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メランコリー

次話投稿です!

同性愛描写があるのでご注意下さい。


 雨は憂鬱。

 一番大嫌いな、天気。

 びちゃびちゃ鳴ってうるさい。

 靴も濡れるし、髪は跳ねるし、大嫌い。

「僕は雨好きだよ」

 でも、君の前ではうそぶてみせた。

 僕は嘘つきだから。

 今は梅雨入りしたばかり。

 全く、嫌になるくらい降ってる。

 外になんか出たくないなぁ。

 毎日、毎日降ってて嫌になるよ。

 本当に出たくないなぁ。

 でも、お仕事だから仕方ないね。

 時計の針は9と10の間を差す。

 そろそろ時間だ。

 僕がきちんと働いて稼いでこないとね。

 君を守るためにもーー。

「それじゃあ、僕は出掛けてくるよ。一人で良い子にして待っててね」

 僕は冗談めかして言う。

「僕は子供じゃない」

 あの子はそう怒鳴った。

 ふふっ。

 可愛いなぁ。

 僕はニッコリ笑って玄関を出た。

 外に出た途端一気に顔から表情が抜け落ちる。

 全く、疲れるなぁ。

 本当に憂鬱。

 僕は深緑色の傘をさして歩き出す。




 * * * * *



 僕のお仕事。


 一体何だと思う?


 サラリーマン?


 いやいや、僕はまだピチピチの十代だよ?

 今年で17歳。


 居酒屋でアルバイトとか?


 全然違うよ。


 ヒント。

 体を使います。


 となったら、

 土木業しかないでしょ?


 ってなるのが凡人の駄目なところ。

 僕に土木業なんて出来るわけがない。


 正解。

 僕は所謂いわゆる娼婦をしてます。


 ほら、僕って顔がいいから。


 結構モテるんだよ。


 これが結構儲かるんだなぁ。


 少なくとも普通に働くよりは稼げる。


 金はやっぱり必要だよ。


 少なくともこの世界はそういう風に出来てる。


 金がなきゃ生きていけない世界を人間は作ったんだ。


 全く。


 愚かしいことにね。


 嗚呼。


 仕事って憂鬱。


 今日も僕は誰かを抱いたり、誰かに抱かれたりするんだ。


 でも、仕方ない。


 金を得る為には仕方のないことだ。


 僕が頑張らないと。


 あの子を守るためにーー。




 * * * * *





 ああ。

 今日の仕事も最悪だった。

 まぁ、僕の仕事はいつだって最悪なんだけど。

 でも、今日のは一段と最悪だった。

 全く、嫌になるよ。

 それでも僕はこの仕事を続けなくちゃいけないわけなんだけど。




 今日の客は男だった。

 大分年のいったおっさん。

 たとえば、女の娼婦なら相手は男って限られてくるわけだけど、男だったら話は別。

 女が相手の場合もあれば、男を相手にすることも当然の如くある。

 今日は相手が男の日だった。

 男が相手の時、いまいち僕のモチベーションは上がらない。

 だってそうだろう?

 誰だってむさ苦しいおっさんよりは、多少ブスでも女がいいに決まってる。

 別に世の男みんながむさ苦しいおっさんだって言ってるわけじゃないよ。

 ただ、僕の客で格好いいイケメンが来た事なんてただの一度もないからさ。

 まぁ、それは置いといて今日の仕事は単純明快。

 客と寝ればいいだけ。

 一番わかりやすい娼婦の仕事。

 そして僕が一番嫌いな仕事。

 でも、仕事だもの。

 割り切ってやらなくちゃね。

 とにかく僕は客の待つホテルに行って抱かれた。


 もう気分は最悪。












































 僕だって別に好きでこんな仕事してるわけじゃないよ。


 でも、あの子の為にはいろいろな人と知り合っておいて損はないと思うんだ。

 所謂いわゆる人脈ってやつが僕らには必要なんだ。

 可愛い天使エンジェルはあんまり必要としてないみたいだけどね。

 というか、人は見たら殺すっていうような思考回路してるから、まず人と関わること自体が出来ないんだろうな。


 外はまだ、雨が降っている。


 ああ。


 憂鬱。



 ホテルのベットに横になり、窓の外を見つめる。

 隣で男の寝息を立てる声が聞こえる。

 僕は起き上がり、男を起こさないようにそーっとベットから抜け出す。

 腰が重いなぁ。

 そんなことを思いながら、シャワールームへと向かい一人勝手にシャワーを浴びる。

 その内に男が起きる。

 僕はシャワーを浴び終えると、服を着て男の元へと向かう。

 男は寝起きが駄目なのか、のそのそと服を着ている。

「ねぇ、もし良かったらまた僕を指名してよ」

 僕は男が着替え終わったところで、男に向かって微笑んでみせる。

 そして、男にキスをする。

 男は僕を抱き締めて、耳元でまた来ると囁いた。


 ああ。


 気持ち悪い。










 ホテルを出て男と別れると、携帯に支配人から連絡がきていた。

 支配人というのは、僕の働いてる店の店長みたいなものだ。

 僕も一応店に所属していて、そこから客を得ている。

 支配人は僕らの話をよく聞いてくれるし、こういう業界においては滅多にいない良い人だと思う。

 あくまでこの業界ではの話だけどーー。

 僕は支配人に電話をかけ直す。

 ワンコールで支配人はでた。

『もしもし、ライアか?』

 ライアというのは僕の源氏名みたいなものだ。

 ああ。

 源氏名だとちょっと違うかな?

 まぁ、お仕事用の名前ってやつ。

「もしもし? 支配人? ライアだけど。どうしたの。急に電話なんてかけちゃって」

 僕が言うと支配人は申し訳なさそうに言った。

『実はな、もう一人お前を指名する客がいてな。今夜は先約があるって言ったんだが、そっちが終わるまで待つって言うもんだから』

 ちっ。

 僕は心の中で舌打ちをする。

 なんだって今日はそんなに客がいるんだよ。

『○○○ホテルで客が待ってる。行けるか?』

 僕が黙っていると支配人はそう問いかけてきた。

 行けるか?

 はぁ?

 ここで無理なんて言って、じゃあ行かなくていいってなるわけないでしょ。

「分かった。これから向かうよ」

『客は1107号室にいる。よろしく頼む』

 そう言って電話は切れた。

 全く今日はついてない。

 ○○○ホテルならここから結構近いな。

 なら、徒歩でも行けるだろ。

 そう思って僕は深緑色の傘をさして歩き出す。


 雨は憂鬱。


 でも、傘をさすのは嫌いじゃない。



 ああ。


 君に会いたいよ。



 そんなこと言ったら、君は薄気味悪いって言うだろうけどね。






 * * * * *





 ○○○ホテルは所謂いわゆるラブホではない。

 普通の旅行客が泊まるホテルだ。

 しかも、そこそこ高級感が漂っている。

 実際に上の方の階は一般庶民が到底泊まることの出来ないくらい、宿泊費が高い。

 1107号室だなんて、かなりお高いんじゃない?

 金持ちか……。

 上手くやれば金、むしりとれるかな。

 そんなことを考えながら、僕はホテルのは中に入っていった。

 中は予想とたがわず、高級感が漂っている。

 赤いカーペット。

 金色に光るシャンデリア。

 立派な身なりをした客とホテルマン。

 パーカーにジーンズといった格好の僕はかなり浮いている。

 しかも、こんな夜遅くにホテルにやってくる客なんてそうそういない。

 これはまずいな。

 ちょっと止められちゃうかも。

 そう思った矢先、ホテルマンが僕に近づいてきた。

「お客様。宿泊のご予定でしょうか?」

 やんわりと聞いてくる。

 僕が不審者じゃないかって怪しんでるんだろう。

 今、滅茶苦茶めちゃくちゃ汚い格好してるしな。

「いや。人と約束があるんだ。ちょうどいいから、案内してくれない?」

 僕はそうホテルマンに提案した。

 一人で動き回るより、ホテルマンに案内してもらったほうが怪しまれずにすむ。

「1107号室に来てくれって言われてるんだけど、なんか聞いてない?」

 そしてそう尋ねる。

 多分こういうホテルで待ち合わせしてるんだから、客のほうからフロントに何か言っていてもおかしくない。

 勝手に部屋までは行けないだろうし。

「ああ。深船みふね様のお客様でしたか。失礼致しました。お話は伺っております。どうぞ、こちらへ」

 やっぱり。

 僕の読みは当たっていてた。

 僕はホテルマンの後に続き、エレベーターに乗る。

 そして、部屋の前まで連れてこられる。

 ホテルマンはドアのインターホンを押す。

「深船様。お客様をお連れしました」

 ホテルマンがそう言うとドアが開いた。

 そこには、スーツをピシッと着こなした、かなりの年の若い男が立っていた。

 年は20代半ばぐらいだろうか。

 せいぜいいってても、30代前半。

 中々に美丈夫だった。

 男は僕を見て目を細めた。

「ああ。有り難う。君はもう戻っていいよ」

 すると、ホテルマンは一礼して去っていく。

「さぁ。中に入って」

 男はドアを開けたまま、体を斜めにして僕を部屋へと招き入れる。






 部屋は想像していたよりも、広かった。

 いや。

 多分上の方の階だから広いとは思ってたけど、これは想像以上。

 天井には大きなシャンデリア。

 部屋の中心に、脚と四隅に彫刻の施されたテーブルと革張りのソファが二つ。

 テーブルの上にはご丁寧にも花の生けられた花瓶がのっている。

 床はカーペットが敷かれていて、これがいかにも高そうだった。

 そして壁には豪華な額縁の絵が飾られている。

 僕が呆気に取られていると、男は僕に話しかけてきた。

「君がライア?」

 僕はその言葉にハッとして、我に帰る。

「あっはい。そうです」

 すると、男は笑みを浮かべる。

「ふぅーん。可愛らしい顔つきをしているんだね」

 僕はその言葉に内心ムッとしつつも、表面上は笑顔で応える。

「よく言われます」

「こういう場所は初めて?」

 男はソファに腰かけつつ言った。

「ええ。初めて来ました」

 僕が答えると。

「そうだろうね」

 と言う。

 イラッとした。

 なら言うなよ。

「単刀直入に言うね」

 男は僕にソファに座るよう手で促しながら言った。

 僕は営業スマイルのまま男の言葉の先を待つ。

「私は君を抱くつもりはない」

 ふぅーん。

 そりゃ意外。

 てっきり抱かれるもんかと思ってたのに。

 そう思ってることは、おくびにも出さずに僕は言う。

「構いません。お客様の満足のいくサービスを提供することが僕の仕事ですから」

 そう言って笑う。


 ああ。

 へどが出るような言葉だ。

 何がサービスだ。

 馬鹿らしい。


「君は大層な猫かぶりだね」

 男はそう言った。

 僕はびっくりして男の顔をよく見た。

 客にそう言われたのは初めてだ。

「私が君を呼び出したのは、君に聞きたいことがあったからなんだ」

 男はそう切り出した。

「深船って偽名?」

 僕は笑顔を引っ込めて言う。

 多分この男はもう店に来ることはあるまい。

 そう考えてのタメ語だ。

 この男に媚びを売る必要性はない。

 すると、男は笑みを浮かべる。

「本性出す気になった?」

「まさか。そんなわけないだろ。これが僕の本性と思われちゃ困るね」

 僕は男を見下すよう言った。

「それは残念。君の噂は聞いているよ。嘘つきの狼少年がいるってね」

 男は全然残念そうな様子もなく言った。

「へぇ。それは初耳。僕は嘘をついたことなんて、生まれてから一度もないのに。そんな噂がたっているなんて不本意だな」

 僕は笑顔で応える。

 我ながらよく言う。

 この場にあの子がいたら鼻で笑われたことだろう。

「殺人鬼を飼っていると聞いたよ。それは本当かい?」

 男は僕の戯れ言を無視して言う。

 その顔に胡散臭い笑みを浮かべてーー。

「用件は?」

 僕は逆に笑顔を引っ込めて言う。

「殺してほしい人間がいる。出来るかい?」

 随分と単刀直入に言ったものだ。

 僕はその問いに少し間を置いて答える。

「それはあんた達がどこまでやれるかにもよるけど」

 証拠隠滅までか。

 それとも、殺人事態の隠蔽までかでは、大分条件が異なる。

 僕らは見つめ会う。

 お互い相手を探りあっているという感じだ。

「そうだな。ごみ掃除くらいなら、してもいい」

 男が答えた。

 ごみ掃除ーー。

 証拠隠滅までと捉えるべきだろう。

 僕は少し考える。

 あの子に危険なことはさせたくはない。

 だがーー。

「分かった。引き受けよう」

 ここまできて断ることは出来ないだろう。

 すると、男は笑みを深める。

 そうして言葉を発しようとする、その前に僕は言った。

「ただし、僕が殺る。僕の鬼は見ず知らずの他人に貸すほど安くないよ」

 男は一瞬驚いた顔をした。

 けれど、それをすぐさま引っ込める。

「構わないよ。君が人を殺せるならね」

 僕を侮った口調に、僕は顔に笑みを張り付けて返した。

「あんまり、僕を舐めないほうがいいよ。痛い目みるぜ。新城篤人しんじょうあつとさん」

 すると、今度こそ男は驚いた顔をして目を見開いたまま固まった。

「偽名でホテルに泊まるのはまずいんじゃない?」

 僕が言うと男は苦笑を浮かべる。

「参ったね。知っていたのかい? それとも調べたのかい?」

 僕は人差し指を唇にもっていく。

「それは企業秘密だよ」

 男は苦笑して、スーツの内ポケットから一枚の写真を取り出す。

「この男を一週間以内に殺してくれ」

 そう言って男が差し出した写真には中年の男が写っていた。

 恰幅のいい裕福そうな男だった。

「分かった」

 僕は短くそう言って写真を受け取る。

「報酬は聞かないのかい? この男がどんな人物なのかも」

 男の言葉に僕は首を振る。

「知らなくていいよ。どうせ死ぬんだから。死ぬ人間のことを知ったって意味ないでしょ」

 僕の言葉に男は笑う。

「冷たいんだね」

 僕は立ち上がり、男に背を向ける。

 そうしてドアへと歩き出す。

「一週間後、またここでいいな」

「構わないよ」

 男のその言葉を聞いてから、僕は部屋を出た。

 すれ違うホテルマンに不審げな視線を向けられつつも僕はホテルを出た。

 ホテルを出ると雨はもうすでに上がっていた。

 僕は深緑色の傘を片手に持ち、あの子の待つ家へと歩みを進めた。


 嗚呼。


 憂鬱。


 僕の頭上で輝く星たちが酷く憎らしく感じられた。




 *   *   *   *   *



 家へ戻ると、可愛い僕の天使は健やかな寝息をたててベットに横になっていた。

 僕はそんな彼女の横顔に触れる。

 彼女自身が自分でばっさりと切ってしまった短い髪の毛。

 僕は前みたいに長いほうが好きだったけれど、彼女は親の返り血がこびりついてしまった髪の毛をはさみで切り落としてしまった。

 凄くもったいないと思ったけれど、僕はそれを口に出して言うことはしなかった。

 可愛い天使エンジェルは今日も何も知らずに夢を見る。

 沢山人を殺して血を浴びる夢をーー。

 純粋無垢そうな顔をして、血を浴びて喜ぶ殺人鬼。

「ねえ。天使エンジェル? 君が人を殺すのはきっと君が、この世界の誰よりも純粋だからなんだよ」

 そう囁くように言う。


 僕は君の為なら何だって出来るよ。


 平気で嘘をつくし、平気で人を殺せる。



 だからーー。


 ねぇ、


 お願いーー。






 僕の傍を離れないでおくれ。





 可愛い天使エンジェルーー。



 僕だけの天使。





 愛してるからーー。








 *    *   *    *     *






 僕が額にそっと口付けをすると、殺人鬼はゆっくりと目を覚ました。

「おはよう」

 僕はにっこりと笑う。

 途端、殺人鬼は顔をしか露骨ろこつに不機嫌そうな顔をした。

「まだ、朝じゃないぞ」

 僕を押しのけベットから立ち上がる。

 僕は逆にベットに寝転がる。

「知ってるよ。でもあと数時間もすれば朝だ」

 殺人鬼は不愉快そうに鼻を鳴らし、手近なところにあったはさみを手に取る。

 それを僕に向け、殺人鬼は言った。

「知っているか。人間ってのはもろいもんで、こんなちゃちなはさみ一つでも殺せるんだぜ」

 きっと殺人鬼はこう言いたいんだろう。

 お前をいつでも殺せるんだぞ、と。

 僕は殺人鬼に向かって微笑んでみせる。

「へえ。それはそれは。恐ろしいね」

 僕の言葉を天使はすぐに否定する。

「嘘。そんなこと欠片も思っていないくせに」

 僕は体を起こし、笑う。

 可愛いね。

 天使は泣きそうだ。

 嫌な夢でも見たのかな。

「さて、僕はもう一仕事あるんだ。お留守番よろしくね」

 僕は冷たい人間だから、そんな君をおいて人を殺しに行くよ。



 ああ。

 駄目だよ。


 そんなに無防備に本心をさらしちゃ。



 顔に書いてあるよ。





 “行かないでほしい”



 って。



 “一人にしないで”




 って。




 ごめんねーー。





「じゃあ。あとはよろしくね」

 僕はそう言って泣き出しそうな天使に背を向ける。




「一生帰ってくんな!」

 天使は叫ぶ。



 僕は振り返り、とびきりの笑顔で言う。

「ばいばい」

 そして天使と殺人鬼の顔も見ずに家を出た。




 月はすでに沈み、星も消えかかった空。


 急いで終わらしてしまおう。



 ああ。


 なんて、憂鬱。





 *  *  *  *  *




 仕事の依頼を受けて一週間後。

 深船と名乗った男、本名新城篤人と再びホテルで会った。

 報酬の金を受け取って、あっという間に別れた。

 だが、僕は今後二度と関わりたくない人種だと思った。

 あの男は危険だ。

 特に理由は無いが、本能が危険だと言っているのだ。

 第一に新城篤人という名前だって本名とは限らない。

 僕が本名だと思っていただけの可能性もある。

 その証拠にあいつは本名だとは言わなかった。

 まぁ、もうどうでもいいことではあるけれど。

 ちなみに僕があの男の名前を知っていたのは、一度あの男を見たことがあるからだ。

 僕のところに来た客の一人があの男のことを調べていた。

 理由までは知らないが、この男と会ったことがあるかと言って客が見せた写真に写っていたのが新城篤人だった。

 名前もその客から聞いたのだ。

 まさか、本当に会うことになるとは思いもよらなかったが。



 僕はあの日家を出てから帰ってない。

 夜は客の相手をしてホテルに泊まり、昼は店で雑用したり、そこらをぶらぶらと歩いてる。

 帰りづらいとかそういうわけじゃない。

 ただ、あの子の反応を待っているのだ。

 あの子が僕を迎えに来てくれるのを待っているんじゃない。

 あの殺人鬼が人を殺すのを待っているんだ。


 僕が家を出たあの日以降、殺人鬼は誰も殺していない。

 何故なのか。

 僕には分からないけれど、これは明らかに異常だ。

 あの血に飢えた天使が一週間も殺さないなんてありえない。

 さて、一体どう動くべきか。

 僕は迷っていた。


 まぁ、正直に言うと人を殺した後、あの天使に会いづらいというのもある。

 なんだか、全てを見透かされてしまうような気がするんだ。




 そんなことを考えながら僕は夜道を歩く。

 人通りの少ない、それこそ通り魔でもでそうな雰囲気の住宅街。

 頭上で瞬く星たちが街灯の光に埋もれていく。

 夜道を照らすのは月明かりではなく、人工的な光。

 僕は一人歩く。

 憂鬱を抱えてーー。



 そんな時。

 突如、首筋にひんやりとしたものが後ろから当てられた。

 僕は一瞬どきりとしたが、すぐに笑みを浮かべる。

 両手を挙げ、降参のポーズをとる。

「降参だよ。可愛いジャック」

 僕がそう言うと、冷たい刃はゆっくりと僕の首から離れていった。

 僕はそれが完全に離れた頃、振り返る。

「やぁ、ジャック。僕を切り刻みに来たのかい」

 僕は笑ってそう言う。

「僕はジャックと違って娼婦を切り刻む趣味はないよ。内臓を持ち出す趣味もね」

 不機嫌そうに殺人鬼は言った。

「そう。それは良かった」


 僕は上手く笑えているだろうか。


 君の目をしっかりと欺くことが出来ているだろうか。


 なんだか、今日は笑えない。


 なんでだろう。

 人を殺すと君の前で笑えないんだ。


 君が穢れてしまいそうな気がする。



 僕の可愛い天使エンジェル


 僕は君を汚してしまう。



 天使は空を見上げている。

「星が見えないな」

 天使は僕の変化には気づいていないようだった。

「星なんか見るのかい。意外にメルヘンなんだね」

 僕はいつもの調子で茶化す。

「違う! ただ」

「ただ?」

 僕が聞くと天使は俯いて、聞こえるか聞こえないかというくらい小さな声で呟くように言った。

「零れてしまいそうなくらい満天の星空を見せたかったんだ」

 僕はその言葉でピンときた。

 きっと天使はあの日の星空のことを言っているんだ、と。

 僕らが始めて出会った日。

 空には満点の星空が輝いていた。

 あの時僕らは初めて出会ったが、その時に出会った少年が僕だということに彼女は気づいていない。


 だが、

 彼女なりに僕に気を使ってくれたのだろう。



 星を見せれば、あの時の少年のように喜ぶかもしれないとーー。




 僕の元気がないことに気づいていたんだね。



 なんて。


 愛おしい。





「帰ろう。夏とはいえ外は冷えるよ」


 僕はそう言って、無垢な天使に手を差し伸べる。

 殺人鬼はその手を掴むことなく歩き出した。

 僕はいつもどおりのあの子の様子に笑顔でその後を追った。



誤字脱字があればお願いいたします。

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