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運命共同体 6-8

 そう言ったとたん、ノアの灰色の瞳が滲んで、ぼろぼろと大粒の涙を流した。


「私はお前といられないわ、もうけして会えないわ、まるで正しい母親ではなかったのに、どうしてそんな身勝手が許されるの。お前がこの街に首輪をして立ち、奴隷と呼ばれて生きているなんて、耐えられない。それでお前を森に置いてきて、お前はどんな思いをしたでしょう。今どんな思いでいるでしょう。始めから私の理想を押し付けなければ、お前はせめてここで暮らせたかもしれないのに! 


 私の子、どうか母がこれから言うことをよく聞いて。母さんは、お前を愛してる。だけど私はお前から、尊いものを奪ってしまう。お前を人間ではなくしてしまう。かわいい子! お前を育てたのが私の誇りよ。お前はなんだってできる。このまま可能性を、私といることで殺してしまわないで」


 彼女が顔を押さえて泣くのを、男の子はなにか大きな感情でいっぱいになって泣きじゃくりながら見つめていた。行ってちょうだい、とノアが嗚咽の隙間から押し出すように言った。お互いに強く握りすぎた手は震えていて、だけど痛みはなかった。


「行ってちょうだい、イーセル」


「……わかりました、わかりましたから」


 イーセルが椅子から立ち上がりながらふと大きな声で言うと、彼女は驚いて彼を見上げた。


「俺があなたといてもなにも失わないなら、それならいいですか。誰も奴隷にならなくていい世界になったら、母さんも自由になれますか。俺がなんでもできるなら、俺がそういう世界にしますから、それまで待っていてくれますか」


 だって、本で読んだみたいに『よく考えるよう努める』人が世界の中にほかにもいるのなら、きっとリーデルについても考えてくれる人もいるはずだ。彼自身みたいに、それを知らなくても学ぶことだってできるはずだ。そうしたら、きっとリーデルも認められる。自分と彼女が親子でいられる世界はきっと作れる。

 期待ばかりで組み上げられた荒唐無稽な夢に、ノアが目を見開く。しかし、やっといつもの表情を取り戻して、男の子の頭を包み込むように撫でた。


「よく言えたわね。必ず成し遂げなさい、必ず成し遂げられるわ」


 イーセルのぐしゃぐしゃに濡れた顔を指先で拭いながら立ち上がり、熱い髪の中にキスをして、痩せた体を抱きしめる。


「行ってらっしゃい」


 なにか神聖なものを子どもの中へ吹き込むようなその静かな声に息が詰まって、返事は言えなかった。ノアがイーセルのために窓の鍵を開け、少年の小さな体が広がる重苦しい空の中へ飛び出した。



 それが十歳になる年のことになる。



 それからの九年間を語っているとキリがないから、今回は二人の友情だけに注目しよう。やるべきことを得て奔走し始めたイーセルとモノクロームの中で生きることになったシアの道はなかなか交差しなかった。お互い、情報がない中でもたった一人の幼馴染を探していたが、シアは忙しさに加えリーデルではなくなった自分のことを受け入れられずに教会とは疎遠になり、イーセルもまさかモノクロームの中に混じっているとは思わなくて、きっともう会えないのだろうと半ば諦めていた。


 シアがその夏の日に久しぶりに教会に行こうと思い立ったのは、恩人であるユリウスに十九の成人祝いに食事へ誘われたついでだった。連絡も定期的な近況報告や書類のやり取りしかなくなって、会うことなんて数年ぶりだった。年を取った頭でしみじみ色々考えていると、昔世話になったシスターエヴェルにだけでも挨拶をするべきかと思いついて、その日のミサに行くことにしたのだ。


「──イ、」


 実は、パスと同じことをシアもやらかしていたりする。こちらを見てがちんと固まった青年を振り返って、イーセルは奇妙な既視感に目を細めた。思い返している間に彼は顔をしかめながらホールの前の方へ進んでいく。表情を作るときに、いーっと口を横に引っ張ってだいたい似たような顔をする癖はそのまんまで、イーセルはその嫌そうな笑みに閃くように彼がシアだと気づいた。

 そのあとのミサはほとんど覚えていない、自分のほかにも讃美歌に感動して泣いているやつがいると思ったらお互いだったのだけ、爆笑したからよく覚えている。


 シスターとシアとイーセルがたまり場にするのを黙認されていた教会の裏庭で、時間いっぱいまで話した。一年だけ首輪をしていたけれど育ての親に助け出されたこと、クソ国王こと父親に筆を折られたこと、弟がもう九歳になること、リーデルの子どもをかれこれ三人預かって育てていること。全く違う経緯を経たはずなのに、どこか会っていない間のことは似通っていて、自分たちは運命共同体なのだと冗談半分本気半分で言い合った。


「さ、口を開けなさい、二人とも」


 シスターエヴェルは別れ際、さくらんぼをふたつ持って笑った。小さなころは並んで大きく口を開けていた二人も、子どものようなことをする(片方は、変わらずに口を開けている羞恥心も加えた)照れ臭さにちらりとお互いを伺い、いまさらか、と彼女に従って口を開ける。

 そのときのさくらんぼは人生で一番のおいしさだった。

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