15.異変
ドアが閉まったということは――。
部屋が「密閉」に近づいた、ということだ。
おれの妹のゆずりかには《密室女王》の異名がある。一度聞いただけではこの「ひきこもり」というのは悪口に思えるだろう。しかし、これは決して不名誉な名前ではない。ゆずりかの能力がいかに驚異的かを示す、絶妙なネーミングなのだ。
「《隔絶疾風》」
ゆずりかもやはり絞首刑に苦しみながら――消え入りそうな声で【能力】を発動した。
――甲高い音。この部屋の空気が喚く、叫ぶ、悲鳴を上げる。
そして、真空の刃が形成され、空間をズタズタにする――。
そう、ゆずりかの能力は、自らの居場所が密閉・密室に近ければ近いほど、鋭く、精度の高い、一撃必殺の風の斬撃を連続で放つというもの――!
リンは判断が早かった。すでにゆずりかの【能力】が発動されようとした瞬間には、カーテンに突撃し、窓を体当たりで突き破り、そのまま去った。
あたかも部屋に迷い込んだスズメが、驚き戸惑って一直線に窓から逃げ出していくように、素早く、手際よく、退却していったのだった。
おそらくリンは――ゆずりかの【能力】のことを、熟知していたのだろう。密閉空間に近いこの部屋で相対するには、自分にとってゆずりかがあまりに相性の悪い相手だと悟っていたのだ。
リンの退却ともに、すぐにゆずりかとユキはおれに駆け寄ってきた。自分の喉に刻まれた赤い痕など気にもとめずに、おれを心配そうなまなざしで注視して、突撃してくる。
「大丈夫でしたか。兄様。怪我などは?」
「お兄ちゃん、怪我してない!?」
「ありがとう、平気だ」
おれはそれだけ返答して、次の行動について思案を巡らせた。
ここは仮にも軍事委員会の施設――軍事施設だ。ゆずりかとユキの二人はまるで人ごとででもあるかのように気にしていないが、先ほどから異常を知らせるブザーが、この施設内に鳴り響き続けている。
援軍、追手、そういう類の連中がすぐに駆けつけてくることは容易に推測できた。
「逃げるぞ、二人とも」
いまならまだ間に合う。追手はこちらに到着していない。リンが破った窓からおれたちも対比し、どこか敷地の外まで到達できれば勝ちだ。
もし誰か軍事委員会の者に見られたところで、まさか発砲される恐れまではないだろう。こちらは仮にも【能力】を持つ希少な人材として教育を受けている身だ。こんなつまらない――おれのための――内部のごたごたで、おれ含め三人の【能力】の保持者を殺傷の危険に巻き込むはずはない。
「いたぞ、ここだ!」
と、思考している内に、追手はドアから来た。一人、二人、そして三人、次々と来る。
奴らの手にはスタンガン。やはり非殺傷の方針と見た。
おれは手で「ついてくるように」と合図して、突き破られた窓に突撃した。ここが一階なのは既に解っていた。外へ出てみると、いかにも軍事施設の兵舎らしい、殺風景のコンクリートの平らな広場と、セル状の部屋がいくつも重なって出来た兵士の寝床が見て取れた。
――パンッ!
何かが足下で破裂した。次の瞬間、おれの目は滝となって涙を噴出し、鼻はマーライオンと化し、くしゃみの連続が正常な行動をさまたげた。催涙ガスだ。
しかし、このくらいは経験済みだ。学園で催涙ガスを吸い込む授業がなかったわけなかろう。教育委員会は(つまり学園は)一通りの軍事教練をおれたちに施している。
おれはすぐに顔の水分を袖で拭って、ゆずりかとユキが落後せずについてきていることを確認した。直進すれば、およそ3メートルほどの高さの塀がある。そこを越えれば軍事委員会の敷地からは出られるようだ。
「それをさせる私だとお思いですか?」
当然のように、暗がりから、リンがおれたちの前に現れ、立ちはだかった。
「ここに誘導したのは計略です。ここは密閉空間では無いから、そこのひきこもり妹さんの【能力】は最小限の威力しか発揮できない。対決するべきは《拒絶宝剣》――七色の浮遊宝剣を扱うユキさんだけということになりますが――つまり、私の勝利が確定しているということに他なりません」
「試してみてから言って下さい、泥棒ネズミ――!」
ユキは挑発にまんまと乗っかった。その時抱いた怒りはもちろん――あの【能力】――リンの絞首刑の餌食となる残酷な資格なのだ。
「《怒髪極刑》」
再び、ユキは自らの手を自らの首にがっちりと組み合わせ、これをぐいぐいと絞め始めた。
対してゆずりかは、その光景を「おもしろい」とでも言う様に見ていた。あたかも「普段から自分の邪魔をしてくるユキというこの女一人が自らの手で首を絞めて死を選択するなら、これに優る愉悦はない――とでもいうように。
苦しむユキと、ゆずりかの目が合った。