三内丸山遺跡
二日目、天気は予報通りの雨。とはいっても小雨である。ひどくならないことを信じ、バスに乗った。
青森駅前から遺跡までは直通。観光客に優しい。
バス停をひとつ通過するたび、雨音は増す。
着くころには本降り。傘を持っていない人たちは建物へ駆け込んでいく。
遺跡には縄文時遊館が隣接。出土品などを展示している。
屋内の展示物を見ている間に雨が収まればいいな、と楽観的な気分で入った。入場料600円なり。
入ってすぐの音声案内、『三内丸山遺跡は5900年前から4200年前の1700年間営まれた集落』とのこと。
5900が4200する遺跡らしい。
展示品は石器、土器、種、などなど。
栗の木が重要だったらしい。食用だけでなく、建材として。かつては線路の横木に使われていたともいうし、優れた材料なのだろう。
縄文人の子供が弓を構えている像があった。
知里幸恵のアイヌ神謡集だったと思うが、子供は小さい弓を与えられ、遊んでいるうちにと上達する、という一節があった。縄文時代から変わらぬ光景なのであろうか。
5000年前の文化が変わらず残るなど、とも思う。しかし、時の移り変わりから取り残されるものは意外と多い。
生物の進化にしても、海底のオオグソクムシは1億6千万年前からほとんど変化していない。光という刺激がないゆえに自然淘汰も弱かったからだが、1億年前から残る生き物がいるのなら、5000年前から残る文化があったって、とも思うのである。
根拠なき類推はこのくらいにして、次に行こう。
縄文時代の広域経済圏、集落全体のジオラマ。
ジオラマが最後の展示。
雨はまだ続いている。
カメラが濡れないよう両手で守りながら外へ出た。
遠く、木々を背景に建物が点在している。S字に曲がった主要路の先に、古の集落跡がある。
最初に抱いた印象は、おおらか。
吉野ケ里遺跡や板付遺跡といった弥生時代の集落と比べ、開放的で、のどかな光景。
現在見れる建物は集落のごく一部。全体像を思い浮かべるには、先ほど見たジオラマを、頭の中で重ねる必要がある。
それでもやはり、開けている。集落を守る濠も柵もない。
平和な原初の世界、とは共産主義者や老子の言だが、それを信じたくなるほど、澄んだ光景である。。
主要路を行くと、まず南盛土がある。
盛土にせよ貝塚にせよ、ゴミ捨て場のイメージしかない。しかし説明を読むにもっと重要なものらしい。
盛土は集落を作る時に整地されており、千年に渡り同じ場所が使われた。人骨も出土している。
貝塚では、儀式が行われた痕もある。
生と死の境目。死にもっとも近く、それゆえ神々とも近い場所、そんなイメージだろうか。
南盛土を出ると、竪穴住居。中はひとりでも狭苦しい。ここに家族で住むのはキツいんじゃないだろうか。
食事と睡眠だけの場所だったのかもしれない。家具もパソコンも仕切りもいらないなら、家族でも暮らせるか。
光源は入口と、天上に空いた小さな採光窓だけ。
縄文の人々はこの家で何を考え、生きていたのだろう。狩りをして、料理をして、眠り、たまにお祭り。
彼らは余暇をどう過ごしたのだろう。弓ばかりだったのか、物思いにふけることもあったのか。宗教があるのなら、哲学もありそうなものだが。
宗教と言語の発達を知らないことには、彼らの思いに迫ることもできない。
一通り見て回り、出口へ。次のバスまで少しある。
売店で本を買った。読むと、漆に関する記述があった。
漆の加工方法は、縄文時代から現在までほとんど変わっていない。
樹液を採取し、濾してかき混ぜ、成分を均一にする。加熱して飴色の素黒目漆に精製。顔料を混ぜて色漆を得る。
時の移り変わりから取り残されるものは、意外と多い。
バスに乗ると11時すぎ。この雨では観光の気分になれない。昼飯だけすまし、あとはホテルでのんびりしよう。
遺跡でインテリぶったのもつかの間、またもアホなことをした。
バスを乗り間違えた。青森駅へ行きたいのに、“新”青森駅行きに乗っていた。
札幌と青森をまちがえた対価は10万だったが、今回はJR一駅の距離。せっかくなので新青森駅もぶらつくことにした。
一階のお土産コーナー、アップルパイのパッケージに見慣れた人がいた。
重曹ちゃんだった。角川は重曹ちゃんを使えばオタクが食いつくとでも思ってるんだろうか。正解だ。ひとつ買った。
ホテルに着くと、靴がびしょびしょ。
明日から冷える。これはまずい。
青森駅のABCマートへ。かねてより冬物のブーツが欲しかったこともあり、けっこういいものを購入。
帰ったら当分もやし生活である。
遺跡や展示品の写真は権利とか怖いのであげてないです、ごめんなさい。




