春の冒険者ギルド
春。
冬眠から明けた冒険者たちがギルドに溢れる季節。
いや、冬は冬で碌な討伐依頼がなくなるから、行き場を失った冒険者たちはギルドの酒場兼食堂に常駐している者も数多いが、それはそれとして、冒険者が冒険者として活動を再開する季節がやってきた。
朝のギルドに金と食い物に飢えた冒険者がごった返している。
カウンターの顔面偏差値の高い受付嬢たちは愛想笑いに大忙しだ。
そんな賑やかになったギルドに併設されている酒場を兼ねた食堂の窓際、一番奥。
窓から差し込んだ春の木漏れ日がふわふわと眠気を誘い、くぁ~っと欠伸が出る。
ツヤツヤの黒髪は赤色の紐リボンでハーフツインツインテール。
ぷりぷりの褐色肌にはお気に入りの黒い軍服風のワンピースドレス。
4人掛けの木製丸テーブルの上にはギルドの倉庫から預かった薬草とガラスの器具。
マステマはいつもの特等席で内職を始めた。
冒険者ギルドの内職とは、魔物討伐や護衛任務とは異なり、外には行かず冒険者ギルド内で達成することができるクエストの俗称である。今日のマステマの内職もデイリークエストの下級ポーションの作成だった。
冒険者にポーションは必須である。
上級ポーションともなれば瀕死の重傷でも命を繋ぎ、中級ポーションであれば骨折や大きな負傷でもあっという間に治してしまう。特に手軽に購入できる下級ポーションは多少の切傷の止血ができる程度だが、傷を消毒する効果がある。ゴブリンの不衛生な武器による傷やちょっとした森の中で引っかけた傷、盗賊のサビた武器による負傷でも細菌が浸入・繁殖する危険をぐっと減らしてくれるのだ。
分岐の付いた丸底フラスコに井戸水と自作の沸騰石を入れて、火の魔石のコンロにセットする。分岐の先はリービッヒ冷却器と同じ原理の水の魔石の冷却器。その先はきれいに洗浄したガラス製ビーカーだ。残念なことにゴムはエルフでさえも知らないようなのでゴム栓もゴムチューブは存在しない。丸底フラスコの大口はクソほど丈夫なカエルの魔物の表皮を炙ったもので閉じ、火の魔石と水の魔石に魔力を与えた。
魔石から立ち昇る炎の色はオレンジ。
冷却器の魔石の水はガラス管の上の口から排出され、皿に落ちて、役目を終えて速やかに実在空間から存在が消え去る。
やがてポコポコと丸底フラスコの水が沸騰を始めた。
蒸留水ができるまでマステマはぼんやりと冒険者たちを眺めた。
ここ辺境都市ガーラントは代々ガーラント伯爵が治める大きな地方都市だ。人口的にも面積的にも。だから広大な土地にどこからともなく湧いて出て来る魔物の駆除を主な生業とする冒険者たちもまた、たくさん生息している。彼らは朝になるとギルドのロビーに集い、気に入ったクエストを受付で受注しておのおのの冒険に赴く習性がある。
マステマはガーラントに来て半年の新米冒険者だが、実力のある冒険者やパーティくらいは知っていた。
ロビーの中央にどんと構えておるのはいかにも冒険者風な屈強な野郎どもが集った辺境都市最大の汗臭いパーティ『豊穣の確約』。
その隣できっちり整列しているのは元騎士などが所属する軍隊式行動とお揃いの鉄鎧が特徴の暑苦しいパーティ『夜明けの戦斧』。
クエストボードの前で揃いの隊服で人目を引いているのはドキ!麗人だらけの女騎士パーティ『戦女神の鉄槌』。どの娘もとてもメリハリのある体つきをしており、見た目だけは尻好きのマステマのお気に入りだ。
それから今入口で合流して挨拶を交わしているのは新人農村出身者を寄せ集めた、しかれども意外な実力で下位クエストをどんどん消化している新進気鋭の3人パーティ『草なぎの狩人』である。あそこは戦闘能力もさることながら、男1人に女3人のハーレムパーティなのでいつ修羅場になるかについても注目の的だった。
彼らは今日、どんな冒険に赴くのだろうか。
冒険とは無縁な内職の人マステマは長~い欠伸をしながら蒸留水に浄化魔法をかけた。これは煮沸で死なない枯草菌や空気中のカビを除去するためである。ちなみに蒸留は主に井戸水の細かい砂やゴミなどを除去するのが主な目的だ。これを丁寧にやるとポーションの品質がちょぴっとだけ向上する。メチャクチャ頑張って超純水にすれば最高品質になりそうなものだが、そうするとなぜか魔力のノリが悪くなって効力が落ちるので、ギルドの酒場で半分寝ながらやるくらいがちょうどよかった。
蒸留水の入ったビーカーを台にセットし、洗っておいた薬草を入れて魔石コンロの火で熱する。材料は水と薬草、そして回復魔法。それだけで便利な下級ポーションができるのだから、異世界は地球よりもずっと優しい。そしてまだちゃんと覚醒していないマステマにも簡単で優しい。
沸騰する前に火を極小にして温度を一定に保ち、薬草成分に回復魔法因子を埋め込む魔法をかける。詠唱は味気なくシンプルに《下級ポーション作成開始》。
詠唱というよりは発動キーの発音と言った方が正しい。魔法を発動するための最低限の発声だ。この詠唱を破棄できるようになってしまうと、くしゃみや睡眠時に爆死することが知られている。頭の中でちょっと考えただけで魔法が発動するということは、すぐに倒れそうなジェンガを手の平の上で常にバランスを取っているような状態だからだ。バカがひとりで死ぬ分には世界が平和に近づくが、飲酒運転以上に周囲に甚大な被害を及ぼしてしまう。
無詠唱死すべし、慈悲はない。まあ、勝手に死ぬんだが。
ぽわぽわしながら3分間の精緻な魔法出力を終えれば、ビーカーには魔力をたっぷり吸った薄緑色の液体300ミリリットルができた。この世界では割と使える者が多い鑑定スキルで『下級ポーション』になっていることを確認する。これで3本分。ギルド支給のポーションの小瓶に浄化魔法をかけて、それぞれに規定量を入れれば完成である。
下級ポーションはギルドの売店で現在1本5000ボルン。
異世界のお金を物価の相対値が全然違う日本円に直しても本来なんの意味もないが、参考までにガーラントの街では100ボルンででかくて固いパンが1つ買え、500ボルンで大衆食堂の食事1回が可能だ。なり立ての冒険者がまともな食堂での10食分もの資金を投じるのはなかなか厳しいが、被弾が多く教会の治療院や上位のポーション費用を払えない初心者こそ持っておくべきものだ。初討伐には強制的に持たせることでその有用性は知られるようになったものの、残念なことに使用期限も1週間前後と短く、稼げない低ランク冒険者の常備率はかなり低い水準に留まっている。
出来上がったポーションの小瓶を脇に避け、テーブルの下の瓶から新しい井戸水を丸底フラスコへ移す。今日は美人受付嬢のユーリアに使用期限が切れたギルドの備蓄補充も頼まれているので、30本を作らなければならない。
朝の食堂は簡単な朝食を提供していることもあり、ちらほらと飯を食っている冒険者も見かける。その合間を掃除のおばちゃんがモップを掛けていく。
魔物と戦う冒険者にはなったが、こうしてポーション職人としてのんびり堅実に生きていくのも悪くない。マステマは蒸留装置の火と水の魔石を起動した。
受付の終わった辺境トップ3パーティ『豊穣の確約』『夜明けの戦斧』『戦女神の鉄槌』が食堂のテーブルに集まって打合せをし始める。彼らは高ランクの依頼で少し遠方に出かけることもままある。その話し合いだろう。
新人注目株の『草なぎの狩人』の姿はない。彼らはまだランクが低いので、たぶんガーラントの近場の森にさっさと出かけたのだ。この辺りでは世界中で忌み嫌われるゴブリンや肉がおいしいムキムキマッチョのデブイノシシがよく突進してくる。ゴブリンの魔石回収や魔物肉の納品は低・中ランク定番のデイリークエストだ。
今日の昼はデブ肉を食べようかな?なんて考えていると、朝食を食べ終えたガラの悪い男がマステマのテーブルに近づいて来た。いや、冒険者でガラの良い男自体が多くないので表現が難しいのだが、なんというか、なんか小汚いいかにも新人に絡んできそうなやつがニヤニヤしながら近づいてきた。
「おうそこのガキ!そのポーションよこせや!!」
「…………んぅ?……今ごろ異世界テンプレか?」
「あ?」
初対面の息の臭い荒くれにガキと言われたが、それは別に腹を立てるようなことではない。
口が臭いのはさて置き、マステマは今年の冬で16歳を迎えたぴちぴちの成人なのだが、あまりにぴちぴちしすぎて背丈は10歳くらい、尻はだいぶ大きくなったが胸も小さく全体的に細い。ちびっちゃい。おまけに幼女と見まがう童顔だ。どこからどう見ても子どもである。初見さんの子ども扱いは仕方がなかった。
マステマは自分をできた人間だとは思っていないが、客観的事実と他人からの扱いを受け入れるくらいの矮小な器くらいは持っているつもりだ。子ども扱いされることくらいでいちいち腹を立てたりはしない。前世日本で読んだ異世界モノのサイコパス主人公でもあるまいし。あれは狂気だ。
しかし、男の後半の台詞は世間一般常識的にかなりよろしくなかった。
マステマは若干面倒に思いつつ、とりあえず最低限の行動是正を進言してやった。
「これはギルドに下ろすものだ。売店で買え」
「あ?お前、冒険者ランクなんぼよ?」
「……E5」
「オレサマはD2ランクだぜ!」
「……」
冒険者ランクはA~Fの英字と1~5の数字の組み合わせで表される。英字は所謂冒険者の階級でありAランクが最高だ。後ろにつく数字はクエストごとにギルド貢献値が設定されており、貢献値が蓄積されると数字が1から順に増えていく。
つまり実績と実力がなければランクは上がらないし、実力とランクも直結しないシステムだ。半年前に冒険者登録をしたばかりのマステマにランクでマウントを取れたからと言って何の意味もないのである。
男はテーブルの上にあったポーション瓶3つを手に取った。
この時点で窃盗は成立したが、くたびれたおっさんにもなってD2という低ランクのかわいそうなやつなので、とてつもなく眠いけれど丁寧に教えて差し上げる。
「ポーションは、ふぁ~あ、許可を得た機関のみで販売できる。個人売買はできない。分かったら返せ」
「はん!黒い肌の亜人が作ったポーションに金なんか払わなくていいよな!だからこれは販売じゃねぇんだよ!」
「……ダメだこいつ会話できねぇ」
マステマは男の背後をちらりと見た。
(やばいなぁ……)
このアホが声を荒げたせいでカウンターの受付嬢、怒ったら一番怖いでも有名なユーリア嬢がこちらに気付いてしまった。微笑みの中に確かな怒気が含まれている。ついでに食堂で作戦会議中だった辺境実力トップ3パーティ『豊穣の確約』『夜明けの戦斧』『戦乙女の鉄槌』も気づいた。
「あー……おっさん。悪いことは言わん。死にたくなければ大人しくポーションを返して、可及的速やかにこの場から消えろ」
「はっはっは、Eランクのガキがすごんだところでなんも怖くねぇよ!このポーションはありがたくもらってくぜ!あばよ!!は~はっは!」
「……はぁ」
マステマがあからさまにため息を吐くと、話の通じないバカはそれがおもしろかったのかいっそう顔のニヤケを深くして余裕綽々で背を向けた。そして――
「ひッ!」
短い悲鳴を上げて凍り付く。
「窃盗犯って斬っていいよな?」
「マステマ嬢への誹謗中傷も合わせれば問題ないかと」
「殺してから考える!」
上から順に、『豊穣の確約』の筋肉ゴリラ、『夜明けの戦斧』の爽やかイケメン戦士、『戦女神の鉄槌』のデカ尻脳筋ポニテ美人女騎士の台詞だ。彼らはそれぞれよく磨かれた大剣を音もなく抜いており、その切っ先を油断なくポーションカツアゲ男に向けていた。
「な、なんで……?」
今の「なんで?」にはおそらく2つの意味が含まれる。
冒険者ギルドの中には冒険者同士のこうした低ランク冒険者からの搾取に不介入を徹底しているところもあり、この男はそういう他所のギルドから来たばかりなのだろう。幸いなことにガーラントの冒険者はギルド内の犯罪を見逃すほど常識外れでも薄情でもない。だから「なんで?」に含まれる1つの意味は他の冒険者に介入されたことに対する単純な疑問。そしてもう一つは、たかがガキからポーションをカツアゲしただけで、なんでこんなにも高ランク冒険者たちが殺気立っているのか、だ。
その答えは簡単だ。
「こいつ本気で言ってんのか?」
「ポーションは冒険者の命を繋ぐもの!」
「それを大量に作ってくれるマステマ嬢を軽んじることも、ポーションを横から奪うことも、ここにいる冒険者全員に宣戦布告しているのと同じことです」
「ひ、ひぃいっ!!!!!」
筋肉ゴリラ、脳筋女騎士、イケメン戦士が用意してきたような口上を述べると、彼らの背後に半包囲陣を展開したトップ3パーティのメンバーがガシャガシャと各々の武器に手を掛けた。
マステマは「え?キミたちどっかで練習してきたの?」と、明後日の感想を思い浮かべ、吹き出してしまいそうになるのを頬杖をついて誤魔化す。劇団『辺境トップ3』と女騎士のデカいケツを見たら少し目が覚めて来た。
食堂の奥から放たれた一流冒険者たちのとてつもない殺気に、賑わいを見せていたギルドのロビーは静まり返った。ギルドが誇る最強クラスの冒険者に囲まれたおっさんは顔を青くして膝をがくがくさせている。話の通じないポーション泥棒とはいえちょっとやりすぎだろう。
朝からおっさんの小便も殺生沙汰も勘弁してほしいマステマは、ふと前世でやったヤクザゲームのお気に入りの極道の台詞を思い出し、ニカっと歯を見せて笑ってその台詞を真似た。
「こんなところで殺すなよ。かわいそうだろ?掃除のおばちゃんがさ」
横で呆れたような顔で掃除の手を止めていたおばちゃんが、確かに死体の片づけは面倒だね、と軽い調子で同意すると男の心は完全に折れた。膝から崩れ落ちたおっさんの手からポーション瓶が床に落ちる前にイケメン戦士と脳筋女騎士が空中でキャッチ。筋肉ゴリラは男の首根っこを捕まえてギルドの隣の衛兵詰め所に片手で掲げて連行していった。受付嬢がひとり着いて行ったので罪状も冒険者ランク降格も確定だろう。
取り返してもらったポーションを受け取り、礼を言う。
3パーティの面々には、マステマが速やかに場を収め衛兵に突き出すことで幕引きを選んだことに対して「しょうがないなぁ」「甘いなぁ」という雰囲気があったが、誰も口には出さなかった。
たしかにポーション3本の窃盗……強盗?に関しては大した罰則にならないだろうが、だからと言って武器持ちの手練れ数十人に囲まれて殺気をぶつけられ、冒険者ランクを駆け出しと同じEまで下げられたらもう十分だろう。これで腕力での分からせまで加えたら社会復帰すらあやしくなってしまう。
やがてロビーはじわりと喧騒を取り戻していく。
マステマは小汚い男から回収したポーション小瓶に丁寧に浄化魔法をかけ、遅れてやってきたユーリア嬢に渡す。これで冒険者ギルドを通したことになる。ユーリア嬢はポーションをさらっと検品すると、何も言わず3パーティそれぞれのテーブルにそれを置いて受付に戻っていった。ポーション代はギルドの交際費で落とすだろう。
ノルマが3本増えたが、マステマは過保護で少々大人げない冒険者たちとギルドに苦笑しつつ、今日もポーションを作るのだった。