まっているということは、逆に何度も仕事を抜け出しているという何よりの証拠に他ならない。おかげで側近であるヴィヴァーニが書類や魔王代理として会議に出席する羽目となり、民からの支持とは裏腹に各国諸侯からの現魔王に対する厳しい批判や抗議はあとを絶たなかった。その責を一身に背負わせされているのは、魔王ではなく側近たるヴィヴァーニであるという点がまた、どうしようもない。


 思い出すだけで怒りが溢れそうになる。しかし、その憤怒の情も喉からあふれるあと一歩のところで、理性という名の堤防によってせき止められるのだ。カムイが魔王となる以前からの付き合いであるヴィヴァーニだが、現在ではれっきとした主と部下という関係である。かつての親友であり兄弟のようでもあった昔とは違い、内心を思ったときに打ち明けるということが簡単にはできない関係性となってしまった。カムイ本人からは「気にするな」とは言われているが、いざ言うとなれば側近にもなめられていると配下やその他諸侯に揶揄されるに違いないし、下手をすればクーデターということもあり得る。それ自体が成功する見込みはないだろうが、後処理のことを考えるだけでやる気が萎えてしまいそうだ。なにせ、それをやるのは自分なのだろうから。


 扉を開け、中に入ってみると案の定ベッドの上に丸い膨らみがあった。カムイは寝起きが悪いわけではないが、起きたら必ずといっていいほど二度寝をする。そのたびに城のメイドが困り果てて、結果ヴィヴァーニが駆り出される羽目になるのだから、傍迷惑極まりなかった。

 

「さぁて、魔王様……!」

 

 勢いよく布団を引っぺがす。そこには体を丸め、気持ちよさそうに寝息を立てているカムイの姿がある。こちらの気も知らず何とも気持ちよさそうな表情だ。さぞいい夢でも見ていることだろう。ヴィヴァーニは自分の中にどす黒い感情があるのを自覚し、いけないいけない、とかぶりを振った。これではまるで自分が謀反を起こそうとしているようではないか。側近たる者がこれでは、ほかの者に示しがつかない。


「あなたのせいで私はこのところ、ストレスで胃がやばいんです……ですから、せめて今週だけはちゃんと働いてください。ほら、起きてください」

 

 もう、子供を相手にしているような気分だ。カムイの見た目は人間でいうところの十代後半から二十代前半であり、魔族でも並外れた身体能力を秘めているとは思えない小柄な肉体をしている。顔も二枚目で、魔界でも屈指の女性人気を誇るヴィヴァーニと違い、可もなく不可もない顔立ちをしていた。強いていうなら、平均よりも少し上なくらいか。

 ヴィヴァーニがカムイの肩に手を置いて、ゆさゆさと揺らしてみる。だが、起きない。次は上半身を起こして、揺さぶってみる。だが、それでも起きない。びくともせず、先と同じように寝息を立てている。

「こ、これは……」とさすがのヴィヴァーニも訝しみはじめた。おかしい、明らかにおかしい。試しにこの目の前にいるカムイの頬を抓ってみた。反応はなかった。

 ヴィヴァーニは確信した。


「魔王様の、幻影魔法……!」


 カムイは得意としている魔法に敵へ幻を見せる幻影魔法と呼ばれるものがある。その精度は驚くほど精密で、それ相応の実力の持ち主であるヴィヴァーニを以てしても一見でそれが幻影だとは見破ることは叶わない。触れても感触があり、カムイが本気になれば本人と同じような行動をとることだってできる。まさに規格外の魔法だ。

 さて、問題は十中八九ヴィヴァーニの目の前にいるこのカムイが、本物の彼によって生み出された幻影であるということだ。なら、本物のカムイは一体どこに行ったというのか。

 決まっている。抜け出したのだ。ヴィヴァーニが起こしに来る時間帯よりも前にわざわざ幻影を残して、一人どこかへ出かけてしまったのである。

 これまでの経験でヴィヴァーニはカムイが残した幻影の具合によって、彼がどの範囲に行くつもりだったかある程度の予測がつくようになっていた。近場の場合は、なるべく時間を稼ぐために精巧な幻影を残し、遠出の場合はすぐ悟られても、即連れ戻される危険性は薄いため比較的に手抜きな幻影が残されていることが多い。そして、今回の幻影は明らかな手抜きだ。カムイが本気になれば側近であろうと、すり替わっていることに気づかない幻影を作り出すことなど造作もないことであり、こうして違和感を感じること自体、彼が幻影を作る際に手を抜いていた証拠である。

 しかし、遠出といっても魔界は広い。それにこの世界には魔界とは別に、人間界と呼ばれる魔族とはまた別種の種族が住む地域がある。カムイは過去何度か人間界へ遊びに出かけており、今回も行っていないとは限らない。魔族の多くはその姿が人間のそれとは大きくかけ離れているが、上位種の魔族であったり、体内の魔力量が多い魔族、そして幼子は人間と瓜二つの姿形をしていることが多かった。魔王たるカムイも例外ではない。人間界でも別段怪しまれずに行動できる。

 

 そこで不意に昨夜の夕餉の時に、カムイが呟いた一言を思い出した。


『そういえば、明日から人間界の街じゃ祭りがあるらしいんだ。きっと、おいしい食べものがいっぱいあるんだろうなぁ』


 ああ、これは確信犯だ。カムイは確実に人間界の祭りに出かけてしまっている。大事な大事な会議をほっぽり出して、一人祭りを楽しむため魔王が魔界を抜け出し、人間界の催しに出向いてしまっている。


「魔王様ぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああッ!」


 その叫び声は魔王欠席のため、待機していた臣下の元まで届いていたという。ちなみにこのとき、彼らは一様に「またか」とため息をついてた、というのは城のメイドの証言である。



          *       *        *


 祭りといっても毎年定期で開催される収穫祭とは違う。この祭りの開催を教えてくれた知り合いの言葉を頼りにここまでやってきたものの、カムイはまだ半信半疑だった。収穫祭といえば人間界におけるもっともポピュラーで、規模の大きい祭りだ。一年に一度、その年の収穫を祝い、来年の豊作を祈願するという名目で行われ、大量の酒や料理が並び毎年仕事に疲れ大人たちが騒ぎに騒ぐ行事である。

 もちろん、人間界最大の都市であるこの『ヒルステラ』でも収穫祭は一年でも最大の行事であることには変わりない。大概の大人たちは夜になると仕事を終え、店をたたみ、祭りを堪能する。

 そんな収穫祭よりも規模の大きい祭りとなると、恐らくヒルステラの民ですら想像することができないだろう。ましてや、魔界の住人であるカムイにとっては未知の領域であるのは言うまでもない。収穫祭には何度かお忍びで参加したが、この上ない楽しさを味わうことができた。魔界ではこのような行事ごとがないため、余計に気分が高揚したのだ。

 そんな彼が収穫祭以上の規模の祭ときいて、居ても立っても居られなくなったのはもはやカムイという男の性としか言いようがなかった。


「こちとらわざわざ昨日の晩から、こっそり城を抜け出してきてるんだ。しょうもねえ、祭りだったら承知しねえからな」

 

 恐らく今頃はカムイの脱走を知ったヴィヴァーニが大慌てしているに違いない。彼の慌てふためく顔を想像して、カムイはくすりと笑った。あの優男がその麗しい面に似合わず、わたわたしている様はかなり滑稽である。彼に苦労を強いらせているのは申し訳ないと思うが、あの面を思い出すとどうしても笑いをこらえきれなくなってしまう。自分よりも格好がよい男が、それを台無しにしているところがつぼに入るのだ。

 そんな性格の悪さをのぞかせながら、カムイは目の前に迫ったヒルステラの門を見上げた。立派な扉である。これを魔族よりも非力な人間が人力もしくは装置で動かしているというのだから、大したものだ。魔族でも怪力自慢でなければこじ開けることは難しいだろう。

 毎度の感慨を抱きながらも、カムイはヒルステラの門番たちの前を何事もなかったかのように通過し、ヒルステラ内へと進んでいった。カムイの後ろには大勢の人間たちが列を作っている。彼ら彼女らもこの祭りを聞きつけてやってきたのだろう。中には行商人らしき人物も見受けられる。


「うわぁ……すげえ」


 無意識に言葉が漏れていた。豪華絢爛。ヒルステラ中が煌びやかな装飾で彩られ、収穫祭と同じく屋台が立ち並び、普段ではお目にかかれない料理や酒が振る舞われている。その規模たるや収穫祭の倍以上と凄まじいものだ。いたるところで祝いの曲が奏でられ、あるところでは賭け事が行われ、またあるところでは早食い競争なるものまで行われている。まるで極上の幸福が訪れたかのような、賑わいであった。

 これにはさすがのカムイも目を瞬かせ、しばし呆然となった。「なんだい、兄ちゃん。そんなボーっとして」そう声をかけてきた男の声で、カムイは我に返った。


「いや、すごいことになってるなぁーって思って」


「だろ? 俺が生まれた当初はひでえ有様だったんだがな。人生長生きしてみるもんだ」


 そういって男は豪快に笑った。その男は片目に大きな傷を持っていた。痛々しい傷だ。恐らく魔物にでもやれたのだろう。

 男が一通り笑い切ったのを見て、カムイは少々気になっていた疑問を彼に問うてみた。

 もちろん、この祭りのことだ。この規模の祭りとなると、それ相応に開催の理由があるはずなのである。今年の収穫祭はとっくに過ぎているし、国王の気まぐれかもしくはヒルステラを拠点としている商人達が主催しているのかもしれないが、なにせ規模が規模だ。かなりのお金が動いているだろう。その点からみると両者ともこの祭りを催す利点がない。後者は祭りを商売に利用できるだろうが、主催するにはあまりにも規模が広すぎて、到底一商会では賄いきれないだろう。前者も同様で、気まぐれにしては規模が大きすぎる。

 人間界は数十年前まで魔界と戦争状態にあった。カムイの先々代の魔王が突然、人間界に侵攻したのがそもそものきっかけだったと聞いている。魔界では通称、「第五次人界侵略戦争」と呼ばれていた。確か、人間界では「人界防衛大戦」という大そうな呼ばれ方をしていたはずだ。

 その大戦は魔界、人間界ともに大きな被害をもたらした。結果的には五十年前に先代魔王が発した終戦の号令によって大戦は一応の終結を見せたのだが、それまでの約百数十年もの間、人間と魔族は戦争をしていたことになる。

 しかし、戦争が残した爪痕は思いのほか深かった。侵攻した側である魔界では国家の予算の大半を軍備につぎ込んでいたことによる予算不足に陥り、戦争による戦死者の遺族や後遺症を負った兵士への支給金を配給できず、また慢性の人手不足により景気は落ち込んだ。

 人間界では魔界以上に被害がひどく、多くの戦争難民を生み出した。食糧が不足し、治安が悪化した。


 人間界がここまで復旧できたのはひとえに人間の力といえるだろう。魔族もその点を見習わなければならない。カムイはそう感じた。

 しかし、五十年たった今でも人間界は悲惨な状況であることには変わりない。そんな状態の人間が、このような史上まれにみる盛大な祭りを開催することに、カムイはいささか疑問に感じていたのだ。

 

「なんでもよ、歴史が変わるとかなんとからしいぞ? 詳しいことはまだ伏せられてるらしいけど、その前祝だとか」


「へぇ……これほど盛大に祝うぐらいだから、相当すごいことをなんだろ?」


「そりゃあな。じゃなきゃ、王国自らこんなこと企画しねえだろ」


 男の言葉にカムイは同意するように頷いた。


「確か、もうすぐ城内の広場でお披露目とか言ってたな。よっしゃ、坊主。ここで会ったのも何かの縁だ。見に行くぞ!」


「え、お、おい! ちょ、ちょまっ!」


 肩に腕をがっちりと回され、逃げ出そうにも逃げ出せない格好になってしまった。不意の出来事だったために、幻影魔法も使っていない。今から使えばある程度は誤魔化せるかもしれないが、魔族にとってその行使が当たり前である魔法は、人間にとっては希少なものだと聞いている。魔法を使える人間は数千人に一人とまで言われているらしく、一度使ってしまえば妙なことになりかねなかった。勿論、本気になれば相手に気づかれない幻影を作り出すことも可能だ。しかし、そんなことをすれば行使の際に漏れ出た魔力を感知されて、魔界からのお迎えが飛んでくること必至である。それこそ今回の脱走の意味をなさないし、せっかくの祭りが台無しになってしまう。

 ならば、力づくで逃げるのも手か。そう考えてみたものの、魔族の腕力では下手をすれば相手に怪我をさせかねず、かといって手加減して彼のホールドから逃げ出せるようにも思えない。

 

(考えろ……魔法を使わず、かつこの人を怒らせず、怪我させず、そっと自然に逃げる方法を……!)


 この緊急事態にカムイの思考回路は超高速で回転していた。この危機を脱するための一手を、穏便にこの状況から抜け出せる一手を。

 そして、高速回転する思考の渦の中で、カムイは一つのある結論に達した。


 ――――――――諦めよう。


 カムイはこの後、ウェル・バロニスと名乗ったこの男と式典が始まるまで祭りを堪能することになる。案外、魔王は押しに弱いのであった。






「おじさん! やっぱ、祭りは最高だな!」


「お、おう……てか、いったいどれだけ食べる気だよ、おめえさん」     


 鶏肉を串に刺し焼き上げた食べ物を両手に五本ずつ装備しているカムイは、バロニスの言葉に「たらふくだ」とだけ答えた。ついでにいうと、彼はこれでこの料理を五十本近く胃に収めている。さらにまだ食べ始めて十分も経っておらず、隣で開催されている早食い選手権の選手も真っ青なスピードだ。これにはさすがのバロニスも苦笑い以外のリアクションが取れなかった。

 二人は今、(バロニスが無理矢理カムイを引っ張って)この祭りを主催した王自らが出席するとある式典会場へと向かっていた。そこでは本日国王からの重大な発表があるようで、歴史が塗り替わるという文句も手伝って通りは式典を一目見ようとする民衆でごった返している。

 といっても、式典が始まるまでにはまだ時間があった。そのため二人はこうして屋台めぐりをしていたのである。これはカムイの強い要望だったのだが、バロニスは無理やり連れてきたということもあってか快く付き合ってくれていた。

 そんな中で見つけたのが、先の料理。香ばしく焼き上げられた鶏肉がジューシーな肉汁をかむたびに溢れ出してくるこの感じは、一口食べただけでカムイの心を射抜いた。


「やっぱり、祭りといったら焼き鳥・・・だよなー」


「焼き鳥? そいつの名前は、コッケの串焼きなんだぞ?」


「ふーん。コッケ、ね。まぁいいや。とりあえず、城ってここか?」


 そうやってカムイが(手に持った串で)指さしたのは、ヒルステラの中にあって一際存在感を放っている建物であった。名をステラ城という。魔界にある魔王城に負けず劣らずの迫力で、似たような建物で日々を過ごしているはずのカムイですらその迫力に圧倒されてしまった。

 普段過ごしている魔王城はあまりにも慣れすぎたために、外観を見てもさほど感慨もわかなかった。だが、このステラ城は別格だった。まるで貴族たちが毎晩舞踏会でも開いていそうな雰囲気である。お金持ち、王族、上位階級。様々な単語が脳裏を飛び交い、カムイは本日二度目の呆然とした様子を見せた。

 

 そんなカムイにバロニスは満足げに何度も頷いた。


「すげえだろ? 初めて見たやつはおまえさんみたいに、絶対なるのさ。人間界でもっとも豪華で、美しく、荘厳な人類史上最高の建築物。それがステラ城なんだ」


「ああ。昔、どっかで見たことのある城とそっくりだ。趣はだいぶ違うがね」


 哀愁にも似た感動を覚えながらも、カムイ達は城の中へと入った。中では近衛騎士が広場までの道筋を親切に示してくれており、道に迷うことなく目的の場所まで難なくたどり着くことができた。

 広場には数千人を超す人だかりがあったが、それでも収容スペースには余裕がある。この広場だけでもとんでもない広さだ。


「さて、皆様。本日、このような催しを開催したのはほかでもない」


 周囲のざわめきが唐突に収まったかと思うと、見計らったかのようなタイミングで厳つい男声が広場に響き渡った。「あれは、近衛師団副団長だ」と隣のバロニスが説明をしてくれた。どうやら王が出てくる前振りのようなものらしい。確かに魔界でもカムイが民衆の前に立つ時にはヴィヴァーニが色々と講釈を垂れてくれているが、そのようなものだと思えばいいのだろう。

 副団長の話を要約すると、どうやら今回の件は先の大戦が絡んでいるらしい。先代魔王が終戦宣言を発してから今年でちょうど五十年の歳月が経つ。この祭りは、その終戦を記念してのことなのだろうか。それにしては、先から檀上で話す男の顔には緊張しか貼り付けられていない。

 それにバロニスも言っていた「歴史が変わる」という言葉が妙に引っかかる。

 

 緊張感の漂う中で、副団長は話を終えた。次にその背後から数人の鎧騎士に護られて登場した人物がいた。現ヒルステラ国王ルドルフ・ウォン・フォーランである。


「諸君。先も伝えられた通り、先の大戦が終結しこの年で五十年が過ぎた。人間が蹂躙され、焼き尽くされ、むさぼりつくされたあの地獄の時代は、もう当の昔の出来事となってしまった。この中にはその大戦のことを知らぬものもいるだろう」

 

 淡々とした口調で国王はそれらを述べていく。群衆はそれを聞き入るように耳を傾けている。


「魔族は人間よりもはるかに優れた力を有していた。人類はそれに対抗する術を持っておらず、ただ力に屈するほかなかった。今こうやって平和に暮らせているのは、奇跡に奇跡が重なったようなものだ。決して、永久不変の平和ではない。偽りの平和である」


 徐々にだが、彼の演説に熱が入り始めていた。カムイは直感的に、これは「危ないもの」だと理解した。散々、魔界で演説に近しいようなことを見たり、したりしてきたのだ。言い方や本題に入るまでの内容で、その演説で何を民に示したいのか大体の想像はつく。

 

「魔族ある限り、人類に真の平和は訪れることはない。では、力無き人類は再びいつ訪れるかわからない魔族の侵略の恐怖におびえ続けなければならないのか? そうではない。今こそ、あの憎き魔族達に人類の底力を見せるときだ」


 暗く冷たい声音が、広場を包んだ。


「魔王を倒し、この世界に、人類に真なる平和をもたらすため我、ヒルステラ国王ウォンの名のもとに号令する――――――今ここに人類の進撃開始を宣言する!」


 国王の発言が止んでからもしばらく、広場からは音が消えていた。誰もが言葉を失っていた。何を隠そうカムイもまた、言葉を見つからずこの事態の成り行きを見守っている。あの男がどういった意図で戦争を始めることを、今この場所で宣言するのか。

 歴史上、人類が魔族側に宣戦布告をした例は一度たりともない。すべての大戦は魔族側が一方的に侵攻したことから始まっている。

 つまり、歴史が変わった。今ここに、この国王は人類の歴史に新たな一ページを刻もうとしているのだ。

 ようやくバロニスの言葉の意味を理解した。つまりはそういうことだったのだ。

 

 冷静に物事を判断しながら、カムイは尻目にバロニスを見た。彼は落ち着いていた。誰もが国王の言葉を咀嚼し、飲み込むことができないでいる中、彼はその言葉を理解し呑み込めていた。それはまるで初めから国王が何を言うのかを知っていたかのような様子だった。

 そんな彼の様子を訝しむカムイだったが、それも束の間にある一つの声によって意識が引っ張られてしまった。


「そ、そんなのおかしいじゃないか!」 


 広場の静寂を破ったのは、脂ぎった中年の男性だった。丸々と太った腹を揺らし、国王を非難するような声色で叫んでいる。


「せっかく、大戦が終わってみんなが戦争前の暮らしに戻りかけているんだぞ!? そんな時に、なぜまた戦争をしなきゃいけない!」


「本当の意味での平和を実現するためだ」


 男性の糾弾に飽くまでも淡々と答える国王。


「また、大勢が死ぬんだぞ!? それに人類は今まで魔族との戦争で勝てたためしがないじゃないか! 人類は魔族よりも弱いのに、それなのにどうしてこちら側から戦争を仕掛けなければいけないんだ!」


 そんな男の絶叫が響く中、カムイは別のものに意識を寄せていた。

 空気が冷えたような独特な肌に感じるこの感触。同時に生ぬるい熱湯をかけられたときのような感触が、この広場のあちこちから伝わってきた。

 魔力だ。かすかな感触だが、常日頃から魔法という存在と親しみあっている魔族は人間よりも魔力の感知には長けている。そのためカムイは確信した。あの先ほど飛び出していった男はフェイクである、と。

 直後、先とは比べ物にならないほどはっきりとした魔力の奔流を確認した。


(これは魔法じゃない……魔術のほうか!)


 人間には魔法以外にも、魔術という術法が存在する。魔法は生まれつきにその人の宿っている唯一無二の能力であるのに対し、魔術とは体系化された魔法術のことで、修業を積めば誰もが魔法のような超常現象を引き起こせるというのが特徴だ。魔術は魔法ほど強力かつ特異性に富んでいるわけではないが、術者次第では魔法に匹敵する力を発揮できる。人間はこの魔術を駆使し、今までの大戦を何とかしのいできた。

 その魔術の発動をカムイは感じたのだ。その数、都合七つ。そして、その照準の先にいるのは、


「人間が魔族よりも弱いとな? それが君の考えだというのなら、今ここでその認識を改めさせてもらおう。要は、魔族よりも、いや魔王よりも強い人間がいればよいのだ」


 国王の言葉が終わるかどうかの寸前、一斉に放たれたのは魔術によって生み出された猛火の太陽。それが四方から国王のいる壇上めがけて、七つ同時に放たれた。

 もはや、それはカムイだけではなく観衆の目にも現実となって見えているはずだ。しかし、あまりにも唐突な場面の連続だったせいか、観衆は皆悲鳴の一つも上げようとしなかった。ただじっと、国王に迫る猛火をその瞳に映しているだけだ。

 観衆だけではない。国王もまた、この緊急事態にもかかわらず壇上から動こうともせず、年に見合わない鋭い眼光で魔術を睨み付けている。護衛も同様だ。


 だが、カムイは見た。真っ赤に燃え盛る炎を前にして、国王がかすかに笑みを浮かべるところを。


「さあ、見給え。これが、人類の切り札だ」


 瞬間、カムイは全身が泡立つ感覚に襲われた。先ほど感じた二つの魔力反応のうちの一つ。冷やされた空気が肌を刺すような感触の魔力。それがいま、動いたのだ。

 

 そして、それは刹那の時間に起きた。おそらく何があったかを完全に理解できたのは、カムイ一人だけであったであろう。観衆からすれば突然、国王めがけて放たれた炎弾が消滅したようにみえはずだ。事実、そうであった。

 国王が何かを言ったかと思った直後、先まで確かにそこで燃え盛っていたはずの炎が忽然と姿を失っていた。同時に国王の前には、彼を護るように一人の少女が現れていた。

 それすべて一瞬にも満たない時間で起きたのである。


(なんだよ、あいつ!? 今、一瞬で背後から飛び出してきたと思ったら、刀を抜いてそれで離れた場所にあった魔術を斬りやがった!)


 カムイが見たものは、魔族並みの速度で国王の背後から現れ、神速の居合で刀を抜き放ち、火球を消滅させてしまった銀髪の少女であった。

 魔族とした何十年と生きてきたカムイですら、何が起こったのかすら理解が及ばない。ただ、わかるのは彼女が国王のいう「人類の切り札」とやらということだ。


 観衆や先ほどの男が静まり返る中、国王は満足げな声で「ふむ」といった。


「これが魔族を根絶やしにするための、人類の切り札。勇者ネエル・シィシア・サテラである!」

 

 力強い言葉が広場を駆け抜けた。誰もが硬直し、静寂さが再びあたりを包んだ。

 遅れて、割れんばかりの歓声が周囲一帯を埋め尽くした。先の一幕で、彼ら彼女らも理解したのだろう。勇者と称された彼女の実力を。それが魔族に匹敵、もしくは上回ることを。

 

「そ、そんなば、馬鹿な……こ、こんなことがあ、あってたまるものか」


 そんな中でただ一人、国王を糾弾した男だけは絶望したような表情でその場に崩れ落ちていた。もしかすると、先の魔術を行使した集団は彼が雇ったのかもしれない。どこかで今日の情報が洩れ、その内容に憤った男が国王の抹殺を企んだ。シナリオとしては、そういう筋道なのであろう。


 ただ、残念なことに。男は諦めてはいなかった。懐にナイフを隠し持っていたのだ。それを力強く握ると、ぎろりと憎しみのこもった視線で国王を睨み付けた。


「殺すなら、やめとけ。お前が逆に殺されるぞ」


 そんな男の背後で、カムイはそんな助言をくれてやっていた。こんな男、殺されてもどうってこともないが、さすがに目の前で人が殺されるシーンは見たくなかったのだ。「関係ない関係ない。お前には関係ない。戦争だはだめだ。絶対に!」しかし、男もそれで折れてくれるほど決意は柔くないらしい。


「おいおい、人の親切な忠告は聞いておいたほうが損は」


「黙れえッ!」


 逆上した男がナイフを振るう。鈍色に光る刃は大きく横に弧を描きながら、カムイの首を掻っ切った。大動脈を切ったことで、大量の血が喉から吹き出し、男の全身を鮮血で染めあげた。「ひぃ……!」と男が情けない声を喉から漏らす。彼としては殺すつもりはなかったのだろう、勢い余ってのことだっただけに殺人を犯したという罪悪感がとめどなく胸にあふれてくる。


「たくっ……人を殺す勇気すらないやつが、そんな物騒なもん持つないよな」


「な、あんた、生きて」


「ああ、生きてるよ? ついで、そいつは俺の作った幻影だ。よくできてるだろ?」


 そういってカムイは笑う。そして、その手では先ほどまで男が持っていたはずの鈍色のナイフが弄ばれている。男が切ったカムイ同様、ナイフもまた彼が作り出した幻影だったのである。

 いったいどこからが幻影だったのか。幻はどこからだったのだろう。

 そんな思考をすら挟めさせてくれないカムイの幻影を前にして、男は呆然と近くにいた近衛騎士に捕縛されるまでの間立ち尽くすことしかできなかった。


   *     *     *



「いやぁ、すまん。まさかこんな事態になるとは思わなかったんでな」


 広場を後にしたカムイにバロニスは何度もそういっては頭を下げていた。この顛末はあっけないもので、国王を抹殺しようとした男たちは近くに待機していた近衛騎士にあっさりと捕縛されてしまい、国王抹殺計画は未遂に終わってしまった。

 だが、それ以上に驚きだったことがカムイにはあった。それはバロニスの正体である。


「いや、隠しているつもりはなかったんだがな。今日は非番だっただけに、仕事のことは忘れることにしてたんだ」


「いや、団長。非番ではなく、飽くまでも一般市民に紛れ込んでの警護および捜査ですから、立派な仕事ですよ」


 そういってバロニスに非難の視線を浴びせるのは、先の弾正にも上がった近衛師団副団長であった。そう、バロニスは近衛師団の団長だったのだ。

 これには思わず、嘘だろ、と呟いてしまった。彼に対して魔法を使わなかったのは、まさに僥倖としか言いようがない。近衛師団団長ともなれば、そういった場数は踏んでいるはずで、魔法など使えば一発で捕縛されてしまいかねないからだ。魔王であるカムイは逃げ切る自信があるが、そうなれば次からこのヒルステラに来ることができなくなってしまうので、できることなら避けたい事態であった。


 その後は副団長に引きずられていくバロニスを見送ると、カムイはお祭りムード一色の通りを抜けひっそりとヒルステラをあとにするため門を目指していた。

 一刻も早く魔界へ帰還するためだ。今日はいろいろとありすぎた。

 人間の魔族への宣戦布告。勇者という魔族以上の化け物の存在。

 カムイ一人が処理するにはあまりにも大きすぎることばかりだ。これにはさすがのカムイも致し方ないと魔界への帰還を決めたのだ。


 だが、門まであと少しというところでカムイは予想だにしない人物と遭遇した。


「待ちなさい。そこの男。そう、先ほどまで近衛師団団長とともにいたお前だ」


 銀髪。見たものすべてを虜する美しい髪が、風に揺れ彼女の背後で舞っていた。

 見覚えがあるどころの話ではない。彼女こそ、今現在カムイが最も警戒しなければならない存在であり、これから先の将来魔族の敵としてあいまみえるだろう人間。最強にして、正体不明の勇者様なのだ。


「なんでしょうか? 俺、今急いでるんすけど」


「ふん。私も回りくどいのは好きではないからな、単刀直入に言わせてもらおう」


 なぜだろうか。ものすごく嫌な予感がカムイを駆け抜けた。

 それはおそらく、彼女は恐ろしく冷え冷えとした笑顔を浮かべているからであろう。


「私の仲間になれ。あの広場でお前が使った魔法、見せてもらった。なかなかのものだった。あれならば、私と組めば魔王打倒も夢ではない」


「断る」


 広場で使った魔法を見られた?

 どうして? 

 幻影は完ぺきだったはずだ。近衛師団団長ですらカムイが魔法を使ったことなど気づいていなかったはずなのに。どうして、この少女はそれを知っているのか。

 そんな思考が脳をめぐるよりも早く、カムイの口からは言葉が、体からは魔力があふれた。


 幻影魔法。その真骨頂は発動したことを誰にも気づかれず、悟られないということだ。気づいた時にはすでに術中にいる。それこそが幻影魔法であり、カムイが魔王たる所以であった。


「なるほど。これはすごい。ぜひとも仲間に加えたい」


 だというのに、この銀髪少女には何一つとして幻を見せることができなかった。

 少女が腰にぶら下げる刀に手をかけた。


「仲間にするお前には特別、私の魔法を見せてやろう」


「おまえ、なにを……!?」


 一瞬だった。展開していたはずの幻が彼女の一太刀によってかき消されたのだ。魔王たるカムイの魔法を、たった一撃で消滅して見せたのだ、この銀髪少女は。


 これにはさすがのカムイも驚愕に表情を染めた。


「私の魔法はな、すべての魔力を無に帰す魔法なんだよ。どんな強力な魔法でも、私の前では意味をなさない。これがどういう意味か、分かるか?」


 脅迫。いくら逃げようとしても、自分からは逃げられないという言外からの圧力だ。

 魔法がなくとも魔族であれば人間とは比較にならないその身体能力で彼女から逃げ切ることは可能だろう。だが、そうなれば魔族がヒルステラに侵入していたということが明るみになり、人類側へ更なる魔界侵攻の大義名分を与えてしまうことになりかねなかった。

 そのためには、ここは飽くまでも強力な魔法を使う人間でなくてはならない。


「……わかった。要件は何だ」


「だから言ってるだろう。仲間になれ。勇者一行の仲間になって、世界を旅してまわるんだ。ついでに魔王も倒して、王様からたんまりと金をもらって、あとは遊んで暮らす。どうだ、夢のような未来だろう」


「思ってたよりも、斜め下の回答だな、おい。つか、魔王ついでかよ!」


「なんだ、悪いかよ。私ひとりじゃ、さすがに厳しいからな。荷物持ちは必要だろ」


「…………お前、本当に勇者か?」


「ここ五年ほど地下牢にいたが、今では立派な勇者だ」


「まさかの前科者!? 何やったんだ、お前!」


「ちょっと、酒飲んだら酔っ払っちゃってさ」


「ほんと、想像の斜め下をいくなお前は!」


 なぜ前科者などが勇者を名乗り、人類の切り札と言われているのだろうか。明らかに人畜有害であろう。

 しかし、そんなカムイの疑問などお構いなしに勇者サテラは話を進めていく。


「よし。じゃあ、仲間もできたことだし。ほら、城へ戻るぞ。旅の準備をしなければならんからな」


「ちょっと待て。いつから、俺はお前の仲間になったんだ」


「裏切ったり、逃げたりしたら追いかけて斬り捨てるからそのつもりで」


「話を聞け!」


 この少女、見てくれはそれなりだが中身が壊滅的だ。人の話を聞きもしない。だが、状況が状況なだけに彼女との会話を続行しなければいけないのが、カムイの不幸である。


「あのな? 仲間になる云々いうけど、俺とおまえは今さっき初めて言葉を交わしたんだぞ? 俺もお前も互いのことをよく知らない。おまけにお前は前科者ときた。信用もへったくれもないこの状態で、俺が素直に仲間なると思うか?」


「私が仲間にしようと思った。それだけで、十分だろ? 何せ私は勇者……人類の希望だからな!」


 思わず俺は魔族だ、と叫びそうになって慌ててカムイは口を塞いだ。そんなカムイを怪訝そうな顔で、眺めるサテラの表情は清々しいほどに晴れ渡っている。自身の言葉を一遍も疑っていない、そんな顔をしていた。

 横暴、傲慢。魔族であるカムイやヴィヴァーニよりもよっぽど彼女のほうが魔族らしい思考回路をしている。そして、質の悪いことに彼女は自身の実力と置かれている立場を、実によく理解していた。彼女の横暴さも、勇者という立場であるなら筋の通るものだ。

 カムイには力がある。それも強大で、かつ戦いというものにもある程度の慣れがあった。彼女はそれをあの一幕で見破り、こうやって声をかけているのだ。人類の切り札たる勇者が、魔族を打倒できるほどの実力だと認め、仲間に引き入れようとしている。それだけで、いいのだ。まかり通ってしまうのだ。理屈など関係ない。人類に希望が見出した才能もまた、人類の希望となりえるのだろうから。

 もしも彼女が国王にカムイの存在を露見させれば、国王は是が非でも仲間に引き込もうとするだろう。魔族と戦争をするうえで、戦力は一人でも多いほうがいい。加えて実力も折り紙付きともなると、手放すにはあまりにも惜しい人材のはずだ。幸い、カムイが姿を消したとしても幻影魔法を無力化できるサテラとカムイの顔を知っているバロニスがいる。さすがに魔界まで探しに来ることはないだろうが、面倒なことになるのはやはり避けられない。


「お前はなんで……勇者なんかやろうと思ったんだ。魔王を倒すなんて、そんな簡単なことじゃないだろ」

 

 実はその魔王は目の前にいて、勇者の仲間にされる寸前で粘っているのだが気にしないでおこう。

 

 しかし、そんなカムイの問いに対して、サテラの答えはシンプルなものだった。


「魔王倒すなら牢から出してやるって言われたからな。そりゃ、やるっきゃないだろ。それに一度でいいから世界中を旅してみたかったし、金でだってたんまりともらえるし」


「……本気で言っているのか、それ」


「うん? 本気も何も、こうやって地下牢組の私が外で刀ぶら下げて歩いている時点で、答えは見えてるだろ」


 相変わらず、自信満々な言葉。どこからその自信は湧き出るのだろうか。本当に謎だ。

 彼女が普通でないことぐらい、見た瞬間から感じていた。だが、こうも埒外な人間だとは思ってもみなかった。常識にとらわれない型破りな考えに、魔王の魔法すら一瞬で消し去れることのできる強力な魔法。後先考えず逃げてしまうのも手だ。だが、そうなったときこの少女がどのような手段を行使するのかと考えると、正直いやな想像しかできない。

 もし、ここでカムイが彼女を放置し魔界へ帰還したとしても、この少女は数年以内の間には人類の切り札の雁首を揃え、魔族を滅ぼすため魔界へ侵攻してくるであろう。カムイにはその確信があった。

 そうなったとき、いったいどれほどの数の魔族が屍となって彼女らの行く手に転がるのだろう。そう考えたとき、カムイは身が震えるような思いを感じた。

 あのサテラのことだ。たとえ幼子であろうと、魔族という理由で容赦なく切り伏せるに違いない。魔族を殺すことだって、飽くまでもついでなのであり、褒賞を得るためなのだから。


「お前さ。気づいてたか? さっきの広場の騒動で国王に魔術を撃った奴ら、たぶんあいつらに命令してたの国王か近衛師団だぜ?」


 バロニスからあの一人国王へ非難を浴びせた男の話を聞いた時から、カムイはあの一連の騒動の黒幕を国王あるいは近衛師団だと半ば断定していた。

 そもそもこのような大事の祭事を催すことじたいきな臭いものがあった。祭りそのものが一種のパフォーマンスであったと考えるなら、ここまでの規模の祭りを開催したのも頷ける。祭りで高揚した気分は、一種の麻薬のような効果を民衆にもたらしていた。常時に戦争の宣言をすると違い、祭りの気分にあてられ浮かれている民衆はきっと国王の宣言をどこか夢見心地で聞いていたことだろう。現実とは違う、どこか遠い場所で起きている出来事のように感じてしまうのである。

 そこで起きる国王への糾弾と攻撃。そんな非現実的な世界を民衆は、どこか俯瞰するような様子で眺めていた。すべて唐突に起きてしまったがため、高まった気がその光景を現実として認識するまで時間がかかってしまったのだ。そして、それらの攻撃をもろともせず打ち消して見せる勇者の登場。銀髪という出で立ちはただでさえ目立つというのに、その登場の仕方がまた派手であった。

 こうして民衆に勇者サテラの実力を見せつけるとともに、これなら勝てるかもしれない、という希望を抱かせることに成功した。一瞬で七つもの魔術を消滅させた銀髪の美しい少女、それはまるで古くから伝わる英雄譚に登場する英雄のような神々しさがあった。

 この一連の騒動は勇者という存在をより強烈に民衆へ焼き付けるための、演出に過ぎないとカムイは推測している。もとをただせばあの男が国王への糾弾したのも、国王の演説内容が漏れていたことに起因していた。

 だが、ピンポイントに一人だけの男に、国家そのものが伏せていた情報が漏れる、というのは明らかに出来すぎであろう。それも現体制に不満を持っていた者のもとへである。これは近衛師団が意図して流したのだろうが、その後男が国王暗殺を依頼した集団といい、あまりにも用意周到だ。これが前々から画策されていたことだというのは、魔王の仕事をことごとくサボっているカムイにすら看破できた。


 つまり、サテラは利用されたのだ。戦争に反対する者を捕らえる名分として、民を魔族との戦争に反対させないための、いい人形として彼女は使われたのである。

 

「お前は国王や近衛師団に、戦争を開始するための起爆剤として使われたってことだ」


 所詮彼女も誰かの掌の上で踊らされている道化なのである。そうカムイは伝えたかった。だが、やはり彼女は一筋縄ではいかなかった。

 帰ってきた答えは予想外なものであった。


「知ってるさ。すべて知ってた。あいつらの態度とか、あの爺の態度を見れば一発で見抜ける。それに気づかなったあの男が間抜けなだけさ」


「なら、どうしてお前はそんな風にしていられる。誰かの掌の上でいいように使われてるってのに」


「所詮、勇者といえど戦争をするためのお飾りみたいなもんさ。私はただ自分の欲求を満たしたいだけだ。それが叶うなら誰かの思惑だろうと、なんだろうと関係ないね。ジジイが何しようとしてるかなんて、しったこっちゃないんだ」


 彼女にとって勇者という肩書きは、自らの欲求を満たすための道具でしかないのだ。自身の欲求を満たすためなら兵士であろうと、官僚であろうと、盗賊であろうと、娼婦であろうと関係ない。だからこそ、国王の手の上で操られていると知りながら、彼女は勇者という役目を全うしようとする。

 すべては自分の欲求を満たすために。


「お前は危険だな」


「今頃気づいたのか」


 彼女の底知れぬ何かに、カムイはもう笑うしかなかった。今まで何人もの魔族や人間を見てきたが、彼女のように自身の欲望にどこまでも正直で貪欲な者にはいまだ出会ったことがなかった。

 危険だ。彼女をこのまま放置しておくのは、後々魔族への損害へとつながる。魔族を統べる魔王として、そんな事態を黙って見過ごすわけにはいかない。カムイが辿り着いたそんな結論は、その先に一つの選択肢が用意されていた。

 それはまるで、初めからこうなることが決まっていたかのようにどっしりと腰を据え、にやついた表情でカムイを迎えた。


「お前は危うい。放っておけば何をしでかすかわかったもんじゃない。だから、俺が見張る。俺がお前の仲間になって、お前を見張ってやる。勇者様が、犯罪に手を染めたーなんてことがあったら、目も当てられないからな」


「もう、してしまっている場合はどうする」


「昔のことなんて忘れろ。今のお前は地下牢に閉じ込められている囚人じゃねえ。人類の希望の勇者様だ」


 カムイが達した結論。それは彼女の仲間となって、その内側から彼女の行動を御するというものだった。勿論、彼女の性格上容易くはないだろう。むしろ、逆にこちらが御される可能性だってある。

 だが、それでもやるしかない。魔族と人類の戦争は何としてでも回避しなければならない事項だ。勇者とともに行動をしていれば、人類側の動向や情報を掴めるだろうし、何より敵の懐に潜り込めるというのは大きなアドバンテージになる。魔王自らというのはいささか問題かもしれないが、こればかりはカムイの軽率な行動を悔いるしかなかった。


「ふん。初めから、素直に首を縦に振っておけばよいものを……まあよい。仲間なのだからな。この程度の触れ合いはせんとな。……おっと、そうだった」

 

 と、そこでサテラが何かを思い出したように手を差し出した。


「ネエル・シィシア・サテラだ。これから、ともに旅をする仲間だ、よろしく頼む」


「なるほどね――――――クニエダ・カムイだ。こちらこそ、よろしく」

 

 そう言って二人は、互いにがっちりと握手した。魔王と勇者、異色のコンビが誕生した瞬間であった。


「さて、マーキングも済んだことだし。ほら帰るぞ」


「へ? マーキング?」


 そこでカムイは先ほどサテラと握手していた手から、微量な魔力と煙が立ち上っていることに気付いた。まさか、と思い急いで手のひらを確認する。

 そこには複雑な紋様が刻み付けられていた。しかも、この紋様にカムイは見覚えがあった。


「これ……従僕の刻印!? ちょっと待て、なんでこれが俺の手に」


「さっき握手した際に、掌に仕込んでおいたものを発動させておいたんだ。これで私とおまえは主従の関係で結ばれたわけだ。いいじゃないか、勇者とその配下。それっぽいじゃないか」


「お前、これがどんなものなのか本当に分かっているのか!?」


「ああ。主たる者、いついかなるときでも僕を把握すべしってな」


 従僕の刻印は主に犯罪者などに行使される魔術であり、その効果については一言で片づけることができる。要は、主となったものは僕となった者の魔力をどこにいたとしても察知できるようになるのだ。つまりカムイはこれからいついかなる場所へ行こうとも、サテラにはそれが筒抜けとなってしまうのだった。

 

「お前、やっぱり仲間とか言いながらほんとはただの手伝いがほしかっただけだろ!」


「否定はしないな。うん」


「否定をしてくれ! てか、なんでお前が主で俺が下僕なんだよ! 普通に考えたら逆だろ!」


「うるさいなぁ……」


 ――――――――――――と、このような具合に勇者様御一行は打倒魔王を目指し(隣にいるので、明日からでも可能)、様々な冒険への第一歩を踏み出したのである。






 ちなみに後日、魔王城でカムイの報告を受けたヴィヴァーニは報告を聞き終えるなりその場で失神してしまい、それから約三日間彼は目を覚まさなかったという。


「魔王さまぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ!」


 という断末魔の悲鳴が時折、虚しく彼の部屋から響いていた。

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