黄色 5-3
赤や橙が入り混じる中に見たことのない色が現れる。と思えば別の場所で、たぷん、とモノクロの中に黄色のインクが膨れて揺れた。それはつぼみが開くように弾けて、バラの花のような模様を作る。パスはそれを、ほかの町の住民と同じように窓から頭を出して不安げに見つめていた。
「今の、爆発音?」
パスの眼下の道を歩く人たちが囁くように会話するのが聞こえる。
「怖いわね、こんな、住んでるところの近くで」
「本当、ただでさえレイググルで抗争だとか時々聞くのに……」
そのとき、また見たことのない緑がかった茶色のような色が木々の中で弾ける。わっ、とパスが驚いて声を上げたのに会話をしていた女性二人がその変化に気づいた。ひー、と関わりたくなさそうに小さく言って、二人はそそくさと足早に去った。帰路を急ぐ人の多い往来で、見慣れた黒い髪が一人流れから外れる。
パスは窓から離れて、階段の上に腰掛けて兄が玄関扉を開けるのを伺っていた。なにも状況がわからないエルディアたちが心配で不安でたまらなかったけれど、シアはけしてそうでないだろう。いつのまにか赤色や緑色と繋がりモノクロームに反旗を翻した、というふうにしかわからないはずだ。パスでさえ、そうなんだから。不安を仕舞い込まなければいけないのに慣れていなくて、心臓にやすりが当てられたような心地がした。
「パス」
土間に立ったシアが靴も脱がずに家の中に声を投げる。パスは慌てて、階段を数段降りて顔を見せた。シアがすぐに現れたパスを見上げて、手に持った細長い袋を壁に立てかけた。行きには持っていなかったものだ。
「お前を連れて行かなきゃいけないところがある。支度しろ」
「え……」パスは戸惑って、「どこに行くの?」と聞き返した。
「行けばわかる」
「それじゃ、わかんないよ……」
シアがため息を吐いた。諦めと慈愛を含んだ瞳がじっとパスを見る。小さな子どもの癇癪が済むまで待つけれど、けして状況は変わらないというときの目。泣きわめいて気分が済んだら、慰めながら抱いてやろうという目。そんなものに晒されるのに、パスはかっと顔を熱くなるのがわかった。
「僕がなにを考えてるかわかる?」
感情任せに怒鳴りそうになったのを堪えて、低く言う。
「僕は彼女やリーデルに入れ込んでた。だから兄さんが僕を警察にでも突き出すのかって思ってるよ」
「くだらないことを……」
「じゃあ、どこに行くかぐらい言えよ!」
自分が、悔しいのかなんなのかもよくわからなかった。小さなきっかけに煽られた怒りが、不安や恐怖を覆い隠すように大きく膨らむ。
「僕は兄さんのペットじゃない!」
とっさに放った言葉にカラフルなイメージがくっついてくるのに、パスは思わず後悔した。ただ、自分にまだ物事を変えられる力がないことが悔しかっただけなのに。長い間閉じ込められていたことに反発してみたかっただけなのに。けして他意なんてなかったのに! 自分の言葉は間違っていないのに、もうそれだけではなかった。
パスは泣きそうに顔を歪めたまま、しばらく唯一の肉親と見つめ合った。いくつもの衝動がぐちゃぐちゃに絡まり合ったまま体を飛び出そうとする。世界が狭くてシンプルだったときには、けしてなかった混乱だった。
「……ッ」
パスが階段を駆け下り、やみくもにシアの隣をすり抜けて外へ飛び出す。腕を掴み損ねた手を見つめて、シアは開け放たれた扉の向こうを眺めた。
「阿呆が……」
壁に立てかけていた長い袋を持ち上げて、杖のように寄りかかる。
「……反抗期だな」
*
「あっちへ────行きなさい────!!」
エルディアは力尽くで叫んで、モノクロの森の中に黄色いインクの波を流し込んだ。道の上で彼女と対峙している者、森の中で不意討ちを図る者、全員を絡めとって一点へ集める。彼女には幸いそんなことができる奇跡のような力があるけれど、詳細な触覚もなければ今や全貌も見えないそれをもって人を気絶させ殺さないというのは唇と舌だけで編み物をしろというようなものだった。ただ波を柔らかく高くして相手に生き延びてもらうしかないのだ。
「もうこれ以上下がれない、三叉路まで来ちゃう」
彼女は充血した首元に冷えた手を押し付けながら呟いた。エルディアでは食い止めることはできても、制圧はできない。だからイーセルやサミュエルと合流したいのだけれど、それまでの道に新しい隠れ家への道がある。子どもたちとビアーはもう曲がり道の近くにはいないだろうが、万が一のことがあっては困る。
「ああっもう! 喉が痛いってば!」
その直後彼女の後ろから赤と橙が飛び出してくるのに、彼女は驚いて悲鳴を上げた。それも鳴りやまないうちに、見知らぬ紫色の男から白群色の少女を押し付けられて、とっさに抱きとめる。
「ちょっと、アンタ誰!? えっ、軽……この子軽すぎない?」
パスよりすこし若いだろうか、身長はエルディアと変わらないのに彼女の細腕でも十分抱えられる少女の体に、彼女はぎょっとして思わず警官を拘束していた黄色のドームをインクに戻した。
黄色の壁を蹴破ろうとした警官がたたらを踏んでよろめく。その脇腹を蹴り倒して、馬乗りになった紫色が鼻面に拳を突き刺すように殴った。身悶えする警官の体から立ち上がりざま拳銃を奪って弾を抜くのに、さすが、明らかにどこかの制服だろう迷彩服を着ているだけはあると認めて、イーセルは目を逸らす。
エルディアが食い止めていた隊列は予想より多かった。紫色も加わった四人の能力は一対一なら圧倒していただろうけれど、とめどない戦闘での疲労でじわじわと押され始める。
「はぁっ」
近くに倒れていた警官に足を掴まれ、サミュエルが尻もちをつく。それを見て、エルディアは彼女を自分の方へ引っ張ろうとした。
「はな……!」
濁った声とともに喉が破けて、エルディアは舌の上に苦みを感じるのに顔を歪めた。咳き込みながら視界が暗く落ちるのを感じ、抱えている少女を支えきれずに膝をつく。細胞がゆだるような熱が頭をむしばみ、彼女が気を抜いた途端に耳鳴りやひどい頭痛が押し寄せた。
「っ……」
簡単に気絶してやるもんか。
私は、絶対あの子のところに帰るんだから!
「……ひゅーっ」
細く頼りない呼吸が彼女の手の中で響き、喀血した黒と黄色が混ざり合って手からあふれ出す。その瞬間、彼女が目視できる限りの警官がぎくりと身をよじった。彼女が息を吐き切り、喉から出るかすかな〝音〟が止まってしまうと、彼らは戸惑ったように自分の胸を見下ろす。
「なにをしている! 攻撃を──」
「……はーっ」
エルディアが声交じりに息を吐くと同時に、さらに多くのモノクロームが突然自らの喉を押さえて必死に口を開いた。本来暗い影が落ちるその空洞の中は、まるで発光するように輝く黄色で埋め尽くされていた。
サミュエルがナイフを奪い返して立ち上がるのを、エルディアは暗い視界の中でぼんやりと捉えた。だけれど、まるで見えなくても全てわかるみたいだ。音の届くところがわかる。人間の呼吸がどう巡るのか、その管の形がわかる。
酸ですら筆を破壊できず、エルディアは呻き声でも、悲鳴でも、喘鳴でも黄色のインクを生み出した。たとえ恐怖で意識的に話せなくなっても殴られたら息が漏れるから、調教が長く続いた。奴隷と聞いて思い浮かぶような仕打ちを全て受けてきた。それでも〝声〟がエルディアからいなくならなかったのは、きっと、このためだから。
自分の正義も大切なものも全部守るためだから。
「……っふ……はぁ……っ」
警官たちが酸欠で失神するまで戦いたかったけれど、もうまともに考えることもできなくなって、エルディアは俯いて失神するのを大人しく待った。くらりと体から力が抜け、頭から倒れ込む。
彼女の体が地面に触れる直前、背後から伸びた腕が抱き留めた。慌てて彼女のそばへ座り込むもう一人にエルディアの体を預け、彼はリーデルたちが戦っているのとは違う方向から笛の音が上がるのに、そちらへ視線をやった。悠々と三叉路の中心に歩み出て、まるで壁になるように黒い隊列の前に立つ。
「に、兄さん」
「シア」
パスと同時にイーセルが呼ぶと、彼が軽く首を傾げて赤髪に視線をやる。イーセルは親密そうに笑い返して、突如現れたモノクロームに面食らう警官たちに赤くきらめく剣をまっすぐに向けた。
さあ、彼は誰だ? 何をする?
「ずいぶん押されてるじゃないか」
「いやぁ、耐えたほうだと言ってくれよ」
シアがイーセルと背中合わせに立って、慣れた仕草で剣の柄を握る。鞘から鋭い音を立てて抜かれた刀身は、〝青色〟。それを皮切りに、柄と鞘が、黒の頭髪が、瞳が、燃え上がるように塗り替わる。
「やっぱり俺たちはこうでないとな」
二人が空の鞘と双剣の片割れをお互いに託した瞬間、警官や、仲間たちでさえ動けなくなった。青色の〝共鳴〟は自分以外の筆も扱える。そしてそれは、単なるインクに限ったことではない。
放心して、まるで何かに縛られたように、あまりにも魅力的な色彩が全ての目を奪う。
見ろ! ここにいるのはただの青色じゃない。
「僕の色に権力があるんだろう、使えるものは全て使ってやる! 僕はシア・ディーク!
────国王の息子だ!!」




