運命共同体 6-4
母親は出産を控えて時折家に近所の住人を呼ぶようになった。その間、シアは大抵自分の部屋で話し声に耳を澄ませて過ごすのだけれど、ついに産む日は痛そうな悲鳴に、外に出ようにも出られずに部屋の中を静かにうろうろしていた。
赤ん坊の声にほっとしたあとも、夜までは人がいて、シアは母親が廊下に向かって声をかけるまで出られなかった。
「あ、いた。外に行っちゃったかと」
シアが部屋の扉を開けて顔を出すと、疲れ切った顔の母親はベッドにうもれるように寝たままそう言った。そのとなりには真っ白いおくるみがあって、彼女が手招きしてそれをシアに見せる。
「無事に終わったよ。パスに……お兄ちゃんだよって挨拶して」
「……パ、パス」
ベッドの上を覗き込むと、白い布の中からくりくりの純白の瞳がシアを見上げて、きらきらと青色を目に映す。透き通る白い肌の下に大輪のバラが咲いているような頬がとんでもなくかわいくって、シアがキスをすると、パスは唾液でべとべとの小さな手でがしっとその髪の毛を掴んだ。
「あっ、……うわっ、こいつ手べたべたなのに!」
飛びのいたシアがはしゃぎながらしかめっ面で言うと、パスが余計青い髪に手を伸ばして、母親が幸せそうに目を細めて笑った。
しかし、その幸せは長くは続かなかった。いつにもまして金がないから、母親は普通よりずっと早く仕事に戻った。その無理をした体で急に雨を降られたのをきっかけに、医者にかかる暇もなく、風邪を拗らせて寝室のベッドであっけなく命を落とした。パスが生まれて、まだ半年も経っていなかった。
シアが泣くとパスも泣くから、弟の前では泣けなかった。涙をずっと我慢した煮えたぎるような頭で赤ん坊を抱いて寝かしつけていると、いろいろなことを考えた。リーデルがまだ乳の必要な赤ん坊に食わせる方法とか、どうして母親は死ななければいけなかったのかとか、どうにか回避できなかったのか、シアの分の食い扶持がなければ、そもそも、母親が売春するようなことにならなければ。彼女が自暴自棄にならなければ、子どもができなければ、このリーデルがいなければ!
──あの男さえ彼女の人生に関わらなければ、このひとつも起きないで済んだのに。
寝ついたパスにおやすみのキスをして、玄関のすぐそばに鳥の巣のように集めた毛布の中に寝かせた。それから、家から出入りできるあらゆる場所の鍵を開け放して、そのまま夜の闇に隠れて家を出た。体が軽かったからか、そのころはイーセルのように家屋の屋根を行くことができて、まっすぐにリノクォルの中心部・王宮に向かった。
王宮はぽつぽつと建つ建物を広い庭と高い塀で囲んだもので、塀の外もぐるりと深い堀で守られている。シアは少し離れた時計塔の鐘の下から、どこから侵入したものか目的地を見下ろした。宮殿に近づくにつれて道が太くなるせいで建物は少なく、遠くなり、どこかの屋根から未知と太い水路を越えて外壁を攻略できそうにはなかった。それに、近衛兵らしいライフルを背負った人間もそこかしこに立っている。せめて、王族にこの汚点の存在を知らしめてやってから死にたかった。
どこに父親がいるのか、目星をつけておきたい……が、学校にも行ったことのないシアに、あれが住むところで、だとかわかるわけなくって、とりあえず重要そうな建物が絞れたくらいだった。それらもひとつひとつ大きくて、部屋がいくつあるんだかわからない。
可能性ないな。でも諦めようとは思えなかった。
考え考え王宮を眺めていると、そのひとつの建物のバルコニーに光があふれ出した。逆行で真っ黒になった人影が数人出てきて、その中に光を吸い込むように黒い髪の男を見つけたときには、もう動き出してしまっていた。
シアはお父さんにそっくりね、とは何度も言われたものだけれど、あんまりに似ているといっそ笑いが込み上げてくる。どこがとはうまく言えないけど、ふたつの顔は全く同じバランスで構成されていたのだ。
堀と塀は、結局橋のかかった正門から強行突破した。あっけにとられて警備がどたばたとしている間に鉄の堅牢な門を飛び越え、ひとつだけきらきらと光る窓へまっすぐ走った。
「侵入者だ!!」
カンカンカン、と警鐘が鳴り響くから、バルコニーの端に立っていた男が兵士に促されて建物の中へ戻っていく。人影が消え、ゆっくりと光が細く閉じられていく。
「どけよ! クソったれ!」
道の先をライフルを構えた兵士が塞ぐ。銃弾が肌を掠めようと目をすがめることもせずに、シアは体に不釣り合いに大きな剣を振りぬいた。攻撃ではなく、青色の扇を大きく広げる目くらましだ。一瞬銃弾が止んだ隙に彼らの頭上へ飛び、街灯の頂点からバルコニーへ飛ぶ。
揺らめきながら天を昇る青色のインクはまるで龍の尾のようで、誰もがなすすべもなくその頭を見上げた。爛々と光る青い目が眼下を睨みつけ、体を捻って青い胴体を豪奢な屋敷にぶつける。複雑に凹凸する壁にぶつかって弾けたインクが夜空に高く舞った。
落下するシアのシャツの裾がはためく。バルコニーの床を剣で殴るようにして衝撃を殺してごろっと真っ青な床の上を転がった。すぐさま顔を上げ、バルコニーの扉を軽く押さえてシアを振り返っているゆったりとした立ち姿に向かって駆け出す。床板に刺さった青い剣が消え、シアの手の中に再度現れる。
国王を兵士たちの体が庇う。しかし、彼はそれを押しのけて前に立つと、ひとりのライフルを奪い取って男の子の体を片手で薙ぎ払った。
「ッ──はっ、は、~~~……!!」
長銃に絡めとられるように力尽くで板に叩きつけられて、動くどころか呼吸すらままならなくなる。シアが体を丸めて痛みをこらえていると、視界に冷たい銃身が差し込まれ、ころんと彼の頭を転がして上を向かせた。漆黒が月を飲み込み、青を陰らせる重い影が男の子の上に落ちる。
「私が子ども相手に自衛もできない人間だと思われるとは」
低く呟くような、それでいて、けして聞き逃すことのできない声がびりびりと頭の芯を震わせて、シアはなにも考えることができずに彼を見上げた。
「も……申し訳ありません」
「国王陛下! まだ仲間が潜んでいるかもしれません、早く室内へ!」
外野の声が、実際の距離よりずっと遠く聞こえた。黒い瞳がちらりと使用人を振り返って、再度男の子を撃ち抜くようにまっすぐに見下ろす。
「お前は複数人で来たのか?」
シアは息を整えながら、せめて怖がって逃げるところを見てやろうと精いっぱい大きく頷いて見せた。ひっ、と遠巻きにする使用人が悲鳴を上げる。しかし、彼はライフルを持ち上げるとシアの胸にこつんと銃口を乗せた。
「では、お前を撃てば私を恨んで顔を出すかな?」
「ッ、……い、いない」
まだ、死ねない。シアが悔しく睨みながら声を絞り出すと、相手は悪魔のような薄っぺらい笑みを浮かべた。「苦しかろうに、すまないな」シアの興奮をあおりたいだけの猫なで声をどうしても無視できないのが悔しくってならなかった。少年の体の中で荒れ狂っていた感情が、ついにぼろぼろと表へあふれ出す。
「お前がっ、お前がいなきゃ……っ」
シアは悲鳴を上げるように言った。こいつがいなければ、自分がいなければ母親は生きていて、もっとまともな男と二人でパスを育てただろうに。
他人にかき回された人生をやり直すこともできずに死んでしまうことも無かったろうに。
「母さんは死ななかった! お前のせいで死んだんだ!」
「……オルカは死んだのか」
痛みも忘れるほど驚いて、シアは表情も変えずに母親のことを口にした彼を見上げた。覚えて、いるのか。シアが血のつながった息子だと知っていて銃でぶん殴ったのか。
自分のものとは思えないような絶叫を聞きながら、シアは胸の上の銃口を払ってまっすぐに剣を相手の胸へ向けた。刃を素手で掴んだ手から黒い血が弾け、父親が懐から取り出した拳銃を撃った。
──青色の筆が折れる。
さらりと長剣の形が崩れ、消えていく。
「……、う、」
最後のかけらが消えた瞬間、シアは吐き気を覚えてその場にうずくまった。背中を震わせて吐くと、真っ青な液体がびしゃびしゃとバルコニーを染める。青い髪は黒く変わっていき、瞳の色は涙と一緒にふちに溜まってはまつげを越えて体から離れていった。
バルコニーを染めつくした青色がスラックスの裾を上り始めるのに、若い王は舌打ちして室内に向かった。後ろで重い物音がして、遠巻きにしていた兵士たちが彼とすれ違っていく。




