橙色 4-4
翌日の昼下がり、サミュエルはいつものように家事と子どもたちの世話に追われていた。だけれど彼女の雰囲気がのんびりしているのは、春になったせいだ。彼女は自分の誕生日をあんまりちゃんと覚えていないけれど、四月生まれだった。そのせいか、この季節になるとなんとなく機嫌が良くなる。
「サミュ―っ、セグとチルジーがケンカしてるーっ」
「サミュぅ、抱っこして」
「よしよし、抱っこな……こらチルジーっ、もの投げるな!」
託児院の子どもたちはどこか大人びていてサミュエルやイーセルの言うことはよく聞くが、普段遊んでいるときなんかは普通の子どもたちと変わらずよくケンカするし、隠れて住んでいることなんて忘れて甲高く叫ぶ。彼女は外までよく響くそのパワーに満ちた声を、イーセルみたいに元気な証拠だとポジティブに受け止められないのがちょっとした悩みだった。
「どうしたんだ? なんでケンカしてる」
チルジーが、セグが、と二人が甲高く言いながらサミュエルを振り返る。その声に交じって、ひっ、と階下から悲鳴のような声がした。
男の声だった。
「──静かに」
サミュエルが突然張り詰めた顔をして言ったのに、その部屋にいた子どもたちは開けていた口もそのままに音を飲み込んだ。二人、三人目、四、五、六──
「──サミュエルっ、」
階下から怯えた声がして、サミュエルは部屋を飛び出した。なんで、ほとんど二十年もほったらかされていたのに、急に。警察か、ここにリーデルがいるのを知った奴隷商か。
なんにせよ、負けたら終わりだ。
「私の家族に触るなッ!!」
振りかぶりざまに握った筆の鞭で、ペーデに覆い被さろうとしていた男の頭を打つ。ともかく警官ではない男が頭を殴られて失神した。がたがたと震える彼女に駆け寄り、きつく抱きしめる。
「ペーデ、よく私を呼んでくれた。偉いぞ」
泣く余裕すらなく必死に縋りついてくるペーデに一瞬ためらったが、サミュエルは彼女を抱き上げてすぐに家の中を見回った。同時に、窓の外も確認する。
「ペーデ、あいつは一人だけだったか? 答えてくれ、外に逃げたやつはいなかったか?」
ペーデがひっと音を立てて息を吸いこむ。
「いた! 一人出てった!」
サミュエルが急いで玄関先に飛び出すが、人影はない。
「クソ!」
彼女は思わず漏らし、二階へ駆けあがった。カルファの声が、身支度を整えろと子どもたちのリーダーとして必死に急き立てている。その動揺した声にはっとして、サミュエルは深呼吸して冷静に子ども部屋の扉を開けた。
「みんな、今すぐここから出るぞ。大丈夫だ、いつも練習したみたいに隠れたら、絶対に見つかったりなんてしない」
練習! それを思い出して、子どもたちが少し安堵するのがわかった。イーセルが万が一の事態を想定して山の奥に作った隠れ場所とその経路を、みんなで毎月歩いて避難訓練をしていたのだ。サミュエルたちは最低限の荷物を持ってすぐに家を飛び出し、人の手の入っていない森の中へ入った。家族だけがわかる、木の高いところにある折り曲げられた枝を目印に山を登り、しんがりをするサミュエルがその痕跡を消していく。まだ昨日来たばかりのペーデは、先頭の年長二人が挟んで補助をした。
「大丈夫だ、焦らずゆっくり進め。森の中に人がいたことなんてなかっただろ?」
サミュエルが励ましながら二時間弱歩き続けると、やがて小さな岩の割れ目にたどり着く。中には天然のほら穴が広がっていて、すでに整備してありそこに物資も置いていた。サミュエルが先に中に入って、来ないうちに住み着いていたクモや虫などを駆除する。
「……よし、おいで」
みんなは慣れているからすぐに飛び込んで、水筒と備蓄用のビスケット缶を開けて休憩を始めた。ためらっているペーデに、サミュエルは穴の中から両手を伸ばして降ろしてやろうとした。
「虫は駆除したし、中は岩だからそんなに寄ってきたりもしない。大丈夫だ」
「……でも、奥に落ちたりしたら」
「ああ、ちゃんと木で塞いで奥へ行けないようにしてあるから心配ない。でもあんまり寄りかかったりはしないほうがいいな」
「危ないじゃん~……」
「サミュ、俺がペーデと一緒に見張ってるよ。それならいいでしょ?」
サミュエルは脇から話しかけられて、カルファの若草色の頭を見下ろした。どいて、と言われて、すらっとした、身長に筋肉の追いついていない薄い体が穴をよじ登るのを見守る。
「あ、風があるから毛布持っておけ……」
あと、ビスケットも。穴の外から伸ばされた手にそれらを渡し、なかなかどうしてかっこいいではないかと一番上の弟を思わず仰いだ。それから、全員の無事を改めて確認して、みんな、と声をかける。
「私は少し離れたところで、イーセルと合流する。多分しばらく待つだろう。その間、カルファがみんなのリーダーだ。よーく言うことを聞くように」
子どもたちは真剣な表情、あるいは不安そうな表情でサミュエルを見つめた。
「心配するな! 私たちにはイルも、その協力者もたくさんいる。みんな、そのお話を聞いただろ? 私たちには守ってくれる人がいる。それを信じろ」
彼女は結局一人一人ハグして回って、それからほら穴から出た。ペーデとカルファを抱きしめ、「任せたぞ」と囁く。サミュエルに腕を回すこともしないが、彼は「うん」とぶっきらぼうに返事をした。
「……ね、カルファも中に入って……」
彼のすぐ下の妹であるリスケラが頭を覗かせて困り顔で言った。山吹色のポニーテールに何度も手櫛を入れる。
「不安だから……」
カルファがペーデを振り返る。手を差し伸べて「大丈夫」と促した。
「俺の膝にでも座ってなよ、そしたら虫もすぐお前のところに来れないし、危ないところに寄りかかったりしないでしょ」
ペーデがおずおずとカルファの手を取って、ほら穴の中に降りていく。なんだか誇らしいような気持ちになって、サミュエルは安心して子どもたちから離れた。




