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【短編小説】BABY ON BOARD

掲載日:2025/12/18

 無数の死んだ精子たちがデュシャンのサインを自慢げに見せびらかしながら

「俺たちは受肉するべき存在じゃなかったんだな」

 そう言って笑った。

 それはもちろん悪夢で、ハイウェイtoヴァージャイナを走破できずにティッシュだとかコンドームの中で死んだ奴らの恨み言を聞き飽きたおれ自身が作り出した幻想だ。

 おれはおれと同窓会をする事ができない。

「そっちはどうですか?」

 高卒で就職したおれと、二十歳前に死んだおれと、ひとを殺して刑務所にいるおれが集まって喫煙所で煙草を吸い散らかすんだ。



 そうやって精神が複雑骨折したまま眠りから醒める、

 遮光カーテンの隙間から差し込む日差しが厳しい季節だ。その布の向こうには死そのものがニヤニヤしながら屯している。

 枕元に転がってたリモコンで室内灯をつけて、おれ──コテ麺堂 マシマシはベッドから起き上がった。

 時計を見ると昼前である事がわかる。つまりたっぷり半日は寝ていた計算になる。引き算が合っていればの話だが、日本の売女だってスペ値の為なら引き算くらいはできる。



 マシマシが目をこすると目ヤニが剥がれ落ちた。

 目ヤニはどこから出るのかグーグルで検索しようとして手を止めた。

 そのまま忘れた事が過去に何度かあるなと思うし、今回も検索をしないだろう。

 それに検索をしたってすぐに忘れて、また検索をするんだ。マシマシは知っている。

 ラディカルとかコケティッシュとかリベラリズムとかを何度も検索しては忘れる。

 すでにカーテンの向こう側で死がニヤついているのを忘れているくらいに、マシマシは忘れっぽい。



 コテ麵堂 マシマシは本が焼けるのを厭がって遮光カーテンを開けない暗い部屋に座った。

 不健全だな、と思う。

 だがそれでいい。

 マシマシは孤独と不健全を拗らせて死ぬのだ。シミが階下に貫通しないようにベッドの下にはビニールシートが幾重にも敷かれている。

 それに昼前に起きたから健全などと考えている中年臭さは笑える。

 マシマシは煙草に火をつけてから「本が焼けるのは厭?ヤニ汚れなら良いのかな」と独り言を漏らして笑った。



 携帯が鳴った。

「もしもし」

 電話をかけてきた魚肉谷ニンチョモは「今夜ヒマしてるだろ、遊びにいこうぜ」と言う様な事を述べると返事も聞かずに電話を切った。

 正確にはなんと言ったか聞き取れなかった。もしかしたら日本語じゃなかったのかも知れないし、マシマシの耳がどうかしてたのかも知れない。

 全身ルイヴィトンのナースがマシマシの耳を舐めたからなのか、いざなぎ流の弟子だか何だかがおれに呪いをかけたんだ。

 仕方ない。



「だいたい健全性とは何か!」

 叫んだコテ麵堂 マシマシは短くなった煙草を灰皿に押し込んでから考えるのをやめた。

 マシマシが三回目のオナニーを終えた頃に、窓の外にいた死は畑仕事の老人たちを殺し飽きて家に帰った。

 そうやって夜になると約束していた時間通りに魚肉谷ニンチョモが来た。

 群青色をした世界でセドリックの横に立って煙草を吸っている。

「お前、その車はどうしたんだよ」

 コテ麵堂 マシマシが訊くと魚肉谷ニンチョモは

「実家のだよ、もう使わなくなったのを貰ったんだ」

 と笑った。



「今でもそんな事があるのか?しかもセダンとは言え高級車の部類だろうに」

 魚肉谷ニンチョモの実家の太さに辟易しながら、コテ麵堂 マシマシが助手席のドアを開けて席に収まると、魚肉谷ニンチョモは何も答えず運転席に座って車を発進させた。

 住宅街を抜けたセドリックは幹線道路に出て速度を上げた。

 何万キロを走ったか知らないセドリックは、まるで引退した競走馬の様に優しくコテ麵堂と魚肉谷を運んだ。



 二人はその揺れに併せるように他愛の無い話をした。

 具体的には魚肉谷ニンチョモが

「親父の会社に転職するからさ、おれの人生はこれからハードモードだよ」

 と言うのでマシマシが

「マンションと車を貰えるハードモード人生がどこにあるんだ?」

 と訊いて、車内を静寂が包み込んだ。

 静寂は雄弁だ。無数の罵倒が飛び交っている。



 魚肉谷ニンチョモの運転するセドリックが速度を落として停止する。

 目の前に停まっている車には「BABY ON BOARD」と書かれたステッカーが貼られていた。

 しかし枚数が多い。ステッカーは一枚や二枚では無い。

 コテ麵堂 マシマシが違和感を憶えてステッカーの上にある窓に目を遣ると、スモーク窓いっぱいに巨大な幼児の顔が張り付いていた。



「見えてるか」

 コテ麵堂 マシマシが魚肉谷ニンチョモに訊いたが返事は無かった。

 まだ怒ってやがるのか?ケツの穴の小さい野郎だ、そう思って運転席を向くと青ざめた表情の魚肉谷ニンチョモが震えていた。

 魚肉谷ニンチョモの奥にある窓にも巨大な頭の子どもが張り付いていて室内を見ている。




 コテ麵堂 マシマシはその子どもと目が合う前に視線を前に戻した。

 おそらくコテ麵堂 マシマシの側にある窓にだって同じように子どもが中を覗き込んでいるだろう。

 視線を前に戻すと後部座席の窓だけじゃなく、トランクや車の屋根にも巨大な頭の子どもたちが乗ってこちらを見えていた。

 車体に貼ってある「BABY ON BOARD」のステッカーが増えている気がした。

 自分たちの車にも貼るべきだろうか、コテ麵堂 マシマシは薄く笑った。

「お前ら、さっきはデュシャンのサインで喜んでたじゃねぇか」

 マシマシが煙草に火をつけると、魚肉谷ニンチョモが

「禁煙車」

 と言ったので殺した。

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