永禄元年/白線
ちょっと短いですが、必要そうな情報を少し。視点が変わるオムニバス形式で。
─────永禄元年 八月十五日
上野国新田金山城、そこは見事な石垣が聳え立ち、山城たるその城郭からは関東平野を一望でき、その荘厳な造りから神仏が宿るとされている。先程までは快晴であったものの、今では礫ほどの大雨が振っていた。
この日、ある一人の女性の葬式が蕭やかに行われていた。
「───。」
岩松家 金井右馬の局。
局とは皇室や将軍家などに仕えた重要な位置にある女性へ授けられる名号であり、ただの武家の娘が与えられるには、それは大きすぎるものであった。その背景には、岩松家の念願が込められていた。新田氏とは清和源氏の一流河内源氏である源義家の孫、新田義重が祖であり、室町幕府を開いた足利氏の分家である。この貴い血脈は、鎌倉時代末期に起きた後醍醐天皇による討幕運動に従い、後の南北朝時代の南朝方の中核を担う程であった。時代は流れ、時代の波に呑まれて行った新田氏宗本家は消えたが、それを継承した岩松家は新田の地を守り治めていた。しかし、時代の勝者たちは新田氏を軽んじ、岩松家は劣等感に苛まれていく。
『何としてでも御家の再興を──。』
室町幕府の権勢が落ち、戦国時代になると、この声は大きくなり、家中を染め上げていった。岩松家は、古賀公方への対応を巡る戦いへ参陣するも敗れ、家中の求心力を失ってしまう。そのため当時の当代当主岩松氏純は次期当主守純の奥となる金井右馬允の娘を「右馬の局」という大層な名前を付け、権勢を装ったのである。
「母上──。」
武家の子供が傘も差さずに火葬場へ行く母を見送る。その表情は、暗く、何もかもを吸い込みそうな昏い目をしていた。
「猫天丸様、笠を差しませんと風邪をひきますよ。」
女中が笠を頭上に差し出す。が、しかし、その子供は一時も離すまいと、母の送葬から目を逸らさなかった。それが、彼の今出来る精一杯の罪滅ぼしだと信じ、女中へと目もくれず、ただじっと、離してしまったら見失ってしまうと懸命に、迷い児がその先を。
「ほら、猫天丸様。今日は何を致しましょう。また猫天丸様の夢の話でもお聞かせ願えませんか?」
女中が努めて明るく言う。
その瞳の奥は果たして本当に笑っていたのだろうか。
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一仕事を終え、雨に濡れた体を拭き、支度を整える、夏だと言えどこの雨に濡れていたら、この熱が冷めてしまう気がして、その身体を念入りに仕立てる。自身を磨き上げ、更なる高みへと至らんがために。既に髪は仏へと奉げた。そうすることが彼女にとっての高みへ至る道だったから。その熱はいったいどの程度、彼女を痛めつけたのか。
そこへ一声ぶっきらぼうな声が掛かる。待ち合わせの刻限より少し早い。まだ準備中だというのに、急いで整え終える。
「入るぞ、輝子。」
待ち人が来たのだ。急いで戸へと向かおうか、それとも敢て待たせて焦らそうか。そんな事を考えていたら勝手に戸を開けられ、その声の主は入ってくる。何食わぬ顔でそこに居るのが当たり前のように、その座は誰に与えられたか、知っているくせに。
「勝手に部屋に入るのは誰の教えじゃ?」
そう問われた彼は眉間に皺を寄せ、まるで「またか。」と言っているような、そんな顔をして、ずかずかと部屋の囲炉裏へと寄って座り込んでしまった。なんだか熱が冷めてしまった、そんな気がして嫌になる。火鉢を突き、先程の問いには応えず、どうでもいい世間話かのように語りだす。
「して、あの世間知らずの小娘は死んだが、あの餓鬼はどうするつもりなんだ?最近、お前さんの所の相老がうるさくてかなわん。余程お前にアイツらを処分して欲しいみたいだ。」
火を弄びながら尋ねられた内容は、最近頭を悩ませているあの稚児の事だった。火掻き棒で音を立て、細い火継ぎ木をポキリと折って、こちらには顔を向けず、ただ囲炉裏の火を冷めた目で見ている。
「見込みがあったのじゃがな、あの顔じゃ、もう駄目であろうな。」
跳ね散る火の粉を見送りながら、当たり前の感想を述べる。勿論あの小娘の顛末については一つ二つ手は出した。口さがない下女中を側に置いてみたり、あの冴えない男へ餌を吊るしてみたり。囲炉裏の火組みは、しかしガラガラと音を立てて崩れ去ったのは、あちらの方からであった。
「なんだ、お前が言い出したんだぞ。もしかしたら使えるかもしれんと。だからわしらは待ったというのに、川内にはどう説明するつもりなんだ?」
あの稚児の、年端も行かぬただの赤子が、自身へ向けた強い念。今でも忘れられず、ただ周りの欲望に流されるがままに、進めて来たこの強き濁流は、このまま彼を押し流すのか、それとも。囲炉裏に残った水鍋はこの後どうなるのか。
「わたくしが黙れと言っていたと伝えてくだされ。」
少し見て見たくなってしまったのは、してはいけない遊びなのだろうか。
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猫天丸様はあの日以来泣いていない。
昨日ご逝去なされた右馬の局様を見て私は泣いた。あの優しかった右馬の局様の暖かさを思い出して、何もとりえのないあたしを、いつも側に置いていて下さったあの輝きを。もう拝めることができなくなってしまったのだと、そう実感してしまったからだ。お葬式の最中では、亡くなられる前に託された猫天丸様を尻目に、あたしは右馬の局様のご遺体から目を離すことが出来なかった。
何事にもあまり興味を持たれない猫天丸様が、今日に限っては我儘を仰られた。あたしの腕の中ですやすやと眠っている子を見ると、まるで菩薩様の如き寝顔をしていらっしゃる。いつも起きていらっしゃる時は、眉間に皺を寄せて何かを一生懸命お考えになってるご様子で、その阿修羅のようなご様子とはまるで違う。なんて言ったら、あの可愛らしい声とは裏腹に難しい言葉でお怒りになるのだろうか。
『あの子は特別だったのよ、ううん、あなたもね。』
そんな言葉を頂いたのは、随分前だった気がする。猫天丸様がお話になる内容が難しすぎて、あたしが右馬の局様に泣きついた時だったか。あたしの何が特別なのか、答えは聞けずじまいだった。結局、なんであたしになんか、優しくして下さったのだろうか。
口の悪い同僚は、いつも右馬の局様の前で悪口を言っていた。それを見てあたしは、右馬の局様に取り入った。そうしたら小遣いをくれると、妙印尼様が言っていたからだ。だけど右馬の局様は、あたしがそうやって、卑しい気持ちで近づいた事を気づいていらっしゃった。だけど何も言わず暖かく向かい入れてくださった。あたしが貰った小遣いは、結局その一回のみでそのまま置いておいたままだ。それを誇ろうなんて思わない。あたしはお仕えする方を、一度裏切った最低な女なんだって、そう自分を戒めるためのものだから。次は間違わないようにするための重りなのだから。
猫天丸様はあの日から変わられた。右馬の局様とあたしと話す時は可愛らしいお顔でお話になられる。よくわからない事はよくしてらっしゃったが、それに意味を求めるのはやめなさいと、右馬の局様から言い含められた。楽しそうな笑顔で何かをおっしゃられてる時が猫天丸様は一番可愛い。だからあたしは猫天丸様を理解するのをやめた。それでも右馬の局様は最期にありがとうとごめんなさいの感謝と謝罪の言葉を遺して逝った。あたしはそれがわからない。猫天丸様に聞けば教えてくれるだろうか。あの可愛らしい見た目と声をしているがあり得ないほど頭脳明晰で何もかもを見渡し、知らぬことなどないと言い切るほどの天才で、あたしが知らない他家の内情まで知っていて、この先何が起こるか知っていて、あたしのしらないモノをつくって、上手くしゃべれない頃から本当はあたしに話しかけていて、その内容は今ですら理解出来ない内容だったりして、あたしみたいなのはいくらでもかわりがいて、あたしではささえきれないほどのおちからをもっていて、あたしのようなものにはそのおすがたをはいけんすることすらおこがましくて、そんなのかみかほとけか。
だから、あたしは猫天丸様を理解するんじゃなくて、わかってあげられるんだって。
あたしはその日から泣くのをやめた。