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コミカライズ原作及び関連作品

王妃教育は文字通り血反吐を吐くものでしたので、喜んで婚約破棄を受け入れました【コミカライズ】

 

「リンティーナ=ミラーフォトン公爵令嬢っ。貴女との婚約は破棄させてもらいます!!」


 それは学園主催の夜会でのことでした。

 わたくしが『発作』を抑えながら男の人も混ざっている夜会をやり過ごしている中、わたくしの婚約者にして第一王子、加えて王族の歴史の中でも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ジランド=レリア=スクランフィールド様が高らかとそう仰ったのです。


 そのお言葉にわたくしは何事かと目を瞬きます。


「殿下、それは戯れか何かでございますか?」


「戯れで婚約を破棄などしませんよ」


 王族の証たる金髪に深い青の瞳、絵本の中の王子様もかくありきといった女性を魅了する端正な顔立ちも今は歪んでいます。


「貴女は私の婚約者の癖にほとんど顔を合わせることもありませんでしたね? 私が誘っても忙しいと断るほどに。私以上に優先することなどこの世にあるわけないというのに、舐めた真似をしてくれたものです」


「殿下、それに関しては王妃教育の予定があるからと説明したはずですわよ」


「はっは! 公爵令嬢として最低限の教育は受けているでしょうにっ。もちろん私の伴侶としてふさわしい振る舞いをするためにと新たに学ぶべきことがあるのかもしれませんが、それだけで私の誘いのほとんどを断るほどに多忙となるわけないでしょうっ!!」


「それは……」


「聞きましたよ。貴女が言うところの王妃教育とは単なる護身術が大半だと。それ以外の礼儀作法等に関しては公爵家で学んでいたものに多少付け加えるだけでよかったらしいですしね! 護身術程度、少し本気を出せば三日で習得できるでしょうに、手を抜くことで私の誘いを断る口実を作っていたとしか思えません」


「殿下、それは違いますっ。わたくしは常に本気で──」



「ジランドさ・まぁ〜」



 それは甘ったるい声でした。貴族とはかくあるべしと表情、声、仕草から何までどんな相手からも一定の評価を受ける作法を幼少期より教え込まれてきたわたくしでは出力することのできないものでした。


 薄い赤のツインテールに小柄な体躯。十五と同年代ながらに歳と比較して幼さを感じさせる少女が恐れ多くも殿下の腕に両腕を絡めたのです。


 ファリアル=シュガーポイント男爵令嬢。社交場の縮図でもある学園において婚約者のいらっしゃる男性に必要以上に肉体的な接触を多用するスキンシップを行っているのだとか。


 王妃教育に時間をとられて学園にはあまり顔を出せていませんが、その辺りの情報を取得するだけの繋がりは確保していましたので初対面ながらに判別はできました。


 しかし、なんというか、情報以上ですね。仮にも王族に対して腕を絡めるなど不敬と取られてもおかしくないんですが──どうやら殿下は気にしないどころか嬉しそうに微笑んでいます。


「ファリアルよ、いかがしました?」


「お話長いんだもぉん。こんなにも近くにジランド様がいるのにぃ、触れ合えもしないなんて寂しすぎだよぉう」


「む。そうですね。さっさと済ませますからもうしばらく待ってください」


「早くねぇ」


 何やら殿下と男爵令嬢は盛り上がっていますが……これは、つまり、そういうことなのでしょう。


 何せ殿下には見えない形で男爵令嬢さんってば嘲るような笑みを浮かべていますもの。


 なるほど、敵をつくらないよう立ち回るのが社交界の基本なれど、殿下を誘惑して王妃の座をもぎ取るだけなら味方をつくる代わりに敵もつくるような甘ったるい態度も適切である、と。


 良くも悪くも純粋な殿下と違って、それもまた貴族らしいということでしょうか。


 不幸なるは殿下が凡人のことなどおわかりになられない天才であることと、王妃というものがそう良いものではないことでしょうか。


「婚約者を蔑ろにしてきた貴女は将来の王たる私の伴侶に相応しくありませんっ。よって今ここに貴女との婚約を破棄し、常に私のそばに寄り添い支えてくれるファリアルを新たな婚約者とすることを宣言します!!」


 ああ、本当、天才とは残酷なものです。

 とはいえ、殿下の婚約者でも何でもないわたくしには関係ないこと。今後、殿下との婚約を破棄された令嬢の扱いがどうなるかは想像に難くありませんが、差し引いてもありあまるほどに幸運だと評価できます。


 ですから、ええ。

 思わず笑ってしまうのも無理はありません。


「この婚約は家同士の決まりなれど、殿下がそうおっしゃるのならば正式な決定なのでしょう。リンティーナ=ミラーフォトン、しかと了承いたします」


 反論がなかったことか、それとも笑みを浮かべていることが不快なのか眉をひそめていましたが、わたくしは気づかないフリをして頭を下げます。


 そして、


「ファリアルさん。貴女が王妃となるために殿下を誘惑したのならば何も言いませんが……もしもわたくしの見立てが間違っていて、純粋に殿下のことを愛してしまっただけならば退くのは今のうちですよ? 本当に悪意がなかった人が王妃教育によって苦しんでしまうというのは本意ではありませんし」


「ええっとぉ」


 するり、と。

 殿下から離れて、耳元に口を寄せて、わたくし以外には聞こえない声で男爵令嬢はこう告げました。



「負け犬が何を言っているわけぇ?」



 ああ、本当、よかったです。

 これで心置きなく押しつけることができるのですから。



 ーーー☆ーーー



 馬車の中。

 地獄の案内人もかくやと言うべき王城からのものではなく、ミラーフォトン公爵家の馬車の中でわたくしは一つ息を吐きます。


 馬車の中にはわたくしだけ。

 馬を駆る女性の従者も信用できるとなれば、もう我慢なんてできようはずもありません。


「いやったああああっ!! もう王妃教育に苦しめられることはなくなったんですうっ!! さいっこーっ!!」


 世界には救いがあったんですねっ。ああ、ああっ、もう駄目泣いちゃいますっ。


「う、ひっく。もう、もうもうもうっ!! 王妃教育ってなんですか、あんなの拷問ですよっ。貴族としての必須項目は公爵家であらかた学んでいるのだから、後は専門的なものを付け足すだけかと思えば……ううっ、思い出しただけで寒気がしますっ」


 護身術。

 王妃となるからには王のそばに常に寄り添い、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 何十代も前、群雄割拠の時代に平民より台頭、複数の国家を打倒してその土地を治めた初代国王とその伴侶が類稀なる傑物であったことから慣習となった、それ。


 本当、もう、ふざけた話です。

 遥か過去において文字通り一騎当千の力を持った王や王妃がこの国を治めていたとはいえ、何でそんな時代遅れなものに付き合わされなければならないんですか。


 血反吐を吐くものでした。

 血反吐を吐くほどに厳しい、と事前に教育係のおっさんに言われてはいましたが、言葉通りに血反吐を吐くのが序の口だとは思わないでしょうに!!


 何度、屈強な男の集団に打ちのめされ、斬り捨てられ、叩き砕かれたでしょうか。血反吐を吐き、生死の境を彷徨って初めて治癒魔法をかけられて──治りきっていないのに教育再開は当然のものでした。


 一時期は『発作』がひどく、部屋から出るのも怖くて、そういう時は決まって教育係のおっさんに力づくで連れ出されました。抵抗しても無駄と言わんばかりに嫌がるものなら拳が飛びます。


 これでも王妃教育が始まる前から純粋な魔力量なら学園でもトップクラスで、一般的な騎士であれば数十人をまとめて相手とできる力を持っていたのですが──そんなものでは全然足りないというのです。


 何せ、殿下が強かったから。

 過去の伝説、初代国王の一騎当千の暴虐の再来と言わんばかりに才能に満ち溢れた天才ですから。


 ゆえに、殿下は気付かない。わたくしが求められているのが将軍や近衛騎士団長を瞬殺できるくらいの文字通り一騎当千の力であったとしても少し本気を出せば三日で習得可能なものとしか思わないんです。


 ……親不孝な娘でごめんなさい、お父様。殿下との婚約という良縁を結んでいただきながら、このような結果に終わってしまったのはわたくしの失態です。それでも、ええ、わたくしは嬉しくて嬉しくてたまらないんです。もう、大の大人から不眠無休でいたぶられる日々は終わりなのだと思うと涙が止まらないんです。


 慣習だから。

 それ以外に何の意味もない王妃教育が終わるというならば、貴族世界で冷遇されようと、責任を取る形で修道院に放り込まれるとしても、何なら身分剥奪の上に着の身着のまま国外に追放してくれても構いませんっ。


「痛いのはもう終わりですううーっ!!」


 世界が輝いてみえます。

 心が軽くて仕方ありません。


 ……せめて、今だけは、貴族としての立場を忘れて歓喜に浸ることを許してください。



 ーーー☆ーーー



 幸か不幸か修道院送りとなることはありませんでしたが、付け入る隙を与えれば攻撃されるのが社交界。あることないこと、それはもう『噂』という形で好き放題言われています。


 まあ、わたくし個人としては全然全くこれっぽっちも気になりませんが。どれだけ悪意があろうとも所詮は言葉。肉を潰し、骨を砕き、神経を千切る暴力に比べればそよ風程度のものでしかありません。


 とはいえ、です。

 見栄と外聞が全ての貴族としては事が鎮静化するまで大人しくしている、なんてことはできません。いかにミラーフォトン公爵令嬢というブランド価値が下がっているとわかっていても、今この時にこそ新たな婚約を結ぶ必要があります。


『王家から婚約の破棄を突きつけられたところで公爵家にとっては何ら支障はない』と内外共に喧伝する。たったそれだけではありますが、たったそれだけを疎かにしては事が鎮静化した後にも何かにつけて今回の件が持ち出されることとなるのですから。


 ゆえに、わたくしはミラーフォトン公爵家本邸の客間で座して新たな婚約者を待っていました。これ幸いと四十も五十も年上の男性からの婚約の申し込みもあったようですが、全てはわたくしのブランド価値が下がったからです。切り捨てられていてもおかしくないところを新たな婚約を用意してくれたお父様の温情を台無しとしないためにも今回の婚約は必ず成功させなければなりません。


 ……『発作』が起きないよう、耐えなければならないんです。


 そして、ついに扉が開かれました。

 そこには──



 ーーー☆ーーー



「いやはや、よもや俺様のような者がミラーフォトン公爵令嬢と婚約できるなど恐悦至極っ。我が全霊をもってめくるめくハッピーライフを約束しようではないかっ」


「……あの、シュダさま」


「何かな、我が愛しの婚約者よ」


「距離、遠くありませんか?」


 漆黒のボロコート姿の同年代の少年でした。

 バードフォーチュン伯爵家当主にして宰相の息子であるシュダ=バードフォーチュンさまはいかにも貴公子と言いたげに手で髪をかき上げます。それだけならまだしも、なぜか部屋の隅から動こうとしないのです。


 普通、あのような言葉遣いの男の人は積極的に近づいてくるものなのですが。


「な、何を言う。男女がむやみやたらと距離を縮めるのは良くないのだよ。決して、決して女性恐怖症なのではないからなっ!!」


「女性、恐怖症……なのですか?」


「あ、やべ、違う違う違うっ。俺様は、そんな、女性恐怖症ではないぞ! その証拠に、ほら、ジャンジャン距離を縮めちゃうからなっ!!」


 だんっ!! と大きく一歩前に踏み出すシュダさま。同じ歳ほどの男性が近づいてくる、という今更ながらの現実にわたくしの肩が跳ね上がります。


『発作』まではいかず、表情も貴族として生きていくための処世術でもって取り繕えていたからでしょう。シュダさまはわたくしの内心に気づくことなく距離を詰めます。


 ずいっ、と。

 鼻と鼻とが触れ合うほど接近して、そして、



 互いに飛び退くように距離を取りました。

 そう、恐怖から逃れるために。



「もしかして、なんだが」


 だらだらと脂汗を浮かべたシュダさまが部屋の端に戻りながらおそるおそるといった様子でこう問いかけてきました。


「男性恐怖症だったり、するのか?」


「…………、」


 問いにわたくしはしばらく迷って、素直に頷きます。婚約者となった相手にまで隠すことはありません。


「そうか、そうなのか。いや、俺様は全然女性とか余裕なんだが、我が愛しの婚約者が男に恐怖を覚えるというなら距離をとって接するとしよう。決して、俺様が女性に恐怖を覚えるというわけではないのだぞ!!」


 青い顔をしたシュダさまを見れば真相は明らかなのですが、わざわざ追求することもないでしょう。距離をとってくれるとなれば、わたくしとしてもありがたいですしね。



 ーーー☆ーーー



 シュダさまはバードフォーチュン伯爵家が長男ながらに表舞台にはあまり姿を現すことはありません。宰相の息子ながらに公爵家の人間であるわたくしが婚約するまで顔を合わせたことすらなかったほどなのですから。


「我が愛しの婚約者よ。キミはチョコケーキが好きなようだな」


「その通りですが……どうして分かったのでしょう?」


「どうしてって、見ればわかるさ」


 何度かお茶をしたその日、シュダさまは何でもなさそうにそう言いました。公爵令嬢として、そして未来の王妃としての教育で感情を表に出さない術は十分会得しているはずなのですが、シュダさまは一目で見破ったのです。


 それだけの目がありながら、シュダさま自身は感情を隠すのが苦手でした。おそらく大抵の人間に見破られるくらいに。


 どこかちぐはぐな人でした。

 ちぐはぐといえばその言葉遣いもです。はっきり言って似合わないにもほどがあります。


 黒髪を肩で切り揃えた鮮やかな黒目の同年代の彼はお茶を一緒にしているにしては席五個分は離れた位置で『ふっ』などと言いながら髪をかき上げています。


「シュダさま、もう一ついいでしょうか?」


「我が愛しの婚約者からであれば、いくらでも」


「どうしてそのような言葉遣いをしているのですか?」


「ぶぇっぶっ!?」


 口に含んだ紅茶を吐きそうになり、手で押さえたシュダさまが咳き込みます。口を拭い、焦ったように視線を彷徨わせて、


「どうしても、聞きたいか?」


「婚約者のことならどんな些細なことでも知りたいものですから。とはいえ、もちろん無理にとは言いませんが」


 この心の動きは『元』婚約者の仕打ちが多少なりとも影響しているのかもしれません。もう、失敗できませんもの。


「そ、そうか。いや、でも、婚約したんだもんな。これから長い付き合いとなるのだし、隠し事はできるだけなしとしないとな」


 意を決したように真剣な表情を浮かべるシュダさま。そうです、シュダさまは王国の頭脳と名高い宰相の息子です。あの言葉遣いには何らかの深い意図があるのかもしれません。


 それを、わたくしに話してくれる覚悟を決めてくれたのです。婚約者としてきちんと受け止めなければならないでしょう。


 そして。

 シュダさまはこう言いました。



「昔読んだ絵本の王子様の言葉遣いを真似ていたら、その、癖になったんだ」



 …………。


「それだけ、ですか?」


「まあ、うん」


 その表情が本当に真剣で、その声音がどこまでも深刻で、さりとて語られた内容とのギャップにわたくしは──


「ふふっ」


 ──思わず笑ってしまいました。


 だって、そんな、あの王国の頭脳と名高い宰相の息子が絵本の王子様を真似ているだなんて、そんなの、ふふふっ。


「わ、笑うことないじゃないかっ。言葉遣いなんて多少大仰なくらいがちょうどいいというか、ぶっちゃけ格好良くないか!?」


「そ、そうですね。ふ、ふふふっ、ははははは!!」


「うぐうっ! 笑いすぎじゃないか!?」


 ギャップが刺さったからです。

 シュダさまが真っ直ぐだったからです。

 ムキになる様子が可愛くすらあったからです。



 ですから、これは仕方ないことなのです。

 貴族としてのわたくしを維持することができず、公爵令嬢として保つべき体裁さえも忘れて、本当に心の底から笑っていることも仕方ないことなのです。



 ああ、こんなにも笑ったのはいつぶりでしょう。



 ーーー☆ーーー



 シュダさまは否定していますが、シュダさまもまたわたくしと同じで異性に対して恐怖を覚えています。ゆえにこそシュダさまのお屋敷には男性の使用人しかいませんでした。


 それは婚約者としての義務、ではなく、わたくし自身がシュダさまとお会いしたいからとシュダさまのお屋敷を訪ねるようになったある日のことでした。


 躓き、よろめいたわたくしをそばにいた男性の使用人が抱きとめてくれて──あまりにも距離が近いものだから思わず突き飛ばしてしまいました。


「ぁ、……ごめんなさっ、」


 悪い、とは思ったのです。

 それ以上に恐怖が打ち勝ってしまったのです。


 足に力が入らず、その場に崩れ落ちてしまいます。ぐらぐらと地面が揺れているように頼りなく、頭の奥をかき回すような頭痛がして、吐き気がせりあがってきます。


 ああ、だめです。

『発作』が。


「ひ、ぅ……うああ、あああッ!!」


 いや、です。

 もういたいのはやだなぐらないでひどいことしないでなんでいたいのやめてくれないのくらいのやださむいのもやだそんなところにとじこめないでおうちにかえりたいやめてやめてくるしいのやだそれもうやだなおさないでころしてよしんじゃえばらくになれるもんたすけてやだいやだもうやだいたいのはいやなのやだあ!!


「リンティーナっ」


 くらくて、さむくて、くるしくて、そしていたいはずでした。


『発作』が過ぎ去るまで連鎖的に浮かぶ過去の苦痛が襲い掛かるはずでした。



 温かく、包み込む何かがありました。

 シュダさまが抱きしめてくれていると、今を認識できるまでに、『発作』が軽くなったのです。



「落ち着け。大丈夫、大丈夫だからな」


 触れ合っているからこそ、わかります。

 こうして抱きしめてくれているシュダさまの身体も声も震えていて、それでもしっかりとわたくしを抱きしめてくれていることが。


 シュダさまだってわたくしという異性が怖いはずなのに、です。


「シュダ、さま……」


「リンティーナの過去に何があって、どれだけ怖い想いをしたのかはわからない。だけど、それでもだ。過去がどうであれ、今は俺様がいる」


「う、あ」


「我が全霊をもってめくるめくハッピーライフを約束しようと、俺様はそう言ったぞ。というわけで、だ。どんな過去があれ、霞むだけの幸せを味わわせてやるから覚悟しろよっ!!」


「うあ、ああ、ああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 本当に、シュダさまの前では貴族としての体裁なんて維持できません。ただの子供のように、体裁という殻で隠していたものが溢れて止まりません。


 ただただ涙を流すわたくしをシュダさまはずっと抱きしめてくれました。



 ーーー☆ーーー



「シュダさま。もう大丈夫です」


 臆面もなく泣いて泣いて泣き喚いて、楽になったわたくしがそう言えば『そうか』と呟き、バッとシュダさまが大きく後ろに飛び退きます。


「シュダさま、大丈夫ですか!?」


「いや、なんでもない、なんでもないが、できればあまり近づかないでくれると助かるなっ」


 思わず駆け寄りそうになったわたくしを手で制して、シュダさまは額に浮かんだ脂汗を拭います。


 息は荒く、視線は定まっておらず、それでもシュダさまはわたくしのためにとずっと抱きしめてくれたのです。


「は、はは。情けないもの見せたな」


「情けなくなどありません。格好良いですよ、シュダさま」


「……、そうか」


 一つ息を吐き。

 シュダさまはこう言いました。


「実は俺様、何を隠そう女性恐怖症でな」


「ええ、知っています」


「うそ!? うまく誤魔化せていたと思っていたのにっ!?」


 ……本気で言っているのがシュダさまらしいとも言えます。


「ま、まあ、なんだ。そういうことで俺様は婚約者が相手でも怯えてしまうんだ。別にリンティーナが嫌いというわけじゃなくて、だけど自分でもどうしようもなくてなっ」


「分かっています。わたくしも同じですから」


 理屈じゃないんです。想いさえも塗り潰されてしまうんです。男性という記号が過去の恐怖を呼び起こしてしまうのは止められないんです。


 もっと、ちゃんと、シュダさまと触れ合いたいのに。婚約が破棄されても、なお、『元』婚約者のために施された王妃教育はわたくしの心に深く根付いています。


「それでも」


 おそらく全部わかった上で。

 シュダさまは真っ向から踏み込んできます。


「先のセリフは必ずや果たしてみせる。俺様のことが心の奥底まで刻まれるくらい幸せにしてやるからな、ふははっ!!」


「…………、」


 シュダさまは気付いていないでしょうか、もうとっくにわたくしの心には──


「そう、ですか……」


 わたくしは赤くなった顔を隠すように俯きます。いつからわたくしは貴族としての顔以外の何かをこんなにも強くしていたのでしょうか。



 ーーー☆ーーー



 本日はわたくしとシュダさまとの婚約発表パーティーです。婚約発表のためのパーティーが行われた、という事実さえあればいいということで参加者は身内や派閥内でも関係の深い者たちに限られています。わたくしたちの『使用方法』よりも異性に対する恐怖症を抱えたわたくしたちに配慮した形であります。


 ……あのお父様のことですから利益を考えてのことではあるのでしょうが、生憎と完全に推察することまではできません。


「ふははーっ!! どうだクソッタレども、我が愛しの婚約者は最高に可愛いとは思わんか!?」


 少し離れたところではシュダさまが三人ほどの友人らしき人たちに向けてそんなことを言っていました。かっ、可愛いだなんて、そんな、……うう。嬉しいけど恥ずかしいです。


「てっめ、ちゃっかりやったな、おいっ。お近づきになりてえから紹介しろコラッ!!」


「馬鹿、お前のような下半身で物事考えている馬鹿をリンティーナに近づけるものかっ。というわけで、他の奴らを差別しないためにも男は半径十メートル以内には誰も近づけさせないと知れ!!」


「ふむ。お前さんと同じ感じというわけであるか。了解である」


「人が三日かけて考えた建前即座に看破するのやめてくれないかっ」


「なるほどなるほど。ふふーん。ハニーのほうが美人だしぃ」


「はぁ!? リンティーナのほうが美人だしぃ!!」


 あの、シュダさまその辺りで……。いや、その、なんでパーティーのど真ん中でご友人と競うようにわたくしがいかに素晴らしいか力説しているのですか!?


 嬉しいですけど、もう胸が溢れんばかりに暴れていましたけど、それはそれとして周囲からの視線が恥ずかしいんですっ。


 わたくしがシュダさまをお止めするため足を踏み出した、その時でした。



 ゴガァンッ!! と。

 パーティー会場の扉を粉砕し、踏み込んでくる影が一つ。



 その影はパーティー会場の護衛として配置されていた者たちを足元に転がしていながら、傷一つありませんでした。


 その影はまるで自分こそがパーティーの主役と言わんばかりに堂々としていました。


 その影はもう忘れたい過去の表徴でした。


 第一王子ジランド=レリア=スクランフィールド。金髪に青の瞳の殿下は真っ直ぐにわたくしを見つめていたのです。


「女とは弱きモノですね。私は学習しました」


 ゆっくりと、ですけど確かに殿下が近づいてきます。公爵家に伯爵家。護衛の全てを叩きのめした上で平然とした暴虐の塊が。


「しかし、本当、ファリアルもあの程度の王妃教育で死ぬとは情けないものですね。将軍や近衛騎士団長に痛めつけられた程度で治癒が追いつかずに衰弱死するなど。いやぁ、まさか貴女がまだマシだとは思いもしませんでした」


 一歩、一歩、確実に。

 過去の恐怖、その象徴が迫っていて、今すぐにでも逃げたいのにわたくしはその場から一歩も動けませんでした。


 まさか、殿下は、そんな、違います。だって破棄しましたもの。あれは、もう、終わったもので、だから、ですから!!



「光栄に思いなさい。王妃の座は貴女に差し上げます。好きになった女を愛人として囲い、これ以上王妃教育で殺さないためにですね」



 当然のように殿下はそうおっしゃいました。簡単に、面倒そうにさえしながら、あの地獄にわたくしをもう一度突き落とすと告げたのです。


 や、だ。

 もう、やだ、あれだけは、絶対に。


「さあ、来るのです」


 第一王子ジランド=レリア=スクランフィールドの手がわたくしへと伸びて──



「俺様も舐められたものだ。俺様の婚約者を目の前で奪おうとはな!!」



 ばっし!! と。

 その手を飛び込んできた影が払います。


 殿下とわたくしの間に入り込む、その背中。肩で切り揃えた黒髪に黒目、そして何より婚約発表のパーティーだろうがお構いなしにいつも通りの漆黒のボロコートを靡かせるは、


「シュダ、さま……」


 本当に、本当にシュダさまはいつだって格好良くて、でも、だからこそ、


「だめです。相手は第一王子ですよっ。逆らってはだめなんですっ!!」


 貴族としての権力に差がある、というのも一つ。ですが、それ以上に、第一王子ジランド=レリア=スクランフィールドは王族の中でも歴代最強、かの将軍や近衛騎士団長さえも少しやる気を出せば瞬殺できるだけ強くなれるのが当然と考えるほどに認識が他者と乖離してしまう天才です。


 王国最強、いいやもしかしたら大陸最強であるかもしれません。()()()()()、そう、身体能力や魔法の技術云々ではなく純粋な魔力量だけで最強と君臨する暴虐の塊です。逆らう者は誰であれ一撃で殺せるだけの暴力と、殺人罪さえも隠蔽可能な権力を前にして対抗できる者などこの世に存在しません。


 だから、ですから。


「わたくしのことはいいですから……」


「もしかして忘れたのか?」


 シュダさまは揺るぎません。

 だからこそ、わたくしはこんなにもシュダさまに惹かれているのですから。


「我が全霊をもってめくるめくハッピーライフを約束しようと、俺様はそう言ったぞ。今にも泣きそうな顔したお前が殿下に連れて行かれて幸せになれるとは到底思えない。ならば、お前を幸せにするために必要なら、殿下だろうがぶっ飛ばすさ」


 約束を忘れた日なんてありません。

 シュダさまならばそう言うと確信していました。


 ですけど、その強さも。

 殿下の暴虐を前にしては砕けてしまうのです。


「シュダさまっ!!」


 やだ。

 シュダさまに死んでほしくない。


 だから、それでも。


「不敬ですね。自身が何を吐いたか、理解していないようで」


 殿下の言葉をシュダさまは鼻で笑います。挑むように、わたくしの声も跳ね除けて、一歩前に踏み込んでしまいます。


 止めないといけないのに、シュダさまが死んでしまうと考えただけで震え上がるほどなのに、殿下の声にあの地獄が脳裏にチラついて足が竦みます。一歩がどうしても踏み込めないんです。


「理解ならしているさ。俺様の婚約者をつけ狙うクソ野郎をぶっ飛ばす、それ以上も以下もない」


「支配者に搾取されるだけの肉塊は肉塊らしく、私のために尽くしていればいいものを。廃棄処分確定です」


「ハッ! 言ってろ、クソ野郎が!!」


 そして。

 そして。

 そして。


 ゴッッッ!!!! と。

 殿下が放った魔力の塊が眩い限りの光を放ちます。


 それは城壁すら粉砕する暴虐の極み。魔力の塊を放射するだけの単純にして絶大な『量』の極致。魔法の技術なんてあったものではないというのに、単純な魔力量だけで軍勢を粉砕できる天才が天才である証明でした。


 ですから。

 それなのに。



 ぱんっ、と。

 シュダさまが片手を振るうだけで魔力の塊が霧散しました。



「…………、は?」


 唖然とする殿下に向けて、一歩。

 踏み込むシュダさまは言います。


「悪いな、俺様は昔サキュバスに呪われてな。その呪いのせいで魔力を受け付けない体となり、女に弱くなったんだ」


 つまり、と。

 シュダさまはゴギリと拳を握りしめて。


「魔力の量、ただそれだけで最強と君臨する貴様など敵ではないと知れ!!」


「……ッッッ!?」


 殿下の力は絶大です。ですが、それは膨大な魔力量のみにて支えられたもの。土台そのものが崩れれば、残るは生身の肉体だけ……ということ、は?


「ふ、ざ、けないで、ください。サキュバスの呪い? そんなもので、そのような穢れた力で! 私の力が通用しなくなるなどふざけるなあああああああ!!!!」


 何度も何度も光が瞬きます。ことごとくをシュダさまは避けることもなく受けるだけでその全ては霧散しました。


 軍勢さえも粉砕する膨大な魔力も、そうなればただの眩しいものでしかありません。


 もう満足か、と言いたげに最後の一歩が踏み出されます。至近より、シュダさまはこう言い放ったのです。


「俺様の婚約者を泣かしてんじゃないぞ、このクソ野郎があ!!」


 拳が飛び、殿下の鼻っ柱を潰す鈍い音が炸裂しました。



 ーーー☆ーーー



「シュダさまは馬鹿です。大馬鹿です。わたくしなんかのために王族に喧嘩を売るなど本当馬鹿なんですっ」


「かもな。でも、まあ」


 シュダさまはゆっくりと手を伸ばし、いつの間にか頬を流れていた涙を拭います。


「約束したからな。リンティーナの幸せのためなら王族だろうが何だろうがぶっ飛ばしてやるさ」


「……ばか」


 それに、と。

 シュダさまは小さく、ですけど確かにこう続けました。


「遅かれ早かれ腐敗した王権を潰す動きはあったんだろうし、どうせなら互いに利用しあうのも悪くないだろう。……お偉方の思惑はどうであれ、俺様はリンティーナの幸せのために行動するだけだ」



 その後、第一王子をはじめとして王族の悪事が明るみに出たり、国民感情を味方につけた上でミラーフォトン公爵家を中心とした反乱が勃発し、最終的に現王権は粉砕されたのだが、それはまた別のお話。


 一つ言えるとすれば。

 例え内乱があろうが、内外共に思惑が絡み合っていようが、シュダは惚れた女を幸せにしてみせたという。

【連載版】はじめました! 【連載版】はこの短編の続きとなりますので、気になる方は下のリンクから読んでいただければと思います!!

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― 新着の感想 ―
[一言] 実は王子が思いやりのある人間で、リンティーナが苦しんでるのを知って、さらにファリアルがどんな苦しいものも乗り越えるなんて嘯いた結果、王子がリンティーナを気負わせないために愚かな婚約破棄という…
[良い点] げ……《幻想殺し(イマジンブレイカー)》
[気になる点] ”あべこべ“は「順序・位置・関係がひっくり返っていること、さかさま」という意味です。 おそらく文脈的の仰りたいのは“ちぐはぐ”ではないでしょうか。 ちぐはぐ:物事が噛み合わず、違和感…
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