24.急流
*
ゆずりかには全て理解られていた。
シャワーを浴びている間に、制服のシャツを見られた。そこにクリシェの薄いルージュがあるのを目ざとくゆずりかは発見した。
シャワー中だというのに、ゆずりかは浴室に入ってきた。背中を流してあげる、とかなんとか言いながら、おれの身体を観察して、おれの身体の数か所に痣が――それを世間では一般に「キスマーク」という――あるのを抜かりなく発見した。もちろんそれらは、昨晩クリシェがおれにつけたものだ。
そうしたことを積み重ねながら、ゆずりかの機嫌はどんどん塞いでいった。話しかけるのも躊躇われるほどに重苦しい表情をするようになった。
ゆずりかはおれを、リビングのソファに座るように命じた。
おれはそれに素直に従った。
「許さない」
それはおれに対して発された言葉ではあったが、別段おれにどうしろというのではなく、つまるところ、クリシェを非難する意図で言われたのだった。
「お兄ちゃんが汚れた。こんなの……許せない」
ゆずりかは――これまで気丈な態度を貫いていたが――泣き出した。
どうすればよかったのだろうか。おれが隣に座って、頭を撫でてやり励ましてやればよかったのだろうか? いや、その時のおれにそのような行動に出ることはできなかったし、それが正しいとは思わなかった。おれは――屈辱的な目に遭った。それをどう解釈するかは、ゆずりかの心中の問題であり、おれが干渉するべき領域ではない。干渉して変えられる部分ではない。
しばらくゆずりかが泣いているのを、おれは眺めていた。おれも一種の放心状態に陥っていた。ゆずりかが泣きじゃくっているのを見ると、おれも自分の身に起きたことが実感となって心に迫ってくる。
もしかしたら昨日の一件で、おれの人生は決定的に変化してしまうかもしれない。この歳で――父と呼ばれるような立場に立たされるのかもしれない。まだなんの覚悟も、準備も、できていないというのに。それに、もしそんなことになったとしたら一番不幸なのは、疑いようもなく――「おれの子供」だろう。おれの子供が教育委員会に「政治的に利用」されることは確かだからだ。それは人間にとって――少なくとも幸福とは言えない。
何分かが経過した。
ゆずりかは腫らした目でおれを見て、言った。
「この家はもうどこの窓も締め切っているから。ほぼほぼ密閉空間に近いから、わたしの《隔絶疾風》は最大威力と精度を発揮するし、この家のどの隅っこもわたしの【能力】の射程から外れていない。全部を網羅している。わかるよね、この意味?」
「わからないな」
おれは嘘をついた。
ゆずりかの目は決意を示していた。おれはゆずりかの言いたいことを理解していた。
「じゃあ教えてあげる。あのね、お兄ちゃんはもう外に出る必要はないんだよ。この家にいればお兄ちゃんは安全。わたしはお兄ちゃんをこの家に閉じ込めることにしたの。もしお兄ちゃんがわたしの考えに賛成してくれない場合は、《他の女ども》と同じような方法を――【能力】で、わからせてあげるからね」
おれはゆずりかのアイデアが、彼女の予定通りに実現されるとは思わなかった。ユキはこの家を知っている。そしてユキはたびたびこの家に襲撃に来る――それはほぼ日常と言ってよかった(……ずいぶんはた迷惑な日常だが……)。
それにリンのこともある。リンは――いったいあの後どうなったのかおれには知りようがなかったが――リンで、おれのことをまだ諦めていないかもしれない。この家に訪問してくることは十分に考えられた。
「ああ、お兄ちゃんが考えているような心配事は、大丈夫だよ。ちゃんと対策してあるの」
ゆずりかは立ち上がり、おれを強引に寝室に連れて行った。ゆずりかの寝室に。
おれはゆずりかの言いなりだった。こうしてテキパキと決断的に行動するゆずりかは、口で止めても無駄だ。自分の意思をあくまで貫徹する。そういう意志の強いところがある。それにそもそものところ、おれはゆずりかの【能力】に対抗する手段がない。おれはこの家にいる限り、ゆずりかのペットも同然なのだった。




