近寄る気持ち
イーガンはキラルエの様子を伺うも、キラルエがジェネヴィーブを気に入っているのが簡単にみてとれる。
帰国を急がねばならないのは重々に分かっているが、王太子妃は最重要課題だ。
貴族派閥の牽制などと言って、結婚を遠ざけていたキラルエが初めて見せる様子に、イーガンは探るようにジェネヴィーブを見る。
貴族令嬢だが健康的な肌色をしている。世継ぎをすぐに期待できるだろう。
言葉の端々からも知性を感じ取れる、かなり頭がいい。
問題は、爵位と背景だ。伯爵以上は絶対である。
「ラン?」
キラルエがジェネヴィーブの手を取った。
「ケガ? 赤くなっている」
そこは、火傷の跡が完治していなくて赤みが残っているところだ。
ジェネヴィーブが腕を抜こうとするも、男の力には敵わない。
ヤーコブが机に手をついて、外そうとしたが、キラルエが睨みつける。
「そうか、火傷か」
キラルエの中で、全てがつながる。
薬、火傷、報告で受けているジェネヴィーブ・ダークシュタインとチェリシラ・ダークシュタインの髪と
瞳の色。
全てが合致する。
ジェネヴィーブの手を離さずにテーブルを回って、ジェネヴィーブの隣で片膝をつく。
「ジェネヴィーブ・ダークシュタイン?」
ジェネヴィーブが否定しないのを確認して、その手に口づけを落とす。
「俺の事は、キラルエと呼べ」
調査書にはジェネヴィーブは18歳とあった。7歳の差など問題ないとキラルエはほくそ笑む。
山や飯屋でいろいろな話しをした。とても7歳も下の令嬢の会話ではなかった。
ジェネヴィーブ・ダークシュタインなら納得だ。
「俺達は出会うべく出会った」
ジェネヴィーブが拒否しないから、ヤーコブも護衛も強く出ることが出来ない。
それにヤーコブは気がついていないが、護衛はキラルエの隣にいるガンと呼んだ男が、殺気を押し殺しているのを感じている。
とんでもない使い手だろうと察していた。
自分達が動いた瞬間に、殺気を開放するだろう。
手にキスされてジェネヴィーブは頬を染めているが、チェリシラを危険に合わせるような人間だったらと考える。
「キラルエといえば、アドルマイヤ王国で有名な方がいらっしゃいます」
ジェネヴィーブにとって、こんな所にいるはずのない人だ、知識としてしか知らない人だ。
キラルエも否定をしない。
チェリシラはそれが誰を指すのかを知らないが、もしかしてロンは偉い人なのかもとは思う。
姉がロンとすれ違った時に、わずかに見せた笑顔をチェリシラは気がついてる。
だから、自分がここででしゃばってはいけないと控えている。
もし自分が逃げたら、アレステアは地の果てまで追って来るだろう。なら、グラントリーはどうだろうか?
姉を婚約者にと望んではいるものの、姉の才能を王家に取り込む為とも思える。
キラルエという人は、ロンとしてランという人物に好意を持ってくれたのなら、姉自身に好意を持ってくれたのだろう。
「ジェネヴィーブ、俺はここを離れねばならないが、もっと君を知りたい。
結婚を前提で付き合って欲しい」
「キラルエ!」
殿下と呼べないから名前を呼んで、イーガンがキラルエを止めようとする。
王太子として、簡単に言ってはいけない言葉だ。
キラルエはイーガンを見たが、返事をせずにジェネヴィーブの手を握りしめる。
「イーガンがうるさいが気にしなくていい。
俺は、夫としては不足かな?」
ジェネヴィーブは首を横に振る。
「私は、お世話になっている人の、婚約者候補となっているのです。
それに、キラルエの国には後宮制度があるでしょう?
私だけを大事にしてくれる人と結婚したいの」
「ああ、あれか。
俺は妻は一人でいい。意見が合うな」
キラルエには同母のゼノンの他に、異母兄弟が23人いる。後宮費用と、王位継承問題を考えれば、キラルエは後宮を否定している。
だからこそ、たった一人の妃を選ぶのは慎重だった。それが、ジェネヴィーブには早急に捕まえようと思うのだ。
「婚約者候補なら、辞退も可能だろう。
俺からは、すぐにダークシュタイン伯爵に婚約の許可の書状を送ろう」
握りしめているジェネヴィーブの手に、もう一度口づけをするキラルエ。
「キラルエ、妹のチェリシラよ」
ジェネヴィーブに紹介されて、チェリシラは頭を下げる。
「キラルエ・アノール・アドルマイヤだ」
キラルエが名乗ると、チェリシラもキラルエが王太子までは知らないがアドルマイヤの王族だとわかり驚く。
それよりも、ヤーコブと護衛が顔色を変えている。
「もう行かなければならない、また来る」
そう言ってキラルエは立ちあがったが、身を屈めてジェネヴィーブの耳元に囁く。
「好きだ」
それは他の人間には聞こえなかったが、ボン、と音がしそうなぐらい真っ赤になって視線を彷徨わせるジェネヴィーブで、何があったか丸わかりである。
今度こそ立ち上がると、キラルエは会計をして出て行った。
イーガンを引き連れ、馬屋に急ぐキラルエには、ゼノンの言葉がよみがえっていた。
『ダークシュタイン姉妹を狙った犯人は、まだ捕まっていない』