弘治3年/落馬
右馬の局(創作):岩松守純の妻、金井右馬允の娘。元々体が丈夫ではなかったが心労が祟り寝込む生活になる。
ママンが倒れてから季節は回り、大体1年が経とうという頃合いです。
寒さ厳しき頃、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。猫天丸です。
やっと自分の足で動けるようになり、色々と出来ることが増えた。
舌ったらずながら話せるようになったのだが、まだ詳細な話になると聞き取ってもらえねえし。
難しいんだよ!話す時の筋力がまだ備わってないから!
色々と準備したいのにまともに取り合ってくれる大人は居らず、話し相手はお貞ちゃんのみ。
「おさあよ、すおしはあせうあ?(お貞よ、少し話せるか?)」
「どうしました?猫天丸様。」
「いあん、かあうおのおあのいたい(時間かかるものを頼みたい)。」
「えっと…、どこか痛みますか?」
「いあうんあ、まあいい(違うんだ、まあいい)。」
そんな微笑ましいものを見るような顔をするな!ちきしょう!
こんな感じで全然伝わらない。というか、他の人間だとビビって逃げちまう。
やれ、右馬の局様のご病気はあの「鼠憑き」によるものだの、岩松の御子は気が狂っているだの。
そんな噂が立つくらい、俺の風説は終わってる。
そんな中、態々病人がいる奥の間まで来て甲斐甲斐しく世話をしてくれる、お貞には感謝しても仕切れないくらいだ。
まぁこの娘、ちょっと頭が緩いかもしれんが。
筆談も考えた、が、筆が上手く取れないせいで読めるものにならん。
結局出来ることはあんま変わらず頭の中での独り言とAIによる擦り合わせくらいだ。
増えたはずなのにな、おかしい、俺のやり方が悪いのか?
【出来ることが増えたにもかかわらず、実質的にあまりかわらない。
という状況は、様々な要因が考えられます。
1,情報過多:選択肢が多過ぎることで逆に選択が難しくなり、実際の行動に移せないことがあります。
2,優位性の変化:新しいことを試す余裕がないため実際には活用されず、逆に何を優先するべきか迷い結果行動が減少することもあります。
3,モチベーションの問題:出来る事とやりたい事が違う場合、モチベーションが低下し、実際の行動を制限する恐れがあります。
このような状況を対処するためには、自分の目標や興味、優位性を再確認し少しずつ挑戦していくことが重要です。】
うるせー、知ってるよ。俺はお小言が聞きたいんじゃないの。
独り相撲してないで、体動かすか。
当面の目標は細かい情報の伝達が出来る筋力を得る事だ。
柔軟体操をしながらどうしたら筋力が付くのか考える。
やはり地道な筋トレしかないか。そうとなればあれだ。
「あいおあいそうあいいちー(ラジオ体操第一)!」
声を上げながらラジオ体操する。ついでに声帯の筋トレも行える、一石二鳥だ。
「うえおまあします(腕を回します)。
いひにーあんしーおーおくしいはい(1、2、3、4、5、6、7、8)!」
お貞ちゃんが奇異なものを見るような目で見ているが気にしない。
お前と意思疎通を取るための訓練なんだ、許しておくれ。
何回も転びながらラジオ体操を行う。体のバランスを保つのも難しい。
「ひあいえおいえひあいえおいえ(開いて閉じて開いて閉じて)!」
「猫天丸、どうしたの?」
ぴょんぴょん跳ねていたらママンが起きてしまった。うるさくし過ぎたか。
「ははうえ、もういわえあいまえん(母上、申し訳ありません)。」
そう言ってママンの近くに寄って詫びを入れると優しく撫でてくれる。
「いいのよ、お外へ連れて行ってやれなくてごめんなさいね。」
なんかもう、すいません。
ママンの病状だが、あまり芳しくない。
環境も悪いのだが、結局のところ、こういった類の病は罹患者の体力によるのだ。
しかし、ママンは武家の娘であり、自身で動く必要もなかったためかそこまで体が丈夫ではない。
時間の経過で快復するどころか、どんどんと病に蝕まれていく。
病床に就き、体も動かせないので体力は落ちて行き。
咳をするたびに気管や肺を傷つけ、それに合わせて合併症状が続いて行く。
そんな負のスパイラルが彼女の身に巻き起こっているのだ。
風が強い日には黄砂が舞うこの地では治るものも治らない。
なんとか気を楽にしてあげたいのだが、ママンの悩みと言えば御家問題だろう。
それについては現状俺にはどうしようもない。出来ることは筋トレくらいだ。
撫でてくれている手は心地いものだが、手を握り布団に戻す。
驚いた顔をするママンに一言謝意を添えて静かな柔軟体操に戻る。
「猫天丸様は本当に賢い御子息様ですね。もしかしたらああいう素振りにも意味があるのかもしれません。」
お貞ちゃんの言う通りなんだが、二人して生暖かい目でこっちを見ている。
これも御家再興のための準備体操なの!恥ずかしくないもん!
「ゴホゴホっ、そうかもしれないわね。貞、白湯を。」
「はい、少しお待ちください。」
そう言ってお貞が席を立つ。
何とも言えない空気が流れるが、これが俺たちの家族団欒である。
家族と言えば、パパンはあまり奥の間へ来ない。極稀に様子を見に来るくらいだ。
パパンの政治的立場もあまり芳しくないらしい。
俺の世話をあんまりしない下女たちが、いつも態と聞こえるように言っているのか、当主への謗りを囁いている。
曰く、右馬の局が臥っした原因は当主が情けないからだとか、だらしない姦淫の果てに病気を貰ってそれを奥方にうつしただの。
前者は兎も角、後者は恐らく謂れの無い虚偽の風説だろう。多分。
少ない家臣団の中でも信用を落としているのだろう。
ロビー活動頑張ってくれてるといいんだけど。このままだと如何ともし難いしな。
「お待たせいたしました。」
お貞が盆を持って帰って来た。その後ろにパパンと家臣団の方々。
噂をすれば何とやらだな。なんか沈痛な面持ちだけど。
「どうかなさいましたか。」
「ああ、いや、少し話がな。」
いやー聞きたくねえなぁ。
何か後の家臣団の人も見たことない人多いし、絶対いい話じゃないだろこれ。
見たことある家臣団、というか岩松派とも呼べる人たちは暗い顔している。
逆に見たことない、恐らく横瀬派の人間どもはウキウキしてやがるしな。
「実はな、お前の体の事もあるし、療養のため空気の良い柄杓山へと移った方がいいのではないかと相談されてな。」
「満次郎様(パパンの事)、この金山はどうなりますか?まさかと思いますが。」
「いや、そこは譲らぬ。譲らぬが、良くない風聞を耳にしてな。」
「何を考えていらっしゃるのですか!あなた様がそんなだから!ゴホっゴホっ。」
ママンが堪らず声を張り上げるが、咳き込んでしまう。
これはマズい、もしかしたら本来の歴史でもこうやって右馬の局を遠ざけてから清純を害したのかもしれん。
感情が昂り、真っ赤な顔をしたママンを見ない顔の家臣が抑えながら言う。
「右馬の局様、落ち着いてくだされ。これは妙印尼様の御慈悲なのです。」
「───。妙印尼様の?」
「はい、妙印尼様は右馬の局様の病状に心を痛めておいででして、労しくて見てられぬと仰っておりました。」
「御見苦しい姿をお見せして申し訳ございませんが、それとこれは別ではありませんか!」
「ですので、妙印尼様は右馬の局様を柄杓山上の宝徳寺へと遷居していただくと仰っておるのです。」
「──────。わたくしと猫天丸を引きはがすおつもりですか。」
「いえいえ、そんな。ただ、御身を大事にして頂きたく。」
「そんな戯言はもうたくさんです!出て行きなさい!ゴホっ!ゴホっ!ガハっ!」
ヤバい。ママンの様態が悪くなってる。
三国志とかでよく見た死因に憤死ってあるけど、まさにその目に合いそうだ。
「ま、待て、右馬。これには訳があるんだ!」
「───なんですか?訳とは。」
「そ、それは・・・。」
何なんだよおい、パパンが情けないからママンが怒ってくれてるんじゃないか。
それなのに何か後ろ暗い事でもあんのか、言い淀んでしまうパパン。
ダメじゃないか!覚悟のない奴が出てきちゃあ!黙ってなきゃああ!
右ヨシ!左ヨシ!クラウチングスタートで、パパンを蹴り飛ばす!
頭に入ったからか、パパンは転がって何が起きたのか理解できてない様子だ。
「猫天丸!なにをしているのですか!」
「かうおのあいあつあ、おうすおあおおすんあ(覚悟のない奴が、当主の顔すんな)!」
腰に手を当て言ってやったぜ。決まったな。
ママンは俺を抱き寄せ、泣きだした。
そうだよなぁ!情けない当主見てたら感情が昂っちゃうよなぁ!
「──。子供のいたずらです、どうか許してやってはくれませんか。」
あーそっちね。やっべ、それは考えてなかったわ。
自分の息子に蹴られたくらいで怒っちゃうような狭量の男なわけ。
いや、どう見ても怒ってる、何が起こったか理解して顔が茹蛸のようになってる。
プライドも高いのに、無能とか救えねえなぁパパン。
「貴様───!!!」
アカン、ぶん殴られる。そう思った時には、ママンに庇われていた。
おい!てめえ!自分の妻を殴るとか何考えてんだ!
いやまぁ、俺がやらかしてそれを庇ってくれたのは分かってるけど。
それでも、元はと言えばお前が情けない事言いそうだったから止めてやったんだぞ。
感謝されることはあっても、お前が逆ギレする理由にはなんねえよ!
「そこまでに致しましょう!治部大輔様!ささ、お主等も行きましょうぞ!」
確か、父方の脇屋とかいう家臣だったかがそう仲裁に入ると、ぞろぞろと出ていく。
まぁパパンと脇屋はまだ居るんだが。というか大丈夫かママン。
「義昌!手を離せ!もうよい!わしが決めた事だ!離さんか!」
「なりませぬ!なりませぬ!御子に手を上げるなどと!どうか冷静になってくだされ!」
そうやって揉みくちゃしてる男を余所に、俺はママンを心配して容態を見てみる。
感情があらぶったせいか、呼吸が乱れ、苦しそうにしてる。
「じい!じいおよえ!はあう!(侍医!侍医を呼べ!早く!)」
脈拍も早いし、ヒューヒューと、か細い呼吸音。
咳き込む音からは吐血している可能性が高いと判断できる。
喋ってる時から苦しそうにしていたし、倒れた時にどこか裂けたのかもしれない。
最悪の場合喉に血液が溜まって窒息死しかねない。
気道確保の体制にしたいのだが、重くて動かせない。
クソっ、こういう時までこの幼児体型を恨むことになるなんてな。
大声を上げたからか、ポカンとした顔でこちらを見ている男どもに喝を入れる。
「ないおしえいう!えうあえ!(何をしている!手伝え!)」
「猫天丸、どうした?まさか、右馬?右馬!どうしたのだ!」
コイツいつもどうしたしか言わねぇな。
というか、お前が病人を殴ったり、感情昂らせたからだよ!
このどうしようもない情けない男の言葉に怒りを滲ませながら、全身を使って誘導する。
横向きに寝かせて、頭を手の上にのせてちょっと顎を出させて。
やった、血は吐いてくれた。一応は気道確保できたみたいだ。
「猫天丸、大丈夫なのか?右馬が血を吐いておるぞ?」
「あいおううあないえお、あおわいいあなんおかすうえそう(大丈夫じゃないけど、後は侍医がなんとかするでしょう)。」
「これは穢れなのか?ふむ、近寄らぬ方がよいかもしれんの。」
と、言うか当たり前のように赤ん坊に聞くな。まだ2歳にも満たないんだぞ。
数え年だと2歳か、いやそれはどうでもいい。
激昂して赤ん坊殴ろうとした男が、今度は妻の容態見てビビるな。
こんなんだから、下克上されるんだよ。
しかし、さっきの相談はマジかよって内容だったな。
ママンを山の中の寺院に閉じ込めて、味方の居ないここに嫡男を閉じ込める、か。
簡単に手玉に取れるだろうな、そんな無防備な状況。
パパンは妙印尼に流され始めてるし、家臣団もこの部屋に話を持ってきたって事は消極的賛成か。
余程、交換条件が良かったか、不利な条件を呑まざるを得ないほど求心力が下がっているか、か。
前者の場合は口車でもいい、当主の座を認めてもらえるような事があればこの男は喜んで妻を差し出すだろう。
だが、後者だった場合が一番まずい。俺が何かを成す前に岩松家は滅ぶ。
ぶっちゃけ岩松が滅ぼうがなんだろうが俺は良いんだが、ママンが心配だよ。
この状況で追放されてみろ、どうせ碌な生育環境や療養環境にならんぞ。
俺もママンも、もっと栄養が必要だ。
精進料理なんかもってのほかだ、動物性たんぱく質や鉄分、あとビタミン類も足らんぞ。
「治部大輔様、どうなさいますか。我らも出直しで。」
「───。義昌、どう思う、これについて。」
そうパパンが言うと俺に視線が向く。いやん照れるじゃないの。
「右馬の局様を守ろうとしたのでしょう。まさか蹴りを入れるとは思いませなんだが。」
「違う、───行くぞ。」
そう言うと二人は奥の間から出て行った。
おや、もしかして俺の有能さに気づいたかな。あの様子。
そうだったら話は早いんだけど、きっと違うんだろうな。
「おや失礼致します治部大輔様、奥方を診にきました。」
戸の向こうから声がする。お、侍医さん来たな。ついでにお貞も戻って来た。
戸を閉めると侍医が診察を始める。あー回復体位崩さないでくれよ、喉に血が溜まっちまうよ。
言っても仕方ねえんだけど、仰向けにされたママンを見て恨めしく侍医さんを見る。
「どうですか?先生、右馬の局様は大事ないですか?」
「だいぶやられておるな、気の方が痛んで居る。全く、何をしておいでだったのか。」
滅茶苦茶に怒らせてぶん殴っておいでだったよ☆ミ。なんて言ったら卒倒するだろうな。
実際問題、ママンはもう長くないんだろうなってのがなんとなく理解できる。
こんな環境で呼吸器系の重い病だ、助かる見込みなんてない。
しかも今日は特別悪くなってしまったが、別に日々治ってるわけでもなく症状は悪化の一途を辿っている。
せめて安らかに過ごしてくれればいいんだが、妙印尼だか横瀬だかの差し金だろう。
今思えば下女なんぞが当主やその嫡男に向かって悪口を言うなんざおかしいんだよ。
下手しいその場でクビだぞ。物理的に。
そうやってママンの心労を溜めた後にこうやって止めを刺しに来るってわけか。
悪辣だねぇやってる事。しかしまぁこれが戦国の常なのか。
横瀬氏の専横で新田金山城の城主を追われるって事実が重くのしかかってきやがる。
こうやって史実でも追い詰めていったんだろうな。
横瀬氏派の家臣どもの言い方もどう見ても悪意あったし。
岩松氏派の家臣どもは言いなりになっているしでどうしようもない。
極めつけはパパンまで簡単にコロコロ転がされてるようじゃ、そのまま丸め込まれそうだ。
そうなったら最後、史実の清純のようにどこかへ消されるんだろうな。
「右馬の局様、お目覚めになりましたか?」
お、ママンが目を覚ましたみたいだ。お貞がママンの口元で耳をそばだてている。
「猫天丸様を?はい、分かりました。」
俺に用があるのか?体を寄せ耳を澄まして聞く。
「───ごめんなさいね。許して───。」
「はあうえあそんあおお、いういうようあいまえんよ。(母上がそんな事、言う必要ありませんよ)。」
「───。力のない母で──────許して───!」
俺は無力だ。力のない乳児だ。
いくら精神が大人だと言え、こうやって泣き許しを請う母親を見ている事しかできない。
なんて声を掛けたらいいのかわからず、ただ泣く母を見て、つーっと一筋、涙が出た。
別に何か感情が逆立ってるわけでもない。
怒っているわけでも、悔しいわけでもない。
元の時代ではいくらでも悲しい事はあった。フラストレーションが爆発する事もあった。
そのたびに諦め、誤魔化し、その感情をコントロールする術を身に着けて来た。
それが大人になるという事だから。それなのに、今はこの涙が止まらない。
悔しいのかもしれない、怒っているのかもしれない。悲しいのかもしれない。
それでも、俺は今、泣いている理由が分からなかった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
みっともなく泣いた。
まるで赤ん坊のように。
不様に誰の目を気にする事なく、叫んだ。
「猫天丸様が、泣き声を───。」
堰を切ったかのように涙が止まらない。
「う゛あ゛あああぁぁぁぁ!!!!」
まるで、そうするのが正しいかのように。
半年後、右馬の局は死んだ。




