表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

高千穂紀行~阿蘇神話を訪ねて~

作者: flat face

 高千穂は今も高千穂町にその名が残っていますが、昔は宮崎県の日向国と熊本県の肥後国に跨がる地域がそう総称されていました。

 奈良時代に国郡の制度が確立しますと、肥後の高千穂は阿蘇郡に編入されました。

 日向の高千穂にある高千穂峡は、阿蘇山の火山活動で流出した火砕流が冷え固まり、侵食されて出来た峡谷です。


 このように高千穂と阿蘇には深い繋がりがあり、地理的にも宮崎空港より阿蘇くまもと空港から行く方が早くに着きます。

 また、高千穂は天孫降臨で有名ですが、阿蘇の神話と関連する伝承も存在します。

 高天原が舞台の岩戸開きに関係する神社もあります。


 それゆえ、今回、高千穂を観光するに当たり、私は阿蘇も旅行しました。

 そこから足を伸ばして熊本城にも行きました。

 旅のお伴には岩戸開きや天孫降臨が載っている『古事記』を携えました。



  一日目


 私はまず飛行機で阿蘇にやってきました。

 熊本県の阿蘇くまもと空港に着いて外に出ますと、蒸し暑い空気に襲われました。

 レンタカーを予約していたため、空港内にある窓口で受付を済ませ、シャトルバスで店に送ってもらい、そこで手続きして車を借りました。


 空港があるような町中の割りに道路は本数が少なく、脇には田畑が広がっているのに驚かされました。

 交通量も少なくて車はゆっくりと走っており、信号は殆どありませんでした。

 歩行者も全くおらず、あたかも高速道路を走っているような気分になりました。


 阿蘇の田畑は広く、道路を走る農耕車も巨大でした。

 コンビニは黄土色のログハウス風で、全体的に阿蘇は農業の盛んな印象を受けました。

 また、墓地で真っ黒な石が墓石に使用されているのも印象的でした。


 町中を出ましたら山道に入っていきました。

 木ではなく草だけの生えた山が続き、それらの山々は淡くて明るい緑色で、抹茶を振り掛けたお菓子のようにも見えました。

 それゆえにか、高い山でも雄大というより長閑な感じでした。


 木が生えている山々も、三角形の木々が多く、日の当たる範囲が広いからか、山中に入っても明るかったです。

 そうした道を通って宮崎県に入りますと、そこはもう高千穂町でした。

 神楽の天手力雄神と天鈿女命の人形に出迎えられました。


 宮崎は熊本と違い、草だけしか生えていない山はなく、代わりに段々畑がありました。

 道端に機関車が線路ごと展示されてもいました。

 目的地たる高千穂峡までの道路も本数は少なく、信号や電灯も殆どありませんでしたが、観光地であるからか交通量は幾らか増えました。


 高千穂峡にやってきますと、第2あららぎ駐車場に車を駐めました。

 第2あららぎ駐車場は「あららぎの里」にあり、そこは太古の昔に鬼八法師という荒ぶる神が棲み着いていたところです。

 鬼八は様々な悪事をなしたため、神武天皇の三兄たる御毛沼命に退治されました。


 鬼八が棲んでいた「鬼の岩屋」と八峰九谷は、橋の上から見下ろすことが出来ました。

 そこは荒々しい峡谷で、荒ぶる神が棲んでいたというのも頷けます。

 橋から写真を撮るのは、高さに足が竦んで怖かったです。


 長距離の運転でお腹がぺこぺこだったので、まず昼ご飯で腹拵えすることにしました。

 高千穂峡は流し素麺が名物なので、それでお昼を頂きました。

 竹製の樋による流し素麺は暑い夏に外仕事をする合間、清水で素麺を冷やし、青竹を使用して食べたのが始まりと言われています。


 私が食べたお店は、「玉垂れの滝」から引いた清水が使われ、麺汁は高千穂の椎茸が出汁に用いられているそうです。

 注文は流し素麺のセットメニューとクラフトビールの宮崎日向夏地ビールを頼みました。

 流し素麺は店員さんが手動で素麺を流し、次々と素麺が来る様は椀子蕎麦のようで、掬いそびれた素麺は笊で受け止めてもらえます。


 セットメニューの味噌おにぎりと虹鱒の塩焼きは淡泊な味で、小鉢の味が濃厚であったため、全体的な味のバランスは良かったです。

 虹鱒はほくほくしており、骨まで食べることが出来ました。

 クラフトビールはホップのほんのりした苦みだけではなく、日向夏の渋い甘みも感じられました。


 食後、高千穂峡の貸しボートを予約しますと、順番が回ってくるまでの間、高千穂神社の参拝に出掛けました。

 高千穂峡と高千穂神社は距離こそ近いのですが、アップダウンが激しいため、車を借りていなければきつかったです。

 町中には神楽の像が立っていましたが、お地蔵さんもあるのに気が付き、神話の里とされる高千穂にも仏教の信仰は根付いているのだなと思いました。


 高千穂神社は鳥居が石や青銅のようで、左右それぞれ二匹の子犬を抱えた狛犬も、重厚であって見応えがあるのに対し、社殿は色も塗らない素朴な木造でした。

 本殿には鬼八を退治する御毛沼の像が彫られていました。

 御毛沼が鬼八を押さえ付けている構図は、天邪鬼を踏み付けている毘沙門天が思い起こされました。


 高千穂神社は夜に神楽を行う夜神楽も有名で、ダイジェスト版でしたら一年を通して毎晩あります。

 しかし、それも夜に行われるので、時間の都合で見学することは出来ませんでした。

 仕方なく神楽殿だけでも拝観することにし、中に入らせてもらいました。


 建物や舞台は思ったよりも大きく、新しい畳の匂いがしました。

 神楽をモチーフにした大きな絵が二つ掛けられてもおり、一つは前衛的なタッチで描かれていました。

 舞台には太鼓など神楽の道具も置かれており、これらが使用されているのを見られなかったのは残念です。


 神楽殿から出た後、改めて境内を散策しました。

 高千穂神社は『続日本後紀』にも登場し、高千穂郷八十八社の惣社とされています。

 拝殿には古風な趣があり、本殿は五間社流造の重要文化財ですが、民家のようであって迫力という点では建物よりも夫婦杉など自然の方が凄かったです。


 夫婦杉は根がくっついた二本の大きな杉で、他にも大木が何本かありました。

 鎮石という手を翳すと、ぴりつくこともあれば、温かく感じることもある不思議な石も見られました。

 帰りに社務所で日向神話研究会『日本神話の舞台』を買いました。


 まだ時間があったので、天岩戸神社を参詣することにしました。

 岩戸隠れの舞台が天岩戸神社であるそうです。

 その伝説は高天原で起きたことのはずですが、着想の元になったということでしょうか。


 天岩戸神社は東本宮と西本宮があり、西本宮の駐車場は満だったので、東本宮の方に行きました。

 駐車場からは東本宮の入り口に立つ鈿女の像が見えました。

 ですが、目指す天安河原は西本宮の近くにあることからそちらを向かいました。


 西本宮に赴く参道には新しい橋が架けられており、全体的なデザインは伝統的ながら、ガラスで下の峡谷が覗け、欄干には神楽の人形がありました。

 橋を渡ってからの参道にも神楽の面が家々に飾られていました。

 西本宮の入り口には手力雄の像が立っており、鈿女ともども高千穂野シンボルなのでしょうか。


 他にも天照大御神の銅像がありました。

 こちらはよく見掛ける手力雄や鈿女の像と異なり、西洋の女神のようなデザインになっていました。

 西本宮は天照が隠れた天岩戸とされる洞窟がご神体で、東本宮は天岩戸から出た天照の住まいとされています。


 ガイドさんに案内してもらえるツアーに参加すれば、聖域の天岩戸を拝観できます。

 しかしながら、初めての土地で時間通りに行動できるか分からなかったので、ツアーの予約はしませんでした。

 ただ、拝殿に来た時、丁度、ガイドさんが説明しているところだったため、そこに植わっているご神木の実が神楽鈴の原形であると教わりました。


 境内は鄙びていると言って良いほどの落ち着いた雰囲気で、木陰で薄暗くなっていることが余計にその印象を強めました。

 そのようなところを抜け、何軒かの出店を通り過ぎ、渓谷を下って天安河原に向かいました。

 天安河原は岩戸隠れに際し、神々が集まったとされる場所で、渓谷には遊歩道が設けられていました。


 その先には仰慕窟と呼ばれる大洞窟があり、社が建てられています。

 大きな洞窟と言いましも秋芳洞のように大規模なものではなく、圧倒されることはありませんが、秘密基地にいるようなわくわく感を楽しめました。

 河原や洞窟には祈願の積み石がびっしり並び、まるで「賽の河原」を見るかのようでしたが、もしかしたら神仏習合の時代はそのように受け取られていたのかも知れません。


 天安河原から引き返して出店まで来ますと、そこで高千穂牛を挟んだコッペパンを買いました。

 イートインまで運ぶ間に中身が飛び出してしまい、沈んだ気分で食べたため、味は余り分かりませんでした。

 他にも高千穂の神話や伝説の本などを購入しました。


 高千穂峡に帰りましたら貸しボートを予約していた時間にぴったりでした。

 ライフジャケットを着けてボートに乗り、漕ぎ出したものの上手くオールを扱えませんでした。

 断崖や他のお客さんによくぶつかり、監視員さんのお世話になりました。


 高く切り立った崖やそこから流れ落ちる滝よりも水が目を引き、翡翠が液体になったような緑色をしており、底が見えなくて怖かったです。

 滝は天村雲命が水種を移した天真名井から地下を通い、流れ落ちている「真名井の滝」で、高千穂峡には他にも神話に因む名所があります。

 伊邪那岐神と伊邪那美神が造ったと伝わるおのころ島、岩戸開きの後に素戔嗚尊がもう二度と悪さをしないと反省の証に刻んだ月形、鬼八が御毛沼に投げた「鬼八の力石」。


 周りにも槵觸神社や荒立神社、国見ヶ丘など日本神話の舞台があります。

 けれども、残念ながらそれらの全てを見ることは叶いませんでした。後ろ髪を引かれる思いで阿蘇のホテルに向かいました。

 ホテルは阿蘇山が眺められるところに建っており、入り口には石碑が聳え、表には健磐龍命と鬼八、裏には根子岳の猫伝説が描かれていました。


 健磐龍は神武の孫で、伯父の御毛沼と同様、鬼八を倒したという伝説があります。

 鬼八には体をばらばらにしても生き返ったという伝説があるので、御毛沼に倒された時は生き返り、その後に健磐龍が倒したのでしょうか。

 御毛沼たちを祀る高千穂神社は、健磐龍によって建てられたそうです。


 ホテルでの晩ご飯では熊本の名物たる高菜飯と辛子蓮根を食べました。

 どちらも高菜と辛子の割りにはそれほど辛くありませんでした。

 阿蘇の米焼酎も頂きましたが、水のようにするする飲め、ほんのり日本酒を思わせる後味がしました。



  二日目


 朝食を取る前に阿蘇神社へ参りました。

 店が軒を連ねる参道は、朝早いために開いておらず、急に現れた鳥居を潜りました。

 全国にある阿蘇神社の総本山だからか、社殿の石垣は熊本城のごとく立派でした。


 残念ながら熊本地震により日本三大楼門である楼門は修理中で、本殿に続く道も通行止めになっていました。

 新しく完成した拝殿は、新築の木造だからか温かみが感じられ、境内の山王社・庚申社には神使たる猿の縫いぐるみが置かれていました。

 駐車場の近くには健磐龍の妻である阿蘇都比咩命の墳墓があり、夫妻は阿蘇神社の祭神です。


 神社を後にしてホテルに帰り、朝ご飯に熊本のB級グルメたるちくわサラダを賞味しました。

 ちくわとしては食べ応えがあり、もっさりとしていました。

 搾り立ての牛乳も頂戴しましたが、味は濃厚であるのに飲みやすかったです。


 ホテルをチェックアウトしてからは阿蘇と熊本の有名所を回りました。

 まずは草千里ヶ浜を訪れましたが、雨風が強くて寒かったです。

 車道の近くで牛や馬が放牧されており、のびのびと育ってストレスがないからか、悠然としてカメラにも反応しませんでした。


 次に熊本城を見学し、熊本地震に被災した痕などを目にしました。

 お昼は「桜の馬場 城彩苑」で馬刺しやだご汁を注文しました。

 馬刺しは溶けるような食感を楽しめ、だご汁は甘口の味噌汁にすいとんが入っており、生あげは薄い厚揚げを思わせました。


 夕食は空港内であか牛丼を頂きました。

 あか牛は脂身が少なく、味はしっかりしていながら、くどくはなくて食べやすかったです。

 それから、帰りの飛行機に乗り、パッチワークのような阿蘇の田畑を眺めながら、高千穂の旅を終えました。


日本の神話に幾らかでも興味を抱いてもらえればと思い、日本神話を題材にした児童書を以下に挙げさせていただきました。


エコツミ『まだ青き神々の歌』

大林憲司『小説 火の鳥 黎明編』

久保田香里『根の国物語』

和木浩子『八岐の大蛇』

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 素敵なエッセイでした。 #日南田ウヲ
[良い点] 訪れた時の事を思い起こさせる良いエッセイです。 夫婦杉もそうなのですが、杉の木の存在は正に荘厳ですよね。 境内は本当に現世とは異なる領域の様に感じたものです。 [一言] まだ訪れたこと…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ