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厨房の冒険者

 冒険者ギルドの内職はポーション作りだけではない。


 朝一番の時報の鐘が鳴ってから30分くらい経ったころ。寝起きのルーチンを終えたマステマはいつもの黒いワンピースにカーディガンを羽織って冒険者ギルドに出勤した。


 出勤と言っても準職員のマステマは訓練場の隣の女性職員寮に住んでいる。出勤の所要時間は徒歩2分だ。

 前世がおっさんで今世は両性具有の身としては是非とも男性寮にお世話になりたかったが、ギルド長(女)も副長(男)も料理長(男)も解体場長(男)も売店のおばちゃんもお抱え鍛冶屋のじいちゃんも受付嬢たちも、誰一人として賛成してくれなかった。

 かわいいって辛い。昨晩も性欲が爆発してひとりで励んでしまった。おかげで寝不足である。


「くぁ~……今度バルドルドにいい娼館がないか聞こうっと……」


 ほとんど開いていない目でてちてちと歩いて、すでにギルド長が突破した職員通用口からギルド内に入る。


「うー、さむさむ!」


 まだ3月だ。

 この世界の1年は365日、1週間が7日と地球と変わりないが、1カ月は月の公転周期の28日間ぴったりで固定されており、よって13月まである。そして28×13=364日なので1年の最後の余った1日は安息日とされている。

 この地方の3月だと日本の3月とほぼ同じだ。ジャガイモの芽を動かすには最適な時期だが、人間にはまだまだ寒い。ガーラントの気候は日本の東北地方とだいたい同じなのでなおさらだ。


 マステマは小さな手をこすりながらまだ光の入っていないギルドのロビーを通り、厨房に到着し、魔石ランプに魔力を供給した。


 Dランクになってもマステマの生活は特に変わらない。くっせぇゴブリンと戦うこともくっせぇ盗賊を皆殺しにすることもなく、日々ギルドの内職をのんびりこなしている。


 朝一の内職は厨房の清掃・消毒だ。

 といっても、ちょっと魔法を使う簡単なお仕事である。


 使うのは【浄化魔法(ピュリファイ)】と【清掃魔法(クリーン)】。

 異世界モノでは時おり物理的作用を無視して言語的な拡大解釈をした妄想効果を付加されていることも多々あるが、この世界の【浄化魔法】は殺菌洗浄の魔法である。原理は単純。次亜塩素酸Naやアルコールなどの殺菌効果のある物質を一時的に生成して殺菌、有害物質を分解・除去するだけだ。

 【浄化魔法】とよく似た【清掃魔法】はその名の通りゴミや汚れを取り除く魔法で、細菌やウィルスに効果的な作用を及ぼすものではない。


 厨房にチリ取りを置き、そこをゴミの収集場所に魔方陣で指定して【清掃】と【浄化】をかけていく。質量を含めたすべてのエネルギーはこの世界においても突然出たり消えたりしない。だから【清掃】【浄化】を掛けたからと言って汚れやゴミが消滅するわけではないので、チリ取りは必須だ。


 ちなみにエネルギー保存則は我々の考えるほとんどの論理性と時系列(物事の生じた順序)を担保する物理法則である。これが成り立たない世界では、それだけで物語が完全破綻するのでどんな創作物においても決して破ってはいけない。


 どう見ても保存則破綻が起きているようにしか見えない魔法を一通りかけ終え、厨房での朝のお仕事は終了だ。

 この清掃作業だけで特別手当としてギルドの食堂での食べ放題がマステマには約束されていた。最初は金銭で支払うとギルド長が言ってきたが、とんでもない金額を提示されたので丁重にお断りしている。浄化の本職である神官の半額以下だと言っていたが、使い道のないお金よりも清潔な場所でのうまい飯の方がマステマはずっとうれしい。


 幸いにしてここの料理長は腕も舌もよい。貴族街のレストランの味は知らないが、冒険者ギルドの食堂は庶民の食事処としてはかなり味が良かった。それにマステマと同じく食にこだわりがある。提案した調理方法や新しい食材をどんどん取り入れてくれる気概もある。欠点はちょっと盛り付けの普通量が通常の2倍くらいなことだ。


 魔石コンロの点火点検を行っているとドカ盛りメシウマ料理長が厨房に出勤してきた。

 彼は辺境トップクラスに男臭い『豊穣の確約』でタンクを務めていた元冒険者だ。筋肉ゴリラのバルドルドと同じくらい体格がよいが、ゴリラというよりは見上げんばかりの大きな熊といった印象である。口数は少ないけれど、気は優しくて力持ちなナイスミドルだ。


「……早いな、マステマ」

「おはよう料理長。ふぁ~ぁ。掃除は終わっている……今日もうまいメシをよろしくな!」


 マステマはそう言ってポーション作成前の二度寝をするために厨房を去ろうとしたが、料理長が手に白い布のまとまりを持って素早くのっそりと近づいて来た。その布をずいっと渡すので、眠い目をこすりながら受け取り、広げて見る。


「なにこれ?ちっちゃいコックコート?」

「……そう。マステマ用」


 料理長は強面でぐっと親指を立てて、表情筋をピクリとも動かさずドヤ顔した。


「え、わざわざ作ったの?」

「……今日は春の肉の日」

「うん、知ってるけど?」


 そう。今日からギルドの食堂は『春の肉の日フェア』をするらしい。食堂のメニューが肉に染まる日だ。春になって脂肪を蓄え始めた狩猟肉を食べることで、冒険者にとってこれから本格化する魔物狩猟の景気づけの意味があるそうだ。マステマも初めてのイベントなので楽しみにしていた。


 そんなお客様感覚のマステマに料理長が再び親指をグッと立てて告げた。


「マステマ。肉、一品、頼む」

「いやグッじゃねぇよ!そういうのは昨日のうちに言え!」


 というわけで、厨房クエストが発生した。

 今日は昼まで厨房で内職だ。ギルド内職人業だ。


 朝早くから書類整理をしていたユーリアにクエストの受付をしてもらう。ぴったりサイズのコックコートにお着換えしたマステマは半分覚醒状態で食糧庫に急いだ。


 さて何を作ろうか?

 どうせなら前世の料理をギルドの皆にも知ってもらいたい。


 しかし日本食を再現しようとするとどうしてもネックになるのが出汁だ。

 当たり前だがここには顆粒出汁もコンソメキューブもない。そうでなくとも鰹節や干した昆布はなかなか手に入らないのだ。幸いなことに乾燥させた海藻類はエルフ王国の一部地域で保存食として食されていたのでなんとか入手可能ではあるが、ガーラントの冒険者ギルドの厨房には転がっていなかった。


 そうなると和出汁に依存しない肉料理になる。


 幸い、エルフの作った醤油と味噌はある。

 寿命の長いエルフたちが発酵現象に気付かないわけもなく、聡明とされる彼らがそれを利用しないでそのまま放っておくようなおバカムーブを決めるわけもない。順調に森の中で自生していたツルマメを品種改良してエダマメを作り、ダイズを収穫し、味噌や醤油を作っていた。

 これらはエルフの多いガーラント領に輸入されていたが、そもそもエルフたちが他の種族へ売り込むようなことをしなかったこともあり、あやしい黒い液体と排せつ物のような何かは全然エルフ以外の人々に受け入れられてなかった。


 こんなに近くにこんなにいいものがあるのに、凝り固まった思考に陥った人々は、社会は、なかなか気づくことができないのだ。日本でもそうだった。


 ギルドの食糧庫にはエルフ王国から運んだエルフ食材も置いてある。コメをはじめ長ネギ、タマネギ、ニンニク、テンサイ、カブ、レタス、ダイズ。そして夏にはキュウリが、秋にはカボチャがこれに加わる。こうして見るとコメを除けばメソポタミア文明で食べられていた食材とかなり似ていた。メソポタミア人はビールを発明し、酵母を使った柔らかい発酵パンも食べていたとされる。もしかしたら文明の基礎を作り上げたシュメール人はエルフだったのかもと妄想が捗った。


 エルフ食材は地球のものと遜色なく良質でおいしい。だが今回のメインは肉だ。


 照り焼きと生姜焼きはすでに料理長に教えてレギュラーになっている。今日も厨房スタッフの誰かが作るそうだ。異世界料理モノでちょっと過剰な評価を与えられている、すき焼き、ナベ、しゃぶしゃぶは、それ用の鍋も卓上コンロもないので却下。牛丼、親子丼、カツ丼などは食堂の定番だが割り下が作れないのでパス。美味しくて服がはじけ飛ぶ漫画のシャリアピンステーキ丼は作り方がうろ覚え。ハンバーグはミンサーをまだ作っていないから地獄のみじん切りが待っている。それは勘弁だし、副料理長のおいしい肉団子スープと被るからダメだ。肉まんは生地の分量が分からない。シュウマイは多分できなくはないが、一個一個包むのが面倒くさいので今回はパス。


「肉、ニク、NIKU……春の肉祭り……ガッツリ肉……肉が主役……となると」


 なるほど。転生者がやたらと揚げ物に頼ろうとする傾向が理解できる。

 しかしマステマは揚げ物の気分じゃなかったので、長ネギとショウガ、ニンニクをかごに入れて厨房に戻った。




 現在7時ちょっと過ぎ。

 食堂はすでに稼働を始めている。8時の時報の鐘から冒険者ギルドの受付がはじまるがその前に朝食を摂る冒険者に簡単な朝食を提供している。朝はライスではなく隣のパン屋の焼き立てパンに、今日はカリカリに焼いたデブイノシシのベーコンと、早春でも葉を付けるリーフレタスに似た野菜のサラダが付くそうだ。半分寝ている受付嬢のエルナがちょうど席に座ったのでマステマもご一緒した。


「……あれ?マステマ、今日はコックさん?」

「うん。さっき料理長に捕まった」

「ってことは、今日のお昼はマステマのやつで決まりだね!よっしゃ頑張るぞい!!」


 エルナは上機嫌で受付業務に向かった。


 今日の調理スタッフはフルで4人。料理長、副料理長、平調理員2人。全員が元冒険者だ。これに下働き1人を加えた計5人が厨房スタッフで、さらにマステマを加えたものだからちょっと手狭な感じだ。ホールを舞う給仕は2人である。


 マステマは宿屋のおかみさんみたいな恰幅のいい副料理長に手招きされたので、野菜かごを頭上にてちてち歩いていった。


「マステマはごめんけど、こっちの端の調理台使って。踏み台用意したから」

「あいまーむ。煮込むからデッカいナベとコンロ1口使わせてくれ」

「はいよー。あとこれ、鍛冶屋のじっさまからプレゼントだよ」

「うん?」


 副料理長は布に包まれた平べったい棒状のものを差し出した。


「……マジか!?わたしの小さい手にぴったりの握りの包丁!!ほしかったやつだぁああ!!……って、おい。なんか着実に厨房にわたし専用の道具が増えていくんだが?ポーション職人なんだが?鍛冶屋のじいちゃんにはちゃんと金を払いたいんだが!?」

「まあほら、ポーション作りも料理もおんなじようなもんでしょ。じっさまはあれよ、マステマが孫みたいでかわいいの」

「くそっ、じじいには薬草で健康ジェノベーゼソースを作ってやる!」

「え、じぇの……じぇのさいどソース?」

「怖いわ!?」


 名前からして食ったら血を吐いて絶命しそうだ。

 なお、薬草は『ホーリーバジル』というふざけた名前の植物だが、地球のホーリーバジルとは微妙に違い、味も見た目もスイートバジルである。だから料理に使っても美味しく食べられる。ただし下級ポーションはもろにバジル臭いので苦手な人には地獄だった。


 8時の鐘が鳴った。

 冒険者ギルドをはじめガーラントの街が俄かに動き出す時間だ。

 昼の営業は11時。3時間あるのでじっくり作っていこう。


 といっても調理自体は難しくない。


 春になって脂の乗り始めた地球豚より遥かにデカいデブイノシシ。新進気鋭のハーレムパーティ『草なぎの狩人』が獲って来た全長4メートルの巨体だ。

 前足と後ろ脚を落とした胴体部分の半身を料理長が魔力強化を施した包丁でスパスパと脱骨していく。背中のロース部分は背骨を切り離してステーキや生姜焼きに。背ガラはスープへ。残ったバラ肉をマステマはいただいた。ガーラントでは主にベーコンにする部位である。さっき食べた。


 宛がわれた調理台に肉をドーン。

 ギルドのお抱え鍛冶師に頂戴した包丁に【浄化】を掛けて魔力を宿し、ズバズバと適当なブロックに切り分ける。収納魔法倉庫からこんなこともあろうかと用意していた奇麗な綿糸を取り出し、半分はそのまま、もう半分はロールケーキのように巻いてグルグルと糸でしっかりと縛り上げた。


 まな板の上でニンニクを包丁で潰し、ショウガを薄切り。ネギはとりあえず頭の青い部分だけをザクザクと切り離した。SMプレイ中の肉をそれらと一緒に鍋に入れ、水とエルフの純米酒を適当に入れてコンロにセット。火の魔法因子が組み込まれた魔石にエネルギーである魔力を渡すと、ガスコンロのような炎が出現する。


 不思議な光景だ。

 火は物質である。燃料や燃えカスが高温でプラズマ状態となり、自ら光って見えているだけだ。小さな火の魔法に必要なエネルギー量は少なくとも1グラム。これは原子爆弾の爆発のエネルギーに相当する。


 つまりマステマは野山を消し去るほどのエネルギーを投入して肉を入れた鍋を沸騰させようとしているのである。


 この世界に魔力量 MP(マジックポイント)のきちんとした定量的評価指標はないが、マステマは勝手にMP 1を1gの質量と定義していた。最初は電力ゲインと同じく10log(魔力質量)にしようとも思ったが、直感で分かりにくいのでやめた。MPの単位はgグラムである。


 初級火炎魔法はちょっと火がつくだけでMP 1。

 魔物退治にぎりぎり有効な中級火炎魔法がMP 200以上。

 上級火炎魔法の下限がだいたいMP 5000である。

 コンロの強火は分間消費MPが4~5。瞬間火力に命を懸ける火炎魔法と違い、少しずつ酸素と混合して燃焼するので非常に効率が良い。


 沸騰してどんどん出て来る灰汁をオタマで取り除き、落ち着いたら、醤油と砂糖、純米酒を適量入れて鍋が大きいので中火で煮る。残念ながらみりんはエルフも作っていないので、砂糖と酒を少し多めに入れて代用した。

 しばらくすると、醤油と獣脂と酒の入り混じった、とにかく腹が減るにおいが鍋から立ち昇り始める。厨房スタッフたちがそわそわしてマステマを見るが、笑顔で知らんぷりを決め込んだ。


 コンロに魔力を供給しながら、ネギの白い部分をよく切れる包丁でうりゃうりゃみじん切りにしたり、他の調理スタッフの作業を眺めたり、椅子を持ってきて座り収納魔法の在庫をチェックしたり、この地方の植物をまとめた本を読んだり、料理長が味見と称してエサをくれるので、それをおいしくいただいたりして待つ。


 2時間ほど煮込むと肉が十分柔らかくなった。あとは味をしみこませるためにゆっくり冷まして仕込み完了である。30分でできる圧力鍋の優秀さを実感する。


 このとき肉を煮込むために使った魔力量は中級魔法の魔力量に匹敵するが、マステマはどの系統の魔法も一般人と同じ初級魔法までしか使えなかった。身体が小さいからか、単位時間当たりの魔力放出量が極端に低いのだ。もしマステマが魔法で戦おうとしても初級魔法を単発でしか使えない超クソザコ魔法使いにしかならない。せっかく転生者らしく魔力量はかなり多いのに、大魔法をバシバシ連発して無双なんてことはできなかった。


 異世界に転生したからといって、何もかもが自分の都合のいいようにいくわけがないということである。


 魔物と戦うのは怖いし、ギルドの内職だけで十分お金はもらえるので戦闘能力など本当にどうでもいいことではあるが、ほんのちょっぴりだけ残念だった。




 出来上がった煮デブを料理長に味見してもらって「……マステマ。また恐ろしいものを産み出したな」という謎の評価と出品許可をもらい、厨房でやることを終えたマステマは、コックコートのまま込み合い始めた食堂のホールに立った。


「へいらっしゃい!好きな席に座れ!注文が決まったら呼ぶがいい!!」


 昼営業。

 冒険者ギルドには料理長をはじめ、ギルドの元冒険者の厨房スタッフが腕によりをかけて作った肉料理のいい匂いが立ち込めている待ち構えていた冒険者が、釣られてやってきた冒険者が、我慢のできないギルド職員が、競うように席を確保し、各々が信じる肉と脂を求めた。


 飛び交うのはさまざまな肉料理。注文を聞いて、厨房に伝え、料理を運ぶ。

 100席あるギルドの食堂はほぼ満席だ。今日の冒険者は肉に飢えている。

 ギルド長の繊細かつガッツリな香草焼きも、副ギルド長の絶品肉団子スープも、照り焼き、生姜焼き、肉肉肉肉の串焼きもどんどん出ていく。マステマの煮デブもなかなかの人気だ。知り合いのソロ冒険者に「旨いよマステマ!」と声を掛けてもらえた。素直にうれしい。


 肉を運ぶ仕事も最盛期になろうかというとき、受付をやっていてやや出遅れたエルナとユーリアが食堂の方へやって来た。


「マステマぁあああああッッッッッ!!!!!!」

「ほわ!?一瞬ヘルミナかと思ったぞ?エルナはもう少し受付嬢としての慎みを、うぉ!?なんだ??やめろー、ゆするなー!!!」

「なによこれー!なによこれー!!なんでずっとこんな美味しそうなにおいさせてるのー!!??犯人はマステマでしょ!分かってるんだから!出せぇええ!マステマのやつを出せぇえええッ!食わせろぉー!!」

「分かった!分かったから落ち着け!!」


 すっかり『妖怪くわせろ~』になったエルナを魔力による身体強化に任せてちょうど空いたテーブルにご案内し、ユーリア嬢には椅子を引いて差し上げる。


「ええと、丼ものだけど大丈夫か?コメの上にまあまあの量の肉が乗ってる。けっこう重いぞ」

「知るか!明日のあたしの体重なんて知るか!!??」

「いや知らんけど。興味もねぇし。ユーリア嬢も食べる?箸休めにサラダが付く」

「そうですね。せっかくお肉の日ですし、ぜひ」

「そうだよマステマ!今食べずにいつ食べるんだよ!?今日はお肉を食べる日なんだよー!」

「半盛りでお願いします」

「はいよー。デブ丼ハーフ2つなー」

「「デブ丼!?」」


 あんまりなネーミングに受付嬢2人は揃って声を上げた。

 そんな彼女らを「くっくっく」と笑ってマステマは厨房に戻り、準備する。


 どんぶりに白いホカホカご飯を盛り、温め直した角切りのチャーシューで小山を作る。そしてインパクトを出すために輪切りにしたロールチャーシューをどんどんどん!と周りに配置。少し煮詰めて味を調えたデブ出汁の溶け込んだ煮汁ソースをとろとろと掛けて、刻んだネギを乗せてあげれば、ほうらテラテラと輝くカロリー爆弾の出来上がりだ。


 豚叉焼(チャーシュー)丼ならぬデブイノシシ叉焼丼。略してデブ丼。芸術性の高い脂肪の源にはふさわしい名前だろう。もちろん牛丼ならぬデブイノシシ丼もデブ丼、デブイノシシのカツ丼でもデブ丼だ。主にカロリー的な意味で。


 3分も掛からずに戻って来たマステマの持つお盆の上には3つの丼とサラダ。

 ついでなので、料理長に許可をもらってマステマも一緒に昼休憩だ。厨房は忙しそうだがもともと員数外なので融通は利く。


 テーブルにドン!と肉山を設置するとエルナたちは目をぱちぱちさせた。


「お、おお?おおおお!……お肉だぁ!」

「思ったよりお肉ですね。ご飯が見えません……」


 構成質量はコメ100g、肉100gというデブの二等辺三角形。この一杯だけで総熱量1000kcalある。1メガカロリーのメガ丼だ。これで半盛りなのだから、1人前なんてとてもじゃないけど食べられない。あちらは丼の縁をチャーシュー5枚で彩るのだが、前世のチャーシュー麺ではよく見る構成だった。本当に恐ろしい。


 何はともあれ、いただきます。


 銀の箸を輪切りのデカチャーシューに添えるとそのままスッと沈む。柔らかさは満点。一口大の肉をお米とともに口に運ぶと、すでにとろとろになるまで煮込まれたバラ肉は口の中で最後の崩壊をして、消える。代わりに現れるのは野生の脂の濁流だ。春のイノシシは新芽を好んでドカ食いするので臭みが抑えられ、脂が甘い。日本で豚を頻繁に圧力鍋で柔らかくしていたマステマでもかなり美味しいと感じられた。


「う、うそ……!?」

「肉が……溶けて……!?」


 受付嬢2人の反応も上々。

 どころかエルナは丼を持ってかき込むような勢いで食べはじめる。


「おいひい!おいひぃよぅ……!!!うぅう、えっぐええっぐ……!もぐもぐ!」

「いや、泣くほどではないだろ」

「うぅぅ、この世に生まれて、ありがとうぅぅうううッ!」

「はぁ?いやもう、わけが分からん……」


 エルナが謎の感謝を叫ぶ変な人になってしまったが、美味しいならいい。

 ユーリアとマステマがじっくりと味わって食べていると、エルナがもう丼を置いた。


「た、食べ終わっちゃった…… (´・ω・`)。

 でも今日は肉の日!もう一杯いける! (`・ω・´)」

「は?ドカ食い気絶したいのか?こういう脂の強い料理はこのくらいで止めるのがいいのだ。2杯目からはくどくなる。悪いことは言わん、やめとけ」

「うごごごごごご……!それでも、それでもあたしはデブの道に行くぅうう!ラーラ!マステマのやつおかわりぃ!」

「順調に堕落しているじゃないか」

「堕落してませんー!美味しいものを好きなように食べているだけですーぅ!」


 ぶぅぶぅとデブイノシシの真似をするエルナに、マステマとユーリアは顔を見合わせて笑った。ちなみに美人でスタイル抜群のユーリア嬢は無体に糖質と脂質を過剰摂取することはしなかった。密かに「むむむむ……!」と悩んでいたところがとてもかわいい。


 エルナは2杯目も爆速で平らげ、その後、食べ過ぎて動けなくなった。

 だが、この半年で一番幸せそうな顔をしていた。それを見たマステマも自然と笑みがこぼれる。


「ふぁぁ~あ……」


 お腹がいっぱいになって眠くなってきた。

 料理長の餌付けのせいでマステマの小さな胃袋はパンパンだ。


 マステマはこちらの世界に来て3年目になる。転生当初はいろいろあったし、今も前世とは比べ物にならないくらい不便で、おいしい食べ物も少なくて、衛生面に問題がある生活だ。けれども、冒険をせずに、地道に内職して、ちょっと前世の料理を再現し、現地の友人と笑ってゆったりと幸せを感じられるこの生活も存外に悪くないものだ。


 その夜、昼間に食べ過ぎたマステマは夕飯を取らずにさっさと風呂に入って寝たが、冒険者ギルドの食堂に集った冒険帰りの猛者たちは口に入れたら溶ける肉で存分に盛り上がったそうだ。


 マステマの幸せのお裾分けである。



次話は1週間後の予定です.

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