ひと夏の玉虫
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくん、聞いたかい? このあたりの小中学校、明日にはもう学校の授業が始まってしまうんだって。夏休みに入ったのも8月に入ってからと聞くし、だいたい2週間程度しか休みがなかったことになる。
いやはや、今年はこれまでにない特殊な年だと、しみじみ感じてしまうね。7月の下旬から8月の終わりまで、一か月以上も休みだった感覚が、ものすごく遠いものに思える。社会人になったいまでは、当たり前かもしれないけどね。
そうなると、夏の勲章集めも存分に行うことはできなかったろう。
なにがって、セミの抜け殻集めだよ。よく子供のころにやらなかったかい? 近所を駆けずり回ったりして。
あの頃は何かと競いたかったからねえ。数にせよ、大きさにせよ。なんでも一番であることに、極上の価値を感じていた。そうして熱意が注がれるものには、やはり並々ならぬものが顔をのぞかせることがあるらしい。
私が夏に体験したことなのだけど、聞いてみないかい?
今からだいぶ昔のこと。
その年は今年ほどじゃないが、それなりに暑い日だった。セミがミンミンとうるさく鳴き、少ない命を謳歌している中、私たちは彼らがかつて身に着けていた殻を探し、町中を練り歩いていた。
草木がうっそうと茂っていなくても、街路樹の一本も探れば抜け殻は見つけることができたよ。それがセミの多いことの証拠か、はたまた自然を追いやる開発が進んだことの証左かは判断が付きかねたけれどね。
そうして集めた抜け殻は、近所の空き地や公園、神社などで友達同士での品評会が行われる。たいていは先にも触れた、数や大きさを比べあうものだ。
ところが今回は新しく、「色」という判別材料が加わることになる。友達のひとりが持ってきた抜け殻たちは、他の多くに見られる茶色をベースとしたものじゃなかった。
玉虫色をした抜け殻が、10個ほど私たちの前に並べられる。ひとめ見ただけで、それが人工の塗料のものじゃないと直感できるほど、よくできていたよ。見る角度によって色合いが変わり、どこかの博物館に調度品として置かれていても、違和感がないできばえだ。
たいていの子が見とれたけれど、数と大きさを信奉する一部の男子たちにとっては、面白くない。俺たちの抜け殻も同じような細工をしたいから、やり方を教えろと、意味が分からないほど高圧的に尋ねたんだ。
詰め寄られた彼は、少し迷うようなそぶりを見せる。でも、ここで話さないと何をされるか分からないと察したのか、ぽつぽつとやり方を話してくれた。
彼がいうには、死にかけの虫の存在が必要とのことだ。
寿命が近くても、仕留めそこなって弱っているものでもいい。ただ元気がよくても、完全に死んでしまっているのでもダメだった。私たちが見た限りでは、正確な基準を知ることができず、彼の判断をあおぐよりなかったよ。
これらの虫は、セミの抜け殻に丸ごと入れられるような、小さいものでなくてはいけない。それを一匹、二匹ではなく、少なくとも抜け殻の中身、半分ほどを占めるほどにだ。
夏場という、虫のうっとうしさが頂点に達する時期でなければ、この手順の気味悪さを少しは怪しく思っただろう。この時の私たちは、蚊をはじめとする羽虫たちへのストレスがたまっていた。
渡りに船とばかりに、室内外を問わず、あちらこちらで蚊を半殺しにしては抜け殻の中へ詰め込んでいったんだ。逃げ出さないよう、背中の割れ目部分には薄くセロテープを張り、必要最低限の開封しか行わないようにした。
そうして集まったら、殻の残りの空間に入れるものがある。
わたぼこりと、自分の髪一本か爪のひとかけらだ。できれば取ってから間を置いていない、新鮮なものが適しているとのこと。
「ゴキブリもさ、髪の毛一本で長生きするって聞いたことない? 人間の一部ってそれだけでも、なかなかの栄養になるんだよ」
そうして中身をぱんぱんにした抜け殻は、どこぞの木へ引っ付けておく。ちょうど元の主が中から出てくる直前と、同じような格好にしておくんだ。
彼の話によると、ここまで滞りなくお膳立てをしても、望んだ結果が得られるのは2、3割程度の確率らしい。私も自分の中で最も形の整った抜け殻に、件の準備を済ませ、自宅の庭の幹にひっかけておいたんだ。
夕飯までは変化なし。お風呂に入って、ごろごろして、日付が変わるころになっても、くっつけたときのまま。家族は「早く寝なさいよ」と自分の寝所に引っ込んでしまったし、私は大あくびをしながら、縁側に腰かけながら、ときどきライトで抜け殻を照らしていたんだ。
どれくらい時間が経っただろうか。
うとうとしていた私は、耳の端にとらえた、セロテープをはがす音で目を覚ました。
もしやとライトを当ててみる。主に黒と灰色の染まっていた抜け殻の中身、その中央部分に、はるか遠くの星を思わせる、小さな七色の光がまたたいていたんだ。
私が瞬きをひとつするたび、その光はわずかずつだが大きくなっていく。それが真ん中で渦を巻きながら、じょじょにその範囲を抜け殻全体へ広げていくんだ。
背中を塞いでいたセロテープが、べろりと垂れ下がる。そのすき間からはみ出てくるものは、初めはほこりの塊だった。
熱した餅の中身のように、ぷっくり丸く膨らんでいくそれは、殻の中で増し続ける玉虫色の輝きに押され、はみ出てきたものだ。ほどなくしぼみ始めたかと思うと、今度はセロテープに代わる薄い皮となって、殻の表面へへばりついていく。
そうして殻の中身が玉虫色に染まりきったとき、ほこりの膜を破って飛び出していったものがある。
かつて抜け出してきたであろうセミの、時間をかけた抜け出し具合とは、比べるべくもない性急さ。あっという間に夜の闇に溶けていってしまった一匹の虫は、私が捕まえてきた虫たちの、何倍もの図体があったよ。
全身を玉虫色に光らせながらも、その後ろ脚二本だけが異様に長かったのが印象的だった。私たちの肌に近い色をし、先端で小さく5つに分かれたそれは、まるでミニチュア化された人の足のように思えたよ。
その抜け殻はどうしたか?
ああ、貴重なものだからと箱の中へ入れて保管していたんだ。ところが秋になって涼しい空気が漂い出してからのぞくと、殻は見る影もなく溶けてしまっていたのさ。
残るは玉虫色の液体と、カメムシもかくやという臭いをしみ込ませた箱本体だけ。近くに置いたものにも移っちゃうくらい強くてね。何重にもビニール袋で密閉して、燃せるゴミに出しちゃったんだ。