ファーガソン公爵家の男
カタン。
小さな音にチェリシラの目が覚める。
「あ」
扉が開いた灯りに影が延びていて、チェリシラは声をあげた。
「お帰りなさい」
「悪い、起こす気はなかったんだ。ただいま」
影の主はアレステアだ。
「すぐに王宮に戻らないといけないから」
公爵邸に帰って来たばかりなのに、戻ると言う。無理をして時間を作って、チェリシラに会いに来たということだ。
深夜に寝顔だけ、見に来たらしい。
「すぐにお茶をいれるから、少し飲んで行けば?」
チェリシラはガウンを羽織ると、急いでお茶の準備をする。ベッドサイドの灯りに照らされたアレステアの顔色が悪くて、チェリシラは休ませたいと思ったのだ。
ずっと王宮に寝泊まりしているアレステアは、3日ぶりにファーガソン公爵家に戻ってきたのだ。
当然、学院にも登校していない。
グラントリーは通常の王太子の仕事に加えて、襲撃事件の捜査もしているのだ。側近のアレステアも行動を共にしている。
グラントリーもアレステアと同じ状態なのだろう。
「アレステア様、顔色が悪い」
テーブルにお茶のカップを置いて、チェリシラがアレステアの隣に座る。
「ああ、いい香りだ。チェリのお茶で元気がでたよ」
お茶を一口飲んで、アレステアがチェリシラの髪を一房、指にからめる。
チェリシラもずいぶんアレステアに慣れてきたので、それぐらいでは動じない。
「アドルマイヤ王国から正式に書簡が来たんだ。
グラントリーがジェネヴィーブを婚約者にすると言ったのを、王は候補に留めたぐらいだから、ジェネヴィーブを気に入っているわけではない。
学院の成績がずば抜けていても、王太子妃ではなく研究所で使うべきと考えているようだ。ジェネヴィーブの価値を低く考えている。
王は、ジェネヴィーブをアドルマイヤ王国に嫁がせることで、優位な条件をひきだそうと考えているらしい。
グラントリーが怒り狂っている。
いや、キラルエと名乗った男が本物だと分かった時から、焦っている、というべきか」
「それで、最近、殿下から花束が届いているのですね」
毎朝届く花束が不審であった。今までこんなことは、なかったからだ。
キラルエからは地図で、グラントリーからは花束。
あきらかに、キラルエの方がジェネヴィーブが喜ぶものを考えている。
アレステアは、チェリシラを見る。
「チェリ、好き」
アレステアから何度も言われているが、そのたびにチェリシラは真っ赤になる。
ダークシュタイン伯爵領で、常に冷静でいるよう訓練したことなど、役に立たない。
アレステアはチェリシラから答えをもらえなくとも、チェリシラが真っ赤になるのを見ると満足である。
アレステアは花束、ドレス、お菓子、いろいろな物をチェリシラに贈っている。
グラントリーはそれを呆れたように見ていたが、先日からジェネヴィーブに花束を贈っている。
キラルエ王太子のプロポーズをジェネヴィーブが拒否しなかった、それがグラントリーには大きな衝撃だったらしい。
アレステアからみれば、グラントリーはジェネヴィーブに好意以上の気持ちをもっているように見えるが、本人はそれに気がついていない。
ジェネヴィーブの才能は王妃の権力を与えれば、国を豊かにする能力だ、とグラントリーは言う。
母親である王妃を苦しめる愛妾の存在を嫌悪するグラントリーは、愛を否定しがちである。それよりも王と王妃は、信頼と義務、それを分かち合う存在だというのが信念のようだ。
側近として、友として、グラントリーにも幸せになってもらいたい。
アレステアは、手にしたチェリシラの髪に口づけると、立ち上がった。王宮に戻る時間になったからだ。
「ゆっくり休んでくれ。お茶をありがとう」
チェリシラがもう一度ベッドに入るのを見届けて、アレステリアはチェリシラの部屋を出て行く。
怒り狂ったグラントリーは、王の退位を強行する予定でいる。
王太子の権力では、ギラッシュ夫人の捜査に入ると王から中止命令が入るからだ。
疎遠になったとはいえ、王の子を4人も生んでいるのだ。王も斬り捨てることはしないのだろう。