18.転変
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お兄ちゃんはわたしのことを「寝ている」と思っているようだけれど、わたしは寝てなんていない。お兄ちゃんがお兄ちゃんであるのと同じくらい、私が目覚めているのは確かな事実。
ゆずりかは――わたしは、目をつむって考えにふけっていた。
お兄ちゃんの【能力】のこと。
お兄ちゃんは自分の【能力】を忌避しているし、考えないようにしているし、使わないようにしているし、できれば失ってしまいたいとも考えているかもしれない。
でもそれは一時的な現実逃避にしかならないことを、お兄ちゃんも、わたしも、よくわかっている。
お兄ちゃんの【能力】の名は――《指五触死》。
その効果は――「手の指で触れた相手を死体にする」。
単純明快な能力。特に他の発動条件はない。
●●●●【能力】=人を殺す【能力】。
殺人――暗殺――そうしたもののためであれば、これほど重宝する【能力】は他にないだろう。なぜなら――説明は不要だと思うけど――触るだけで、相手は死ぬのだから。
だから。だからこそ軍事委員会はお兄ちゃんに執着している。きっとお兄ちゃんをどこかの国のスパイにでもして、要人の暗殺に携わらせたりするつもりなのだろう。敵国――資本主義国アメリカ合衆国の大統領だって、お兄ちゃんにタッチされればそれだけで終。
そしてそれは学園――教育委員会――も同じ。教育委員会も「優秀な【能力】保持者」を養成したという実績をつくるために、お兄ちゃんをこのまま学園に通わせたがるだろう。そして、きっとお兄ちゃんの将来のキャリアは――教育委員会と政府とが――お兄ちゃんの意向を無視して決めることになると思う。絶対にろくでもないような――それこそ軍事委員会と変わらない発想で、暗殺業や、その他ダーティーな仕事をさせるつもりなのだ。
結論すると、巨大な力――国家、そして国家に属する諸革命委員会は、お兄ちゃんを「裏社会」の人間にしようとして躍起になっている。
わたしは――それが許せない。なぜならそれは、お兄ちゃんの幸福につながらないから。わたしはお兄ちゃんが幸福にならない世の中なら、滅んでいいと思っている。
本気。
お兄ちゃんはもう十分に苦しんだ。わたしたちの両親は――小さい頃にソヴィエト連邦領シベリア送りにされている。急に離ればなれにされた。政府の都合で。辛かった。もうお父さんも、お母さんも、生きているかどうかわからない。
わたしたちは苦しんでいる。日々、苦しんでいる。それだけでも堪えられないのに、その上、お兄ちゃんには、【能力】ゆえの苦悩がある。
かわいそうなお兄ちゃん。
こんな不公平を許すなら、社会主義なんか――ニホンなんか犬に食わせればいいんだ。
わたしは――わたしの最大の関心事は、お兄ちゃんの幸福。それだけだ。
そしてそれを実現できるのは――わたししかいない。わたしの目の届くところで、常にわたしが気を配って、わたしがお兄ちゃんの世話をして、わたしがお兄ちゃんのあらゆる「欲」を満たしてあらゆる「不満」を取り除いてあげることが、お兄ちゃんにとって最大の幸福なんだ。
もちろん自覚してる。わたしはお兄ちゃんに――肉親に――恋をしている。お兄ちゃんを幸福にする、という目的を遂げる過程で、「恋」という副産物が生じた。それはちゃんとわたしもわかっている。でも時々制御できなくなる。でもそれを克服して、いや、利用してでも、わたしは、お兄ちゃんと一緒に、幸せにならなくちゃいけない。わたしはともかく、お兄ちゃんは幸せにならなくてはいけない。
――大好きだよ、いつか結婚しようね、幸せにするからね、お兄ちゃん。
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職員室――というものは、生徒にとって「面倒ごとの宝石箱」と言っていい。
朝から運悪く、おれはその「職員室」に呼び出されていた。果たしてどんなデカいカラットのダイヤモンドが飛び出してくるのか――が、呼び出し、それ自体はいいのだ。おれは予想していた。なにせ昨日、リンやタイサと「あんなこと」があった直後だ。
マズいのは次の段階だった。
職員室に集まっていたのは【能力】保持教員達――いずれも【能力】を持ち、生徒に強権的な指導を教育委員会から許されている強面の面々。
彼らはおれを品定めするような嫌な目でじろじろ眺め、そのうちの一人が口早に言った。
「応接室でお客様がお待ちだ。お前一人で行け」
学園の応接室と言えば――職員室の隣の校長室のそのまた隣、すなわちもっとも玄関に近く、もっとも金のかけられた部屋だ。教育委員会の権威そのものを象徴するかのような空間だ。
そこへ行け、ということはすなわち、「昨日と同じレベルのことが待ってる」と宣告されたに等しい。
おれに拒否権はなかった。おれは応接室のドアを3回ノックし、中から応答のあったことをなんとなく確認すると、ゆっくりドアを開けた。