第六話 せめて、顔を上げよ
そもそも。
そう、そもそも。
どうしてエヴァン・フィッツジェラルドは悪役令息になったのか。
そこにはエヴァン本来のクソガキじみた性根だったり、「主人公」に対しての妬みだったりがあるわけだけど、ゲームで明かされる内容はそこまで多くない。
でも今、エヴァンの幼少期の記憶があるわたしにはわかる。
エヴァンが悪役令息への道の第一歩を踏み出してしまったのは、その家庭環境のせい。
エヴァンはただ——本当にお母さまのことが大好きだったんだ。
「お母様、エヴァンです。お加減はいかがでしょうか」
目の前のどう見てもぶ厚い木製の扉をノックして、少し震えた声でそう呼びかける。
するとしばらくして扉が開かれた。開けたのはシャノンさんで、ちょっと驚いたような顔でわたしを見る。
「ぼっちゃま、もう歩かれてもよろしいのですか」
「あ、はい、多分——」
となりにいたエステルが、こちらを不思議そうに見上げてくる。
「……うん、大丈夫」
自分の付き人にいつまでも敬語を使うのも変な話だよね。
わたしはオタクな引きこもりじゃなくて、貴族のボンボンで。この少女はわたしの推しじゃなくて、「私」のメイドなんだ。
だから。
「大丈夫だよ、シャノン」
決意を込めて彼女を見る。
光を振り撒くかのように煌めくその髪も、こちらを慮ってくれるその瞳も、未だ幼いその肢体も、全部。
瞳を惹きつける蜘蛛の糸で、つかみどころのない宝石で、触れれば壊してしまいそうな人形の体躯で、全部。
全部、わたしにとっては見慣れたものだ。だから普段通り、ちょっと気圧されながらも、格好つけるくらいがちょうどいい。
わたしの様子に、彼女はまた少し目を見開いてから、
「それはようございました。」
と言ってその目を閉じて微笑を浮かべた。
その姿にやられてしまいそうになるけど、許されるならまた毛布に顔を埋めて叫びたいけど、今は。
わたしは視線を毛布に、寝台に向ける。そこでは一人の女性がこちらを見て目を細めていた。
ゲームでは回想のCGに、顔がよくわからない形で出ていたくらいで立ち絵すらもなかった。
だけど、実際に見てみればこの女の人がフィッツジェラルド兄妹の——うぅん、わたしたちの母親なんだってことが、すごくしっくりくる。
女の子がお砂糖にスパイス、それに素敵なもの全部でできてるなら、お母さまはエステルっていう女の子に、スパイスは辛いから控えめで、その分お砂糖を溢れそうなほど入れて成長させた女の人だ。
ふわふわのウェーブした長い金髪は綿飴みたいだし。目の色もエヴァンやエステルと同じ碧色だけど、目尻が下がってて優しい印象になってる。
そして閉じられていた口が開く。
「あらあらエヴァン、ごきげんよう〜。わたしが言えたことでもないのだけれど、もう身体は大丈夫なのかしら〜」
文章にするなら波線だらけの話し方で、でも不思議とどこかに意志の強さを感じさせるような声をして。命の危険があるほどの病状だなんて、微塵も感じさせないんだ。
「はい、ご心配をおかけしました」
本当に、心を痛めただろう。そういう人だもん。
そういう人だから、大好きで。
そんな大好きな人を、今わたしは裏切っているみたいで。
「……二人とも、こちらへいらっしゃい」
お母様は少し顔を俯きがちにして、わたしたちを呼ぶ。
いかないと。
自然と、あまりにも自然とエステルの手を取って、そしてお母様の前へと進む。
わたしのこの手のひらの汗は、エステルと手を繋ぐことに緊張したわけじゃない。何か察したようなお母様に、怖いような、申し訳ないような、逃げ出したいような、感情がぐちゃぐちゃになってるだけ。
でも進まないといけない。だってエヴァンには進まない理由がない。
さっき決めたでしょ、わたし。今更そんなことでどうする。
ほんの数メートルの距離がとてつもなく長く感じる。右手は元から一つのかたまりだったみたいに握りしめられて。左手はエステルの手を痛めてしまわないように必死にこらえて。必要以上にこらえすぎて、エステルの手の感触がほとんどない。
お母さまの視線が痛くて、直接見ることができない。あんなに優しい眼差しなのに、わたしには耐えられない。
でも1歩1歩踏み出して、なんとかしてお母様の前にたどり着く。
たどり着く、だなんて大袈裟かもしれないけど。
視界の上の端にはお母さまがいる寝台がある。
いつの間にか下を向いてしまっていたみたい。
覚悟はついさっきしたはずなのに、顔を上げるのが怖い。顔を見るのが怖い。
だってわたしのことに気づいていたら?
わたしを受け入れてもらえなかったら?
お母さまから憎まれてもおかしくない。
でも。
でも、
わたしは、紛れもなく「エヴァン」なのに——。
……そう、私は「エヴァン」なんだ。
ひたすらに要らぬことをして。周囲の人間に迷惑を振り撒き。断罪されて消えていく、傍若無人の悪役令息だ。
今更一人に敵意を持たれたところで、たいして変わらないだろう? それが例え、愛する母親相手でも。
だって私は、他ならぬ私の方こそが、確かに愛していた妹をこの手で突き放したのだから。
ならば顔を上げろ。そして相手を見据えるのだ。私がいったい何かしたかと、悪びれもせずに振る舞ってみろ。
それが救いようのない悪役の、せめてもの矜持というやつだ。
それがこれから、いやこれからも、わたしが歩む道なんだ。
意を決して顔を上げる。
そこに待っていたのは、柔らかな笑顔だった。
改行と行の空け方の正解がわからない作者です。
端末によって読みやすさ違うし一体どうすればいいんだ……orz
今後も微修正が相次ぐとは思いますが「あぁ、またやってんな……」と思っていただければ!