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梅雨と七夕


「織り姫と彦星が、年に1度の逢瀬をする日でしょ? 知ってるわよそんなの」

 ここはいつもの『はるぶすと』2階リビング。

 いつものごとく実家に帰って、なんの遠慮もなく2人がけのソファを独り占めして寝転びなから、たった今放たれた「七夕の由来って知ってる?」と言う冬里の質問に答えているのは、おなじみ由利香だ。


「なんだかあまりに有名な話を信じてるんだね。で、なんで1年に1度の逢瀬なのかは、知ってるのかな?」

「えーと、ちょっと待って。検索してみる。……あ、出てきた。えーと、織り姫は機織りが仕事で、彦星は牛の世話が仕事。でね、2人は結婚するんだけど、あまりにも相思相愛すぎて、って、椿と私みたいね」

 向かいのソファに座る椿に笑顔を送った由利香は、先を続ける。

「あんまりラブラブなんで、2人とも仕事をほっぽり出すようになったんだって。このあたりは違うわねー、私も椿もとってもお仕事熱心だもの。でね、織り姫の織る布がなくなって神さまの服はボロボロ、牛もどんどん痩せ細って、それを怒った神さまが、2人を天の川のあっちとこっちに引き離し、年に1度だけ会うことを許しましたとさ」

 そこまで読んで、ドヤ顔でピースサインを送る由利香に、キッチンにいた冬里はフフッと笑って首をかしげる。

「なによ、大体あってるでしょ」

「んーとさ、恋愛話は後から付け加えられたものらしいよ」

「そうなの?」

 ひっよいと起き上がってキッチンの方を見る由利香に、冬里が人さし指をくるくる回しながら面白そうに答えた。

「だって神さまがさ~、服がボロボロになるまで我慢するなんて考えられなーい。織り姫が仕事休んだ時点でブーブー文句言ってるよきっと」

「はあ?」

 思わず疑問符が飛び出したと同時に、ズガガーーン! とものすごい音がして。

「神さまがどうしたって?」

 寝そべっていた由利香を膝に乗せたヤオヨロズが、ソファにでん! と、腰掛けていた。


「ええ?! ヤオヨロズさん! ちょっと!」

 すぐに反応したのは椿。

 慌ててテーブルを回ると由利香の手を引っ張り、立ち上がらせる。

「なんだ? そいつなんて軽いもんだぜ」

「軽いとか、そう言う問題じゃ、ないんです」

 ははあ、としたり顔をしたヤオヨロズは、うんうんと嬉しそうに頷いている。

「いいねえ、いつまでもラブラブで。けど、執着も嫉妬も過ぎると良くないぜえ」

「あ……はい、気をつけます」

「椿の良いところはそういう素直さだな。誰かと違ってな」

 ふふんと笑って冬里の方を見るが、本人はどこ吹く風だ。

「なーに? 気の短い神さまが文句を言いに来たの?」

「んだとお」

 その冬里は、マグカップを手にキッチンから出てくると、くるりと回り込んでカウンターにひょいと腰掛けた。

「ああ! ずるい冬里、自分だけなんか飲んでる!」

「うん、紅茶だけど?」

 マグカップを持ち上げてニッコリ笑う冬里に、案の定、由利香がブーブー言い出す。

「ええ? 私たちはともかく、せっかく来て下さったヤオヨロズさんにすら何もお出ししないなんて! いいわよ私が……」

 プンプンと膨れてソファから立ち上がる由利香に目をやった冬里が、その目線を由利香の後方に向けたかと思うと、ピッと裏階段へ続くドアをロックオンした。

「え? なに?」

 思わず振り返る由利香。


「たっだいまーっす」

 まるでそれを待っていたかのように、夏樹が小さめの段ボール箱を抱えて入ってきた。

「バアーン!」

 すると、冬里にしては珍しいほどの音量で、夏樹に向けた指を勢いよく引き上げ、銃を撃つ真似をする。

「うわっなんすか! うう……やられたぁ」

 冬里の指先からものすごい殺気を感じたように夏樹は、冗談ではなくそこに倒れ込む。

 慌てて椿が助けに入っていった。

「おい夏樹、大丈夫か! キズは浅いぞしっかりしろ!」

「はっははは! 何やってんだお前たち」

 そんな2人を見ていたヤオヨロズはおかしそうに笑っている。冬里は、立ち上がっていた由利香に視線を戻すとニッコリと微笑んだ。

「ゆーりか、腕の良いティーインストラクターが帰ってきたよ?」

「え? あ、そうね。じゃあ夏樹、ヤオヨロズさんにお茶をお願いするわ」

 すると、胸を抑えて倒れ込んでいた夏樹は、それまでのことが嘘のようにバッと立ち上がる。

「はい! 喜んで!」

「うおっ、危ないだろ夏樹」

「あ、ごめん、椿」

 立ち上がるとき、危うく頭を顎にぶつけられそうになった椿が、「じゃあ俺にも入れろよ、美味い紅茶」と、夏樹に言っている。夏樹は「まかせろ」と嬉しそうに頷いた。


「ところで、これはなんだ?」

 夏樹がダイニングテーブルに置いた段ボール箱を、椿が不思議そうに持ち上げる。

「あ、それは七夕の飾り。今、シュウさんが玄関前に笹を設置してるからそこにつけるんだけど、毎年だから痛んでるのがないか確認してくれって。それと短冊にひも通しもしなきゃならないし」

「へえ、開けていいか?」

「おう」

 するともちろん由利香も飛んでくる。

「七夕の飾りですって? 見たーい」

 仲良く荷物をのぞき込む2人を、いつになく優しげな目で見ているヤオヨロズ。

 そこへ、なんだかやけに優雅な歩き方で夏樹がやってきた。左手に掲げたトレイには来客用のティカップが3つ乗っている。

「どうぞ、ヤオヨロズさま」

 そのひとつを、夏樹はうやうやしくヤオヨロズの前に置いた。

「なんだ? 今日は格好いい執事ごっこか。いいじゃねえか。頂くぜ」

「そちらのお二人もどうぞ」

 ヤオヨロズの向かい側に、残り2つのティカップを置いて、夏樹がうやうやしくお辞儀をして言うのだった。

 2人で色とりどりの短冊にひもを通していた椿と由利香だが、夏樹に呼ばれていったん手を止める。

「お、ひも通ししてくれてたのか、ありがとな」

「いいわよ。どうせ暇だし」

 と言いながらソファに座る由利香の手に、なぜか短冊が一枚。

「どうしたの? それもうひもは通ってるよ」

 不思議そうに言う椿に、由利香がものすごくいたずらっぽい顔をしてヤオヨロズの方を見る。

「?」

 きょとんと首をかしげるヤオヨロズ。

「どうせなら、神さまがいる間に短冊書いておけば、願い事が叶う確率が上がるかも、とか思ったの!」

 本当に無邪気な笑顔で言うものだから、ヤオヨロスは額にポンと手を当てて大笑いをはじめた。

「ガッハハハ! 由利香にかかると、このヤオヨロズさまもお手上げだな」

「それいいな~、僕も書いちゃおうかな~」

 けれど冬里が極上の笑みを浮かべて言うと、ヤオヨロズはさっと真顔になった。

「だーめだ! 冬里の願いなんて、どうせろくでもない事だろ」

「あれ? 叶えてくれるつもりでいるんだね?」

「だから、だめだと言ってる」

「つまんないの」

 そんなやりとりの間も、由利香は短冊を前にうんうんうなっていたが、

「やっぱりやめるわ」

 と、短冊をダイニングテーブルに戻しに行く。

「なんで? 百個くらいあるでしょ、願い事」

「冬里~」

 ふざける冬里をキッと睨んだ後に少し考えて言う。

「なんだか、ずるしてるみたいだし。それに……」

 そこにいるメンバーをぐるりと見回す。

「もう願い事、全部かなってるような気がしたの」

 ヤオヨロズが、すべてお見通しだというように頷いた。




 シュウの散歩道のひとつに、この時期になると、笹が生い茂る庭を持つ家がある。

 ある日のこと、通りすがりに、七夕用だろうか、誰かが笹を分けてもらっている場面に出くわした。青々として、ほどよくしないでいるその笹を、美しいものだなと思って眺めながら通り過ぎようとしたところで、家主が声をかけてきたのだ。

「どうです? お宅にも飾りませんか? この時期になるとものすごく増えるので、持って帰って頂けるととてもありがたいのですよ」

 と。

 それから毎年、『はるぶすと』の玄関にも七夕飾りがお目見えすることになった。




 店玄関の飾り付けを終えたシュウは、小さな笹と季節の花を持って2階に上がって来た。この小さい笹も毎年恒例となった、リビング用の笹飾りだ。

「あ、シュウさん。玄関の飾り付け終わったんすね」

 頷くシュウが冬里の方に目線を移すと、「はいはーい」とわかったように冬里が立ち上がり、収納庫からいくつかの花器〈花瓶〉を抱えてくる。

「どうするの? それ」

「由利香もする? 七夕の生け花」

「生け花って、笹を生けるの?」

「そ」

 ニッコリと頷く冬里に、「する!」とやる気満々の由利香は腕まくりのような真似をして、花器が置かれたダイニングテーブルの方へ行く。

「俺もやってみたい」

 と、椿もソファから立ち上がる。

 その間にシュウのために紅茶を入れていた夏樹が、ソファテーブルにそれを運んでいた。

「紅茶が入りましたよ、シュウさん。ここに置いていいっすか?」

「ああ、ありがとう」

 ソファに腰掛けるシュウと入れ替わりに、夏樹はトレイをキッチンに置くと、自分もダイニングテーブルへ行く。

 冬里を先生として、4人はワイワイ言いながら笹を生けていく。


「この時期は、笹がいちばん増えるし美しいからな。人の子が、そこに願い事を書いた短冊を飾りはじめたのはいつだったっけかなあ」

 シュウの向かいに座っているヤオヨロズが、ダイニングテーブルでやいのやいの言いながら、にわか仕込みで生け花をする千年と百年の人の子を、面白そうに眺めている。

 同じように彼らに目を向けたあと、ヤオヨロズの方にきちんと向き直ってシュウが言う。

「願い事が多すぎて、この時期は神さまも大変なのでは」

「そうさな。まあでも、人の願い事なんて、年中無休だぜ」

 ガハハと笑ってティカップを持ち上げるヤオヨロズが、すいと目を細めて話しはじめる。

「今じゃ七夕は織り姫と彦星の恋愛話になって、皆、晴れてくれと願うがな、本来は田畑に雨を降らせてくれる水の神に感謝を捧げる日だ。水神なんだから、この時期、たいてい日本では雨が降るもんだ。……お、この紅茶なかなか美味いぜ。腕を上げたな、夏樹の奴」

 名前を出された夏樹が、「ありがとうございます!」と、元気に返事する。

 だけでなく、なんと、いちばん人の話を聞かない由利香が反応を見せた。

「水の神さまに感謝する……。そうよね、日本では7月7日頃って梅雨真っ盛りよね」

 でも、と、首をかしげる由利香に、椿が「どうしたの?」と聞いている。

「水の神さまってどこにいるのかしら」

 すると、

「うちのご近所なら、貴船神社があるぜえ」

 と、ヤオヨロズがニヤリと笑って言う。

「貴船神社?」

 また疑問符を投げかける由利香に、冬里が面白そうに言う。

「あれ、この間すぐそばまで行ったじゃない」

「すぐそば?」

「鞍馬寺っすよ、そこから歩いて行けたんすよ」

 夏樹があとを引き受けて言うと、由利香があっと言う顔をした。

「そうなの? いやだ、なんで言ってくれなかったのよ」

「あんとき由利香さん、歩くの嫌だって言ったじゃないすか」

「そうだっけ?」

「そうっす!」

 珍しくビシッと言う夏樹に感心しながら、ヤオヨロスが提案する。

「まあ、また来れば良いじゃないか。言っておいてくれれば紹介してやるぜえ」

 すると、ぱっと顔を輝かせた由利香が言った。

「ホントですか? やった、ねえ、いつにする?」

 また始まったという感じで、冬里と夏樹は知らん顔を決め込む。

 そこで手慣れた椿が、笹を持ち上げて言った。

「まあ、その話は置いといて。今はこっちを片づけようよ」

「あ、そうね」

 由利香の気持ちがすっと切り替わった。

 おお、と、椿の手際の良さに感心したヤオヨロズは、そのあと向かいに座るシュウと目を見交わして、楽しそうに微笑むのだった。


笹の葉さらさら♪ 軒端のきばにゆれる♪

 笹の生け花をしながら、由利香が小さく鼻歌を歌い出す。

 けれど……、

お星様キラキラ♪

 の所まできて、クスッと笑い出した。

「今年の七夕もお星様キラキラって感じじゃ、ないわよね」

 ふと窓から外をうかがうと、今日もしとしとと雨模様だ。

 軒端に揺れる店の笹の葉も、雨露に濡れてゆらゆらと揺れていた。





 雨の日の散歩も、シュウは好きだ。

 木々や花などの植物が、生き生きと嬉しそうにしているからだ。濡れた草花は色濃くて、とても色鮮やかだ。

「よく降りますね」

 傘をさしているシュウの隣に、音もなく美しい人が現れる。

「お久しぶりです。今日は、どうなさいましたか」

「ただ、散歩をしたかっただけです」

 そこにいるのは、間違いようもない、

《たかおかみのかみ》

 水を司る、貴船神社の御祭神だ。

「それと、お誘いと」

 天の果てまで見透かすような澄んだ瞳が、シュウに向けられる。

「ありがとうございます。いずれ必ず」

 静かに答えるシュウに、鈴のような音色をたて、微笑んだ《たかおかみのかみ》は嬉しそうに言う。

「あなたは約束を違える方ではない。お待ちしておりますよ」

「はい」

 返事をして歩き出したシュウが、ふっと柔らかく微笑んで言う。

「そろそろ雨もやみますね」

「なぜでしょう」

 そのように問う神さまに、彼はすぐに答えを返す。

「あなたがいらしたから」

 傘を少し傾けて空を見上げたシュウの目に、厚い雨雲に切れ間が入り、そこからこぼれる日の光に輝きながら、しなやかに身体をくねらせて天へ昇る龍の姿が映る。


 隣にいた美しい人は、もう消えていた。


 梅雨が明けるようだ。





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