むらさきの
冬里のファンは、意外なところにいる。
それは人でなくても。
休日にシュウが散歩するいくつかのコースの中に、小さいながらも毎年美しい花をつける藤棚がある。
花を見上げながら話をする人。
木陰で一休みする人。
そんな人たちを横目に見たり、時には自分も藤棚の下へ入ったりと、生真面目と言われるにもかかわらず、シュウの散歩はかなり気の向くままだ。
けれど藤の花が咲いている間は、本人も無意識のうちに藤棚コースが多くなっている。
そんなある日。
それに気づいたのはふとしたことからだった。
シャラン・・
サラン・・・シャラン・・・
耳をかなりそばだてないと聞き取れないほどの、かすかな音。
藤の花が、今日は心持ち騒がしい。
現代人には奇異に聞こえるかもしれないが、草花も「おしゃべり」をしている。音にあふれた今の世の中では、彼らでさえ、そのおしゃべりを聞くことはかなり難易度が高くなっているが。
そして藤の花が騒ぐのは、決まって冬里が隣にいるときだった。
「今日は一緒に散歩していい?」と言いつつ、返事も聞かずに先に家を出た冬里に苦笑したのだが、そのあと彼はシュウの決めるコースに文句も言わずついて歩く。そしてまた無意識にこの藤棚を選んだところで、花が騒ぎ出すのに出くわした。
もしかしたら、冬里の向ける好意が花たちにとって嬉しいのかもしれないと聞いてみた。
「冬里は藤の花が好きだったかな」
「うーん、藤の花の方がね」
「藤の花の方?」
また理解しかねる返答に同じ言葉を返す。
「うん、ここの子たちは人の手が入っちゃってるから、ちょっと聞き取りにくいんだけどさ、野生の藤ならもっと明瞭だよ」
そう、人が育てた花々は、素質が人に近づいてしまうのか、「おしゃべり」の声も小さく話す言葉も不明瞭になる。けれど花たちにとっては特に不便でも嫌でもないらしい。
とは言え、野生の藤の花はここにいないのだから、聞きようがない。冬里本人に聞いても、きっとちゃんと教えてはくれないだろう。
ため息をついてあきらめようとしたシュウの横で、冬里が人差し指をくるくると回しながら何か考えている。
その指がふと止まり、うん、とひとつ頷いた冬里が唐突に「スサナル」と、空に向けて呼んだ。
あ、と思ったときには、2人はスサナルの家のある山の中腹にいた。
「冬里、こういうことをする時には、先に言ってくれないかな」
たしなめようとしたところで、名を呼ばれた本人がそこに立っていた。
「おう、なんか用か?」
「スサナルさん、お久しぶりです」
だがそこは律儀なシュウのこと、冬里に問い詰める前にきちんと挨拶することは忘れない。
「あのさ、藤の花ってここら辺にあったよね」
「藤の花? ああ、あるぜ。ちょうど今が時期だがら、見に行ってやれ。喜ぶぞ」
「ありがと」
スサナルが指さす先には、緑まぶしい木々の間から、色鮮やかな紫が誇らしげにその存在を主張していた。
「冬里、私の話を聞いていますか?」
「あ、ごめん聞いてるよ。でもさ、先に藤の花たちの話を聞いてよ」
口調が丁寧になったシュウに、彼が本気で怒る前に、と、冬里はその手を取って藤の木の方へ歩き出す。
すると。
ザワザワとざわめきだした藤の花の「おしゃべり」が、シュウの中で言葉となって広がっていく。
むらさきの
むらさき むらさき
むらさきの方
むらさきの君
シャラン、サラン・・・サラン、シャラ・・・・
「むらさき?」
思わずつぶやいたシュウに、冬里が答える。
「なんかさ、僕って、むらさきなんだって」
「?」
余計にわからなくなったシュウに、いつの間にか横に来ていたスサナルが説明をはじめる。
「それはな、お前たちが醸し出している、固有の色だ。イメージと言っても良いかもしれないが。冬里は、むらさきだ。そして生意気なことに・・・・・・・・・・・・・、かなり美しい」
「なに、その失礼な間の取り方」
「ガハハ、冬里にはこれくらいがちょうどいいだろ? で、クラマは青だ。と言っても、うーむ、そうだな。濃い青と薄い青が混ざり合う中に時折現れるまっさらな白、という感じだな。湖に映る満月のようだ。こちらもえも言えず美しい」
そんな表現をするスサナルを、シュウは珍しく目を見開いて凝視している。
「で? 夏樹は?」
面白そうに聞く冬里に、スサナルはすぐに答える。
「あいつはオレンジに決まってるだろ。元気いっぱい、笑顔いっぱい! 大きな木に色とりどりの柑橘系が鈴なりってとこだ!」
ガハハと楽しそうに笑うスサナルに、冬里もさもありなんと笑って、それからシュウに向き直る。
「だって。だから、僕が藤の花を好きなんじゃなくて、藤の花がむらさきの僕を気に入ってくれてるってだけ」
肩をすくめて言う冬里に、けれど、こんなに嬉しそうにざわめく花々を好かない訳はないよね、と言葉に出そうとしたものの。
きっと冬里は本当のことは言わないだろうなと、そこは彼をよく知るシュウのこと。その思いを苦笑いに変えて、ただ頷いたのだった。
「まあ、ゆっくりしていけ。後でお茶でも入れてやるよ」
「それは私が」
「お! ありがたいねえ、じゃあお言葉に甘えるぜ」
手をヒラヒラと振って消えるスサナルに、こちらにも苦笑いを返してシュウはまた藤の花を仰ぎ見た。
そこにはいつの間にか変わった形の帽子をかぶった藤の木の精が腰掛けている。
その帽子は美しいむらさきの色。
楽しそうに揺れながら、おしゃべりもまだまだ続いていく。
スサナル邸でお茶をごちそうになったあと、散歩道へと帰してもらった2人は、藤棚の下で藤たちの心持ち小さなざわめきを耳にする。
「なんだか遠慮しているみたいだね」
「声が? それは仕方がないんじゃない? 人が手塩にかけて育てるのは彼らに対する愛情だろうから。それに・・・」
そこで言葉を切ってしまう冬里に、シュウが首をかしげて先を促すと、彼は話を続ける。
「人の手が入ってても、入ってなくても」
「?」
「花は、咲きたくて咲いてるんだからさ」
「・・・ああ、そうだね」
微笑む冬里の視線の先を追って、シュウもまた誇らしく咲き誇る美しいむらさきを見上げるのだった。
その夜。
「なんで俺も呼んでくれなかったんすかー。ずるいっすよ、シュウさんと冬里だけスサナルさん家に行くなんてぇ」
すねる夏樹に冬里が、
「そ~んな顔してたら、元気いっぱいの柑橘系が台無しだよ」
などと意味不明の説明をして、
「なんすかそれー。もう、シュウさーん、また冬里がー」
余計にすねる夏樹をまたからかう冬里に、シュウが本気で怒り出すまで、あと少し。
令和2年の春は花たちにとって受難の時期でした。人が来ないようにと花を切り取った藤の名所がありましたが、丹精込めて育てた方々の思いはいかほどだったかと。せめて物語の中だけでもと、追悼を込めて書かせて頂きました。




