10.異変
「その必要があるからだ。政治的にね。以前から何度も学園を通じて知らせてあるように、キミのその『指』の【能力】は外交上――いや、国内の政治においても――ありとあらゆる分野で――役に立つ。役に立ちすぎる、と言ってもいいくらいだ。キミには見張りが必要だ。悪い連中がキミを悪用しないようにするために。その任務を《リン》くんが担当する。結婚という形式を踏めばものごとがスムーズにいくだろうし好都合だろう?」
「っ……」
喉が詰まるような感覚がした。わかってはいたが、そうだ、結局はおれの呪うべきこの「指」の●●●●【能力】を利用するために、政府と軍事委員会がおれを監視下に置こうとしているんだ。おれの意思などおかましなしに。
そしてたぶん、《リン》の意思をも無視して。
結婚――そんな重大なことが、政府のお偉いさんの都合で決められるなんて――いったいいまは古代か、あるいは中世か。そう疑ってみたくなる。
「いやあ本当に、キミの『指』の【能力】は素晴らしい。キミには政府の間諜として特別の教育訓練を受けてもらうつもりだ。そして、その上で、【能力】を最大限に発揮してもらう。これで我が政府と私個人は、一人の素晴らしい精兵を得たことになる。違うかね、《タイサ》?」
《センセー》がおれをじろじろ見る目は、まるで強欲の宝石商が原石のダイヤを見定めるような、意地汚い色で濁っていた。
《タイサ》は《センセー》の問いかけに対して、
「そうですな。彼の【能力】に特筆すべき点があることは同意ですな。そして《リン》中尉と結婚させるべきであることも、完全に同意するところです。しかし――その後の部分は、どうやら私とあなたとで考えに若干の差異があるらしい」
「? というと?」
「彼と《リン》中尉を結婚させる目的は、監視のためだけではありません。子孫を残させることも大事です」
子孫。
《タイサ》のその発言に《リン》がその白い頬を赤らめたのを、おれは確実に視認した。
「彼の『指」』の●●●●【能力】と、《リン》中尉の【能力】は、軍事委員会で実施したABL-DNA試験によれば、相当相性がいい――よい【能力】をもった子どもが生まれる可能性が、非常に高いのです。まあ、これは秘匿情報なんですがね」
秘匿というわりには、《タイサ》はまるで世間話でもするかのようにしゃべっている。おれの後ろには体育教師が馬鹿みたいに突っ立ったまま居るっていうのに。
「だから表向きは『監視』、これが第一の目的かもしれないが、軍事委員会としては将来の国防および国内秩序維持のための礎として、この二人には親密なカップルになってもらい、できるだけたくさんの健康な子どもを産んで育んで欲しいのですよ」
「待ってくれ、《タイサ》。何か、打ち合わせと話が異なってきているようだが。私は彼を私の配下に置くために、ここにやってきた。それだけのはずだ」
……。
何か、会話の雲行きが怪しくなってきた。さっきから一致団結しておれの【能力】を利用しようと画策していたらしい《センセー》と《タイサ》だが――ここに来て、意見の不一致?
「なのに、子孫とは何だ? そんなことは聞いてない。その娘――中尉は、ただの監視役だとしか聞かされていない。結婚はいい。だが、私が思い描いていたのは、結婚とは書面上だけのことで、市庁舎での手続きが済んだらあとは彼を所定の施設に、所定の時間、所定の方法で勾留し、必要な訓練プログラムを受けさせる。中尉にはその監督役を任せる。そういう形だ。だのに子孫とは――一緒に暮らして一緒に寝るということではないか!」
「一緒に寝る以上のことを彼らにはさせます」
「とにかく、それは私の計画と違う!」
子孫、子孫、という言葉を耳にする度に、《リン》がその白い頬を赤らめていくのをおれは見逃さなかった。
「落ち着きなさい《センセー》。軍事委員会がこの秘密の計画を主導しています。軍事委員会のやり方を全てにおいて適用します。その責任者は私であり、あなたではありません」
「これは政府と私に対する裏切りだぞ、《タイサ》」
「裏切り? ああ、もとよりそのつもりですよ《センセー》。――中尉、やれ」
《タイサ》の命令の言葉に反応した《リン》の速さと言ったら、いったい何に喩えたらいいだろうか。
あたかも飢えた獰猛な獣が、手負いのウサギを大樹の陰に見つけ、あふれんばかりの喜びに目を光らした――そうして次の瞬間、おのずから、爪と牙とがウサギを襲っていた――そんなように、《リン》の【能力】は間髪入れず発動していた。