緑色 2-3
「お前ってさ」
「はい」
「ちゃんと手元見ろ」
「は、はいっ」
前回から、半月後。パスは慌てて、自分が番をしている鍋に視線を戻した。ビアーの縄張りでイーセルと話すことになにか礼がしたいと言ったら、砂糖が欲しいと言われて持参したのだ。そうしたら、なぜか砂糖を持参したうえにレモンのジャムを作ることになった。レモンは、ビアーが山のどこかで育てているのが収穫できたらしい。
「兄貴と親違うんだっけ」
かまどの前に立つパスを屋根の上から監視しつつ、ビアーがふとそんなことを言う。家庭環境に対して全く変な自覚がないパスは、「あぁ、そうなんです」と頷きながら答えた。
「兄とは父親が違います」
しかし、ビアーがそういう雑談を振ってくるのも珍しい。パスがジャムをことことやりながらちらりと目をやると、寝っ転がってなにか手を動かしているのが見えた。
「俺もそうらしいんだよ」
パスは思わず顔を上げてリアクションする。
「へぇー」
「俺の親父はここの人間じゃねぇんだけど、仕事で大陸のほうに来たら強盗に遭って帰れなくなった結果人身売買でアデイラに来たんだと。お袋に拾われてなんだかんだ居着いたけど、本当は母国のほうでも結婚してて、子どももいたらしい。俺の五歳くらい上の」
「へー」
外国人でも孤児でも、もちろん首輪をかけることは犯罪だ。リーデルの存在に隠れてアデイラでそういう犯罪が多いのも事実。しかし、正しい人に正しいところへ連れていってもらえさえすれば、身元不明だろうが手厚く保護する手はずが整っているのもまた事実だった。そのうえでビアーの父親がこちらに定住したなら、それは部外者が勝手に心配するようなことでもなく、本人の意思なのだろう。
「……あーいや、なんの話ってわけでもねぇんだけどよ」ビアーは我に返ったみたいにひょいと体を起こして、鍋から目を離しているパスに手で追い払う仕草をした。「親近感だ。親父も死んでるしな」
「弟仲間ですねぇ」パスは一拍置いてから、付け加えるように言った。「父親が死んでるかはわからないんですけど。母親は死んでます」
「悪かったって」
謝られた意味がわからず、パスはきょとんとする。と、屋根の上からビアーが降りてきて鍋を覗き込んだ。手製のアクセサリーがちゃらちゃら鳴る手でパスからへらを取り上げると、器用にレモンの種や皮を入れた小さな包み──ジャムをジャムたらしめる重要な材料らしい──を取り出した。もうしばらく鍋の様子を見たかと思うと、かまどの上から木の鍋敷きの上に鍋を移動させる。
「びーん」
雑な指示だ。
「はぁーい」
パスは急いで山小屋の中に戻り、清潔な場所で乾かしていた小瓶を取ってビアーのところに戻った。ビアーが瓶の中にジャムを詰め、鍋には少しジャムが残っているけれど、瓶がいっぱいになったところで蓋を閉じる。これはビアーの食糧庫に加えられる。
「冷めたら食ってみようぜ」
鍋に残った部分を指差して彼が言うので、「やったあ」とパスは唇を舐めて喜んだ。ずっと真下からいい匂いがするもんだから、もう食べないと気が済まない口になっていたのだ。
と、そこで今まで姿を消していたイーセルが現れる。彼は薪を作れと言われて、定期的にたらふく薪を担いで現れると、その分は北の拠点へとか言われて走らされていたのだった。
「もうやらんぞ~」
柔らかな口調と笑顔で小屋のほうへ歩きながら、ビアーの額にすこーんと薪をヒットさせる。
「いっっってぇ」
「調理で手が離せんからっていいように人を使いおって」
「へへ」パスは気づいていなかったが、ビアーが定期的に手伝いに来るのはイーセルに忙しそうな姿を見せるためだったのだ。「わかったわかった、じゃあお前に一番に食わせてやるよ」
ビアーはそう言うと、まだ高温のジャムをへらで掬ってキッチンまで近づいてきたイーセルの口に突っ込んだ。わりかし平気そうに押し付けられるへらから顔を背けて「クソ、美味いな……」とこぼすイーセルに、ビアーが「熱くねぇの?」と恐ろしそうに聞く。
「熱いよ」
そこでジャムが高温なのはわざとだと気づいて、イーセルが笑みで繕うことなく低い声を出した。顔をしかめながら口元のジャムを舐めとっていると、まるでライオンみたいである。
「おいしいです?」
パスはむんと胸を張って「僕が作りました」と伝えた。イーセルが思わず吹き出す。
「俺のレシピだぜ」
「お前は張り合うな」
ジャムをつんつんとつつきながら言ったビアーが、小指に掬ったそれを口に含んで満足げな顔をした。パスにもへらを差し出し、「いい出来だ」とにやっと笑う。パスはさっそく人差し指にとろりとしたジャムをたっぷりと掬って、ぱくりと口に咥えた。唐突な熱さと爽快感に耐えられず、水っぽいくしゃみする。
「きったね」
「そうだ、パス。彼女は今日は連れて来られなかったんだな」
ずび、とパスは鼻をすすりながらイーセルに頷き返した。
「ええと、その、なんというか……断られてしまって」
リーデルと接触するなんて。そもそもエルディアが隣を歩いてもきっとパスは嫌な思いをするし、ましてや複数のリーデルと会って話している場面が見つかったら、パスは捕まってしまうのだ。エルディアは心配そうにいろいろと説得をしてきた。
「無理もない」
「なんなら、今日来るのもちょっと止められました」
「気持ちはよくわかる」
イーセルは頷き頷き言って、「黄色のリーデルの筆は〝声〟だったよな?」と不意に確認するように言った。派手な事件を起こしたがゆえに、彼女の能力は新聞などに載せられて広まっているのだ。
「俺も考えてみたんだ……彼女をこういうふうに説得してみてくれないか」