生け贄の学生と反抗
どこから聞きつけたのか、授業中にもかかわらず、アレステアがチェリシラの教室に飛び込んで来た。
「なんだ、これは?」
冷気、そう表現するしかないアレステアの気迫に教師もたじろいでしまう。
ねずみの死体、答えようとして、チェリシラは周りを見渡した。
顔色が良くないのが何名かいる。
チェリシラが泣いて逃げ出すだろうと思っていたに違いない。
それが、ファーガソン公子が出て来て、予定とは違う方向に進んでいるのだ。
「ねずみの死体です」
男子学生が一人、立ち上がった。
「申し訳ありません、ヤーコブ・ヒンボルトといいます。僕がいたずらでしました」
男子学生にしては、細い身体で可愛い顔をしている。
顔色は悪く、背中を丸めて手も震えているようだ。
これ、絶対に彼の意志でやったんじゃない。
やらされたんだろうな、とチェリシラは確信する。
教師がヤーコブに、ねずみを片付けて事務室に行くよう指示するのを、アレステアが止めた。
「先生は授業がおありでしょうから、私が彼に付き添って事務室に行きましょう。
少々聞きたいことがありますので。
ダークシュタイン令嬢の席は、あの汚れた机ではない席をお願いします」
アレステアがヤーコブを見れば、ビクンと震えてチェリシラの机に駆け寄り、ネズミを包み直して袋に入れた。
アレステアが教室から出て行くのを、追うように後ろに着く。
廊下に出て、アレステアは後ろを振り向かず声をかける。
「どうして名乗り出た?」
ヤーコブは頭をさげたまま歩いている。
「本当は、したくなかったから」
声は震えてはいないが、か細い。
「殿下が2回目を殴るのに失敗して転んだけど、彼女が足をひっかけたように見えた。
女の子なのに、殿下にはむかって、羨ましかった。
僕、なさけなくって・・」
「ヒンボルト男爵家か?」
アレステアが確認するのを後ろを歩く男は、小さな声ではい、と答える。
あのクラスで王女が横暴をしてるのは知っている。もとよりそういう性格の王女だ。
男爵家だと、下男のように使われているのだろう。
アレステアは、振り返ってヤーコブを見た。
名乗り出るには、勇気を出したのだろう。
罪への不安と、告白した安堵、いろんな感情が入り混じっているのかもしれない。
だが、あのクラスでこの男だけが、王女という権力者に正道を唱えた。
事務室の扉の前で、アレステアは足を止めた。
「ヤーコブ・ヒンボルト」
「はい」
ヤーコブは唇を噛み締めてはいても、しっかりと返事をした。
「君が何をしても、ヒンボルト男爵家が王女から顰蹙を受けないよう我がファーガソン公爵家が保護しよう」
アリステアは振り返り、ヤーコブに向き合った。
「それは、王女をリーダーとするクラスの支配から、ファーガソン公爵家の支配に入るということですか?」
ヤーコブは顔をあげて、アリステアに返事した。
「Aクラスは、王族、公爵家、侯爵家、それと能力で選抜された人間で構成されている。
君は頭の回転もいいようだ」
アリステアは腕を組んで、ヤーコブを観察する。
おどおどしているが、顔も知能もいいようだ。
王女は逆らうと、家にまで権力をかけるとでも言っているのか。
「チェリはそういうのを嫌ってね。
支配ではなく、協力者かな。
1年のクラスでは、私が守れない事もあるだろう。それを君にお願いしたい。
ただ、私の指示を受けるのではなく、君の考えで行動するんだ」
ヤーコブは少し下を向いて考えていたが、顔を上げた。
「僕、このままクラスで虐められて、やりたくないことをさせられるのは嫌です。
みんなで押さえつけてズボンを降ろして、笑いものにするんです。
でも、僕が反抗しても家に迷惑をかけないなら、僕は反抗したい」
それは、アリステアの申し出を受けると言っているのだ。
「僕、ダークシュタイン令嬢にもちゃんと謝ります。
それで、側にいるようにします」
アレステアはヤーコブの言葉を聞いて、手を差し出した。
ヤーコブは一瞬目を見開いて、瞬きしたが、アレステアの手を握り返した。
さっきまで俯いていたのに、覚悟を決めたのだろう。
笑顔を見せた。
「公子、よろしくお願いします」
「ああ、チェリを頼む」
アレステアは短く返事をすると、事務室の扉をノックした。
これから、チェリの机にネズミが入れられていたことを、犯人を連れて報告するのだ。
どんな罰を受けるのだろう、ヤーコブは強く打つ心臓を抑えながら、アレステアに続いて事務室に入った。