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第3話 羽で脱げたね

2024/8/20 がんばって投稿しました。できれば評価ください。

「うんっしょ、とっと」


 もう少し低い椅子はないのかな。


「ほい」


 やっと座れたね。


「今は何時だろう」


 背もたれに腰を落ち着かせ、つま先しか届かない足をぶらぶらとさせているボクは、こよみが分かる置き時計に目を向ける。


「2074年、6月4日、20時1分」


 もう遅いね。

 早く書き始めないと眠る時間が無くなっちゃう。


「がんばるぞ」


 ボクは、A4用紙が束ねてある箱の中に手を伸ばす。


「あれ?」


 届かないね。

 もう少し体を前に出せば届くかな?


「うんしょ」


 もうちょっと。


「うん、あっ」


 届いた。

 よかった。


「えへへ」


 ボクはペン立てからボールペンを抜き取り、備忘録の書き出しを始めていく。


「書くよ」


 いつもの宣言。

 日付と時刻を記入し、一日の出来事を思い出していく。

 どこから行こうかな?

 まずは早朝の出来事からだね。


「午前二時に起床したボクは、のどが渇いたので、トイレの洗い場で水を飲みに向かう。その後は部屋に戻り、ベッドに入り込む」


 すぐに眠りに就き、夢を視る。

 昨日のように遠本弾矢という少年の中に溶け込んでいく。


「おはよう。剣姉さん。母さんと朱火は寝ているのか?」


「ああ、おはよう。そうだな。刀子さんはさっき出て行ったばかりだ。一週間は帰ってこないと云っていたな。朱火は知らんな。昨日も夜遅くまで起きていたようだから、昼まで寝ているかもしれん。何か用事でもあったのか?」


「いや、何でもないよ。ちょっと気になっていたことがあっただけなんだ。そっか、母さんはもう出て行ったのか。少し相談したいことがあったのに残念だな」


「ふむ。だったら私が代わりに聞いてやろうか?」


「いや、いいよ。姉さんは忙しいだろう?」


「そんなことはないぞ。可愛い弟の頼みだ。私にとっても重要な時間だからな。それともなんだ? 私には言えない事なのか?」


「いや、そういう訳じゃないけど」


「ふむ」


 リビング吹き抜けの台所に立ち、青い瞳を細め、オレより一つ年上の姉である【遠本剣(とうもとつるぎ)】が、肩に掛かるコバルトブルーの長い結い髪を右手で払い退け、いぶかしいとする顔を向けてくる。


「別に大した意味はないよ。明日は先生方の都合で学園が午前に終わるのは知っているよね? 皆と一緒に理道武具店に預けた武器の仕上がりについての相談をしたかっただけなんだ」


 魔力量の少ないオレに合っている装備を母さんに聞きたかったんだが、居ないなら居ないで別にいいと思っている。でもこの本心を姉さんに相談すると、私も付いて来ると言うに決まっている。それが少し嫌だと云えば嘘ではない。

 巻き込まれる仲間を思うと、憧れている六人の嬉しい顔が想像でき、そのことに気を良くする姉さんのことだ。調子に乗り、皆に向かって色々と世話をするだろう。


「そうだな……」


 最年少でワーレフになった有名人。

 優秀な姉と比較されるオレとしては、かなりやりづらいところがある。

 姉が強いならばオレも強い。世間ではそう認識するのが当然のこと。

 だからだろうな。できれば一緒に来て欲しくはない。


「ならば私も付いて行こう。なに、心配はするな。私の方も授業は半日しかない。弟が世話になっている相手だからな。たまには普段の様子を知っておくのも悪くはない」


「え」


「なんだ? 嫌なのか?」


「いや、助かるよ」


 仕方がないな。

 いつも家事で世話になっているし、姉さんの嬉しそうな顔を見ると、断ることなんてできるはずがない。


「ふっ、冗談だ。明日は探索の仕事がある。準備についての話し合いがあるので、夕方までに帰って来ることはない。すまんが、夕食の準備は弾矢に頼もうと思っている」


「あ、それくらいはお安いご用だ」


 よかった。

 危ない所だったな。


「ねえねえ、お兄」


 後ろから妹が声が聞こえてくる。


「お兄、お兄。来て」


 振り向くと【朱火(あけび)】が、赤い瞳を向けて、あせった風にオレの腕をつかんでいる。


「どうしたんだ?」


「ぱ、ぱ、ぱ」


「ぱ?」


「ぱ、パソ、が、壊れたからちょっと来て!」


 右腕が熱い。

 赤い魔力が漏れている。


「分かったから、そんなに強く引っ張らないでくれよ」


 耳まである紅色の前髪に隠れた赤い瞳を困惑とさせ、下着姿でだらしなく、オレの腕を両手で引っ張ってくる。

 余ほど慌てているのだろうな。


「来て、ください!」


「姉さん。ちょっと行ってくる」


「分かった。だがすぐにご飯だ。二人とも余り時間を掛けるなよ?」


 うん。分かったよ。


「ん?」


 なんだ。夢だったのか。

 目が覚めてすぐに腕時計を見ると、針が午前三時を指している。

 ボクはおしっこがしたくなり、ベッドから起き上がることにした。

 そこからはあまり覚えていない。

 サメさんの着ぐるみをトイレで脱いだのは覚えている。でもボクは昨日に引き続き失敗をしたらしく、サメさんを濡らしてしまうことになる。

 その後は半裸で部屋に戻って布団に入る。

 不思議と夢の続きを見ることになる。


「ここまでだな。強くなったな。弾矢」


「あ、ありがとうございました」


 まだまだだな、オレは。

 やはり魔力不足が課題になるな。そのせいでフォースロッドを扱えていない。それが弱い理由になるのだろうな。

 足りないなら足りないなりに工夫をすればいい。

 戦いの中でその言葉を教えてもらい、本当に良かったと思う。

 姉さんには感謝したいな。

 今朝来なければいいと思った自分が恥ずかしい。

 それにしても、フォースロッドから繰り出したマナソードを臨時の模擬打刀で受け止めるとか、化け物過ぎるだろう。

 やっぱり敵わないな。


「ふぅ」


 頭を下げて挨拶を済ませたオレは、フォースロッドを両手で握り、場外ラインの外を意識を向ける。観戦する【理道小咲美(りどうこさみ)】の隣に歩いていく。

 魔力制御用のバンダナの縛りに触れて、色違いのマーブルグリーンの髪を気にしている【田大厳永(だだいげんえい)】とすれ違う。


「次は厳永か? それが新しいアームハンマーだな。以前よりも大きいサイズにしたようだが、無理をせずに使えるのか?」


「うす。胸をお借りします」


 そんな会話を耳にしたオレは、体育座りをしている小咲美の隣に行く前に、武器の手入れを済ませるため、フォースロッドを収めるケースに手を付ける。


「おつかれ。弾矢くん」


「ああ」


 長く黒いケースから布とスプレーを取り出し、汚れを取るために、白いフォースロッドの表面に、専用の油を塗布していく。


「こらこら。手入れよりも先にすることがあるでしょう? ケガの具合を見せてよ。弾矢くんの治癒はあたしの担当なんだからね」


「別にこれくらいは平気だぞ?」


「ダメだよ。お姉さんの前だからって、いつもよりも無理をしていたでしょう? 皆のためなんだから、体は大事にしようね?」


 だからってくっつくな。

 そんなに近づかなくてもいいだろう?

 最近のオレは、幼馴染の小咲美が気になり、異性を感じてしまう。だからなのか、目が合うと恥ずかしくなり、条件反射的に背けてしまう。


「あっ、こんなところに擦り傷があるよ? 仕方ないなあ。ほらほら、他の場所も見せてよ」


「あっ、おい」


 だから近づくな。

 汗が匂うから離れてくれよ。

 困ったなあ。体服越しに擦れる小咲美の胸が気になってくる。

 オレだって男だ。

 人並みに生理現象だってある。


「あっ、こんな所にも。ねえねえ、弾矢くん? 服を脱ごうよ。ねえ、ねえ」


「いや、このままでもいいだろう」


「ダメだよ。脱ぐ、脱ぐ」


「止めろ、やめろってぇ。引っ張るな!」


 なんでこんなに今日はしつこいんだ?

 いい加減にしてくれよ。


「ちょっと! いちゃつかないでよ! そんなことよりも厳永の応援をしなさいよ!」


 隣から、【能富手麻里(のうふてまり)】が声を掛けてきた。


「視なさい! 二人ともあれくらい熱くならないといけないわよ!」


「おらぁあああ! おらぁあああ! 厳永、なにやってんぜぇな! そこは避けるところぜぇろ!」


 確かに熱いな。

 厳永が右手の甲を盾に、剣姉さんの模擬打刀を上手く防いでいる。その様子に、【春夏冬(しゅんかとう)環太郎(かんたろう)】の怒声が響いていく。


 でもなぜなんだろう。厳永が右腕をおとりに左の(けん)突きを狙っているように視える。

 分かりやすいな。

 剣姉さんが気付かないはずがない。

 何がしたいんだ? 厳永。


「おい、厳永! キミのハートはなに色なんだい? そこは漢を見せるところじゃないか! 先輩方の期待を裏切るんじゃない!」


「おう!」


 そう鼓舞し、どこか甘い声の【槍樹流兎(そうじゅると)】が、熱中した応援の余り、場外ラインから身を乗り出している。

 いつも世話になっているダンジョン協会の職員方も見学に来ている。どうやら厳永の闘志に釘付けの様子。


「そこですよ! 厳永!」


 流兎が合図を送った次の瞬間、厳永が左腕で補うかのように右腕を構え、剣姉さんの打刀を両腕で防ぎ始める。

 なぜだろう。この違和感。

 得意の左正拳突きを出した方がいいに決まっているのに、どうして出さなかったんだろう。右腕に注意を集めていたのはいったいなんのためだ?

 オレには理解ができない。


「厳永! なにをやっとるぜぇな! そこは一発お見舞いするところぜぇろ!」


 同意見だ。

 攻撃をした方が、相手の手数を少なくすることができる。


「こら! 何回も言わせないの! 弾矢も声掛けしなさいよ! 友達なんでしょう?」


「ああ。そうだな」


 手麻里が声を掛けてきた。


「視なさいよ! 環太郎のあの熱意。暑苦しくて堪んないわね! ぐっと来るわ! それに流兎くんのあの表情。厳永を心配する優しい感じがね。なにかこう、ほっとするわね!」


 そういえばこいつ腐っていたな。


「いいわよ! いいわ! そう! そうよ! もっと云え! 言えってぇのよう! くふ、くふふふ」


 整ったショートボブの黒髪がつややかで、快活とした性格が、人助けを好む優しい女性像を印象付ける。その気質にほだされて、一部の男子から絶大な人気がある。だというのに、隠れて腐っている感性さえなければ、オレも三人も少しは対応が変わっていたはずだ。

 いや待てよ。

 環太郎だけが気付いていないのかもしれない。


「おぉおおお! すげぇえええぜぇら!」


「弾矢くん、弾矢くん! 見てよ、見て! 厳永くんが反撃を開始したよ?」


「ん?」


 本当だ。

 なにが起こったんだ?

 姉さんが防戦一方じゃないか。

 驚いたな。

 厳永のアームハンマーが左右小気味よく打刀を弾いている。

 なぜだか分からないが、攻勢を失った姉さんが後足を引いている。連続攻撃から逃げているようにも見えるな。

 厳永の冴え渡るアームハンマーからのストレートが、打刀に接触していく。


「そこぜぇらぁあああ!」


「ねえねえ、弾矢くん。剣お姉さんが心配? なんだか不安そうだよ?」


「いや、この程度でどうにかなるとは思っていないよ」


 ほら来た。


「うぉおおお! すげぇぜぇら!」


「素晴らしいですね! 実に見事です!」


 剣姉さんの燕返し。

 厳永の両腕が頭上へと弾かれる。

 状態を反らし、そのままの後方へと跳び移動。

 そこに追い打ちを掛ける姉さんの猛攻が始まる。


「これで決まりだな。こうなってくると姉さんは強い。もう手が付けられないだろうな」


 思った通りだ。両手の甲で打刀を受け止め、徐々に後退する様相になる。


「というか小咲美。いつまでオレにくっついているんだ? もう少し離れてくれないか?」


「まだまだチェック中だよ」


 そう云われると、嬉しい気がするが、少し恥ずかしい気もする。

 オレの体に触れて、魔力の循環を認識してくれているのは分かるが、少し時間が掛かり過ぎている気もする。

 真剣なのはいいのだが、もう少し要領を良くしてもらってもいいと思う。


「仲がいいのですね? 正直にうらやましいです」


「あっ、砂ちゃん。お帰り」


「ただいま。小咲美ちゃん」


 背後からのつぶやきに、オレは驚き、一瞬頭の中が真っ白になる。

 いつの間に居たんだ?

 全然気づかなかったぞ。


「弾さんも、ただいま」


「あ、ああ」


「あ! ちょっと砂子! 今までどこに行っていたのよ! 私、さっきあんたのことを探しに行っていたのよ!」


「そこはちょっと。ね? ふふ」


 声がする後ろに振り向こうとしたオレの視界に、【筒美砂子(つつみすなこ)】の横顔が映る。鼻先と近く、オレは反射的に肩を揺らし、身を反らす。

 オレの耳元に吐息が掛かる。


「弾さんのおかげですよ。ようやく話が付きました」


 筒美の関係者は、オレ達のスポンサーになる。

 どうやら資金的な話し合いが上手くいったらしい。


「弾矢くん。見付けたよ? ひどい打ち身だよ? ねえねえ、今すぐに服を脱ごうよ」


「え?」


「あっ、ずるいです。小咲美ちゃんだけずるい。砂子も弾さんのお役に立ちたいですね」


「ダメだめ。これはあたしの仕事なんだから」


「むう、砂も手伝う」


「……」


 なぜかほほを膨らませ、オレの肩に手をそえる筒美砂子が、「ねえ?」と、何かの意志表示を伝えてくる。

 ブラウンの長い髪に、垂れ目の大人びた表情が色気あり。同じクラスの男子たちからも人気がある。

 発育の良い筒美さんの柔らかい胸の触感が、振り向いているオレの背中にくっついている。

 これはどういう状況だ?

 オレはどうすればいい。


「砂だけ仲間外れなんてひどいです。私も手伝います」


「ちょっと砂子! 私の話を聞いているの? 今までどこに行っていたのよ!」


「えい」


「あっ! なにすんのよ!」


「おい」


 筒美砂子が、手麻里に何かをしたらしく、その反動でオレの右肩に胸の柔らかい感触が伝わってくる。


「手麻里ちゃんの意地悪。そういう話は後にしてよね」


「ダメよ! こういう時こそ協調性が大事なんだからね!」


 筒美さんの抱き付きが強くなる。手麻里もオレの右腕を抱き込み、引っ張るように力を入れてくる。

 頼むから二人とも離れてくれないか?


「弾矢くん、弾矢くん。あたしの話を聞いてくれているのかな?」


「あ、ああ」


「小咲美ちゃん。弾さんを独り占めしないでくださいね」


「えっ、違うよ。そんなんじゃないよ」


「ちょっと、私の事も考えなさいよ!」


 オレの右腕に胸を寄せる手麻里。

 背中に抱き着く砂子さん。

 左腕を抱える小咲美。

 諦めて前を見るオレの周りで、女子たちによる小さな戦争が起きる。


「お前ら楽しそうぜぇな?」


 なぜか前に立ち、ほほを緩ませる環太郎と目が合う。


「そうですよ。弾矢さんだけずるいですね」


 その隣に立つ流兎も笑っている。


「ん? なんだ。楽しそうではないか」


 模擬戦が終わって、オレの前に向かってきた姉さんも加わる。


「負けた。負けたわい! 完敗じゃわい!」


 厳永もやって来る。


「服を脱げ。せっかくだから私が治してやろう」


 いやらしく微笑む剣姉さんの変容を知り、全員の気配がオレに向けられる。


「いや、いい。自分でやる」


「なに、心配はいらん。これでも治癒は得意な方だ」


「ダメですよ。弾矢くんはあたしの担当なんだから!」


「私も手伝います」


「砂子! 話を聞け!」


「ふふ。弾矢さんは人気者ですね」


「違いないぜぇよ」


「うむ」


 和気あいあいとした雰囲気がする。

 夢だというのにボクは、懐かしさの余り涙を流す。

 ほほに伝う暖かさを感じ、胸内に悲しみの念を募らせる。

 まぶたを開けて切なくなり、「うっ」と、嗚咽を漏らす。

 あの頃に戻りたい。

 前世以前の幼い日に戻りたい。

 もう思い残すことなんて無いと思っていた記憶が蘇り、後悔を感じ、胸が苦しくなる。

 どうしてこんなにも忘れられないのだろう。

 絶対に悔いがないって誓ったはずなのに。

 義妹を優先したボクが正しかったはずだ。

 もしも選択肢の分岐点に戻れたとしたら、別の人生を歩むことを選ぶかもしれない。

 それくらいきつい感覚が伝わってくる。


「くっ」


 どうせ戻ってもボクなんてすぐに死んじゃうよ。

 その選択肢を選んでいたとしても、未来は変わらなかったはずだ。

 あのときのボクは最善の結果を選んだはずだよ。

 そう信じ、憂うつな気持ちを抑えたままのボクは、悲しみの理由をワニさんのぬいぐるみのせいにして、強く抱き締めていく。

 フェルトの中にあるモコモコとした綿の触感を肌で受け止め、再び闇の中へと落ちていく。

 いいもん。

 絶対に今回は諦めないんだから。

 今度こそ幸せになるんだもん。

 そんな風に意識を夢に捧げ、深層へといざなわれる。

 辺りは炎に包まれている。

 全身黒い服を着る男性たちが、ボクの視界に映ってくる。

 どこか近代的なフォルムの姿が見える。ネクタイに上着と、サラリーマン風の装いだ。

 そうした複数人の戦士たちが声を響かせている。マナを放つ杖型の長銃を持ち、避難する人々を誘導する自衛隊員を支えている。

 遠くで誰かが叫ぶ。

 助けてください、と。

 救援だろう。その声の先に自衛隊が放つ銃声が響いていく。

 城の跡地から魔物たちが、国道沿いに押し寄せている。それに対抗する戦士たちが、周辺から集まって来る。

 魔術の光。

 爆炎とした赤い輝きが周囲を照らしていく。

 雷のような光が走る。

 敵を切り裂くマナフォトンブレードの斬撃が周囲に漏れて、電子の流れを生んでいく。

 時折砲弾車から飛び出すミサイルの着弾音が響いていく。

 車のクラクションが轟き、都心は大混乱の様相となる。

 その中で一人、ナイフを片手に飛び移動を繰り返す男性の姿が見える。

 巨大な魔物を一撃で倒し、驚異的なスピードでビルの側面に足を付け、昇っていく。

 その男性もまた黒いサラリーマンスーツを着熟し、まるでSPとした用心棒のイメージを彷彿とさせる。

 いったい誰だろう。

 ボクは男性に吸い寄せられるように、心が同調していく。

 男は自分と同じ服装をする男性に近づいていく。


「源次郎君。しんがりは私が務めるよ。君は【ステリアルド】を引き連れて、できるだけ多くの人々を救って欲しい」


「遠本さん。いや優悠まさはるリーダー。いくらあなたの命令だったとしても、私だけが逃げる訳にはいきません。あなたには跡取りになるお孫さんがもうじき生まれて来るのです。祖父として、親として、娘さんの元に帰ってあげてください」


 ショートで白髪の黒い瞳をする日本人気質の【遠本優悠(とうもとまさはる)】が、若い男性に笑みを浮かべる。


「ありがとう。君の気持は嬉しいよ。でもな。ここはお互いにできることをしなければならない。そうは思わんかね?」


 世にダンジョンが生まれていち早く業界へと飛び込み、日本ワーレフ協会の先駆けとなる優秀なエージェント。

 ボクは知っているよ。

 この人はすぐに嘘をつく。

 捨て身の作戦を立て、いつもギリギリの戦いをする。

 周りを不幸にする。


「それに君も同じではないのかね? もうじき娘が生まれて来ると云っていたじゃないか。君の娘と私の孫。同じ世代に生きる者同士。君こそが親として生きていかなければならないと私は思うのだが?」


「いや、しかし。……いえ、分かりました。ですがせめて、リーダーのなさることを教えてはいただけないでしょうか? チームを任される私には、それを知る権利があると思います」


 分かるよ。ボクには分かる。

 この男、死ぬ気だよね?

 そういうのは嫌だよ。

 自身の命を糧にして、その全てを目的に賭ける。

 人を救うことにためらいがなく、生じた不幸さえも毛嫌いをする徹底ぶりの善者。

 愛おしいほどに憎らしく、物語に出てくる英雄ヒーローその者だよね。


「今から私だけで月黄泉に入る」


「それはいけません! 死ぬ気ですか!」


 自分を大切にすることができない者には、他人を幸せにする資格なんてない。

 愛する者ために命を張り、その正義を免罪符にする。自己満足の陶酔に浸り、他人にその義気ぎきの上辺だけを見せつける。

 士気を高めるために無理をする。己の無事を暗示し、体をいじめていく。家族や友人に心配を掛けていく。

 帰って来ることができなくなることもしばしある。


「勝算はある。俺を信じて欲しい」


「ですが! いえ、でしたら! 私も連れて行ってください!」


「ダメだ! 君では足手まといになる!」


 今のボクになら分かるよ。この人は自分を責めているんだ。今まで生きた分だけ、死んでいった過去の仲間の人生をかえりみている。自分だけ繋いだ命の責任を果たそうとしている。

 でもね。どうしてこんなにも心がもどかしくなるのかな?

 なんだかとても憎らしいよ。この人に怒りを覚えてくる。

 だったら家で待っている奥さんはどうなるんだよ。

 あなたの家族はどうしたらいいんだよ。

 昔の自分を見ているようで嫌な気分だよ。遠い過去の記憶が蘇ってくる。


「後は頼んだよ。源次郎君」


「リーダー! 優悠リーダー! 行ってはいけません!」


 マナ合金で作られた、炭化ステンレス製のナイフを片手に持ち、優悠は人間離れした体の動きで、魔物の群れの中へと走っていく。

 その戦い方は至ってシンプル。

 魔力を込めた【保存石】を赤く染め上げ、手りゅう弾のように投げるというものだ。

 音のない光りを明滅とさせ、空間ごと消滅させていく。

 魔力の調整に失敗すると、たちまちその場で暴発し、大怪我にも繋がる危険な行為。

 おそらく世界でも優悠にしかできない芸当だ。

 そんな男が一人、江戸城跡地の近くにあるダンジョンの奥地へと向かって行く。


「予想の通りではあるな……」


 ダンジョンの暴走。

 すなわち、ダンジョンもまた生き物である。

 これはとある学者が学術的に学会で発表した推論になる。

 ダンジョンは定期的に魔物の数を増やし、その一定数を超過した場合に限り、稀に外へと放出する事象を起こす。

 しかもその魔物は、ダンジョンから外に出ることで、自律をすることになる。自立とは致命傷を受けても消えることがないという意味で、一つの生命として、世界に根付くとする存在になる。

 その魔物たちが一斉に外に出て自立し、暴れまわる現象をダンジョンの暴走と呼ばれている。

 その起因の理由は定かではないが、ダンジョンの暴走は、新しいダンジョンが生む原因になると云われている。

 こうした暴走において、ダンジョン内の魔物たちは、数を極端に減らす傾向にあるため、最深部の管理者を倒すことが容易になると推測されている。


「これならば俺一人でも奥にたどり着くことができるな」


 (よわい)五十五。

 半世紀を超え、人間の一生の半分は終えている。

 順風満帆のような人生だった。娘も夫を迎え、家族は繁栄していくだろう。

 じきに二人目の孫も生まれて来る。

 しかも待望の男の子だ。


「待っているんだぞ。咲久に、刀子。俺がこの状況なんとかするから、元気な赤ちゃんを頼んだぞ」


 一人孤独に最深部へと身を投じていく。

 どこまでも深く。

 誰よりも強く。

 守りたい者のために手と足を動かしていく。

 戦いに身を投じ、敵を葬っていく。

 そんな英雄のような優悠が、ボクは大嫌いだよ。

 だって残された家族はどうなるんだよ。

 悲しいじゃないか。

 誰かが犠牲になって、得られる幸せなんかに、意味なんて無いんだからね。

 生きることで人を幸せにすることだってできるんだよ。

 大切な人を不幸にするなよ。

 ボクと同じ過ちを犯させたくはない。

 そうはさせないよ。

 絶対に許さないんだからね。

 今回はボクが居るんだからね。


「むん!」


 なぜか分からないけど、ボクはすでに優悠として心が融合している。

 俺は戦いの最中にいる。


「我ガ血ニ宿ル神々ヨ。()ノ意志ヲモッテ、前ニ立ツ敵ヲ打チ滅ボシ賜エ」


「させはしない!」


 投げた【保存石】の暴発ぼうはつで、空間が音無くねじれを生む。青白い光りの渦が幾つもの浮かぶ武器を破壊し、敵の攻撃力を阻害する。

 追加で俺は、【アイテム袋】から保存石を握るように取り出し、三つそれぞれに魔力を込めていく。

 魔石に魔力を与えると、供給過多による暴走が起きる。それを利用した攻撃方法は、俺の切り札になる。

 手に伝うビリビリとした感覚がより強くなるように、込める魔力量を強めていく。

 焼き石のように熱くなり、握る手のひらの皮膚が痛みで苦しくなる。その手前が頃合いだ。

 投げるタイミングは体で覚えている。失敗は許されない。


「願ヒヲ叶ヘバ、(つたな)キ身ヲ生ケ贄ト致シ候」


 宮造りの神殿とした大広間で、俺は遠くに居る巨大な敵と対峙をしている。

 手際よく浮かぶ幾千の槍や矛。あるいは刀。

 それらの主とした風格を携える一本の巨槍を両手で持ち、赤い甲冑姿の侍が、天の中心に葵を冠する巨大な前立まえだてを兜に備えている。

 紫電の如く稲光を放出とさせ、巨槍から光を放つ。

 その一閃となる光が無数の武具に向かって伝搬していく光景に俺は、投てきを繰り出していく。


「はあっ!」


 投げ終えた後で、腰にあるアイテム袋に左手を突っ込み、新たに取り出した保存石を右手に受け渡す。

 一連の動きの間に、魔力を込めていく。

 その合間に投げた保存石が暴発し、空間がねじれ、浮かぶ武具を消滅させていく。その余波で風が吹く。

 ねじれの中心に明滅とする光の余韻が生まれ、圧縮から逃れた魔子に、誘引する電子の流動で、空気中にプラズマ現象を引き起こす。

 徐々に輝きが増し、熱量のある光が標的に影を生む。

 その範囲に浮かぶ武具の群れに、魔子を含むプラズマの光が伝搬していく。まるで空間に赤い炎をまとい、丸い球とした姿になり、突如とつじょと加速的に膨れ上がり、その中にある武具を溶解させていく。

 その無音とした破壊演出は、光の落ち着きと共に沈静化を見せる。

 右手の魔石を持つ手が熱い。投げる準備が整ったようだ。

 俺は魔力の供給を止めて、間を置くことなく同時に、次の対象に意識を向ける。

 距離にして、約一〇〇メートル。

 敵は無数の武器を魔力で操り、俺に刃先を向けている。

 攻撃の隙を作らせないように、次に投げる対象を定めていく。


「サリトテ足ラズトイハバ、コノ命モ捧ゲル」


 敵の声に起因として、巨槍から放電する光が小さな龍を生み出した。中空を漂う刃具のすき間を八つの小龍が駆け巡る。


「させるか!」


 俺は赤い保存の魔石を投てきする。

 繰り返す静かな暴発。

 武器が消えていく様子を視界に収めるが、八つの小龍が姿を変えて、新たな武具を生み出していく。


「天下平定、千年ノ想イ。此処ニ終ワリ、新タナル世ト成ラン」


 言葉の終わりが近い。敵の魔圧がそれを教えてくれる。

 おそらく極大の攻撃が来るはずだ。

 様々なダンジョンを踏破してきた俺だから分かる。

 この手の敵は条件を整え、一度限りの即死攻撃を仕掛けてくる。

 阻止するか。あるいは、攻撃の前に敵を倒すしかない。

 仕方がない。

 手を貸してあげるよ。

 でもね。今回だけだからね。

 ボクは、夢だというのに事象を捻じ曲げ、俺という意識を奪っていく。


大和健命(ヤマトタケルノミコト)。天子総意ヲ持チテ、()天之沼矛(あめのぬぼこ)ト一ツニナリ給ウ」


 やはりな。そう来たか。

 敵は神話にある神を模倣しているに違いない。

 おそらく天地創造が来る。

 万を超える無数の武具が刃先を上に向けている。赤い甲冑姿の【大和健命(ヤマトタケルノミコト)】に集まっていく。手に持つ一本の巨槍に収束されていく。

 阻止することは難しい。

 だったら倒すしかないな。

 今だけ別の世界の俺から力を借りることにする。

 本来の歴史であるならば、ここで、【夢想石】を使うことになるはずだが、それは止めにしよう。

 自分ごと敵を消滅させる暴発を起こし、相打ち覚悟の投てきを繰り出す自爆行為など、御免だからな。

 今の俺は違う。

 より繊細で、より強く、より安全に魔力を込めることができる。

 他の魔石に変質することができる巨大な夢想石を使うまでもない。

 圧縮した銀色の魔力を生み出し、既存の保存石に力を込めることで十分に対応できる。

 俺は人工アイテム袋に左手を突っ込み、保存の魔石を握る。


「万知ヲ持チテ刃ト為リ、億犠牲ヲ持チテ其ノ柱ノ礎ト為ル」


 全ての武具が一本の槍に収まっていく。

 天之沼矛(あめのぬぼこ)の刃先が燃えている。まるで見るだけでもダメージを受ける圧を感じてしまう。電子レンジのように、空気を揺らす響きが周囲に伝動している。

 その圧から意識を反らし、五勘の魔覚を研ぎ澄ました俺は、両手で保存石を握るように包み込む。

 右手で魔力を補充し、左手で圧縮を試みる。保存石の特性を生かし、マナの波長を感じ取り、波がより暴走するように、電子と陽子の揺らぎを調整していく。

 無色とした保存石の風袋ふうたいが、真紅の色に染まっていく。

 筋肉に魔素を集め、体力の強化を図る。

 右手に保存石を持ち、弓引くように腕を曲げ、五つの魔覚を全開にする。そのまま一気に遠くへと投げる姿勢になり、そのまま【越精えっせい】に至る。


 オーバーウィル。真実の贖罪トゥルースケープゴート


 その一瞬に全てを賭ける。

 【相違世界】の少し違う俺に向け、意識を強めていく。

 時間も違う。歴史も違う。星の形も違っている。そんな場所に住む俺と意識を同調させていく。

 戦争で仲間を守る騎士のように。

 魔物と戦い、友人を助ける魔術士のように。

 銃を片手に指揮官に従い、塹壕から出る頃合いを見計らうかのように。

 戦いに身を投じる違う世界の俺に融合し、それぞれが同じことを同時に行っていく。

 魔装の投げ槍。極めの魔術。幻想の手りゅう弾。その姿が越精に至った精神と重なり合う。

 そんな未来の俺は、諜報が得意だ。

 人をだまし、仲間を裏切り、作戦を遂行する。

 目的のためならばなんでもする。

 後で恨まれても仕方がない。

 手段よりも結果が重要だ。

 実があれば信用を生む。

 だからこそ、力の全てを用いて、勝利をつかんでみせよう。

 それが俺の生き様だ。


「ダブルオーバーウィル。偽者の(ライアー)諜報行為(エスピオナージ)黒炎(ブラックフレイム)(バースト)


 遠く未来の自分が用いた小技の一つ。

 数ある世界の俺の技を収束し、その威力だけを取り出した攻撃の手法。

 俺は時間違いの俺の精神を召喚し、今だけ無理やり【奇合越精きごうえっせい】に至った。


「天地創造」


 そう告げた大和健命が、振り上げた天之沼矛(あめのぬぼこ)を地面に突き刺した。

 そこに俺が投げた保存石が転がり落ちる。

 すかさず俺は、魔力壁を展開し、地面に片膝を着ける。


「三界絶無、波!」


 言葉を告げ終えた敵に技によって、視界の全てが黒い光に染まっていく。あらゆる物質を灰色へと変えて、見える物全てをモノクロに染めていく。

 天地創造三界絶無。

 その呼び名の通り、全てを灰にしようとする圧倒的なエネルギーを生み出していく。

 しかし、それも意味は無く。

 遅れて保存石から白い球体が生まれてくる。徐々に大きさを変えて、丸みを帯び、モノクロとした可視化となる魔素を削り、中心から赤い空間を作り出していく。


「オオオオオオオー!」


 おそらく想定外だったのだろう。大和健命が叫び声を上げて、床に突き刺さした巨槍から両手を放し、仁王立ちとなる全身装具を溶かしていく。


 その一瞬で事が終わる。


 灰色だった空間を食らうかのように、赤い波動が広がり、一気に収束していく。

 息つく間もなく光が消え、全てを無音にするマナの輝きが灯り、次第に爆発へと変わっていく。

 まるで高温の核爆発を連想させるプラズマ光が輝きが、前後に爆風の流れを生み、灰色だった世界を閃光に照らしていく。

 大和健命の姿はすでになく、跡形も残さず消滅している。

 その余韻の一幕が、優悠との繋がりをかい離とさせていく。

 背中からボクが離れ、ダンジョン外へと流されていく。

 この後で優悠はダンジョンの最奥にたどり着き、都心に蔓延はびこる魔物の死滅を願うことになるだろう。しかしそれも夢のこと。現実は違うはずだ。

 実際の優悠は敵を一人で倒し、瀕死の重傷を負って、最奥の部屋にたどり着くことになる。

 そうして、誰も知らない場所へと一人旅立つことになる。

 そんな悲しい現実を思い、ボクは引き続き夜の闇の上空に流されていく。

 大地の北の果ての小さな命の芽吹きに吸い寄せられていく。産声を上げている赤ちゃんの胸内に入り込んでいく。


「おぎゃあぁあああ! おぎゃあぁあああ!」


「おめでとうございます。男の子の元気な赤ちゃんですよ」


「刀子。がんばったね」


「ありがとう。ショウ。あなたのおかげで、この子を産むことができたわ」


「弾矢くん。キミのダディだよ? 初めまして」


 そんな記憶の欠片を観たボクは、ただ空しく悲しくて、優悠を助けることができなかった思いを胸に、夢から目覚めることになる。

 まぶたを開けると明るい光が見える。

 涙でほほを濡らし、冷たい湿り気を感じてしまう。

 瞳の奥がジンジンとする。

 ボクはパパとママの輪郭を見えた気がして、不思議と感謝の言葉を声にする。


「おはよう」





 午前六時三〇分。

 眠気があるボクは、布団の中でプリプルンのお肉と触れあっている。

 ぷにぷに、ふにふに。

 ぷるん、ぷるん。

 ふにふに、もにゅん。

 プルプルン。

 ああ、癒されるね。

 どうしてプリプルンのお肉はフルフルなんだろうね。

 ふにふにだし。

 ぷにぷにだし。

 もにゅん、もにゅんだし。


「へっ、くちゅん」


 寒い。くしゃみが出た。

 堪らずベッドから体を起こし、床に足を付ける。


「すっぽんぽん」


 おパンツがない。

 寒い訳だね。

 サメさんの服はどこに行ったのかな?

 そう考え込んだボクは、唯一着ているシャツに目を向けて、さっきのことを思い出す。


「あ、そっか」


 おしっこ、漏らしたんだった。

 ボクはすぐにトイレに向かい、おパンツとサメさんの着ぐるみを回収する。それをコインロッカーに持って行くため、部屋に戻って、新しい服に着替えていく。


 午前八時。

 食堂で朝食をとる。


「今日の糧に感謝して、いただきます」


 クジラ肉の缶詰と乾パンを一緒にオーブンで温め、オートミールとお湯を合わせた物をスープ替わりにした朝食を口にする。

 いっぱいお腹に入れて、たくさん働かないとね。

 それらを食べ終えた後のボクは、午後のための弁当作りをする。

 今日はサンドイッチにしよう。

 パンの缶詰を開けて、豪勢に具材をパンにはさんでいく。


 午前七時。


「じゃ、じゃ、じゃーん」


 装備一式を白でまとめてみました。

 衣装鏡の前に立つボクは、くるりと一回り。


「かっこいいね。むふふ」


 白のヘルメットに白のプロテクター。

 背中のバックパックも白。

 子供用の防刃服も白く、靴も白の安全靴。

 見た目がロボットアニメの主人公にそっくり。

 ビームサーベルに合わせ、フォトンの光で敵を切る杖を用意した。

 これでボクも緑の悪魔をやっつけるニューマンヒーロー。ホワイトバスチェンが明日を支えてくれる。

 ルラー、ルララー。


「後は」


 持ち物のチェックだね。

 とは云っても、必要な物は、食料と水にアイテム袋だけになる。


「この小さいアイテム袋も便利だよね」


 プリプルンのお肉事件の後で見付けた物なんだ。

 アイテム袋の中に、小さなアイテム袋が入っていたんだよね。

 ボクはその袋を胸内に仕舞い込んでいる。

 他にもたくさんの物が収納されているんだよ。

 今朝汚したサメの着ぐるみもそこから取り出した物なんだ。今はベランダでぐったりとしているけどね。

 でもね。

 大量のおパンツとおブラもあるんだよ。

 ドレスと髪飾りに宝石もある。

 女性物ばかりなのが残念だけどね。

 できれば男物のズボンが欲しかったなあ。

 だってボクは前前前世の前前前世からずっと男の子なんだもん。


「はあ」


 魔力石が入っていたら良かったのにね。

 そうしたら、一億個分の数を集めなくて済むんだけどね。

 本当に嫌になるよ。


「そこ!」


「ぴぎ」


 フォースロッドからフォトンを出し、【ロックモクモク】に、とどめを刺す。

 そのまま煙になって、消えていく様子を見守っていく。


「うん。資料の通りだね」


 東西南北入り口毎に違うダンジョンを形成するアザーの特徴を思い出す。

 南口が最弱である。そう記述された記事の内容を思い浮かべ、二階のフロアに出る魔物の種類と弱点を解し、納得する。


「しっかし、のどかだねー」


 緩やかに風が吹き、草が茂る大地が広がっている。

 上空は青く、外と同じ雲が浮かんでいる。

 遠くを見ると、草むらの陰に岩の形をしたロックモクモクが点在している。

 ここで倒してもいいのだけど、効率を考えると、現実的とはいえない気がする。

 魔力石を一億個集めなければならない。

 具体的な量は分からないけど、敵が強い分だけ短縮できると思っている。

 だからこそ、より上層へと向かい、より強い敵を倒し、大きい魔力石を手に入れなければならない。

 そのためには、上の階に行く必要がある。

 でもね。資料の写真と違って、階段が無いんだよね。


「どうして?」


 やっぱり、無くなっちゃったのかな?

 だって、天井に向かう通路が見当たらないんだもん。

 天空の街オベリスクに行くには、白い階段を登る必要がある。

 でもないよね?


「ブォオオオー!」


 やっぱり、こいつのせいだよね。


「ブォオオオーン!」


 おっきいね。

 四〇メートルはありそうだね。

 高さも二〇メートルはあるよね?

 亀のような甲羅を携え、象のように長い鼻を揺らし、鉄のように固そうな鱗を備えている。

 恐竜のような足で、地面を闊歩し、その場にいるロックモクモクを煙に変えていく。

 ゆっくりと歩みを進めている。

 まるで魔物図鑑に書いてある【エレファントタートル】が巨大化した化け物ように見えるよね。


「ブォオオオーン!」


 あれをどうやって倒すのかな?


「ブォオオオーン!」


 ドシン、ドシン。

 おそらく階段がないのはこいつのせい。


「ブォオオオーン!」


 ドシン、ドシン。

 困ったなあ。

 なにか方法は無いかな? でも戦うなんていうのは正気の沙汰とは思えないし。


「ブゥオオオン!」


 考えても無駄かな?

 せめて空を飛べたらいいのにね。

 そうすれば天空の孤島にたどり着くことができるはずなんだけどね。

 ボクは天井に向けて両手を伸ばし、空に思いを馳せるかのようにため息を付く。

 中指を立て、戦闘機を模倣し、滑空する姿を思い描く。

 飛べそうかな?


「だったら」


 実験をしようじゃないか。

 五勘を研ぎ澄まして、魔力を高めていこう。


「風よ。我、ニルトが願う。星界の彼方より吹き荒れる精霊に問う。その身を捧げ、我が糧となれ。ゆえに我の前に顕現せよ」


 魔術の詠唱を告げていく。

 腰を落とし、地面に、ひざと両手を着ける。


「魔術よ。展開せよ」


 すると、突風が吹き上がり、風がボクの全身を浮かび上がらせる。

 まるでジェットエンジンのタービンで風圧を起こしたかのように、草花が揺れ、轟音を響かせる。


「あっ!」


 飛べた。


「いけるかも! わぁあああー!」


 仰向けに手を広げると、体が中空にいざなわれる。


「わあああああああああー!」


 いいね。後は羽を生やすだけだね。

 体を浮かした状態で、魔覚を開放する。

 集中するために、まぶたを閉じ、魔力の制御力を高め、【換覚(かんかく)】を研ぎ澄ます。

 自分の保有する魔力量をイメージで捉え、虹色溜まりを想像する。

 小さな湖が見えるね。

 これがボクの保有量だ。

 空を飛ぶためには、魔力が必要になる。そのためにはどれくらいの力が必要になるのだろうか。結果となる羽を漠然と思い浮かべ、そんなことをイメージで捉えていく。

 イメージとは異能の根源になる。

 それこそが、【越精】と呼ばれる生命力の本質を最大限に生かす現象を引き起こすことに繋がる。

 その名を【オーバーウィル】と言い、生物種の存在値ステータスを超えた先にある力とされている。

 この能力、異世界では通常スキルから派生する固有スキルと呼ばれている。

 通常スキルとは、クラスの特性によって決められている。

 クラスとは、ジョブとも呼ばれ、世界の管理者が定めたルールに準ずる異能を得たことと同じ意味になる。

 ジョブに就くことで、それらアビリティを発揮することができる。

 例えば、ナイトのクラスを得た場合、スキルは誓いし者(プレッジャー)となる。そのアビリティーは、暗気、光気、身体強化、ウィルフォースになる。

 四つのアビリティを全て合わせ、誓いし者になる。

 でもね。今のボクにはそうした概念がないんだよ。

 だってボクのクラスはネイチャーなんだからね。

 ゲームで云うなら無職と同じ意味になるよ。

 無職には固有スキルが存在しないとされているため、生きる力の本質を覚醒させるには、前世で培った知識と経験が必要になってくる。

 理屈はいらない。

 ただ感覚を思い出すだけでいい。できると信じることが重要なんだからね。

 ボクは妖精だった記憶がある。

 その感覚を思い出せばいい。

 六感となる魔覚の一つ、【共覚(きょうかく)】で、自然に内在する魔素を取り込んでいくんだ。

 それを制御するために、【御覚(みかく)】を意識しよう。

 それらを用いて、自由落下などの空間の流れを無視する魔場を作り出し、空を飛ぶための力にするんだ。

 空力学的な考え方ではなく、イメージ力が重要だ。

 ボクは距離感覚を得るために、【離覚(りかく)】を意識する。

 自分の制御下にある魔素の範囲の全てを把握しよう。

 風の流れを読み取り、小さな粒子の動きを認識する。

 それらは人の目に映るものではない。

 だからこそ、【彩覚(さいかく)】で粒子の色を感知しよう。

 五つの魔覚を無為に感じ、【越精(えっせい)】に至るイメージ力を高めていく。

 ボクならできる。

 剣の達人が無手で敵を斬り殺すように、その領域へと至ることができるはずだ。

 すでに羽は背中に形作られている。

 そう決め付けることで、精神を形にすることができる。

 精神は神経の相対的なエネルギーであり、魔力によっても影響を得るもう一つの実体になる。その実体を形にし、脳内に羽があるイメージを強く思えばいい。

 この感じは成功したと言える。

 そうだと決めつけボクは、心の声を魔素に乗せていく。

 あの頃は強かった。

 誰もがボクを認めてくれた。

 ボクは妖精の国の王だ。

 今でも王であり続けている。

 もう記憶にはないのだけど、本能がボクを妖精にする。

 異界のアーコロジー。世界樹の頂上にある妖精の国。

 そこに住まいし幻想の種族に、ボクは成り切るのだから。

 ボクは人族だ。

 それでも心は妖精族で在りたいと思っている。

 夢想世界を統べる【オベニロン】の末裔。

 その記憶があるボクにとって空を飛ぶことに一切の苦労はない。


「ゆけ! オーバーウィル! 羽ばたけ! 妖精の羽(ニルトウィング)!」


 目を開けるとそこは、速度感で満たされた世界が広がっていた。


「わーい。飛べたね!」



**



 時刻は正午になる。


「はらへった」


 そろそろ食事がしたいね。

 お腹が空いたボクは、岬のような崖から周囲に意識を配る。

 空から降りて来たばかりだから、遠くにある街の屋根が気になるね。


「座れるところはないのかな?」


 ボクは公園の中を歩いている。

 周りには、無人としたような建物が密集している。

 赤い屋根が、中世ヨーロッパ風の建物で、地中海のようなオシャレな気風が感じられてくる。

 幸い魔物の気配はなく、当然人の気配も感じない。電柱があるところを見ると、営みが在ったように感じられてくる。


「えっと。あっ! あった。あったよ」


 見付けたベンチに座り、弁当箱を取り出したボクは、ふたを開けて、サンドイッチを取り出していく。

 ひざの上に資料を置き、この街についての記事に目を通していく。


「ここは……」


 十階層の安全地帯。

 天空の街オベリスク。

 第一のエリア管理者が居るミノタウロスの大部屋がある場所。

 エリア管理者とは、十階ごとに存在する最も強い魔物を意味している。

 なぜか分かっていないが、エリア管理者が居る階層は、決まって魔物が出現しない領域を形成する。そのため、それらの場所を安全地帯と位置付けられている。

 管理者を倒すことで、上の階への扉が開くため、別名ボス部屋とも呼ばれている。ドロップするアイテムの質や量から、訪れたワーレフたちの目指す最終地点とも呼ばれている。

 そんな風に資料には、書かれているね。


「観光名所……」


 街にはワーレフが多く滞在し、一般人をレベルアップさせるツアーが開催されている。

 ホテルや観光施設も公開されている。

 特に高級レストランがある場所では、美味しい料理が食べられるとする話題が書かれている。


「モクモクのステーキなんてあるんだね。おいしそう」


 ロックモクモクから稀にドロップする霜降り肉を贅沢に使用した、とろけるステーキ。一度食したら忘れられない味。そう資料には大きく取り上げられている。

 モクモクねえ。

 モクモク系の魔物は、決まって丸い形をしている。

 中でも普通とされる【モクモク】は、白いフサフサの毛並みが愛らしく、モコモコとした肌触りが気持ち良くて、フルフルと振るえる可愛いらしい姿をしている。そのため多くの人を虜にする希少種とされている。

 危険が全くない魔物のため、ダンジョンからわざと持ち出す冒険者も多く居る。

 見つけたら触って楽しもうとする愛好家も多いため、一部のダンジョンでは、殺傷禁止とされている。


「ボクもモクモクだけは倒さないでおこう。だってモフモフなんでしょう? 見付けたらボクの物にするんだもん」


 モフモフは正義だ。

 守らなければならない。


「ん、ん……」


 もぐもぐと口を動かすボクは、資料をバックパックに仕舞い込み、代わりに、マップ帳を取り出していく。


「えっと、近くに何かないかな? あっ、ダンジョン管理局の施設があるね」


 行ってみようかな? 何か有用な物が手に入るかもしれないしね。


「本当はいけないことなんだけど、持ち出しは仕方が無いよね。はむ」


 生きるためには多少の不義理も見逃して欲しい。

 おかげで生活が楽になるからね。


「となると、今回の探索はここまでにして、これから必要な物を物色する時間にしようかな? エリア管理者へのアタックは、明日でもいいね?」


 目標は五一階層を目指すこと。そこで魔力石を集めるんだ。


「出現する魔物はガーゴイルとゴーレムだね」


 弱点が多く、比較的に弱い魔物と書かれた資料を読んだことがある。

 適切な倒し方をした場合に限り、特大の魔力石が手に入る。


「でもね。問題もいっぱいあるんだよ」


 五一階から五九階は、日没と日照が早い。

 一時間ごとに夜と朝を繰り返し、暗くなると魔物が一変する。死霊系やゾンビ系が出没し、盛大に暴れるらしい。

 だから五〇階に下りて一時間の休憩を取る。

 それを繰り返し、朝だけ戦うことで、効率の良いアイテム回収を可能にする。


「なんかこういうの、いいよね。はむ」


 オンラインゲームみたいでさ。



***



「ここも電気が生きているんだね」


 発電機の燃料がまだ残っているのかな?


「ノートパソコンもあるね」


 ダンジョン管理局オベリスク支部ダンジョン緊急対策署所有。

 そう英語でラベルに書かれている。


「ここには米国の人が居たのかな?」


 ホテル、雑貨店、レストラン、アイテム保管署の順に巡ったボクは、最後にダンジョン管理局の施設内を捜索している。

 建物の造りは寝泊まりしている場所と同じみたい。

 一階の受付場も同じ造りで、事務机がたくさん置かれている。


「なにか面白い物はないかな?」


 壁際に棚がいっぱいある。

 なんか資料もいっぱいあるね。

 ちょっと見てみたいかも。

 ボクは一生懸命に手を伸ばし、開けようとガシガシと音を鳴らす。

 引き戸に鍵が掛かっている。開けられないのが残念だ。

 しかしボクはあることに気付く。

 どうしよう。


「んっ」


 手が届かないんだけど。


「うー、うー」


 届けよ。


「ふん!」


 なんかムカついていきた。

 どうしてボクってこうも体が小さいんだろうね。

 いつからだろう。

 前世の以前も体が小さかったよね?

 仕方がないよね。

 諦めて他に行ってみよう。

 ボクは廊下に出て、通路を進み、二階へと足を運ぶ。

 どこも同じ造りだね。

 外の管理局とリンクをしているのかな? 部署の名前も場所も同じところにあるね。

 資料が適当に机の上に置かれている。英語とした表記でクレーム対応と一言だけ書かれているね。


「あっ! 日本語だ!」


 日の丸のマークがある部署を発見した。

 何かないかな?


「機密。アザーサウスゲート攻略に関する報告書。お?」


 机の上に積まれている資料の束。綺麗に整頓されているのか、付箋が貼り付けられているね。


「凄い! 面白そう!」


 今何時かな?

 午後三時二一分。

 帰るにはまだ早い時間だね。


「よし。残りはここで過ごそうかな?」


 ボクは機密と書かれた資料を手に取り、興味のある箇所を読み上げていく。


「進捗とチームの予算報告」


 へえ。

 調査ってこんなにお金が掛かるんだ。


「一八階の隠しエリア管理者ゼーズの審判に関する要項について。別紙参照」


 扉絵に書かれている記述の解読について。

 一に。真名を語ること。

 二に。力を示すこと。

 三に。最後の言葉を紡ぐこと。

 なんか面白いね。こういうのを知ると、わくわくが止まらないよね。

 ボクは必要な箇所だけに目を通し、資料を読み上げていく。


 一に。真名を語る。それは、名前を伝えることと同じ意味であり、謝った言葉を口にしてはいけないという意味になる。

 もしも意にそぐわない答えを口にすると、ゼーズが現れ、攻撃を仕掛けてくることになる。


 なるほどね。この写真の扉絵からそう推測できるんだね。

 ゼーズって馬の妖精ケルピーに似ているよね? 馬の顔した人型の魔物。来訪者になにかを語り掛けている雰囲気がするね。黒い線で太く輪郭が描かれている。

 それに丸い文字。

 鑑定石と同じ、【シルフェリア語】だね。

 前世以前の記憶のおかげで、少しは読めるけど、まだうろ覚えなんだよね。

 だから分かる範囲で読んでもいいけど、まずは、この人たちがどう解釈したのかが気になるよね。


「えっと、なになに」


 二に。力を示すこと。それは、ゼーズに挑むとする意味に他ならず、探索者の真意を見極めようとする解釈にも捉えられるため、戦いを挑むという行為とは、本質的に異なっているのかもしれない。

 出現する魔物はゼーズ本体。語られている問いに応えることで、三つ目の質問が始まると書かれている。

 でもね。シルフェリア語で書かれた文字を読むと、違う意味にもなるようだね。

 天使が現れるって書いてある。

 馬人の頭上に羽の生えた子供が描かれているよね?

 一人は緑の本を持ち、もう一人は赤い剣を携えている。

 おそらく、緑の本が正しく、赤い剣のように、戦ってはダメという意味になるのかな?

 まあ、ボクの考えだけどね。

 本当のところは分かんないよね。

 じゃあ、続きを読んで行こう。


 三に。最後の言葉を紡ぐこと。

 それは、甲乙二案の可能性を示唆している。

 甲は扉に書かれた文字の意味を解き明かし、その言葉をそのままに告げること。

 乙はその場において問われた答えに従い、臨機応変に応えること。

 なお、乙については、帰還者の意見を採用し、予想されたものである。


 なんか他にも色々と書いてあるんだけど、どれも違う気がするね。

 扉絵に描かれているように、天使の上に太陽の光が明示されているよね?

 これってつまり、太陽の意味を読み解けばいいってことだよね?

 おそらく、太陽は神域を意味している。

 だって、シルフェリア語で大きく神を司る文字が書かれているからね。

 最後の言葉を紡ぐ。それは、天使が力を示すという意味に繋がり、最初の真名を語るという質問に影響する。

 もしも始めに自分の名前を語った場合、神をせん称するのかという怒りを受ける流れになり、その資格があるのかを見定めるとした質問が、天使から問いただされることになる。

 そうすると戦いが始まって、結局赤い剣を持つ天使の絵の通りになり、最初の質問の意味がなくなってしまう。

 そして仮に勝ったとしても、最後の質問で精神が肉体と分離し、異界の地に送られることになる。

 神域をどこに繋げるかという質問に対し、分からないと答えると、混沌の世界に飛ばされることになる。

 または、秩序を連想させる答えを返した場合、おそらく魂の巡りさえも捉われ、ダンジョンの魔物として使役されることになる。

 まあ、対話の過程次第でなにが起きるか分からないけど、ここまで来るともう無駄な気がするね。

 最初の答えは自由。あるいは、女神の名前を語ること。

 太陽のような丸い絵の中に、奇跡の女神の手のひらが描かれている。

 奇跡の女神は秩序と混沌を望まない。そのための質問に繋がっていく。

 力を示す。それは、秩序と混沌に打ち勝つ意志があるのかという意味になる。

 答えは様々だ。その場で臨機応変に自由を示せばいい。

 そうして、最後の言葉を紡ぐこと。それは、奇跡の女神が報酬をもたらすことを意味する。その場に女神様が現れ、たどり着いた者に祝福を与えてくれる。

 まあ、そんな感じかな?

 結局のところ、最初の解読が間違っているから、どれもダメだと思うよ?


「秘。未帰還者名簿録」


 印刷用紙一枚分に、亡くなった方々のお名前が記載されている。

 結構いらっしゃるんだね。

 時期と経歴。それに、別紙とした詳細資料を示唆しさした記述が書かれている。


 うんっとね。

 こういうのはちょっと違うんじゃないかな?

 やっぱりプライバシーとかね。

 読む気分が乗らないよね。


「あれ? ちょっと待ってよ」


 気になるお名前がある。


「あっ!」


 やっぱりそうだよ。


「【遠本咲久(とうもとさく)】。女性。五七歳。失跡」


 遠本って、夢に出てくる弾矢くんと同じ名字だね。

 凄いね。偶然だね。

 ボクは資料のページをめくり、その人の人生に関わる記述を読み上げていく。


「2065年8月13日。チームステリアルドに所属。午後一時。隠しエリア管理者の部屋にアタックする。しかし、その三時間後に帰らぬ人となる。特記、ステリアルドのメンバー五名は全員帰還を果たす。隊員の聞き取り調書から、遠本咲久氏の処遇を死亡から失跡とする」


 ということは、生きているってことだよね。

 今も失跡中なのかな?

 夢の中の弾矢と関係がありそうだけど。


「あっ! もうこんな時間!」


 腕時計を確認すると、午後四時一〇分を示していた。

 もう帰えらないと。

 夜になるとダンジョンの魔物が強くなる。

 別に一泊くらいは平気だけど、無理はよくないよね。


「えへへ。帰還石だよ」


 ボクは胸のポケットからアイテム袋を取り出し、中から黄色い魔石を取り出した。


「一度使ってみたかったんだ」


 こういうときに試してみようかと、前々から思っていたんだ。

 さっき一階で、ここより上の階に居る【ウォールピングキャット】が現れたんだよね。

 なんとなく倒してみたら、【帰還石】をドロップすることができたんだ。


「綺麗だよね」


 手のひらの上で光る透明な魔石。

 保存石よりも大きく、中心に結晶核のような黄色い輪郭が見える。

 こういうのを髪飾りにしたら可愛いよね。


「わあ!」


 中心の黄色い部分がボクの魔力に共鳴している。

 意識した通りに黄色い光がキラキラと輝いてくれる。


「不思議だね」


 なんか見ていて飽きないね。

 もう少しだけ魔力を与えてみようかな?

 輝きが強くなるね。

 今度は弱くしてみよう。

 綺麗。

 明暗とする。

 まるで通販番組に出てくる宝石の展示映像みたいだ。

 キラキラと輝いて、今しか手に入らない、そういう売り文句が聴こえてきそうだね。

 美しい。

 ずっと見ていたいね。

 装飾にしたら、ボクも綺麗に成れるかな?

 ん、待てよ。


「違う!」


 ボクは男だ。

 男は宝石なんて気にしたりなんかしないんだよ。


「むう」


 なんてことだ。

 しっかりしろよ。

 男だという自覚を持ってよ。

 こういうのは使ってこそ意味があるんだからね。


「ふん!」


 早く帰って休むんだ。

 明日も早いんだからね。

 ボクは帰還石を両手で握り、目をつぶって魔力を込めていく。

 強く移動したい場所を連想し、適当なイメージを言葉する。


「リターン」


 帰りを告げると、肌に伝わる遠心力のような触感が伝わってくる。

 まるで高速エレベーターに搭乗して、一気に下るかのように、速度感ある感覚が全身を巡る。

 意識した通りの場所に着いたかのように、肌寒い外の空気の質感が得られてくる。

 人の気配がない石床の触感が、靴底に伝わってくる。

 水気を帯びた匂いを感じ、野生の鳥のさえずりが聴こえてくる。

 徐々にそれらを現実と認識し、自分がダンジョンに居るのかさえ分からなくなる。外気の冷たい気配と共感していく。

 もしも目を開ければすぐそこは、すでに目的の場所に着いているのかもしれない。

 そんな風に錯覚をしてしまうほど、臨場感を得てしまう。

 ボクは完了の意味を込めて、「スタート」と、言葉にする。

 すると、靴底から伝わる地面の気配が変わり、耳から伝わる周囲の雑音が鮮明になる。

 目を開けばそこは、自転車が置かれたアザーサウスゲート前で、巨大な門が遠くに映る。

 無事に転移が成功したみたいだ。



****



「ふぅ~。やっと書き終えた」


 椅子に座ったままの姿勢でボクは、大きく背伸びをした。

 六月用の箱に、今日の分の【ニルト備忘録】を重ねて置く。

 時刻は二一時三七分。

 まだ寝る時間には早い気もするけど、明日は十階層のエリア管理者に挑戦するので、今すぐに休みたいところ。

 でもね。なにかを忘れている気がするんだよね。


「うーん」


 歯みがきはした。

 ブタさんの着ぐるみパジャマも着ている。

 身体も洗った。

 抱き枕はビーバーさんのぬいぐるみ。


「あっ!」


 そうだ。

 もしもおしっこがしたくなったときのことを考えて、今こそ失敗しないように、服を脱ぐ練習をする予定だったね。


「それだ!」


 よく考えると、この着ぐるみ、ファスナーみたいな繋ぎ目がないんだよね。下から被せて着るんだけど、布団のように大きいくせに、自動的にサイズがピッタリになるんだよね。

 おそらく魔力で調整してくれているんだろうけど、脱ぐときに余裕がなくて、簡単に外れてくれないんだろうね。

 明日もおしっこがしたくなったら、きっと同じ失敗を繰り返すことになるはずだ。


「それじゃあダメだ。だから、練習をしなければならない」


 ボクは椅子から飛び降りて、ブタさんの着ぐるみを上から下へ引っ張っていく。


「脱げない……」 


 どういう仕組みか分からないけど、脱ごうとすると、布地が肌に吸い付いて、離れようとしないみたい。

 どうしたらいいんだろうね。

 今朝はどうやって脱いだのかな?


「うーん……」


 思い出せ。

 これは重要なことなんだ。


「魔力かな?」


 そういえば、この着ぐるみもアイテム袋に入っていた物なんだよね。

 ブタさんと云ってはいるけど、どうも異界のオークをモデルにしているみたい。

 そう考えるとこれ、ダンジョンで作られた魔導具なんじゃないのかな?

 だったら凄いことだよね。

 当然お値段も高いだろうし。


「もふもふで暖かいし、暑過ぎることもなく、着心地が丁度いい感じだよね」


 この服、やっぱり普通じゃないよ。


「ボク、がんばる」


 いろいろと試してみよう。

 まずは魔術っぽく命令をして、魔力を通してみようね。


「我、ニルト。我が意に従い、ブタの着ぐるみよ。その本質を我に示せ」


 どうかな?


「うーん」


 脱げないね。


「だったら他に何か方法があるのかな?」


 色々な角度から引っ張ってみよう。


「…………」


 困ったな。全然ダメだね。


「もう一度引っ張ってみよう」


 えい。えい。

 固くて動かないよう。


「うーん」


 取りあえず、他も試してみよう。

 もっと魔力を練ってみたらどうかな?


「……ダメだ。全然脱げないね」


 そのまま色々な箇所を引っ張ってはみたけど、ピッタリと肌に貼り付いて、離れる気配がない。

 呪われているのかな?


「じゃあ、スキルなんてどうかな?」


 もしかしたら、ということもあるし。

 試してみても別に問題はないよね?


「妖精の羽よ。顕現せよ。オーバーウィル!」


 覚えたばかりの固有スキル。妖精の羽。

 なんか背中が重くなったけど、結果はどうかな?

 腕がもう一本生えたみたいで、ちょっと不思議な感覚がするね。

 でもキラキラと光って綺麗だね。

 虹色だし。

 鱗粉みたいだ。


「ぴかぴか~」


 知らなかった。

 虫っぽい羽が生えるんだね。


「蝶々の羽かな?」


 大きくできそうな気がする。


「大きくなぁれ。大きくなぁれ。大きくなぁれ。あっ!」


 おっきした。


「えへへ」


 なんか嬉しい。

 触るとゴワゴワするし。


「ひゃ」


 なんかムズムズした。

 ちょっと変な気分。

 この羽毛みたいな部分から良い匂いがするね。

 甘い香りだ。

 気持ちが落ち着いてくるね。

 触っていると、体がビクンビクンってして、くすぐったいね。

 でもこれさあ。脱ぐのと関係があるのかな?


「あっ! 脱げてた。やった! 脱げたよ! わぁーい!」


 なんかよく分かんないけど、脱衣に成功したみたいだね。

修正履歴

2024/8/21 少し気になった誤字修正。

2024/8/24 最後方の数行の文章が気になり、修正

2024/8/25 誤字を修正と一部名前にルビを挿入。至らない点があります。今後も修正するかもしれません。

2024/9/2 誤字脱字修正。

2024/9/5 エレファントタートル当たりの分を少し追加。その他ちょっと微調整。

2024/9/20 全体的に大きく修正。大まかな内容は変わらず。細かい地の文を書き加える。

2024/11/18 誤字脱字、いらない文章、行間の修正。

2024/12/4 過去形の文章を現在的文に直す。

2024/12/11 妖精の羽を習得した辺りから全文見直し修正。微調整した。

2025/6/13 全部修正した。かなり読みやすくなったと思います。次は4話です。しばらくお待ちください。

2025/7/31 読みやすく修正した。内容に変更なし。もう修正はないです。


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