男達の思惑
王太子を殴って泣いているチェリシラをアレステアが慰め、殴られたグラントリーの頬にジェネヴィーブがハンカチをあてているという構図ができていた。
「妹が申し訳ありません」
「いや、私が天使の機嫌を損ねたのが悪いのだ」
王太子が殴られるなど大問題だが、それが天使となると話は別である。
「殿下、妹は愛情もなく天使と呼ばれるのが大嫌いです。
なんの力もない普通の女の子です。
本物の天使なら、崖から落ちたりせずに空を飛ぶでしょう」
ジェネヴィーブが言うことはもっともで、納得してしまう。
言葉通りになんの力もないかは別として、天使のような羽がある、その容姿が無ければ天使と呼ぶのは愛する家族や恋人に使う言葉だ。
恋人。
グラントリーは口元を片手で覆う。
「いや、容姿で言った私が悪い。だが、そんなつもりはなかった」
何を慌てているのだ、私は。
グラントリーは、妹に好意を持っていると思われたくなくて言い訳しているようではないか、と自問自答する。
あの羽の姿は、神話の天使そのものだ。人民全てが彼女にひれ伏すのは容易に想像できる。
絶対に手に入れねばならない、それは判断できる。
王家を滅ぼせと言えば、人々は神軍と叫んで武具を手にするだろう。
他国に奪われれば、と考えるだけで恐ろしい。
ふー、と小さく息を吐き、ジェネヴィーブがグラントリーを見上げた。
「殿下のお考えを察します、と言えば畏れ多いでしょうか?
私も妹も、好きな人と結婚して穏やかな家庭をつくるのを幸せと知っています。
両親がそうです」
ゆっくりと笑顔をみせるジェネヴィーブに、グラントリーは惹き付けられる。
好きな人と結婚して穏やかな家庭。
それは、側に居るチェリシラとアレステアにも聞こえていて、アレステアがチェリシラの足元に片膝をついた。
「ご令嬢、チェリシラと姉君が呼ばれていたが、チェリシラ嬢とお呼びしていいでしょうか?」
アレステアの気迫にチェリシラが頷くと、アレステアは左手で胸を押さえ、右手をチェリシラに差し出した。
「チェリシラ嬢、どうか、私、アレステア・ファーガソンが貴女に求婚することをお許しください」
えーー!!?
一瞬その場が静寂になるが、アレステアはグラントリーを一瞥すると、言葉を続ける。
「チェリシラ嬢が好きです」
「はぁぁ!」
叫ぶことしかできないチェリシラとは違い、グラントリーはニヤリと笑った。
「すごいな、アイツにあんなことを言わせるなんて」
「好きってどういうこと!?
さっき、会ったばかりだよね。羽、羽を利用しようとしてるんでしょ!」
狼狽えるチェリシラと違いアレステリアは落ち着いていて、差し出した右手でチェリシラの手を取ると口づけを落とした。
「ぎゃあ!」
チェリシラが叫んでも、アレステリアがその手を離すことはない。
「ああ、羽、綺麗でしたね。
羽があるチェリシラ嬢も、グラントリーを殴ったチェリシラ嬢もいいですね。
私は、あるものをないようにしろなんて思いませんよ。すべてがチェリシラ嬢なのですから。
チェリシラと呼んでもいいでしょうか? それとも私の天使と呼ぶ方が?」
「どっちもダメ!」
間髪入れずにチェリシラが否定する。
「たしかに、あれは愛情のある天使の呼び名だな」
抑えられないようにグラントリーが口元に拳を添えて笑う。
「ねぇ、ジェネ」
「はぁぁ!?」
今度は、ジェネヴィーブが叫んだ。ハンカチを握ったままジェネヴィーブが離れようとしたので、グラントリーがその腰に手を回す。
真っ赤になったジェネヴィーブが身をよじるも、逃れられそうにない。
「軽々しく触れないでください。
殿下にはなんでもないことでも、田舎娘には慣れてないんです」
「私だって、義務でもないのにこんなことする自分が信じられないんだ」
なにソレ?
ジェネヴィーブが胡散臭そうにグラントリーを見た時に、足音が聞こえてきた。
「お嬢様!」
ダークシュタイン伯爵家の護衛達が、崖の横の道を降りてくる。
アレステアとグラントリーが、ジェネヴィーブとチェリシラを守るように前に出ると、ジェネヴィーブがグラントリーの袖を引っ張る。
「うちの護衛達です」
「護衛の役になってないだろう」
アレステアが護衛と聞いてもチェリシラを背に庇い、警戒態勢をとかない。
護衛達も剣に手をかけ、ジェネヴィーブとチェリシラの前に立つ不審な男達に無言で向き合う。
「私が、他のポイントの計測に行かせていたのです」
ジェネヴィーブがグラントリーに声をかけ、護衛達にも声をかける。
「向こうのポイントの数値を知りたいけど、それより館のお父様に王太子殿下がお見えだと伝令に行ってちょうだい」
チェリシラの羽を見られたのだ、そのまま帰すわけにはいかない。求婚の話で更に面倒、と考える。
羽を悪用されることを恐れているチェリシラに、羽を見た直後に求婚。
公爵子息、慌てていたとはいえ、最悪の一手。