それは愛か狂気か
三人が動くよりも先に、ミシェルの声が再び聞こえてくる。
「扉を開けなければ、無理やりにでも入らせてもらうわ!」
そして、バンッ!と大きな音がして、ミシェルの引き連れてきた衛兵が、扉を破ってウィーゼルの中に乱入してくる。
ポムじいは肩をすくめた。
「やれやれ。開ける時間も与えんくせに、よく言うのう。お主らは王家に仕える衛兵じゃないのか?」
衛兵達はあっという間に三人を取り囲み、ミシェルは堂々と三人の前に歩いて来た。そして、ビシッと指を差すと、高らかに宣言した。
「あなた方が先程伯爵を縛り上げて無理やり連行する様子を、私がこの目で見ましたわ。よって、貴族への暴行罪で逮捕します。そこの年配の方も、犯罪者に手を貸した罪で逮捕よ。全員、王宮まで連行するわ!」
「………へえ、そういう事か。随分安っぽい作戦だね、ミシェル嬢」
「あら、何のことかしら?」
「こんな貧民街の方まで、貴族令嬢が衛兵を何人も連れてくるなんて偶然、ないに決まってるだろ?つまり、そもそも伯爵と君はグルだったってわけだ。……だけど、今後伯爵の罪が露見すれば、君はむしろ、市民を無実の罪で捕らえようとしたという疑いをかけられるって事くらい、分かってるよね?」
「ふふっ、随分余裕があるみたいだけど、残念ね。王太子殿下が味方の私に、勝てるわけがないでしょう?」
「……王太子が、君の味方?」
「ええ、そうよ」
自信満々に答えたミシェル。
ラウドは繰り広げられる会話を聞いて何やら考え込んでいたが、縛られたまま座っている伯爵をちらりと見ると、ミシェルに向き直った。
「おい、お前」
「何ですか?」
「俺達は、ちゃんとした理由があってこいつをとっ捕まえたんだ。俺たちに暴行罪を押し付けたいのなら、伯爵が無実だって事も証明しないと筋が通らねえ。だから、こいつも王宮に連れて行けよ」
「……え?それは、ええと……」
ミシェルは答えに詰まって、伯爵を見た。助けを求められた伯爵は、ゆっくりと頷いた。
「私は構わないぞ。そこまで言われて逃げる方が恥さらしというものだ」
「よ、良いのですか?予定にはありませんでしたが……」
「大丈夫だ、ミシェル。私が良いと言っている」
「そ、そうですか」
ヴィンセントは伯爵も来ると聞いて、少し不安そうにラウドを見た。しかし、ラウドは今のやりとりによって何かを察したのか、
「……では、皆さん。伯爵の拘束を解き、その三人を連れて行きなさい!」
ミシェルが高らかに宣言すると、衛兵たちが魔導士三人の手首を麻縄で縛り上げた。三人はそのまま、ウィーゼルの外へと歩かされる。
扉を出ると、騒ぎを聞きつけた住民たちが家の扉近くから、ラウドたちの様子を伺っていた。そして三人が捕らえられている様子を見ると、信じられない、といった顔をした。中には、ミシェルや衛兵を憎々しげに睨む者もおり、ラウドは心の中で彼らが変な気を起こさないように、と祈っていた。
ミシェルは周りの視線に気付いたのか、立ち止まると花が咲くような笑顔を貼り付けた。
「皆さん、どうか安心して下さい。貴族に乱暴を働いた魔導会は無くなりますが、代わりに私が皆さんをお守りします。私は破魔の力を持っているのです。この力で、皆さんをお救いすると約束いたしますわ……!」
ミシェルは夜風にピンク色の髪をなびかせながら、優雅に微笑んでみせた。
しかし、街の人々の目線は険しくなるばかり。女性のすすり泣くような声も聞こえる。
ミシェルは一瞬怯んだが、再び衛兵たちを振り返った。
「……っ、これくらい気にしないわ。行くわよ」
そんな中、ラウドたちが連行されていく様子を、数人の若者が物陰から伺っていた。彼らは自宅待機を命じられていた、魔導士のはしくれたちである。
彼らは顔を見合わせ、頷きあう。そして、衛兵が見えなくなるとすぐに、バラバラの方向へと駆け出していった。
一方その頃、リーリアは、外がすっかり暗くなっていることに気づき、ハッとした。
「アレン様、もう日が沈んでしまいましたし、そろそろマリアの様子を……」
「きっと夜までかかるのだろうね。リーリアも、今日はここに泊まっていくといい」
「あ、ありがとうございます。でも、一度マリアのところに……」
思わず立ち上がったリーリアに、アレンは言った。
「……ごめん、リーリア。君には言っていなかったんだけど、ちょっと予定が早まったんだ」
「予定……?」
「そう。僕がミシェルと決着をつける日。それが、実は今夜になったんだ」
「え?……ええと、つまり、今からミシェル嬢に会いに行くという事ですか?」
「その通りなんだけど、君にも来て欲しいんだ。もしかしたらミシェルと決着をつけた後、君のその封印を、解除出来るかもしれない」
「………っ、それは、本当ですか?」
リーリアは驚きと共に、複雑な感情に襲われた。
(もしわたくしが治癒の力を使えるようになれば、わたくしの力でマリアを助けることが出来るかもしれないわ。……でも、それではラウドの計画が無駄になってしまう)
その時、リーリアの目の前で、アレンが楽しそうに笑った。
その瞬間、アレンの纏う空気も、表情も、声色も、全てが豹変する。
「そうだよ。楽しみだね、リーリア。今日で、ようやく邪魔者が全ていなくなるんだ」
アレンは立ったままでいるリーリアに歩み寄った。そして、彼の突然の変わりように驚いているリーリアの髪を弄ぶように、指を絡める。
「……ねえリーリア。君は、僕たちの婚姻を政略結婚だと思っている?」
「………………それは、」
「良いんだ、リーリア。僕も最初はそうだったから。でも、仕方がない事だと思わない?だって、幼い頃に親同士が決めた婚約なんて、生まれつき課せられた肩書きみたいなものだからね」
淡々と語り出すアレンに、リーリアは戸惑っていた、しかし、彼が止まることはない。
「それに、君は真面目だから、婚約が決まった時からご両親と妹君のためといって、僕の婚約者を立派に果たそうとしてくれたよね。僕も幼いながらに、そんな君には好印象を持っていたよ。適度な距離を保ちつつ、道をそれる事もない僕たちの婚約は、一見何の問題もないように見えた。そうだよね?」
「………え、ええ」
「そうだろう?僕も、君にそう思ってもらえるように気を付けていたからね。でも、君はまだ分かっていない」
何を、と聞こうとしたリーリアの目の前に、アレンの顔が迫る。
ほんの数秒、しかし時が止まったかのようなその時間。
リーリアの唇に、何かやわらかいものがそっと触れて、そしてゆっくりと離れる。
アレンに、キスをされた。
その事を理解し、目を見開くリーリアに、アレンはくすりと微笑んだ。その瞬間、リーリアの視界が反転する。
リーリアは、部屋のソファに押し倒されていた。
「……アレン、様?」
「ねえ、リーリア。世間から見れば、僕は舞踏会で君の面子を潰して、それからもずっとミシェルを城に住まわせている。印象は最悪だろうね」
自嘲気味に笑うアレン。しかし、リーリアの両手首に添えられている彼の手が緩むことはない。
「……でも、仕方がないんだ。もうだいぶ前に、君が覚えていないくらい前に、僕は気付いてしまった。本気で、君を好きになってしまったんだって。 それを自覚してからは、君が離れていかない為にはどうすれば良いか、という事しか考えられなくなった。……だから今ではもう、どんな最悪な手段を使ってでも、君を逃してあげられない」
アレンの瞳の中で、強い執着心がとぐろを巻いていた。その、暗く淀んだ目を見つめていると、なんだか吸い込まれてしまいそうな気がして。
リーリアは恐怖心から、アレンに手首を縫い止められている中、必死に顔を背けた。
その時、リーリアの首元から、しゃらりと銀色の鎖がこぼれ落ちた。ラウドがリーリアにくれた、ペンダントだ。
アレンはそれを掬い上げ、すっと目を細める。
「………リーリア、このペンダントは、何?こんな奇妙な石の首飾りなんて、君の好みじゃないよね。誰からもらったの?」
「それは、お世話になっている方に頂いたもので、」
「ふうん。誰であろうと気に入らないなあ。だいたい、君が気に入っているあのメイドだって、僕に対して疑いの目を向けてくるくらいだし、君に近づく人間は、大抵僕にとって邪魔なんだよね」
アレンはふう、とため息をついた。
「やっぱり、婚約だけでは不十分だ。………ねえ、君を完全に僕のものにするには、どうしたら良い?」
リーリアの手首を縫いとめていたアレンの手が、滑るように移動した。最初、リーリアの頬に添えられた手が、首元をなぞるようにゆっくりと下がっていく。
リーリアが本能的に危険を感じ取り、抵抗しようとアレンの身体を押し返そうとした時、部屋の扉がノックされた。
「殿下、ミシェル男爵令嬢より、街で悪さをしていた若者らを捕えたとの伝言でございます」
「分かった、すぐに行くよ」
アレンはリーリアを解放し、彼女の手を取って立ち上がらせた。
「さあ、行こうか、リーリア。随分時間がかかってしまったけど、僕の君を守るための計画は、これでもう最後だ」




