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運命共同体 6-1

 シアとパスの母親は結局享年二十九歳だったわけで、つまりは第一子を産んだときたかだか十九の娘だった。……後々だ。そうやってあれこれ考えて整理がつけられるようになったのも、全部後々だったけれど、それでもその出産がこれからの人生を全てベットした重要な選択であったことは容易に想像できる。


 自分を捨てた恋人に追いすがるためか、裕福な暮らしを手に入れるためか。親子で充分に暮らすにはなにもかも足りない家の中で、シアは道具として生まれたおかげで生き延びられたといっても過言ではない。血筋が包丁の刃を遠ざけ、一抹の愛情を母親の中からかき集めて涙交じりの乳にありつかせた。


 半狂乱になって殺そうとした翌日には、こびへつらうように食事を用意したりして。シアはそんな母親に振り回され続けたけれど、八歳ごろ、いつもよりひどいヒステリーに耐えかねて家を飛び出した。初めての外の世界にも助けはなく、奴隷商から逃げていたところを、同じく追われているイーセルと出会ったのだ。


 リーデルは、教わらずとも自分の持つ筆を使いこなすことができる。子どもだと舐めてかかって麻袋ひとつの男たちなんか百人いても目じゃなかった。つまりは二人でザコのリーデル狩りどもをけちょんけちょんにしてやって、以来仲良くするようになったのだ。


     *


 イーセルは気づいたときには一人で生活していて、誰かに育てられた記憶がなかった。でも赤ん坊が一人で育つはずがないのだ。生まれつきか、少なくとも物心つく前にリーデルになったはずなのに、自分は生きている。リーデル(自分)を殺さずに愛してくれた人が必ずどこかにいるはずだ。リーデルを愛してくれる人は存在する。そんな人が増えてくれれば、自分はいつかきっとただの人間として認められる。町のゴミを漁って、動物の古巣で寒さをしのぐ生活の中で、そんなふうな空想はいつのまにかそばにあった。

 シスターエヴェルと出会ったのは、実はシアと出会う少し前で、レイググルで誤って人前に出てしまいまさに首輪をかけられる寸前のことだった。


「──何をしているんですか!!」


 シスターはそのとき修道女見習いになれる十六歳になったばかりで、正しくは一般市民だ。けれど度胸と使命感はそのころから人一倍強い人で、幼さの残る声がよろしくない商売の男たちとリーデルの間に割り入ってきたときは、イーセルですら自分を庇っている場合ではないだろうと面食らった。


「神のもとに人類はみな兄弟ではありませんか! 主はたとえリーデルであってもその子を離せとおっしゃられます!」


 そもそもリーデル差別の起源というのは、はるか昔、まだこの島の上にある国がアデイラでという名前ではなかった時代にさかのぼる。国をたぶらかし裏切った魔女がこの地に呪いをかけ、色彩を持った子どもが生まれるようになった。生まれた子どもは魔女の手先として、裏切りを罰するために王や民への奉仕が課されるようになった、というのが昔話の定説だ。

 だからリーデルを庇うというのは、今も重大な不敬罪として裁かれる。

 ところで、アデイラで宗教というとクリスチャンが大半だ。とくにそのときの王──シアの父方の祖父に当たる人間になる──は信心深く、キリスト教は力を持っていた。

 我らが王と、その王が信仰する主の教えなら、従うべきはどちらなのだろうか?


「国王陛下も主の教えによくならえとこないだ演説されました!!」


 彼女はその一点張りで奴隷商の手からリーデルの男の子を取り上げた。そうなのか、わかったよ、修道女さま、としっくり来ていなさそうな奴隷商たちに背を向け、イーセルを持ち上げて教会の中にのしのしと運ぶ。それからできる限りの治療を施し、血の味を洗い流すような甘いさくらんぼを食べさせて、教会の裏口から本当にイーセルをひとつも傷つけることなく逃がしたのだった。教会の大人たちですら遠巻きにしたのに、成人前の少女が自分の正義を通すのはとても格好良くて。初めて男の子の世界に名前のついた人が現れ、初めて夢に近づいた瞬間だった。

 そのあと一ヶ月も立たないうちに、またピンチに陥ったところをシアに出会ってくぐりぬけたのだから、イーセルは豪運だと思う。

 それから季節が一回りするまでの間は、まるでモノクロの世界がぴかぴかと輝いて見えるような、万能感に浮かれた素晴らしい日々だった。めったに使われない教会の裏庭でこっそりとお喋りしたり、炊き出しのシチューとパン(ああ、パン! あれは素晴らしい食べ物だ)を食べさせてもらったり。あるいはシアと河原でご飯を分け合いながら、食べられるかわからないきのみを試しに食べてみてゲロを吐いたりしていた。

 そんな日常に混じって異変は現れた。イーセルが覚えている限り、シアが嫌々答えるんでなく、自ら母親の話をしたのはそれが初めてだったと思う。



「お母さんはちゃんと生活できてないのかもしれない」



 シアはもうそのころには野宿にも慣れ切っていたけれど、定期的にマッチや食べ物をくすねに家に帰ることがあった。基本的に最低限の時間しかいないし、シアの部屋の窓から忍び込み、キッチンにしか行かないけれど、その日、ふとリビングにあったはずの一人掛けのソファがなくなっているのに気がついた。さらに注視すると、丸いラグもなくなっている。

 違和感に気づいて家の中を見て回れば、パントリーの棚もほとんど空で、すぐに口にできるものや缶詰がやけに多かった。二階の物置部屋も、もとはおもちゃやチェストがあったのにほとんど空っぽの部屋になっていた。

 自分の部屋はとくに変わっていなかったけれど、母親の部屋は、どうなんだろう。シアは好奇心に駆られて締め切られた扉のノブに手をかけた。

 はっと顔を上げる母親が、ぼろぼろと泣いていたのに、シアはきゅっと心臓が縮こまるような恐怖を覚えて硬直した。抱きしめられ、どこに行っていたのとか、もうどこにも行かないでとか、何度も聞いたような言葉をかけられる。その言葉にもう泣いてしまわないのに、ああ、自分はついに彼女が必要なくなったのだと悟った。

 だけれど、いったいどうして、この寝室にはクローゼットひとつしかないのだろう?


「どうしてベッドがないの? お母さん……」


 母親は困った様子で、売ったと答えた。さらに間を空けて、働きに行った先で眠るのだ、と続ける。ヒステリーを起こさずにシアに向き合う彼女に、シアはチャンスとばかりにさらに問い詰めた。


「働いてるのに、お金が足りてないの?」


「……さぁ、お昼ごはんにしよう、シア」


 有無を言わさぬ口調で母親が言うけれど、いつもイーセルと食べているのにすっぽかしたら心配にさせてしまうから、シアは急いで首を振った。


「と、もだちと約束してるから」


 友達? と彼女が繰り返す。「どんな子?」


 予想とは違って、歓迎するような明るい声音だった。赤色のリーデルで、同い年くらいの男の子だと説明すると、母親が子どもの頬を軽くつまむように撫でた。


「じゃあ、遅れられないね。行っておいで。気をつけてね……」ため息で押し出すように言って、「いつかお母さんにも会わせて」と微笑む。


 その顔を見ながら、友達にも包丁を向けるかもしれないのにとは言えなかった。


「単に引っ越すつもりなんじゃないのか?」


「……でも、それなら僕に次の家を教えるだろ……」


 自分で言っていて、悲しくなるセリフだ。イーセルはシアの家庭事情にあんまり興味がないらしくって、もりもりと塩味のみのウサギの足肉を頬張りながら「お前の母親が家もなくなったら、教会に行ったらいいんだ。会いやすいし」と雑な解決策を提案した。


「……そうかも」


「友達」


 にこーっ、とイーセルが満面の笑みをシアに向ける。


「改めて言われると嬉しいな。初めてできた友達だ」


「僕が一人目なら、シスターエヴェルは?」


「シスターは……」


 友達? 二人は左に頭を傾けながら考えた。はりきり屋で二人に止められるときもあるような彼女だけれど、やっぱり友達というにはずいぶんお姉さんである。でも、『姉』という言葉は血の繋がった家族に使うものだ。


「……他人」


「友達!」


 シアがわざと言うと、イーセルが食い気味に友達に決定した。にたー、とシアが意地悪な笑みを浮かべる。


「他人なわけあるか。お前もシスターも友達」


 最後にしたのは、そういう雑談だ。ただでさえ不安定な生活だったはずなのに、二人は明日からずっと長いこと会えなくなるとはまるで思っていなかった。

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