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4.日常

 しかし最近は連中もせっぱつまっているのか、焦っているのか、どういう事情があるのか知らないが、おれの勧誘に本腰を入れ始めている。まったく――気に入らない話だ。


 政府はおれとおれの「指」の●●●●【能力】を利用するつもりだ。


 おれは、たとえ百億の価値の黄金を積まれたとしても、その誘惑には負けない。おれの【能力】はおれがおれの意思で制御する。その意思を曲げるつもりはさらさらない。


 ッバーン!


「お兄ちゃん一緒に学園いこー!」


 バリケードで封鎖していたはずのドアは破壊された。破壊されたドアの前にはゆずりかが満面の笑みを浮かべておれを見ている。ちゃっかり学園へ行く準備はすべて済ましてあるようだ。


「……わかった」


 おれはスマホを無造作にポケットに突っ込むと、ゆずりかの言葉に従った。すなわち一緒に登校することに決めた。ゆずりかは手早くおれの脇に腕を滑り込ませてくる。シナモンの甘い香りがする。


 この流れ、もう慣れっこだ。


 周囲の痛い視線を浴びながらも、おれは、おれたちは、学園へと歩みを進めた。ゆずりかは登校中楽しそうにおれにトークのマシンガンを乱射してくるがおれはその十六分の一も聞いていなかった。


 考えていたのは放課後のこと。


 届いていたメールの文面からして――「軍事委員会」の文字が挿入されていたところからして――連中はとうとう本気を出してきている。きょうは無事に帰れるかどうかわからない。もしかしたらこれが、ゆずりかと平和に登校する最後の機会になるのかもしれなかった。


 おれの憂い顔の頬に、ゆずりかはそっと唇を当てた。そして、逃げていった。自分の教室の方角へ。


 ……まるで盗むみたいに、頬へキスしてきやがった(注:おれたちは血縁関係のある兄妹だぜ)のだ。


 おれは生ぬるい感触を手のひらでこすりながら、自分の教室の自分の席に座る。目前の席には見覚えのある女子がすました態度で座っている――ユキ。おれとユキは同じクラスなのだ。


 ユキはその宝玉のような黒髪をキラリ輝かせながら、まるで猫のごとく素早い動作でおれの方へ振り向いた。椅子に座ったまま、脚をはしたなく広げる格好で。


「おはようございます」


 どことなく仏頂面のユキ。おれは挨拶を返した。昨日の件については、ユキもゆずりかと同じく、まるで無かったことのように考えているようだった。おれたちは短くない付き合いだ。表情でなんとなく読み取れる。


 その事は、おれにとっては救いだった。おれの心労――心の重い枷が一つ減るわけだから。おれが昨日の乱痴気騒ぎを止めるために、「指」を使ったことを――ユキは気にしていない。少なくとも表面上は。


「なんだか不機嫌そうだな」


「実際、不機嫌なんですよ」


 おれが問うと、ユキは即答した。


「兄様から薄汚い血の匂いがします。それが私には気に入らないのです」


「血?」


「そう。だから私がそれを上書きしようと思うのですがどうですか」


「どう、と言われても。なんのことやらさっぱりわからないが」


「じゃあわからせてあげますから!」


 ユキは急に立ち上がり、有無を言わさぬ形勢でおれに迫って抱きついてきた。クラス内にどよめきと歓声の沸くのが聞こえる。


 そしてユキはおれの耳元で、


「ctrl+s上書き保存です」


 ささやくと、おれの頬に唇を押し当てたのだった。


 不意打ちのキス。


 ゆずりかのシナモンとは別の、まるでキンモクセイのような甘い香り。めまいがしそうな甘い香り。


 おれはすぐさま突き放すようにユキを払いのけ、


「正気か!」


「兄様、私は頭脳明晰です」


 ユキは成績がとてもよい。全国模試で上位10位に入る。だが、


「そういうことを聞いているんじゃない」


 しかし問答はそこで途切れた。おれたちのキッスをはやしたてるクラスの連中がおれたちを囲い、やんややんやと騒ぎ始めたからだ。ユキは嬉しそうに祭りの中心人物になり、おれは哀れな神輿となって沈黙を貫いた。


 この茶番のあとに教師が来て授業が始まった。学園生活が日常通り正常に――いまのところは不穏の陰もなく――開始されたのだった。


 不穏の陰だって? たいてい、禍事まがごとというのは、みだりにしっぽを出したりしないものなのだ。いつだって人間は、不意打ちに泣かされるものなのだ。


 ああそうだ。――これからおれが味わわされようとしている苦汁も、そういう奇襲の類に他ならなかった。

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