アドルマイヤの王太子の名前
わがままを言いなさい、そう言われた気がした。
ジェネヴィーブは部屋に戻ると、ベッドに突っ伏した。
キラルエ・アノール・アドルマイヤ。
そう言った彼の本名なのだろうか?
ジェネヴィーブには、アドルマイヤ王国の王太子の名前と知っていても、本人かどうかなんて調べる術はない。
ただ、嘘を言われたと思いたくないだけ。
はぁ、と両手で顔を隠してジェネヴィーブは溜息をつく。
以前は、こんなんじゃなかった。簡単に信用したりしたら、チェリシラが傷つけられるかもしれない。攫われるかもしれない、と警戒が優先だった。
今は、チェリシラにはアレステアがいる。
グラントリーとアレステアに会った時は、王太子が東部地域に視察に来ているのを知っていたから可能性があった。
だけど、アドルマイヤの王太子が、こんな所にいるなんてありえない。隣国とはいえ、他国の山の中にいることもありえない。
1回目も2回目も3回目も、王太子がいる場所じゃない。
理性では分かっている。
信じちゃいけない、信じたい。
私だけは特別、嘘は言われない、そう思いたい自分がいる。
ヌガデウィン公爵令嬢も、こんな想いをしているのだろうか?
グラントリーの婚約者候補であり、一族の期待を背負っている令嬢。
グラントリー達と昼食を取っている私を見るのは辛いだろう、とジェネヴィーブはマリリエンヌ・ヌガデウィンの事を思い出した。
人を好きになって、好きになる気持ちが理解できる。
幸せだけじゃない、不安がいっぱいだ。ましてや、その人が自分を振り向きもせず、他の女性を側に置いているなら尚更だ。
だから、自分達を襲撃したというのなら、それは間違っている。
たとえ、キラルエが嘘を言っていて、私が報われなくとも、ヌガデウィン公爵令嬢のような考え方はしない。
キラルエが、何かの意図を持って近づいてきたとしても、好きになったのも私自身の責任だから。
夕食の時間だと声をかけられ、ジェネヴィーブが食堂に行くと、チェリシラだけでなく公爵も着席していた。
「王宮で、君達の報告書を受け取った」
ジェネヴィーブとチェリシラは、顔を見合わせた。
その報告書は、どの報告書だろうか? 襲撃場所特定の報告? キラルエと会ったことの報告?
「殿下とアレステアは、襲撃場所の確認に行っている。アレステアは今日も王宮に泊まるだろう」
公爵は給仕の使用人をさげると、食堂には公爵とダークシュタイン姉妹の3人だけになった。
「アドルマイヤの王太子に、外交使節を通じて謁見を申し込む予定になった。
王太子殿下本人ならともかく、名前を使われたとしたら重要事項だ」
王太子本人の可能性はとても低いが、ゼロではない、と公爵は言っているのだ。
「はい」
そう答えるのが、ジェネヴィーブにはやっとである。
チェリシラは、公爵とジェネヴィーブを見比べて言った。
「頭のいい人は考え過ぎなんだわ。悪い風にばかり考えちゃダメだと思います」
世の中、ありえないことが、あることもあるもの。
人に翼があるなんてありえないのに、私の背中にはあるもの。
「お姉さまが王太子妃になっても、平民に嫁いでも、私のお姉さまに変わりはないわ」
「わぉ、チェリシラ、大好き」
ジェネヴィーブが、隣の席のチェリシラを抱きしめれば、チェリシラも抱きしめ返す。
「私は自慢の妹ですからね」
その様子を見て、公爵は言葉にしないが笑みを浮かべた。
女の子がいるというのは、こういう事なのだな。