ジ・エンド
初めて見るその部屋はとても空虚な感じがした。
一面灰色で、その空間にいる自分自身まで灰色に染まってしまいそう。
そんな気がした。
目の前に座った刑事は、先程溝内と名乗った男だった。
柳谷と名乗った女のほうは、入り口の机に座っている。
こちらに背を向けている女の顔は見えない。
僕と溝内の間には事務机が一つ。
溝内の向こうにこの部屋の扉。
僕ではなく溝内が扉の前に座ってるのは、僕が逃げられないようにするため。
つまり、僕は犯人扱いされているっていうこと。
まぁ、僕が犯人で間違いないのだけれど。
別に不快ではない。
むしろ、今までで一番気分がいいかもしれない。
ようやく、僕が待ち望んでいた瞬間が訪れる。
膝の上で握りしめた手が自然と震えた。
怖くないと言えば、嘘になるけれど、僕はずっと前からこの瞬間を待っていたんだ。
「単刀直入に聞こう。ここに並んだ人物を殺したのは君で間違いないな」
そう言って刑事が示したのは、机の上に置かれた無数の写真。
ついこの間殺した赤いコートの女や随分と前に殺した犬の散歩をしていた女子高生もいる。
それから、僕の母親と父親と姉ーー。
僕は黙って頷いた。
ここには写真がない人もいた。
それは、単に机に並びきらなかったのか、それとも刑事が気付いていないのか。
それはどちらでも関係ないけれど。
どちらにしても、もう終わるんだ。
それが嬉しくて、同時に怖かった。
でも、終わるのであれば全てを話そう。
最初から決めていた。
終わりの時は誰でもいいから、全てを話そうと。
ゆっくりと俯いていた顔を上げて、真っ直ぐに目の前に座る男を見た。
そうして、口の両端を上げて笑ってみせた。
「……遅かったね。もっと早くバレると思っていたよ」
そう言うと刑事の顔に皺がよる。
「何故、殺したんだ? こんなにも、多くの人を」
苦々しくそう言う刑事を見て思う。
そして、思ったことをそのまま言葉にした。
「優しいんですね」
僕の言葉に刑事は目を丸くして驚いた。
どうして、驚くのだろうか?
「理由はありません。強いて言うなら、そこにいたからです」
僕がそう言うとますます驚いた顔をする。
「……そんな、理由で!」
ああ。本当にこの人は優しいんだな。
「そんな理由で殺せるんですよ。人は人をくだらない、糞みたいな理由で殺せるんです」
笑って言った。
信じられないという顔をする刑事が、とても可笑しかった。
「きっとあなたは僕と違ってとても優しい人なんでしょうね。だから、僕の気持ちを理解できないでしょう」
そう。誰にも僕の気持ちは理解出来ない。
あの嘘つきだって、僕のことをわかってなんかない。
「他に理由を上げるなら、壊したかったからです」
「壊したかったから……?」
僕の言うことをおうむ返しに言う刑事。
僕は彼に向かってにっこりと笑ってみせた。
とびきりの笑顔を見せて、内心ではそんな自分にヘドが出る思いだった。
「僕の話、聞いてくれます?」
* * * * *
「僕は正直ウンザリしてたんです。自分の理想を押し付けてくる母親にも、ストレスの捌け口にしてくる父親も、僕を見下してくる姉にも、ウンザリだった」
淡々と語る僕の言葉に黙って耳を傾ける刑事の溝内。
「毎日、毎日同じことを繰り返して、でも結局いつかは死ぬ。僕は自分の人生に価値を見出だせなかった。繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、何度も何度も何度も、何度も!同じ毎日が流れていく……」
ぎゅうっと、血が滲むほど拳を握りしめた。
「どうして、生きてるんだろう? 何のために生きてるんだろう? どうせいつか死ぬのに、毎日同じことを繰り返していくだけなのに、こんなことに意味はあるのか? 価値はあるのか? そんな考えが僕の頭の中を巡っていた」
僕は。
僕はーー。
何かが、心の奥底から湧き出してくる。
「僕はーー。そんな考えにウンザリしてた。そんな毎日にウンザリしてた。もう考えるのは嫌だった。だから、壊した」
目頭が熱い。
視界が滲んだ。
壊せば何かが変わるって思った。
「全部壊してめちゃくちゃにした。今まで自分が我慢してきたことが、全て馬鹿らしく思えたよ。何で最初からこうしなかったんだろうって」
頬を伝う温かな水滴。
ねぇ?
僕は今、どんな顔をしている?
胸が熱くて、苦しい。
「お母さんを殺して、お父さんもお姉ちゃんも殺したら、全てから解放されたような気がした。ようやく抜け出せたんだって思った。繰り返す毎日から私は解放されたんだって」
キツく握りしめた拳に落ちる冷たい滴。
何で僕は泣いているのか?
泣いているのは僕なのか、私なのか?
手が震える。
怖いのだろうか?
悲しいのだろうか?
僕には分からなかった。
何もかも、僕には分からなかったーー。
「繰り返される毎日を生きている私は死んでるみたいでーー。私はきっと死にたかったんだと思う。でも、死ぬのは怖かったーー」
死んで、繰り返す日々から解放されたかったけれど、自殺する勇気が私には無かった。
「人を殺す度に、自分が生きてる実感が持てたよ。血の温かさが、肉の感触が、私がこの世に存在していることを教えてくれた。死に触れれば触れるほど、私は生きていると実感出来た。死の恐怖が私がこの世に存在していることを証明してくれた」
でも、それも幻想。
所詮はまやかしだった。
結局は繰り返しの毎日に戻り、全ては朧となっていく。
「私は本当はとっても嘘つきだった。本当はもうずっと前に駄目になっていた。もう全てが限界だったの。本当は私、壊れたかったーー」
壊れたかったのーー。
そう繰り返す。
リフレイン。
意味は繰り返す。
生きることに疲れてしまった。
生きていく意味を見出せなかった。
「私は自分で思ってるよりも頑丈で、全然壊れなかった。壊れたらもっと楽になるって思ってた。壊れれば何も考えなくて済む。悩んで苦しむこともないって。でも、私は壊れなかった」
夢の中で女の子は泣いていた。
泣いてる女の子は僕だ。
昔の僕。
私ーー。
「生きててよかった。生まれてきてよかった。そんな風に思えたことが一度もないんだ。私は必要とされていなくてーー。だから、私も私を捨てた」
僕に捨てられた私は泣いていた。
僕を助けようとして、必死にもがいていた。
「僕は人殺しだ。僕は人を殺したかった。殺して、全て壊したかった。全て、終わりにしたかったんだ」
握りしめていた拳を開けば、血が滲んでいる。
赤い血。
温かな血。
血が僕が生きていることを教えてくれる。
本当はずっと昔に終わらせるはずだったのに、こんなに長引いてしまった。
僕は滴を拭って、笑ってみせた。
嘘つきみたいに。
「支離滅裂な話でごめんね。つまんないだろう」
さぁ。早く終わらしてよ。
「……殺していいよ」
小さく呟いた。
黙って聞いてくれたあんたに感謝するよ。
「えっ……」
僕の言葉を刑事が聞き返す。
「人殺しが悪い理由なんて、僕には分からない。分からなくなってしまった。人の命が大切な意味を僕は見失ってしまった」
僕の言葉を聞いて、刑事は眉間に皺をよせる。
きっとこの人は人の命は大切で、何よりも尊いという教えを信じて疑わない人なのだろう。
僕は人を殺しているうちに、命の大切さが分からなくなってしまった。
いや、違うな。
もうずっと前に命の意味が分からなくなっていたんだ。
だから、あんなにも簡単に、躊躇わずに人を殺せた。
刑事が言葉を発しようと口を開く。
その口が言葉を紡ぐ前に僕は言った。
「日本人は死刑になった人間を殺す」
それを聞いて刑事は口を閉じる。
「人を殺すことを悪だと言いながらも、人は人を殺している。罪を犯した人間なら殺してもいいのか? 人を殺す権利なんて誰にもない。そんな綺麗ごと言っているやつらも罪人は死刑になるべきだって言う。結局は人殺しを悪だと言うのは、人のエゴだろう」
僕の口から飛び出すのは、僕の悪。
僕が人を殺せた理由。
僕が殺人鬼な理由。
「しかしーー」
尚も言い募ろうとする刑事。
バンーー!!
僕は思い切り両手で机を叩き、黙らせる。
女の刑事、柳谷は驚きこちらを振り向く。
僕は目の前に座った男を睨みつけた。
「黙って聞けよ。お前の話なんて聞きたくない。ここまで黙ってたんだから、最後まで黙っとけよ」
僕の言葉に渋い顔をしたものの、再び黙る刑事。
僕はその様子に満足して、話し出す。
「僕は自分が正しいことをしている。そう思ったことは一度もないよ」
そう。僕は自分が間違っていると分かっていた。。人の命が大切か僕には分からない。
人殺しが悪だと僕には言えない。
悪だという理由が、僕には分からなくなってしまったから。
でも、人殺しを善だとも思わない。
僕がやってきたことが正しいと思ったことは一度もない。
「僕は間違ったことをした。その自覚はあるよ。正しいと思ってなんかない。僕は間違っている」
それでも僕は殺し続けた。
「間違っていることが分かってて、でも僕にはそれしかなかったんだ」
間違っていると分かってても、僕には続けることしか出来なかった。
ああ、私が泣いている。
本当にこれで良かったの?
そう言って泣いている。
目を閉じれば思い浮かぶ嘘つきと過ごした日々。
こんな時に思い浮かぶのが、どうしてお前の顔なんだろう。
本当に、嫌な奴だーー。
「人を殺す人間は、人に殺される覚悟がなくちゃいけないーー。それが僕らのルール」
それを教えたのは、僕の大嫌いな嘘つき。
さようなら。
嘘つきの狼少年。
さようなら。
大嫌いな世界。
「僕を殺して」
この瞬間をずっと待っていたんだ。
* * * * *
警察署で出ると、外では男が待っていた。
男は僕に向かって、軽く手を上げる。
「やあ。元気そうで何よりだよ。ライア」
そう言って微笑む男。新城篤人がそこにいた。
僕を以前買った男。
「今は凪って呼んだほうが良かったかな?」
さらっと僕の本名を言う。
笑って立つ新城の胸倉に僕は掴み掛かった。
「何で。僕だけ出したんだ!」
僕と紗菜は警察に捕まった。
紗菜の人殺しが警察にばれたからだ。
僕が全部、隠蔽したはずだったのにーー。
この男は裏から根回しして、僕を釈放させた。
何故? 疑問が浮かんだが、今はそれよりも紗菜のことのほうが重要だ。
「どうして紗菜を助けなかった!」
僕は警察署の出口のとこで奴を怒鳴りつける。
「落ち着けよ。とりあえず車に行こうじゃないか」
新城は胸倉を掴んだ僕の手を離させ、冷静に言う。
そして、耳元に口を寄せる。
「目立っているぞ。それは得策とは言えないだろう」
その言葉にハッとして、周囲を見渡す。
確かにちらちらと、こちらを見ている警察職員や一般人がいた。
「……分かった」
大人しく新城の言葉に従い、奴の車の後部座席に乗り込む。
新城は車を発進させ、僕はそれと同時に言った。
「何で紗菜を助けなかった」
怒りが込み上げてくる。
紗菜はまだあそこにいるのだろう。
このままでは紗菜は裁判にかけられてしまう。下手したら死刑もありえる。
紗菜が、僕の天使が殺されてしまう。
「君を助けたのは、君にはまだ価値があるからだ」
新城は淡々とそう言う。
後部座席に座った為、その表情は見えない。
後ろに座ったのは失敗だったかもしれない。
「なら、紗菜にだって価値はあるはずだろ」
そう言い返すと奴は笑った。
「何がおかしい……」
怒気を込めて言う。
「君は彼女のことになると、いつもの冷静が欠けるようだね」
信号が赤になり、車は停止する。
「彼女は死にたがっていた。違うかい?」
新城のその言葉にハッとする。
どこまで、この男は知っているんだ?
「彼女は両親を殺したときに、本当は自分も死ぬつもりだった。そうだろう? でもそれを君が止めた。そうして彼女は殺人鬼になった」
僕は否定しなかった。
否定出来なかったからだ。
紗菜は本当は死にがたっていた。僕もそれに気づいていた。
けれど、僕は紗菜に死んでほしくなかったから、だからたとえ彼女が傷ついて壊れていくのが分かっていても、彼女を殺人鬼として生かし続けた。
酷いことをしたって思ってる。それでも、僕は彼女に生きていてほしかった。
「彼女はずっと死にたがっていた。だから、良い機会じゃないか。これでやっと死ねる」
笑って言う男が憎かった。
それ以上にその言葉を否定出来ない自分が憎かった。
「……お前が警察にリークしたんだろう。僕の証拠隠滅は完璧だったはずだ」
なのにバレた。それは、僕以上の力を持った人間が裏で手を引いたに違いない。
新城なら、それだけの力があるだろう。
僕が全ての力を持って調べても、偽名しか分からなかった。
組織に所属しているのかどうかも、何を生業としいているのかも、何も知ることが出来なかった。
それだけ隠すことが出来るのならば、僕の隠した事実を暴くことくらい容易くやってのけるだろう。
そうして捕まった僕らの内、僕だけを助けた。
何のために?
紗菜が邪魔だったんだろう。
僕を利用するのに、紗菜が枷となっていた。
だから、紗菜のことを警察に情報を流して、僕だけ助けた。
「そうだよ。君はあんなところでと燻っているには勿体無い人材だ」
信号が青になって、車は再び走り出す。
どこへ向かっているのか、僕は知らない。
聞いてもきっと答えないだろう。
「君は僕に借りが出来たね」
自演自作のくせに……。
何てわざとらしい。
「だから、お前につけって言っているのか?」
新城は笑った。
その笑いが癪に障る。
「分かっているじゃないか。そうだよ。彼女は死なせてやりなよ。君になら、僕が君にしたように彼女を助けられるだろう。けれど、それは彼女は望んでいない。死なせてやりなよ」
拳をキツく握り締めた。
分かっている。紗菜はきっと僕の助けなんて望んでいない。
紗菜が死にたがっていたのを、僕はずっと知っていたんだ。
分かっている。
でもーー。
それでも、僕は紗菜に生きていて欲しいんだ。
これは、僕の我が儘だ。
僕の愛しい天使。
君はとても、純粋で真っ直ぐだった。
だから、簡単に闇に染まった。
それでも、君の奥底には闇に染まりきらない部分があって、それが君が死にたい理由だった。
「……死なせてやりなよ」
僕が黙って俯いていると、新城は再びそう言った。
その言葉は先程よりもずっと真剣味を帯びていて、僕は黙って唇を噛み締めた。
* * * * *
“最後に何か言いたいことはあるかね?”
「それじゃあ、一つだけ」
「僕が僕の家族を殺して知ったことを」
「雨はとても憂鬱で」
「僕は殺し屋ではなく、殺人鬼であった」
「僕はいつも逃げていて」
「人生は繰り返しの連続」
「それからーー」
「血は冷たくて、水は暖かかった」
「僕は自分がしたことを、後悔も反省もしない」
「全ては僕自身が選びとった結果で」
「僕が進んだ道だ」
「僕には死ぬ覚悟も、殺される覚悟もある」
「だからーー」
「さぁ、早く」
「僕を殺して」
この話で人殺しの天使完結となります。
話数は少ないですが、完結まで長い時間がかかってしまいました。
最後までお付き合い頂きありがとうございます。
内容は色々と過激な部分等あったかと、思いますが読んで頂きありがとうございました。
気になる点等色々とあるかもしれませんが、その内短編でこのお話の続編、補足的な話を書きたいなとは考えております。
あまり長くなるとウザイので、ここらで、本当に最後までお付き合い頂きありがとうございました。