3.日常
こうした類いのメール、連絡は、初めてではなかった。
おれには考えることがたくさんあった。
狂ってる妹ゆずりかのこと。おれへの愛は狂気の域に達している。それはおれも認めざるを得ない。おれはきょう、ゆずりかを止めるために「指」――最終手段を行使せざるをえなかった。
しかし、誰がゆずりかを狂わせてしまったんだ?
結局はおれなのだ。
おそらくは、おれがいけないんだ。
普通、妹という生物は、あれほど兄に執着するものではない。結局ゆずりかは優しい妹なんだ。おれが●●●●【能力】の「指」という呪いに悩まされ、現実的具体的問題に苦しめられているからこそ、ゆずりかは、方法こそ間違っているものの、その泥沼から、おれを引きずり出そうとしてくれているのだ。
愛情表現という形で。
少なくともその心の奥底にある親切さにだけは、おれは、感謝を捧げなくてはいけない。
それからユキのこと――。
ユキ。
この少女のことを考えるのは正直、疲れた頭には困難な仕事だ。
おれはいまから馬鹿なことを言う。馬鹿なことを言う、と、宣言した上で言うのだが、
「おれはユキと前世で兄妹だった気がする」。
馬鹿だ。まったく馬鹿げた考えだとわかってはいる。
しかし――おれの脳みそのしわに刻まれた記憶の断片が――そんなことを語っているのだ。これはどうしようもない事実、いや錯覚、デジャヴ、何か、そんな、そういうようなものだ。つまるところユキとおれは他人な気がしないのだ。
事実としてユキもおれに、あれほどの執着を示している。
おれたちは出会って長い時間をかけて仲良くなったわけではない。出会ってすぐ、ユキはおれに途方もない好意を――それこそゆずりかの殺意を惹起するほどの好意を――ぶつけてきたのだった。
おれもユキのことは、初めから、他人である気がどうしてもしなかった。「たんなる不審者」として片付けることができなかった。だから「腐れ縁」とも言える関係が続いている。なんとも説明のつかない現象。
最後に、明日の呼び出しと「指」のこと。
「指」の●●●●【能力】は――おれは、誰かの指図を受けて使うべきものではないと確信している。だから、相手がどんな政府高官であろうが、総理大臣だろうが、大統領だろうが、おれは、この件に関しては、「回答」はもう決まっている――。
「考えごと」は眠りの女神を招来する竪琴の音だ。つまり、睡眠導入にうってつけだ。
おれは妹や、ユキや、呪うべき自身の【能力】や――あれやこれやを考えながら、いつの間にか、睡眠の沼に沈み込んでいったのだった。
*
翌朝。
「お兄ちゃん、お着替えするの手伝ってにゃー!」
おれが起床してリビングルームへ降りようとすると、ゆずりかが自室から飛び出してきた。
その格好は下着のみ――ピンクのファンシーな可愛らしいブラとパンツ。それだけを身にまとっていた。
「ねーえ、制服お着替えするから手伝ってー」
おれは身構えたが遅かった。
ゆずりかはすぐにその柔らかい四肢をおれの身体にからみつかせて、かっちり逃がさないように拘束してきた。おれの鼻腔にシナモンの甘い香りがただよってくる。
ゆずりかの栗色の髪はつややかに光り、表情は昨日のいざこざがまるで無かったかのように、晴れやかだった。
その表情にちょっと救われた気分がした――と言ったら、おれは余りにも利己的だろうか。
ともかく困るのは、おれの二の腕に密着する(わざとだろう)ゆずりかの胸のふくらみだった。ブラ越しとは言えしっかりと女の子特有の柔らかさが、しなやかさが、ぬくもりが、甘さが、皮膚を通じて伝わってくる。
こんなことを思うのも考えるのも、兄として情けなくもあり死にたくもあり、どうしようもないのだが、事実として感覚がそのように反応するのだから仕方が無い。
おれは手のひらでゆずりかを押しやろうとした。ゆずりかはもちろん、そんな生半可な抵抗で押し返されるようなやわなくっつきかたをしてこない。まるで獲物にしがみつくジョロウグモみたいにしておれに抱きついて喰おうと――まではしないにしても、そんな勢いだった。
昨日の気まずい「指」の一件は、無かったことのように扱われている。
おれは卑怯者だからそれをわざわざ蒸し返すつもりはなかった。ゆずりかがそのつもりならおれもそれでいい。
「遅刻する」
「お着替え手伝ってくれたら遅刻しないよ~!」
「そんなら裸で登校すればいい」
「ひっ、ひどい! でもそういう――その――露出とかがお兄ちゃんの性癖なら……わたしちょっと前向きに検討してみるね」
「検討すな!」
おれは最大の腕力で妹を身体から引き離し、かつ、自身の性癖についてかけられたとんだ疑惑を否定しながら、リビングへと降りていった。下着姿の妹を残して。
リビングは昨日のまま。破壊がぶちまけられていた。ゆずりかとユキとが争った跡だ。
おれは意に介さず、キッチンで菓子パンを発見しこれを手早く食すと、再び自室に戻った。
「お兄ちゃん入れて! 入れてよ!」
ドアを必死に叩くゆずりかの悲痛の叫びが聞こえるが、勉強机でバリケードをつくったので外側からこのドアを開けることは不可能。
着替えを済ませる。それから、きょうの授業の準備と――やり残した宿題は見なかったことにして――放課後の支度だ。
今一度、おれはスマホに届いている例のメールを開いた。
「その「指」の【能力】は政府および政府が管轄する軍事委員会その他諸組織のため、絶大なる貢献をなすことであろう。ゆえに貴殿は、政府のため、つまりはこの国の国民すべてのために、政府に協力をする義務があることを、理解するべきである。貴殿の【能力】は特権的評価に値することを、貴殿は知るべきであろう。貴殿は天賦の才に恵まれたのだ」。
こういうメールはいままでに何度も届いていた。そして、おれは何度も政府の関係者に呼び出されていた。そのたびにおれは、連中の誘いを断った。