ダークシュタイン伯爵
「チェリ、グラントリーを殴った時に動きが変だった。
崖から落ちた時に、どこかケガをしたのではないか?」
アレステアが心配そうにチェリシラの手を取ろうとする。すでに、チェリと愛称呼びが定着している。
「お嬢様」
伝令に行かずに残っている護衛が、チェリシラのケガと聞いて近寄ろうとしてアレステアに制止される。護衛達は王太子とその同行者と聞けば、逆らうことはできない。
「護衛といえど、チェリを他の男に任せるわけないだろう」
言うが早いか、チェリシラが答える前に、アレステアがチェリシアを横抱きに抱き上げる。
「はぁ!?」
チェリシラの否定と疑問が入り混じった、今日何度目かの悲鳴があがる。
伝令から伝えられて、ジェファーソン・ダークシュタイン伯爵は迎えのために玄関に出ていた。
戻って来た馬車には、娘だけでなく男二人が乗っていた。その男達の馬は護衛が手綱を引いて連行している。
最初に降りて来た男は、チェリシラを横抱きにして降りて来たのだ。
「ダークシュタイン伯爵、初にお目にかかります、ファーガソン公爵家の長男アレステアです。チェリは足をケガしているようなので、このまま屋敷に入ってよろしいでしょうか?」
チェリ、それはチェリシアのことか? と確認したいが、チェリシアのケガの治療が先だ。
「あ、ああ。公子、ご負担をかけて申し訳ない」
ジェファーソンは、チェリシラが言葉なく横抱きにされているので、ケガがひどいのかと気になってしかたないが、伝令が王太子と言っていたので、迎えもせず一緒に屋敷に入るわけにはいかない。
ファーガソン公子は武道に優れ、王太子の側近として護衛についているというのは聞いている。やはり、王太子がいるのだろう。
馬車の中でアレステアから構い倒されて、チェリシラが疲れきっていたために大人しい、などとジェファーソンは知るよしもなく、チェリシアを心配しても玄関で待たねばならない。
次に降りて来た男に、伯爵は目を見張る。
それは間違いなく王太子の姿。まだ学生とはいえ、王宮の公式行事で何度か王太子の姿を見ているので、間違いない。
その王太子は馬車を振り返ると、手を差し出したのだ。
「ジェネ」
王太子がジェネと呼んでいるのは、もしかしてジェネヴィーブか? ありえない思いに頭が否定するが、馬車の中から聞こえるのは娘の声だ。
「エスコートなんていりません。自分で降りれます」
降りていた王太子がもう一度馬車に乗り込むと、「やめて!」という声と共に、王太子がジェネヴィーブの手を引いて降りて来た。
「王太子殿下、ダークシュタイン伯爵領へようこそいらっしゃいました」
躊躇なく言えたが、伯爵の心臓は爆音で破裂しそうであった。いやな汗が背中を流れる。王太子が繋いでいる娘の手から目が離せない。
どうして娘と一緒にいるのですか? その一言が言い出せない。
伝令を伝えて来たのが、娘の外出につけた護衛の一人だったから、予想をしていたが、予想とは違う。
「ジェネヴィーブは部屋で着替えてきなさい。そのままでは殿下に失礼だ」
王太子と娘を離そうと伯爵が言葉にした途端、ジェネヴィーブは喜んでグラントリーの手を振り払い部屋に向かうと、王太子の舌打ちが聞こえてきた。
ダークシュタイン伯爵邸のサロンに足を組んで座っているのは、王太子グラントリー。その後ろには護衛らしくアレステアが立っていたが、今は横の椅子に座っている。
アレステアは侍女にチェルシラの治療を任すと、グラントリーに合流したのだ。
テーブルには、ジェネヴィーブが何年も計測したデータとそれに付随する注意書。ジェネヴィーブとチェリシラが着替ええている間に、サロンに通された二人は、ジェネヴィーブの計測データと報告書を要求したのだ。
「娘が5歳の時に、最初に提案したのが農地改革です。一番下の計画書がそれです」
今日一日で寿命が10年ぐらい縮んだ伯爵が、王太子と公子の表情を窺っている。
グラントリーとアレステアは、言葉もなくその書類の束を熱心に読んでいる。
「素晴らしい、これは時間をかけて読むとしよう」
グラントリーは書類をテーブルに戻すと、アレステアも同じように戻し、伯爵に向き合った。
「別の事でお話があります。まずはご挨拶をさせてください」
アレステアは、伯爵とグラントリーの間にあるソファの前に立った。
「すでにチェリシラ嬢にはプロポーズしましたが、伯爵に婚約の許可をいただきたく。
父であるファーガソン公爵には、すぐに許可を得ます」
アレステアの直球に、伯爵は何と返答するべきか躊躇する。
娘たちと、この二人になにがあったのだ?
そこに追い打ちをかけるのがグラントリーだ。
「私もジェネヴィーブ嬢を気に入っている。
王太子妃候補として、陛下に進言するつもりだ」
伯爵は硬直してしまった。