ロンという名の男
「私はランよ。貴方は?」
ジェネヴィーブは適当な名前を名乗る。
「俺はロンだ」
男は面白そうに名乗るが、ランと名乗ってロンというのは偽名だと言っているのと同じである。
「へぇ、なるほどね。ロン、よろしく。
あー!ヘタクソ!
それじゃ根を痛めてしまう。もっと深く掘って」
ジェネヴィーブからダメ出しをくったロンは、身体を屈めて笑い出した。
「ははは!」
しばらく笑っていたが、ぴたりと動きを止めた。
「出てきたらどうだ?」
ロンに返事するように、木陰から3人の男が出て来る。それは、ジェネヴィーブの護衛で、離れた所に採集に行っていたのだ。護衛の役に立っていないが、ジェネヴィーブの強い指示で論破されると、仕方なかった。
ジェネヴィーブが熊も眠らせる麻酔玉を持っていて、投げつければ一瞬で効力を発揮するからこそ、ジェネヴィーブの側を離れたのだ。
どうして麻酔球を使わないで、見知らぬ男がいるのだ、と護衛は頭を押さえた。
「ご苦労様、あっちの方はどうでした?」
ロンと護衛の尖った気配を気にしながらも、ジェネヴィーブは護衛に声をかける。
公爵夫人の体調を考えれば、かなりの量の薬草が必要になるが、ここに居れる時間が限られているので、採集優先である。
「お嬢様、かなり広範囲に探しましたが、見つける事は出来ませんでした。
やはりここにだけ、自生しているようです。
ところで、この男は?」
護衛は、身分を隠しているので、ジェネヴィーブをご令嬢ではなく、お嬢様と呼ぶ。
「さっき知り合ったの。ロンというそうよ。手伝ってもらっているの。
繊細な植物だから、日当たりと湿度の条件が揃っていないと難しいのよね」
ジェネヴィーブにとって、領地では護衛は助手と同意語だった。ここでも当然のように使う。
「お嬢様、見知らぬ男を近づけるなど不用心すぎます」
「うーん、だって、こんな山の中に一人でいるなんて、明らかに怪しいでしょ。なのに堂々としているから、面白くって」
ジェネヴィーブの言葉に、護衛だけでなく、ロンも呆れてしまう。
「彼ら、かなりの手練れだろう? そんな護衛を連れているランは? なんて聞かないから、俺の事も聞かないでくれないかな?」
ロン自身も腕に自信があるのだろう。護衛達に臆することもなく、腕を組んで立っている。
「サウザーさん、ロンと貴方達が争ったら、ここは血の海になって、土地もあれちゃうから。
とりあえず、皆で薬草採集よ。私は処理するから、集めて来てね」
ジェネヴィーブは護衛の一人に話しかけて、擦った薬草を瓶に入れる。
「そういうことだ。我らは関知しないから、好きな所にいかれるがいい」
サウザーと呼ばれた護衛が、ロンにどこかに行け、と言い放つ。
「ランちゃんみたいな子、俺の周りにはいなくって新鮮だな」
そういうロンは、その場を離れようとせずランの横に腰を降ろそうとして、ジェネヴィーブに怒られた。
「貴重な薬草なのよ。無造作に歩いて踏んだらどうするの」
ロンは、物心ついた頃から思い出しても、怒られたことはない。
常に期待以上の成果をだしてきたし、母親似の顔は女性達の好む美しい顔だ。自分に媚びへつらう人間は多く、反対に敵も多い。
ランに興味がわいてくる。よほど貴重な薬草だというのはわかるが、ここまでロン自身に無関心という女性はいなかった。なにより会話が楽しい。
かなり年下だろう、健康的な皮膚、薄いピンクの唇、大きな瞳、見とれてしまう。
ずいぶん荒れた手をしている。貴族令嬢のお忍びだと思ったが、護衛を付けれるほどの商家の娘かも知れない。ロンはジェネヴィーブを観察する。
「麓の街に宿を取っているのか?」
ロンが聞くと、護衛達が警戒態勢を取る。
ジェネヴィーブ達は、薬草の鮮度を保つために、明日の朝早くこの地域を出る予定でいるのだ。
「暗くなる前に、山は降りる予定よ」
ジェネヴィーブは、瓶詰めの手を止めてロンを見上げた。
「お礼に夕飯をご一緒にいかが?
明るいうちに採集してちょうだい。
サウザーさん達もお願いね」
「わかった」
ロンは背を向けると、薬草の採集を始めた。
サウザー達は、ロンを訝しながらもジェネヴィーブに従った。
それは日が陰るまで続けられ、荷造りをして山を降りるころには薄暗くなっていた。
護衛の一人が荷物を持ち、街に着くと居酒屋で食事することになった。