手も足も出ない
太陽は地平線の向こうに沈みかけており、空にはうっすらと星が瞬き始めている。
リーリアは、すっかり冷めてしまった紅茶の、微動だにしない水面をぼんやりと眺めていた。
そんな主人の様子を、マリーは心配そうに見守っている。アレンと別れ自室に戻ってきてから、リーリアはマリーが準備した紅茶に少ししか手をつけておらず、何か思い悩んでいるように見えた。
マリーはリーリアにそっと声をかけた。
「お嬢様、お茶が冷めてしまったと存じますので、代わりのお茶をお淹れいたしましょうか?」
「……ありがとう、でも、大丈夫よ」
リーリアは、少しだけ俯いて言った。
「……ねえ、マリー」
「はい、お嬢様」
「先程アレン様とお話ししていた時、何だか、“モノ”扱いされているような、自分に自由が与えられていないような、そんな感覚がしたの」
「………。」
「なのにわたくしは、その事に反発するどころか、それに従わざるを得ないと思わされてしまうほどの空気を、恐ろしいと思うことしかできなかったわ。そして、アレン様の前では、自分が無力な存在なのだと、突きつけられているような気がして……」
リーリアは、悲しみと悔しさとが混ざり合って、ぐちゃぐちゃな気持ちが溢れ返りそうだった。
リーリアが『結婚を待って欲しい』と言った時の彼の無感情な瞳はまるで、リーリアには自由がない事が当然であり、そこに疑問の余地は無い、と言っているようで。
絶対的な王者の前では、どんな抵抗も無力であると思わされてしまうような、あのような感覚を味わうのは、初めてだった。
「わたくしは最近、ここに来てから自分の自由が無くなってしまったように思っていたけれど、もしかすると、これも全てアレン様の計画通りなのかもしれないわね。それにしても、直接お話しするのが駄目となると、わたくしはこれからどうすれば良いのかしら……」
「まずは、奥様にお手紙を書かれては如何でしょう?お昼にいらした時に、何かあれば頼るように、と奥様も仰っていましたし」
「……それもそうね」
王宮の召使いが持ってきてくれた便箋に、リーリアは母宛の手紙を書き始めた。
しかし、リーリアはもしもの場合を考えて、アレンと話した事や、それに関する気持ちなどを書くことはしなかった。
彼女が書いたのは、時折城に会いにきて欲しいという事と、結婚の日取りの変更はないという事実だけで、一見何の変哲もない家族のやり取りのように見える。
しかし、城に会いにきて欲しい、というのは彼女なりのSOSなのであった。
(……お母様なら、この文章で、わたくしが助けを求めている事にきっと気付いてくださるでしょう)
手紙に封をしたリーリアは、明日になったら手紙を出そう、と部屋に置かれた机に備えられた引き出しにそれをしまった。
ふと、リーリアは何気なく窓の方を見た。外もうすっかり暗くなって、藍色の空が広がっている。
マリーもそんなリーリアにつられるように窓の外を見て、そして口を開いた。
「……少々用事を思い出しましたので、私はそちらの方に行って参りますね」
「………?ええ、分かったわ」
きょとん、としているリーリアに、マリーは微笑んだ。
(やはり、お嬢様は私が気を利かせた事にはお気付きでないご様子ですね。ですが、やはりお嬢様には彼と2人きりで話して頂かなくては。それに、この状況下では、むしろあの大魔導士にお嬢様を連れ去って頂いた方が、幾分かマシのように思えますしね)
溜まりに溜まっている不満から、マリーが内心で悪態をついている事など露ほども知らないリーリアは、部屋に1人きりになってしまった。
(ラウド、昨日はああ言っていたけれど、本当に来るのかしら……?)
そう思ったリーリアは、ふと窓から身を乗り出した。
その瞬間、リーリアの目の前に突然ラウドが現れた。リーリアはそのまま、勢いよく飛び込んできたラウドと窓越しに口付けしてしまいそうになって、すんでのところで2人は同時に飛び退いた。
「馬鹿っ、お前っ…!」
「ご、ごめんなさい!その、そろそろ来る頃かと思って……」
リーリアは恥ずかしくて、顔から火を吹きそうであった。まさかこんなぴったりのタイミングで、彼が来るとは思っていなかったのである。
ラウドはふう、と息を吐くと、窓を乗り越え部屋に入ってきた。そして、部屋の中で動揺していたリーリアを見つけると、その途端にやりと笑った。
「どうやらお前を待たせちまったみてえだな。悪かったよ。そんなに楽しみに待っているとは知らなかったからよ」
揶揄うように口の端をつり上げるラウドに、リーリアは思わず彼をキッと睨みつけた。
「ち、違うわよ!そんな訳ないじゃない。楽しみにしていたなんてとんでもないわ」
「へーえ?じゃあ、窓から身を乗り出してたのは何だ?」
「そ、それは……ラウドがいつ来るのかしら、と思っただけで、別に他意はありません」
「ふーん。ま、そういう事にしておいてやるよ。そんで、そっちは今日、何か進展はあったか?」
ラウドの問いかけに、リーリアは視線を落とした。
「今日は、特に進展は無かったわ。むしろ、八方塞がりよ」
「……八方塞がりにしても、随分と気落ちしているように見えるが、気のせいか?」
リーリアは黙り込んだ。
アレンと話した時の、彼の冷たい瞳と酷薄な笑みが、脳裏をよぎる。だが、リーリアもアレンの婚約者という身分である以上、その話をこの大魔導士にする訳にはいかないのであった。
ラウドは黙ったままの彼女を見て言った。
「別に話さなくてもいいけどな。だが、その感じだと、おおかた、あの王太子と一悶着あったってところか?」
リーリアはそれに返事をしなかったが、王太子という言葉に体がぴくりと反応するのを見て、ラウドは心の中でため息をついた。
(……俺がどうこう言える話じゃねえけど、こいつが王太子の話で笑顔でいるのを見た事がねえな。くそ、こいつが貴族令嬢なんてもんじゃなけりゃ、俺が今すぐ攫っちまっても良いんだがな)
「まあ良い。じゃあ俺の番だ。こっちは結構なビッグニュースだぜ。伯爵が、魔導会に喧嘩売ってきやがった」
「……どういうこと?」
「少し前に、伯爵が魔力を持つ子供を集めてただろ?その中の一人の子供を返してもらえない母親が、俺たちに助けを求めてきたんだが……まあ、簡単に言うと、伯爵がその母親通じて、3日後の晩、噴水広場で待つと宣言してきたって訳だ」
「それで、ラウドはどうするの?」
「もちろん、行くに決まってるだろ」
「そんな、危険だわ。罠の可能性だってあるのに」
「だが、あの母親を見捨てることは出来ねえ。それに、どのみち俺たちの目的は伯爵を捕らえて、悪事を証明させる事だ。違うか?」
「それは、そうだけど……」
「心配すんな。俺とヴィンセントの二人なら、伯爵になんざ負けることはねえよ。幸か不幸か、魔力を増加させているのは、伯爵本人じゃねえみたいだからな」
ラウドの眼差しから、リーリアは彼の意志の固さを感じ取って、それ以上彼を止めるようなことは出来なかった。
「………そうだわ、魔力で思い出したのだけど、ラウド、ひとつ質問しても良いかしら?」
「何だ?」
リーリアは机から便箋の余りとペンを持ってきた。
そして、アレンの部屋で見た本の表紙に刻まれていた、鷹と白薔薇の絵を描き始め、そしてラウドに渡した。
「アレン様のお部屋にこんな感じの魔導書があったのだけど、この絵、何か分かるかしら?」




