最後の仕上げを
翌日の朝
シュバルツ家の屋敷の玄関には、家族全員とマリーが集合していた。リーリアは両親の目を交互に見つめた。
「それではお父様、お母様、今からマリアを連れて、王宮へ行って参りますわ」
「ああ。王宮とは言え、人気のない場所もあるだろう。リーリア、男爵令嬢と伯爵にはくれぐれも気を付けるのだぞ」
「ええ、分かっておりますわ」
「……でも、やっぱり心配だわ。魔導会の皆さんからもお話を聞かせてもらったけど、何だかミシェル嬢だけが怪しいわけではないみたいだし……何か良からぬことが起こるかもしれないわ」
「落ち着け、リューネ。お前が焦ってどうするのだ。アレン殿下が側にいれば、大丈夫であろう」
「あら、私はあの王太子を信用してないのですけれど……」
眉根を寄せて呟くリューネだったが、ベルモンドはそれを軽く受け流すと、リーリアの半歩後ろにいるマリーを見た。
「マリー、例のものは持っているな?」
「はい、旦那様」
マリーは、スカートのポケットに忍ばせている短刀に触れながら頷いた。それは、今朝ベルモンドから念の為にと言って持たされたものであった。
「……では、行って参りますわ」
「ああ、気を付けて」
「何かあれば、すぐに連絡して頂戴」
リーリアはしっかりと頷き、マリアを抱き上げると、マリーと共に馬車に乗り込んだ。
王宮に到着すると、一行はすぐにアレンの待つ客間に通された。
「三日ぶりだね、リーリア。それで、そちらが君の妹君かな?」
「はい。わたくしの妹のマリアでございます」
「随分弱ってるみたいだね。可哀想に。蛇の毒はもう抜けていると聞いたけど……」
「ええ。そちらはもうお医者様に確認済みですわ。ですが、マリアが今もまだ回復しないのは、毒魔法せいだという可能性が濃厚ですの。ですからアレン様、どうかアレン様のお力で、マリアを助けて頂けないでしょうか……!」
リーリアは頭を下げた。アレンはそんなリーリアに優しい声で告げる。
「ああ、勿論だよ。君の妹は僕にとっても最重要人物だからね。僕も、一刻も早くマリア嬢を助けたいという気持ちでいっぱいだ」
アレンはぐったりとしているマリアを神妙な面持ちで見た。
「だが、まずは僕よりも先に、魔法治療に詳しい者に見てもらった方が良いだろう。マリーさん、申し訳ないが、マリア嬢を連れて言ってもらえないか?」
アレンはそう言うと、扉付近で控えていた執事に、マリーを案内するよう指示した。
「でしたら、わたくしも同行いたしますわ」
「いや、君にはマリア嬢が襲われた日の状況を教えてもらいたい。出来るだけ早く犯人を見つけて、正しい処置をしなければならないからね」
「……分かりましたわ」
リーリアはマリーの方を見て、マリアを任せる、と頷いて見せた。
パタン、と部屋の扉が閉まる。
アレンはリーリアに座るよう促し、二人は向かい合って座った。
「さて、一昨日のことについて、なるべく詳しく教えてもらってもいいかな?」
「はい。屋敷に戻った後、妹と共に屋敷から少し離れたところにあるお花畑に行きましたの。そこで……」
リーリアは、マリアが蛇に噛まれた事以外にも、レイゼントと会った事やマリアに直接近づく者はいなかった事などを話した。
「………なるほどな。つまりマリア嬢を噛んだ蛇以外に、彼女を傷付ける要素はなかったということだね?」
「ええ。そのように考えております。ですからもしかするとレイゼント様が魔法を仕込んだ蛇をマリアに向けて放ったということも….」
「リーリア、落ち着いて」
アレンは宥めるように囁いた。
「君の気持ちは分かる。でも、そこでレイゼントに会ったからと言って、彼が犯人と言い切ることは出来ないだろう?それに、彼がそんな事をする理由も見当たらない」
「……っ、でも!伯爵家は代々毒魔法を使うことが出来るのですから、可能性は十分にあるかと」
アレンは驚いたような顔をすると、少しの間俯いた。彼は何か思案しているようだが、その顔は影になってしまい、よく見えない。
アレンは呟いた。
「先ほどから不思議に思っていたんだけど……リーリア。君はどうして、伯爵家が毒魔法を使える事を知っているの?」
「え……?」
「伯爵家は代々、氷の魔法で有名な筈だ。僕もそれは知っている。でも、君は毒魔法を伯爵も使えると言って、何か確信があるみたいだ。君は、どこでその情報を得たの?」
本当の事を話すべきか、リーリアは迷った。魔導士から聞いたと話しても、やましい事は一つもない。しかし、自分に問いかけるアレンの瞳に暗い影が落ちているのを見て、リーリアは咄嗟に誤魔化した。
「……公爵家に、魔法に詳しい者がおりまして。以前、わたくしに封印をかけたのが伯爵と知り、調べさせておりましたの」
「そう。公爵家には、随分有能な従者がいるんだね」
アレンは再び微笑を浮かべていた。
「それで、君の封印はどうして発動してしまったの?」
「それについては、わたくし自身、分かっていることが少ないのです。マリアが苦しんでいる様子を見ていたら、突然胸が苦しくなってしまって……」
「そうか。やはり君にとってマリア嬢は、何物にも変えられない大切な存在だものね」
「え、ええ……」
先ほどからアレンの言葉の端々に宿る影に、リーリアは警戒心を強めていた。今日のアレン様は、何だかいつもより鋭いオーラを放っているような気がする。
会話が途絶え、二人の間に沈黙が訪れる。
するとそのタイミングで、ティーセットを持ったメイド達が入ってきた。
アレンは言った。
「ブランチ程度に軽く用意したから、もし良かったら食べてくれ。君もこの二日間、気を張ってさぞ疲れただろうからね」
「ありがとうございます」
見れば、そこには小さくカットされたサンドイッチと、軽く食べられそうなお菓子が揃えられていた。リーリアは今朝は朝食をあまり食べられなかったのもあって、お腹は十分に空いている。
だが彼女は、今は何かを食べる気分には到底なれそうもなかった。
一方、マリーはマリアを抱きながら、長い廊下を進んでいた。庭園を過ぎ、大広間も過ぎたが、前を歩く執事は歩みを止める気配を見せない。どうやら、魔法治療に詳しい者というのは、城の随分奥の方にいるようだ。
歩いている最中、マリーの腕の中で、マリアがうっすらと目を開けた。
「………マリー?ここはどこ?」
「ここは王宮でございます。マリアお嬢様を元気にするために、リーリアお嬢様がお連れになったのですよ」
「……おねえさまが?」
「はい。ですから安心して下さいね」
マリーはマリアの髪を撫でながら微笑んだ。マリアは今にも眠りに落ちそうな目で、マリーを見上げた。
「ねえ、マリー。お花のかんむり、まだお部屋にある?」
「ええ、きちんと箱にしまってありますよ」
「じゃあ……おうちに帰ったら、おねえさまに差し上げなきゃ」
「え?」
「だって、あの時は倒れちゃったから……こんどは、ちゃんと、頭に………」
マリアの瞼がゆっくりと閉じていった。
言葉を言い終わる前に、マリアは再び意識を闇に沈めたようで、規則正しい寝息が聞こえてくる。
マリーはその寝顔を見て、胸がギュッと締め付けられた。
マリアには言えなかったが、実は今朝見たところ、箱の中に入れた花冠はマリアの状態を表すかのように、ゆっくりと萎れていたのである。
どうか、マリアが帰宅するまで花冠が枯れませんように、とマリーは切に祈っていた。
そうこうしているうちに、マリーはいつの間にか回廊を渡りきり、壁にぽつんと存在している扉の前にやって来ていた。
「こちらでございます。どうぞお入り下さい」
執事が開けてくれた扉から、マリーは中へと入っていった。
そこには、一人の男が佇んでいた。フードの付いたマントを羽織っているその男性は、顔に影が落ちている。
「お初にお目にかかります。私は公爵家にお仕えしているメイドのマリーと申します」
男はそれに頷くと、マリーに近付いて来た。
「ええ、伺っています」
「こちらはシュバルツ公爵家次女、マリア様です。本日はこの方を助けて頂きたく……」
「見たところ、腕の中で眠っているその少女、毒魔法か何かがかけられているようだ」
「まあ、やはりそうなのですね……!」
マリーは男の服装から渋い声を予想していたが、声は意外にも若く聞こえる。男はマリアを抱き上げた。
「ですが、もう大丈夫です。この子は僕が責任を持ってお預かりしますよ」
「……っ、あの、マリアお嬢様は助かりますか?」
その必死な問いかけに、男の口元は弧を描いた。
男はマリーに近付いて、言った。
「ええ。もちろんですよ。もしこのまま何日経っても、死ぬ事はありません。………ちゃんと、死なないように調整しましたからね」
まさか、とマリーは目を大きく見開いた。咄嗟にマリアに向けて手を伸ばすマリーの顔に、男は布を押し付ける。
マリーの視界で、マリアの寝顔がぼやけた。まずい、と思った時にはもう遅くて、鼻をつくような薬品の匂いを最後に、彼女は意識を手放した。




