2.日常
睨みつつ次の攻撃の手を思考しているゆずりかとユキ。
ゆずりかの周囲には空気の刃が形成されては崩壊し、ゆずりかの無意識中の戦意が【能力】として具現化しているのがわかる。そしておれはゆずりかを半ば横から見上げる形で、その表情に込められた心情を読み取った。
ゆずりかはこの戦闘での勝利を確信している。そしておれも思う。
この戦闘ではゆずりかが圧倒的な優位を保っている。なぜならここは室内だ。おれはゆずりかがめったに一人で外出したがらないのを知っている。そのくせ建物の中に入れば、堂々単独行動をするのも知っている。「密閉」に近い空間。それがゆずりかの《隔絶疾風》の力を強力に発揮するための条件なのだ――。
ユキもそれを当然のことながら知っているだろう。なぜならおれとゆずりかとユキの付き合いは――なんだかんだでそれなりの期間が経つ。昨日今日の仲ではないのだ。ゆえに、ユキは勇敢さと慎重さと、それから若干のプレッシャーを覚えながら、ゆずりかに対峙しているのだ。おれを独占するためとなると、普段は穏やかなゆずりかは急に残忍になる。ユキはそれを十二分に承知しているのだ。
この状況は大変に不味かった。どちらかが怪我をすることは間違いがない。だからおれはたとえ、たとえその力がなくても――この状態を打破しなくてはいけない立場にある。
たとえおれがどれほど無力であろうとも――。
おれはおもむろにソファーから立ち上がった。
当然、ゆずりかとユキ、二人の注意は同時におれに向いた。
おれは二人の戦意に若干の動揺が生まれたのに乗じて、まず、一番近くにいたゆずりかの肩に右手の四本の「指」で触れた。
「え――お兄ちゃん――!?」
「指」でゆずりかの肩に触れた。たったそれだけのこと。
たったそれだけのことが、この事態に衝撃的な変化をもたらした。
ゆずりかは目をかっと見開いておれを見た。おれに向けたその瞳には純粋無垢なる驚愕の色がありありと浮かんでいた。まさか、自分の兄が、「指」で、自分に触れるとは夢にも思わなかった。
そんな風にその瞳は語っていた。
――なぜならおれの「指」は●●●●【能力】だから――。
ゆずりかはそのまま硬直した。おれの【能力】の効果――ではない。緊張と驚愕と、動揺と混乱と――内心の激動のせいで、身体が岩石のように固まってしまったのだった。
おれの「指」は――ゆずりかはユキのような【能力】とは違う、本質的に違う。おれの「指」は●●●●。だからこれは――禁忌の行為だった。
つまり、おれが、ゆずりかとユキの行動を「指」で制止することは、道徳的に正しくない。
世の中には人としてやっていいことと悪いことがある。おれのやっていることは後者に入る。そういう類いの【能力】なのだ。おれの「指」は。おれの「指」は●●●●【能力】だから。
ユキも、固まっていた。おれがゆずりかに「指」で触れているのを見て。
無理もないことだった。
戦闘により壁やふすまやら何やらが破壊されたおれとゆずりかの家。部外者のユキ。制止しているおれたち三人。いかにも異様な図がそこにはあった。
おれは言った。
「全員、解散だ」
「でも――」
「兄様、それは――」
「解散!」
おれの無感情な視線は、ゆずりかとユキの反論を封じ込めた。ユキは名残惜しそうに、しかし、一種の畏怖の念を込めた目をおれに向けてから、去って行った。
「お兄ちゃん、あの女を追い出してくれてありが――」
「勘違いするな。おれが「指」を使った意味をよく考えろ、ゆずりか」
「えと、でも、」
「おれにかまうな、と、おれは言っているんだ」
おれはむしゃくしゃしていた。
おれは荒れ果てたリビングルームを後にして、二階の自室に籠もった。
普段なら遠慮という概念をどこかへ置き忘れてきたゆずりかが、おれの部屋やベッドへ突進してくることもあり得たのだが、さすがにこの日はゆずりかも自分の部屋で静かな独りの時間を過ごしているようだった。
――おれは「指」を使った。●●●●【能力】を持つ「指」を。
二人を止めるためだからとはいえ、軽率だったろうか?
たぶん、そうだ。軽率だったろう。おれはこんなことするべきではなかった。将来にわたって、今後とも、一生涯、やるべきではない行為だった。そんな可能性がある。
――わからない――。
ビ、と、スマホの通知が鳴る。おれはのろのろとした動作でスマホのロックを開いた。
メールの着信。政府機関からの招聘だ。明日、9時00分、学院第一会議室にて軍事委員会の委員との折衝。遅刻厳禁。欠席には厳罰をもって処せられる。
これは政府の決定により発せられた命令であるからして、貴殿には積極的服従の義務あり。必ず明日、9時に、学院の会議室に来ること。
追伸。
「その「指」の【能力】は政府および政府が管轄する軍事委員会その他諸組織のため、絶大なる貢献をなすことであろう。ゆえに貴殿は、政府のため、つまりはこの国の国民すべてのために、政府に協力をする義務があることを、理解するべきである。貴殿の【能力】は特権的評価に値することを、貴殿は知るべきであろう。貴殿は天賦の才に恵まれたのだ」。