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第15話 ダンジョン講習会で手続きをする

2024/11/14 投稿しました。

書見のほどよろしくお願いします。


 9月5日水曜日、曇りのち晴れ。

 早朝五時に起きて、リビングに行き、吹き抜けの台所に立つ。


 今日はサンドイッチを作るんだ。

 心内で考えをまとめたニルトが、着ぐるみの格好で腕を伸ばし、冷蔵庫から卵と酢とラードを取り出ていく。

 棚から味の素と塩と各種ハーブを用意。

 全て吹き抜けの台に並べ、各種棚から泡だて器具と金属ボールにシリコンヘラを取り出す。


 マヨネーズを数種類作るんだ。

 ラードの他にサラダ油とオリーブオイルを使う。

 まずは手の殺菌からだね。

 そう思案したニルトが、小さくフカフカの可愛い両手を胸の前で開き、詠唱を奏でる。

 


「マナよ。ボクに応えてよ」


 内包する真の意味をイメージし、青緑の瞳を大きく開き、短縮した呪文を小さい口で言葉にする。


洗浄(プリティフィリニング)


 明滅と魔力の光が輝き、赤い雷がモップルの柔らかい着ぐるみの腕に流れ、ピシッと音を鳴らす。遅れて、白い煙のような発光現象を伴う。


「よし」


 準備ができたね。

 じゃあ調理開始だよ。

 料理に心が踊るニルトが、卵を割って、金属ボールに入れていく。

 各種調味料と酢を合わせ、油を適量入れる。

 本来マヨネーズは少量ずつミキサーに掛けるものだが、その時間を短縮。

 風の魔術でかき回す。


「風よ。我、ニルトが願う。小さき世界に舞い踊れ。風を取り込み舞い踊れ」


 発動のトリガーは必要ない。

 言葉にする度にボールの中で油と卵が混ざり合う。


「踊れ、踊れ、踊って、踊ろう。踊り、踊れ、踊らん」


 泡立ち、白くクリームが瞬時に形作られる。

 まずは昆布味のマヨネーズができる。

 台下の棚から小皿を取り出し、シリコンヘラで、それらを金属ボールからすくい取る。

 小皿に逃がし、空いた金属ボールに、そのまま卵を割り入れる。


「次はラードと塩胡椒しおこしょうかな?」


 独り言の通り、同じ作業を繰り返す。

 昆布味の他に、こってり胡椒味、ブレンドハーブ味、さっぱり塩味、レモン味の四種、マヨネーズを三十分で作り上げる。

 サラダとハムを用意して、食パンにそれらのマヨネーズを組み合わせる。

 これで朝食は出来上がりだね。


 お弁当用はローストビーフにしよう。

 国産和牛のモモ肉にチューブのニンニクを塗り込んでいく。

 フライパンに油を引いて、IHヒーターで過熱する。

 三本の肉塊の表面に焼き色を付ける。

 できたら過熱を止めて、その場で炎の魔術。


「熱よ」


 焼くのは得意。

 無詠唱で料理ができるくらいに熟達している。

 無色の魔素で空気が揺らぐ熱気を生み出し、鼻歌を奏で、低温五七度の加減を連想する。

 柔らかい小さな手をかざし、炎の魔術を解き放つ。

 本来三〇分は掛かる時間を短縮し、満遍なく繊細に熱を通していく。

 一分ほどの経過で、作業を止める。


「こんなものかな?」


 肉塊の一本をまな板に移し、包丁で豪快に半分と輪切りにする。

 中はやや赤く、肉汁が出ず。焼き加減が良い証拠になる。

 ミディアムに仕上がり、芳ばしい牛肉の匂いが漂う。

 一枚をスライスし、口に含んだニルトは、「美味しい」と、納得の言葉を告げる。

 後は切り分け、パンにはさむだけ。


 時刻は六時三〇分を過ぎる。

 リビングのテーブルに着いた三人に合わせ、制服姿のニルトが、すでに三つ目のサンドイッチを口に含み、朝のニュースに目を通している。


「またボクが映っているよ。もう嫌だよ。チャンネルを変えてよ」


 銀行強盗に遭い、助かった人たちのコメントが続き、ユニチューブ動画の一幕が流れ、道を歩いている光景から、建物内でケガ人を癒している場面に切り替わっていく。


「うむ。いいと思うぞ。こんな機会は滅多にないからな」


「昨日とは違い、英雄扱いだな」


「これで今日は四回目の放送ですね。ニルトくんは有名人です。外へは一人で歩かない方が身のためです」


「むう。昨日から皆が意地悪だよ。朱火ちゃんがボクを信用してくれないんだよ。お兄ちゃんとお姉ちゃんは、そんなこと言わないよね?」


「オレはノーコメントだ。できれば朱火の云う通り、大人しくしてくれていた方がいいと思っている」


「むむう。じゃあ剣お姉ちゃんはどうなの?」


「私は構わんぞ。自由にするといい」


「ん?」


「あ?」


「ほんと?」


「ああ。今日から五日間。ニュースはバラエティーも含め、全てを録画するつもりだ。刀子さんと父さんに頼まれたのでな。こういった迷惑なら大歓迎だとお墨付きをもらっている」


「なるほどです」


「父さんと母さんらしいな」


「それってどういう意味だよ。ボクが一人で出歩くと変なことが起こるとでも言いたいのかな?」


「ん? 違うのか?」


「むう。やっぱり剣お姉ちゃんもボクのことを信用してないよね? 皆が意地悪だよ」


 ニルトは顔を膨らまし、「むう」と、怒った風に、右手に持ったサンドイッチを小さくほお張る。

 時刻は八時を過ぎる。


「もう。皆が意地悪だよ。ボクだって怒るときがあるんだからね」


 淡い緑のスカートをヒラヒラと大きく広げ、黒の靴と白のソックスが細い素肌を目立たせる。歩道を歩く人の視線が集まり、その場だけ明らかに違う雰囲気になる。

 車道から歩道に入る様々な車が、広々とした駐車場の敷地に入っていく。

 そこの横を通るニルトが、左右に注意をしながらほほを膨らまし、朝の出来事について言及する独り言を口にする。


「もう、うんざり。昨日からいいことがないよね。南門はここだよね? 遠いし、広すぎるんだよ。学園の隣って聞いたから歩いてきたのに。これじゃあバスで来ればよかったよね。車の通りも多いし、人通りも多いしで、皆がボクのことを見て馬鹿にしているんだよ。きっと」


 水素電気自動車の騒音と風の流れで響くことがないニルトのつぶやきに、愛想の無い顔で、口が一字と閉じた容姿に視線がいく周囲の状況。

 ツインテールのブラウンゴールドの髪が髪飾りによって、金に輝く色合いをより強く表現し、昨日から話題になる事件映像とは関係なく、その目立つ容姿に、ダンジョン管理局へと流れて行く人だかりの視線が集中する。

 周囲の内心は美少女が居るという心境であふれていた。

 そんなことは知らずのニルトが、どうせテレビの影響でしょうという気持ちから、髪型を変えたにも関わらず、わかる人は分かるんだとする不満顔に、複数の視線をひき付け、逃げるように歩いて行く。


 大きく広がる四重開きの自動ドア。

 中に入ると案内板が置いてあり、手書きの油性文字で、ダンジョン講習会場は四階の通路奥と書かれている。

 人の波に準ずるニルトが、向かうスーツ姿の大人たちの後ろに付き、広い受付としたカウンター席の横を通り、エレベーター乗り場まで移動する。


 途中で、見られているとする他者からの視線が気になり、青緑の瞳を細める。

 ツインテールの髪が気になり、右手で右のテールに触れる。

 朝に時間を掛けてセットした覚えが蘇る。

 アイテム空間に入っていた装飾を使い、ヘア留めの金具が宝珠の大きいリングになっている。

 そのジュエルとした髪飾りを身に着けることで、こんなにも人から見られるなんて思わなかった。

 そうした考えの通り、ニルトの茶金のツインテールがラメ色に輝き、大人たちの視線をひき付ける。

 搭乗を待ち合うエレベーターが一階に着く音を鳴らす間にも、親連れの少年少女たちがニルトの後ろに付き、ささやくように声を出す。


「ねえ。あのお姉ちゃんキラキラしているよ?」


「本当だ。凄いね!」


「有名人ですかね?」


「あれ? もしかして……」


「いいなー」


「ねえねえ、お父さん。同じ物をお母さんにプレゼントしたらどう?」


 それぞれがささやき合う。

 子供たちは仲間内で和気あいあい。親たちは互いに敬語で語り合う。

 仲良く談笑する声が響く前の方に居座るニルトが、エレベーターが開くと同時に中へと入り、端角はしかどに歩み寄る。


「やっぱりそうだよ。ニュースで噂になっていた子だよ?」


「すげっ! 有名人じゃねえ」


「こら、静かにしなさい。……聞こえるだろう?」


 端壁に寄り掛かるニルトは、恥ずかしいと感じ、顔を下に向ける。

 エレベーターが四階で止まる。

 乗り合わせた全員が降りる。

 最後に降りた人に続くニルトが、遅れるように廊下へと出る。

 再び視線が合う親子に愛想笑いを浮かべ、考えを巡らせる。

 結局、この人たちもボクと同じで、ダンジョン講習を受けに来たのだろう。

 親子で来るなんて、なんだかうらやましい。

 通路の奥へと脚を動かし、数人の視線を気にしつつ、会場へと進んで行く。


 講習は午前と午後の二回で行われる。

 午前中は日本が管理するダンジョンに入るための認可を受けるもので、探索者に成るための様々な手続きの説明が続き、命の保証は自分で守るようにとする署名の書き込みになる。

 午後は場所を変え、千城区を管轄するダンジョン管理局へ移動する。

 管理局は、国際、日本、地域と規模が別れている。

 東京は全て同じ場所に在るため、講習の会場が別の階になる。


 会議机の席に着いて二時間が経ち、今は三度目の署名。

 二度目はワーレフ組合の通帳を作るための手続きで、印鑑証明とマイナンバーカードが必要になる。

 そして、今は武器や武具についての取り扱いにおける法律上の注意が続いている。


「では皆さま、お手持ちの資料右下にある枠内に、ご自身のお名前を記入してください」


 全ての責任を追う旨に署名をするため、ニルトはボールペンを右手に持ち、正式名『ニルト・ファブリス・遠本』と書き記し、印鑑を押す。


「続きましては、能力測定になります。これはライセンスカードのベースになる数値を記録するもので、先ほどご説明したように、鑑士官と握手をしていただきます。名前を呼ばれた方から順に、隣の部屋に向かってください」


 ようやくこのときが来たね。

 皆と練習した通りにしよう。

 そう思案したニルトが、青緑の瞳を瞬き、今朝のことを思い出す。


 ニルトの魔力は二万マージを超える。

 レベルは五と低く、ネイチャーのクラスよりも能力が劣るアプレイスであるにも関わらず、他の数値が同世代の平均を軽く超えている。

 そのことを相談したついでに、偽装という技能があることを告白したニルトが、三人からできるだけ隠した方がいいというアドバイスを受ける。


 ニルトよ。

 お前の云う通り、魔力は抑えた方が良い。

 偽装を見破る能力があるのもアプレイスになる。

 だから、見付からないようにやるのだぞ?

 お姉の云う通りです。触れられたらすぐに分かってしまうかもしれないで、できるだけそうならないようにしましょう。

 お兄ならどうします?

 見付かった時は素直に謝ればいい。

 特に能力を偽ることで何かがあるわけではないからな。

 気楽に行けばいいと思うぞ?

 まあ、ここまで魔力が高いニルトならなんとかなるんじゃないのか?

 そんな風に、三人と相談事をした記憶を思い出したニルトが、名前を呼ばれるまでの間に、他の受講者である私服姿の年下の名前に聞き耳を立て、他人の家族愛の様子を、青緑の瞳で追っていた。


「遠本さん。ニルト・ファブリス・遠本さん」


「はい!」


 順番がボクに回って来た。

 制服姿のニルトが立ち上がり、廊下へと向かっていく。

 途中後ろの方で、「外国人?」と、ささやく声が聞こえてくるが、ニルトは微笑みで返し、迷惑とする本心を隠す。


 廊下を出てすぐに隣の部屋に入る。

 背筋が伸び、筋肉が盛り上がった精かんな中年男性が、茶色いローブを着こなし、コンピューターと一体化した低めのテーブル横で、立ちにらみと視線を送ってくる。ニルトに黒い瞳を大きく開いている。

 ツインテールが黄金色に輝き、一段と魅力あるニルトの小柄とした制服姿が、黒髪の男性に近づき、「お願いします」と、一言告げた。

 男は分厚い目元の肉を開き、やや友好的にほほを柔らかくし、笑みを向けるように口を開く。


「ほう。我らの同胞でありながら、昨今話題の少女とは貴殿のことか?」


「え?」


「いや失敬。テレビと髪型が違っているのでな。一瞬誰か分からなかったのだよ」


「えっと。ボクのことを知っているの?」


「うむ。今知ったのだよ。貴殿もアプレイスになるようだ。いや、実に結構だ」


 触れることもなく、ボクをアプレイスだとどうして分かるのかな。

 青緑の瞳を見開くニルトが、首をコテンと横に倒し、その真意を計るため、偽装した能力についての不安が、一瞬だけ沸き起こり、眉を一度ひそめる。


「私は国際ダンジョン総合管理局、日本支部鑑士官を勤めている、【村神典忠むらかみのりただ】と申す者だ。東京ダンジョン総合管理局鑑士官長を兼任で務めている。受講者番号九六番、ニルト・ファブリス・遠本生よ。よく来たな。さっそくだが、名前と写真が合致しているのかを確かめたい」


「うん」


「私は視認だけで全てを鑑定することができるレベルにある。貴殿がアプレイスであることは重々承知。握手するまでもなく、すでにステータスはここに記載してある」


「えっ? そうなの……」


 そういうものなんだね。

 調べる者(インベスティゲイター)のレベルが高くなると、離れていても詳細に判るもんなんだね。

 まずいかな?

 だったらボクの能力値がばれているのかもしれないね。

 焦りを隠すように、青緑の瞳を瞬くニルトが、真顔で平常心に務める。

 息をのみ、村神典忠の声に耳を傾ける。


「素晴らしい数値であるな。特に魔力の高さが秀逸である。我らと同じアプレイスでありながら、この成長力は、驚嘆に値する」


「う、うん。ありがとう」


「見るがよい。これが貴殿のステータスになる」


 プリンターの用紙が出力されていく。それを手にする村神典忠が、ニルトの顔前で掲げるように、太い腕をかざす。


 あ、よかった。

 予想した数値の通りに偽装されているね。

 露見していないのかもね。

 能力偽装は力のイメージにある。

 具体的な数値を調整するものではなく、その力であるとする虚実を事実であるとするように、錯覚させる技術になる。

 つまり、弱く見せるというのは、体から発露される雰囲気が弱く見えるように、誤解を生むことと同じ事になる。

 その能力と合う気配をその身に宿す技能であり、それ相応に魔力を扱うことになる。

 そう考えを巡らせたニルトが、「そうなんだー」と、とぼけた風に声に出した。


「話は以上だ。だが惜しいな。できればプライベートで、我が組織についての語りを行いたいものなのだが、しかし貴殿は未成年であり、政府とご家族によって守られている。我々管理局の関与は、未だ果たすことができないのだよ」


「う、うん。そうだね」


「将来は鑑士官になるべきだ。様々な福利厚生や社会的優遇措置が受けられる。うむ……。行ってよいぞ」


 村神典忠の暑苦しい野太い声に離れづらいと感じたニルトが、後ろ足を引くように、ゆっくりと下がり、「ありがとう」と告げ、途中で振り返り、出入口へと向かっていく。


「貴殿が鑑士を求めるときは、必ず私を頼るがよい。できる限りの待遇を約束しよう」


 なんかよく分かんないけど、早くこの場から離れよう。

 ニルトは早歩きで廊下へと部屋から出ていく。

 講習会場に戻り、茶色い会議机の椅子に座る。


「ふうー、変な人だったな……」


 ざわつく場の響きに、ニルトの独り言は周囲に届かず、かき消される。


「あ、帰って来た」


「髪が可愛い」


「ひよこちゃんの名前をインスタムにアップしたよー」


 誰だよ。今の声の人は、と、不満を募らせたニルトに、興味の視線とつぶやきが続いていく。

 時刻が十二時になる。

 放送で鐘の音を模した正午の報せと共に、司会者が語りを止め、続きを告げる。


「丁度許可証のMICカードができたようですね。これからお名前を呼ばれた方から順に取りに来ていただきます。そのまま退出していただき、ダンジョン入構講習が終了となります。今回の登録において申請者への拒絶がありませんでしたので、受講者全員が承諾されたものとなります。改めてダンジョンは自己責任となりますので、ご利用の際は、事故がないように、くれぐれもよろしくお願いいたします」


「やっと終わったぜ!」


「これでボクもダンジョンに行けるの?」


「お父さん、福岡に帰ってすぐダンジョンに行こう!」


「静かにしなさい! まだ終わっていないでしょう?」


 ニルトよりも年下か分からない年頃の少年少女たちが、最近のブームに乗ったように、あるいは、国が定めるステータスレベル基準を満たすためなのか、そうした英才教育の一環だろうダンジョン探索者証明カードの受け取り開始に、騒がしく、会場の雰囲気を明るくする。

 その中で、「九六番」と、なぜか早くに呼ばれたニルトが、すぐに席を立ち、係員から探索者証明カード受け取り、「ありがとう」と言葉にして、早々に廊下へと出ていく。

 通路を進み、込み合うエレベーター乗り場の隣の階段に足を踏み入れる。

 踊り場を三回下り、一階にたどり着く。


「あ、ひよこだ!」


「ひよこちゃんだ!」


 エレベーターから下りてきた家族連れの少年たちと目が合い、ニルトに差し指を示してくる。

 ニルトはどう応えて良いか分からず、微笑むように、ほほをつり上げる。


「ばいばい、ひよこちゃん」


「ひよこ。無理するなよ」


 掛けられた言葉が失礼すぎて、言葉を詰まらせ、息をのむニルトは、父親同伴の二人が、玄関口へと向かう様子に、軽く頭を下げる。

 すると少年少女たちの両親がそれに応えてくれる。

 その様子を見ていたダンジョン管理局の職員が、ニルトに興味を示す。

 それぞれの係員が、顔を上げていく。

 思惑は今朝のニュースであり、噂通りに可愛いニルトを見て、荒事やトラブルに慣れている職員たちの手が止まる。

 その視線を受けていることに気付くニルトが、アイテム保管取引署へと続く建屋違いの通路に向けて、早々に歩いていく。

 別館は北にある。

 千城窟ダンジョンの入り口に最も近い場所。ダンジョン入構時に必ず通る施設になる。

 仕切りの自動ドアを通り、アイテム保管取引署の横を歩く。

 競り合う人で活気があり、飛び交う仲介人の声が聞こえてくる。

 続く先に検疫署管轄の洗浄区画がある。

 汚れを落とすシャワールームと、着替え用のロッカールームから湿気が漂う。

 そこから人の出入りが多く、体格が目立つ明らかに探索者とした装いの人たちが歩いている。その通路を抜けて、自動ドアを通過する。

 ダンジョン入出管理施設にたどり着く。

 すれ違う人が探索者であることを示すラバー製の全身具を身に付け、手にシールドや、巨大アームハンマーを携える。

 制服姿のニルトが明らかに場違いであり、数十人の目が、可憐なブラウンゴールドに揺れる二対のテール姿に集中する。


「あのさあ。誰か注意しろよ。学園の女の子が入って来たぞ?」


「そういえば、ダンジョン講習がある日だよな。見学にでも来たんじゃないのか?」


「ガキなんか入れるんじゃねぇよ。あぶねぇだろうが!」


「ちっ、本当だよなぁ……」


「千城学園中等一年の制服か。こんな時間に、一人で来る用事でもあるのか?」


 ニルトを非難する数人のワーレフたち。

 わざと聞こえる声で、探索者たちが閑談し合う。

 懐かしいね。

 こういう雰囲気は嫌いじゃないよ。

 前世の記憶を振り返るニルトが、微かに残る冒険者ギルドでの想い出に浸り、殺伐とした気配に、青緑の瞳を柔らかくする。

 広場を歩き、アイテム納品の文字案内板を目にし、書かれている通りの場所に移動していく。

 人並びのない仕切りあるカウンター席の前に立ち、何かの資料に目を通すチョッキ姿の男性に声を掛ける。


「こんにちは。未鑑定のアイテムは、ここで対応してもらえるんですよね?」


 黒髪をかき上げた髪型をする男性が、座ったままの姿勢で、顔を上げ、ツインテールで制服姿のニルトを目にし、細い目元を柔らかくさせ、口を開く。


「何かご利用ですか?」


 学園の女の子。

 清楚で整った身だしなみ。

 一見して好印象。

 世間知らずのお嬢さんだろうかと、目にした美少女を密かに査定した男性の思惑に気付くことなくニルトは、早々に要件を告げる。


「アイテムを買い取って欲しいのだけど、ここで査定してもらえるのかな?」


 手ぶらなニルトに不審と眉を寄せる男性が、制服姿に目が行き、瞳を鋭くさせ、鼻息を鳴らすように、「ふっ」と、一息つく。

 冒険者が集う場の雰囲気に合わせている強気のニルトに向けて、一度唇を曲げ、肩を揺らし、「まあどうぞ。お掛けになってください」と、態度を良くささやき、顔色を変えずに、広げていた資料を閉じ、横へとずらし、背筋を伸ばす。

 冷遇と懐かしい気配を感じているニルトが、男性に指示された通り、淡い緑のスカートを整えるようにして、丸椅子に腰掛ける。


「それで、どういった品物をお持ちなのでしょうか?」


 おそらくこの少女はなにも分かっていないのだろう。

 そう判断し、物事を弁え、接客の仕事に務める男性が、プロ意識からだろう、さげすみの失笑にこらえ、明らかに場違いの装いをするニルトに向けて、いつもの対応に心掛ける。

 自信に満ちたニルトは、左手をカウンターに突き出し、取りあえず、ゴーストからドロップした魂魄結晶にしようと、大きい塊を三個、異空間から取り出す。


「こ……、これ、は?」


「まだまだいっぱいあるよ」


 長さ三十センチほどの赤く透き通る色をした、ニルトの腕ほどある晶石しょうせき風のかたまり

 現れた瞬間、のどを熱くさせる魔素特有の波動を放ち、周囲に伝搬していく。

 一瞬にして広場が静まり、凍結するように無音となる。

 広い待合のベンチとした場所からのささやきとざわめきが静まり、ニルトと男性に向けて、視線が集中する。

 ワーレフにとって、魔素濃度の高まりは、魔物が現れたときの反応になる。

 危険を知らせる感覚を肌で感じ取ることができる者にとって、魔素の圧力を察知することは、条件反射的に、臨戦態勢を取るようなものだ。

 ニルトの居る位置からその強さが漂うため、フロアに居るほぼ全ての視線が集まっていく。

 受付の男性が顔色を変え、瞬時に青ざめる。

 皮膚に刺激を与える物質は危険が伴う物。

 毒性がある可能性を考え、息をのみ、肩を震わせ、黒い瞳を大きく開く。

 ニルトのエメラルドグリーンの瞳と合わせ、声を掛ける。


「これは、どこで手に入れたのですか?」


 そこはプロといったところ。

 目の前の物質がなにであるのかを調査するために、マニュアル通りの対応に努める。


「タワーズラビリンスのアザーサウスゲートだよ。魂魄結晶なんだけど、検疫を受けていないから、査定をして欲しいんだ」


「あの、タワーズラビリンスのアザーですか? ……と、いいますと、ランナウェイバーストで、南太平洋大地震のきっかけになった、ゴッデス島のことですよね? あそこはEランク以上のワーレフから立ち入ることが許される、非常に高難易度のダンジョンです。どうして貴方のような子供が、そのような場所に行くことができたのですか?」


「あ、そっか。そういう話だったよね……」


 忘れていたよ。

 胸の前で手のひらを重ねるニルトが、自分の経歴について、刀子とショウが作った嘘の話を脳裏にまとめ、それっぽく説明していく。


「ボクの両親は、ワーレフをしていて、ゴッデス島で生まれ育った経緯があるんです。お父さんとお母さんの都合で、アメリカ人から日本人になったばかりなんだけど、あそこはアイテムの管理が自由だし、バッグに入れておけば分からないですよね? 以前にパパとママから受け取った物になるんだけど、自由にしてもいいって言われているから、今回始めて売りに出すことにしたんですよ」


 そう告げ終え、ニルトは左手から青色のアイテムバッグを取り出し、その中から三個ほど赤い石を取り出していく。

 火の魔力を内包する火炎石。

 ゴーストから比較的多くドロップする魔石になる。

 二〇センチほどの大きさで、ニルトの持ち物の中でも小さいサイズになる。


「これは見事な……、こんなに大きい物は見たことがありませんね」


「えっ? そうなんだ……」


 最大で、五〇センチの物もあるけど、そんなに驚くようなことなのかな?

 ホッと肩で息を吐き、茶金の眉を晴らしたニルトが、青色の四角いアイテム鞄から、先ほど取得した探索者証明カードを取り出し、カウンターに提示する。


「値段が幾らになるか査定してよ。このカードを見せればいいんだよね? さっき講習で教わったから」


「はい。一時間ほど掛かりますが、よろしいでしょうか?」


「うーん、できるだけ早くして欲しいかな? 無理だったらお兄さんが適当に値を付けてくれればいいから、すぐにお金を振り込んでもらいたいんだけど……」


 お昼ご飯くらいになればいいよね?

 足りないなら追加で出せばいいし。

 最悪、スキルストーンを売ればお金には困らないからね。

 物事の常識を全く知らないニルトが、可愛く首を横にして、お願いの意志を強めるように、男性に微笑みを向ける。


「分かりました。すぐに係員を呼びますね。少々お待ちください」


 男性が、備え付けの受話器を取り、ボタンを押し、内線待ちの様相をする。

 そんな二人の姿に、固唾を飲んで見守る周囲の視線。

 魔素の気配に慣れ始めた衆目たちが、ざわざわと声を放ち始める。


「何ですかね?」


「危険はないみたいだな」


「お前、ちょっと見て来いよ」


「嫌ですよ。そんなに気になるのなら、先輩たちが見に行けばいいじゃないですか」


 そうした興味も次第に薄れていく。辺りは普段通りになり、がやがやとした雰囲気に戻っていく。

 カウンターの後ろのドアが開き、新しい係員がやって来る。


「お? なんだあ? この強い気配は……」


「すいませんが、こっちに来てもらえませんか?」


「お? ああ……、いいぜ。これは……、魂魄結晶か? ちょっと席を変わってくれないか?」


「はい」


 仕切りがあるカウンター席で、チョッキ姿の係員が立ち上がり、入れ替わるように、全身白い繋ぎ姿の男性が、椅子に腰を下ろす。


「こいつは凄いな……。大きいし、状態もいい。全部で三〇万ドルだな」


「え? 三〇万ドル?」


「なんだ……、嫌なのか?」


「あ、そうじゃなくて……」


 そんなにするの?

 というかドルって豪州なのかな?

 それともアメリカなのかな?

 そう疑問するニルトが、困惑とする青緑の瞳を開き、重ねていた手のひらに力を入れ、続きを告げる。


「日本円でいくら位になるの?」


「四二六〇万円になるな。当然四〇%の税金を引いての意味になる」


「え? そんなに? うん、それでお願いします」


「よし、成立だな。探索者証明カードを借りるぞ?」


「うん」


 すると、繋ぎの男性が、備え付けのノートパソコンにカードを挿入する。

 キーボードを叩き、白い帽子から、黒い瞳を覗かせ、モニターに視線を送る。


「ニルト・ファブリス・遠本さん、ね。さっきダンジョン講習を済ませたのか。ふん。まあいい」


 白い繋ぎの男性は、両手でキーボードを操作し、「いいだろう」とつぶやき、ニルトに黒い瞳を合わせ、声を出す。


「これで取引は完了だ。本来は時間を掛けて査定を行い、二階の個室で確認するところだが、今回は特別になる」


 探索者証明カードを抜き取り、ニルトに示し、カウンターの上に置く。


「特別手数料込みの取引額になる。これが明細書だ」


 機械から出力された紙を取り、カードの隣にそえる。

 ニルトは手に取り、「確かに」と切り返し、目を通す。


 へえ。

 一パーセントも査定額が取られるのか。

 まあいいけどさ。

 目を柔らかくするニルトが、下唇を張り上げ、満面の笑みで応えを口にする。


「ありがとう」


「毎度。こっちこそ、いい取引だったぜ」


 青い鞄を左手に持ち、席を立った後で男性に顔を向け、「じゃあ」と告げ、振り返る。


「ありがとうございました」


 係員の男性からの丁寧な言葉遣いに耳を傾けたニルトが、浮き足立つ足取りで歩み、広場を進んでいく。

 その姿が晴れやかで、ツインテールの髪から淡い光が輝き、甘く柔らかい少女特有の気配を漂わせている。

 子持ちの親からは娘を思う視線が向き、歳が比較的近い若者からは、恋慕とした思いを募らせる。それぞれが歩くニルトに意識を向け、虹色気質の魔力に魅了されていく。


 お腹が空いた。

 次の講習までに時間があるし、食堂でご飯にしよう。


「ふふ。楽しみだね」


 その笑う仕草に、とある少年探索者が、「あ! ひよこちゃんだ!」と、呼び掛ける声が響き渡る。

修正履歴メモ

2024/11/26 誤字脱字修正したつもり。

2024/12/15 全文を流し見て詰まるところを微修正。取り急ぎになります。

2025/7/9 全修正完了。次は16話です。

2025/8/31 微修正。誤字脱字。


ほのぼのばっかりで、ギャグが無くなってきました。

ギャグって難しいですね。

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