この胸に芽生えた愛は
ほんの数秒、しかしとてつもなく長く感じられたその時間は、ラウドが不意にぱっとリーリアを離した事により、終わりを告げた。
ラウドは気まずそうに目を逸らした。
「……悪い。その、困らせちまったよな。今の事は忘れてくれ」
リーリアはその言葉に、戸惑いつつも、そっと頷くことしか出来なかった。お互い、こんな事が許される立場では無いということを、理解していた。
しかし、どうしても聞かずにはいられない事が一つだけある。
「……あの、ラウド。どうして、こんなことを?」
リーリアを抱きしめた彼が、いったい何を考えているのか、リーリアにはまるで分からなかった。
ラウドはその問いに、一瞬思い詰めるような表情をした後、フッと笑みを漏らし、口元を緩めた。
「俺は我慢強い方だと思っていたんだが、まだまだだってことだな。それに、どうしてか、なんて、俺自身もよく分からねえ。だが、それで良いんだよ」
リーリアは何か言いたげな顔をしたものの、黙り込んでしまった。
ラウドは何事もなかったかのように、朗らかに笑った。
「……じゃあな、リーリア。また明日来る」
そう言って、ラウドはひらりと窓から出て行った。
残されたリーリアは、しばらくの間無言でそこに立っていたが、心の中に何かが燻っているようで、どうにも落ち着かない。
(………困ったわ)
リーリアの頭に、先ほどの瞬間がまざまざと思い出される。
彼に引き寄せられた時の感覚、回された腕の力強さ、そして、いつもと違って、少し苛立ったような、苦しそうな彼の声。
未だに治らない動悸にもどかしさを感じて、リーリアは胸元のペンダントをそっと握りしめた。
あんな風に、誰かに抱きしめられたのは初めてで。そしてこの持て余している感情も、リーリアにとっては初めての経験だった。
嬉しいのか、苦しいのか、それすらも分からないリーリアが立ちすくんでいると、部屋のドアが遠慮がちに叩かれた。
「お嬢様、入ってもよろしいでしょうか?」
「……ええ」
入ってきたのはマリーだった。マリーは入ってくるなり、主人が何か思い悩んでいるのを察し、表情を引き締めた。
「お嬢様、何かございましたか?」
「…………そう、ね」
リーリアは困惑した表情のまま、一言ずつゆっくりと語り出した。
「ラウドが教えてくれたのだけど、3日後の夜、ラウドたちは伯爵と決着を付ける、って。そして、そのまま伯爵を捕らえ、わたくしに封印をかけた犯人だと、暴いてくれるそうなの」
「まあ……それは、とても頼もしいですけど、少し心配ですね」
「ええ、ただ残念な事に、わたくしはそれを頼る他に道はないわ……上手くいくといいのだけれど……」
そう言って俯いたリーリアの胸元で、ペンダントがさらりと揺れる。
「お嬢様、そちらの首飾りは?」
「これは、ラウドが贈ってくれたの。この不思議な石は、魔力の込められた石なんですって。わたくしが、王宮暮らしに退屈しているだろうから、って言って、わざわざペンダントにしてくれたの。それで……」
それで、その後彼に抱きしめられた、だなんて、言えるはずもなくて。
しかし、マリーはリーリアが眉をひそめ、彼女の頬がうっすらと、ほんのり桜色に染まっているのを見ると、やはり何かあったのだと確信し、不安と期待の両方が押し寄せてきた。
(これは、何か進展があったのでしょうか……!?ですが、それ以上にどこかお辛そうにも見えますし……ここは何も言わず、そっとしておいた方がよろしいのでしょうね……)
マリーは自分の中でそう結論づけると、リーリアに微笑みかけた。
「お嬢様、今、温かいお茶をお持ちいたしますね」
「ありがとう、マリー」
再び部屋に一人になったリーリアは、そっと息を吐いた。彼女はもう、報われることのないこの想いに蓋をして、何処かへ追いやってしまいたい気分だった。
(……わたくし、やはり、ラウドのことを好きになってしまったのね)
リーリアは外から見えないように、ペンダントをドレスの胸元にしまい込んだ。
だが、彼女の中で大きくなってしまったその想いは、先ほどラウドに抱きしめられたことで大きくなり、気を抜けば彼女の中で暴れ出しそうなほどに、成長していたのであった。
一方、ラウドは王宮を出て、いつもの道に差し掛かった時、大きく息を吐き出した。
「………俺、何やってんだろうな」
何故あんなことをしたのかと自分に問いかけても、返ってくる答えはない。
(まあ、強いて言うなら、あいつがあんな事言ったから、だろうな)
ペンダントがあれば、ラウドの存在を感じられるからと言って、安心しきった顔でふわりと笑ったリーリア。それを見た時、ラウドの中で抑えていた感情が爆発し、気が付けば、反射的に彼女を引き寄せて、この腕の中に閉じ込めていた。
(……っくそ、俺の想いのせいであいつが困るのも、分かってるつもりなんだがな)
ラウドは思わず額に手を当て、前髪をくしゃりと掴んだ。
王太子の婚約者に手を出すわけにはいかないという理性的な感情と、出来る事ならすぐにでも彼女を攫って、自分のものにしてしまいたいという、獰猛な感情。
その矛盾する二つの気持ちをどうすることも出来なくて、ラウドもまた、頭を悩ませていた。
(……ああ、面倒だ。ごちゃごちゃ考えるのは性に合わねえ。いっそ、明日、本当にリーリアを攫っちまうか?)
しかしそれが叶わない事も分かっている、そのもどかしさに、ラウドは彼女を抱きしめた感覚が残るその手を、強く強く握り込んだ。
そして、夕陽と闇夜が入り混じる夕焼け空を、ゆっくりと仰ぎ見た。
この夜が明ければ、彼が伯爵と対峙する夜まで、あと2日だ。




