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9.異変

「んま、座んなさい」


 官僚(風)の男が、官僚らしい言葉づかいと身振りで、おれに着席を促した。官僚の官僚らしい笑顔は、やはり官僚らしい表皮だけの好意で形成されていた。


 さて、おれはそこでためらった。というか、身体がとっさに動かなかったのだ、が、


「お、お偉いさんの言うことをば聞いて、は、はよう座りおれや!」


 背後のオッサン教師に背中を遠慮なくどつかれて、精神的麻痺が解けた。


 おれは一つ呼吸を意識して実行し、心に落ち着きを取り戻すことを試みたのち、対峙すべき三者を一人ずつ、見た。それから軽く首だけでお辞儀をして、対面のソファーにどっかと身体を預ける。雰囲気に圧倒されたら負けだ。


「まずはごきげんよう。軍事委員会を代表して貴君に心からのご挨拶を申し上げる」


 真ん中に座っている軍人の男が――その図体はこの空間にいる誰よりも巨大だった――おれに握手の手を差し伸べる。おれはさすがにこれには気圧されて、応じた。


 握手は成立した。


「私の名前は――いや名前は重要ではない。私は、政府直属の、軍事委員会の大佐の地位を任されている剛直そのままな軍人だ。その顔を見るに、貴君は私がいったい如何いかなる人間か、すでに察してはいるようだが」


 大佐の猛禽類のような両の瞳は、おれの顔をじっと見据えて動かなかった。


「私のことは単に『タイサ』と呼んでくれればそれでよろしい」


 大佐――タイサの自己紹介はそれで終わった。数秒の沈黙があった。礼儀上、形式として、おれは自己紹介を返す必要に迫られた。だからおれは口を開く――


「おれの名前は……」


「貴君のことはようく知っているから今更の名乗り上げは不要。省略で大いに結構」


 タイサは振り上げた手でおれの自己紹介の出鼻を粉砕し、自らの言葉を続けた。


「私の右に座る者は、軍事委員会の諮問委員。官僚経由の学識経験者だ。名前は――別に何でもよかろう。『センセー』とでも呼べばよい」


 ということで晴れて、官僚風の男は「センセー」、ということになった。どうやらタイサは「名前」という概念によっぽどこだわりがないらしい。


「そしてこちらの中尉だが――」


 タイサはちらと横目で、軍人の少女を見た。そして、


「これから貴君の《嫁》となる少女だ。よろしく頼む」


 は?


 とおれはつい口に出しかけたがすんでのところで飲み込んだ。意味がわからなかった。《嫁》という言葉の意味が。ジョークか、あるいは聞き間違いか?


 おれが何か言おうとするよりも早く、タイサは別段表情を崩すこともなく、剛直かつ、いたって真面目な瞳の光をこちらに向けながら、言葉を続けた。


「中尉の名は《リンカー・ナツィオン・ガーベラ》。親しいもの同士では《リン》で通っている」


「あなたも私のことは《リン》とお呼びになって下さい」


 初めて中尉――《リン》は発言した。その声はまるで、あのギリシアの英雄オデュッセウスが是が非でも聴きたがったと言われている魔物、セイレーンの歌声の逸話を思い起こさせるような、人の心をグッと暖め溶かす響きをしていた。


 魅力的だった。


 外見も魅力的なら声も魅力的、物腰も柔らかくて魅力的、全てにおいて、なんだか物語の中から出てきたみたいな少女だった――《リンカー・ナツィオン・ガーベラ》という存在は。


 おれは数秒間呆けたようになっていた。


 この突然の来訪と(そもそも事前の通告では、「放課後」に来ることになっていなかったっけ?」)、軍事委員会の人物の威容と、《嫁》と、《リン》。


 おれの頭のcpuを焼くには十分すぎる情報量が一気に流れ込んできたのだ。


「えーと、まずですね」


 おれは自分の心を整えながら、口も同時に動かすという器用な芸当を発揮しつつ、


「政府直属の軍事委員会から《タイサ》ほどの役職の人物がおれのためにやってきた。ってことは、この《嫁》とかなんとか、そういう話は、つまり、並大抵の、ただの、普通の、お願いではない、ってことですね」


「そう、その通り」


 《センセー》が(おれは彼の存在を半ば忘れかけていた)口を開いた。


「命令だよ。これは命令だ。政府の、ね。だから拒否することはできない。軍事委員会が出張ってきたということは、拒否の場合の対応策もちゃんと用意しているという意味だ」


「?」


「武力行使も厭わないつもりだってことだよ、学生くん」


 そうだと思った。おれもそこまでこの国の不安定な政治に無関心な人間じゃない。軍事委員会が関係する全ての出来事には、「流血」が伴うと言われている――それくらい重大な案件でなければ、《タイサ》のような男は動かない。

 

「で、答えはどうなんだね」


 《センセー》はおれに答えを求めた。おれは質問を質問で返す。


「どうしてその、この《リン》……さんを、おれのその、《嫁》にするんですか」

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