糸を引いているのは誰?
2人はウィーゼルを出ると、噴水のある広場へと歩き出した。
今日も、ポムじいと、査定の時にいた他の魔導士たちがパン配りをしている。
ポムじいはラウドとヴィンセントの様子から、2人の間で何か決心がついたのだと感じ取っていた。
「さて、ラウド様。本日はどうされますかな?」
「そうだな……まずはいつも通り、街の奴らから話を聞くとするかな。だからまあ、取り敢えず俺一人でちょっくら大通りの方へ行ってくるぜ」
そう言ってラウドが歩き出そうとした時、列が動き、先頭に来た女性が、パンを受け取る様子もなく、今にも泣きそうな声でこう言った。
「あの、すみません。魔導会の皆様、どうか、どうか助けていただけないでしょうか……」
ラウドが振り返って見ると、その女性は、随分貧しい身なりで、長い時間泣いていたのか、酷く瞼を腫らしている。
ヴィンセントはすかさず優しく声をかけた。
「もしあなたさえよろしければ、別の場所にご案内します。ここでは少々目立ち過ぎてしまうでしょうから」
そう言ってヴィンセントはラウドに視線を投げかけた。
ウィーゼルに連れて行こう、というメッセージを受けったラウドは、ポムじいに一言かけると、ヴィンセントと共にその女性をウィーゼルまで案内した。
ヴィンセントの淹れた、温かい紅茶を一口だけ飲むと、その女性はゆっくりと語り出した。
「私の息子が、連れて行かれたきり、帰ってこないのです」
「どういうことだ?」
「以前、息子は魔力を持っているという理由で、身分の高い方に連れて行かれました。その方はそのお礼にと言って金貨を渡し、すぐに息子を返すと言ってくれました。……でも、それを信じた私が馬鹿だったんです」
伯爵の話だ、と2人はすぐにピンと来た。
「それで、その息子さんを返してもらえないと?」
「はい。その方は今になって、金で息子を売るような家には、とてもじゃないが返せないと、そう言ってくるんです……! でも、私たちは用が済んだら息子が帰ってくると聞いたから、それに息子も家族のためになるならと受け入れたから、それを承諾したんです。私たちは本当に、あの子を売ったりなんかしてません!こうなると分かっていたら、あの子を止めてでも行かせませんでしたのに!」
そう言って、女性はわっと泣き出した。ヴィンセントはそっと背中を撫でてやった。
「ですが、このまま泣き寝入りするなんて出来なくて、その方の屋敷を探し歩いて、ようやく行き着いたのです。でも、やっぱり全然取り合ってもらえなくて……そうしたら、その方本人が出てきて、こう言ったんです。『そんなに息子を返して欲しければ、お前たちのヒーローにでも助けてもらったらどうだ』と」
「ヒーローか。その言い方だと、俺たちのことだな?」
「はい……恐らく。そして伯爵はさらに、3日後の夜、噴水広場に待つと言ってきました」
「なるほどね、僕たちが探していた標的が、自分からわざわざ予告して、のこのこ姿を現そうとしてくるとはね……どうする?ラウド」
「んなもん決まってる。売られた喧嘩は買って叩き返すしかねえだろうよ」
「本当にすみません、私が馬鹿な母親であるばっかりに……こんな見え見えの罠、魔導会の皆さんを危険な目に合わせてしまうと分かってはいるのですが、皆さんの力がなければ息子を返してもらうことは出来ないんです……!」
必死に頭を下げる女性に、ラウドは自信ありげに笑って見せた。
「お前が悪い訳じゃねえだろ。それに、どのみち、ちょうどそいつを捕まえようとしてたところだ。俺たちに任せてくれ。必ず息子を取り返してくる」
女性の目には涙が溢れた。
「ありがとうございます……本当に、ありがとうございます……」
女性は何度も頭を深々と下げて、もう一度お礼を言うと、涙を拭きながらウィーゼルを後にした。
ラウドはヴィンセントに問いかける。
「3日後の夜か……期限の1週間には間に合いそうだが、なんか嫌な感じだよな。そう思わねえか?」
「悔しいけど、僕たち今のところ後手に回ってるよね。完全に伯爵にペースを掴まれてる」
「ああ。それに、あの王太子が男爵令嬢と決着をつけるのがあと1週間で、伯爵に伝えられた日時はそれにギリギリ収まってる。何だろうな、この違和感は」
まるで、誰かの手の上で踊らされているようだ。
そう感じられて、2人は嫌な予感を拭い去る事ができなかった。
お昼を過ぎた頃、リーリアの部屋がノックされた。
リーリアの返事を待たずに入ってきた来訪者は、なんとリーリアの母、リューネであった。
「まあ!お母様!どうしてここに?」
「どうしてって、アレン殿下からお手紙が届いたからよ。リーリアと殿下が、近いうちに結婚することになった、と」
「そのような手紙が?」
「ええ、そうよ。手紙では、結婚はリーリアも合意の上で、それに国王陛下にも既に許可を得ている、と添えてあったわ。それが何だか、私たち両親が介入する余地はないと、圧力をかけているみたいな言い方だったから、なんだか気になって、会いに来てしまったわ。……それにしても、リーリアあなた、体調が悪いのではなかったの?」
「………え?いいえ、元気にしておりますわ」
「あら?殿下からのお手紙には、リーリアの体調が優れないから、殿下が代筆したこの手紙が結婚報告だって書いてあったけど……」
リューネはそう言って顔を曇らせた。そんな嘘をつくだなんて、アレンはリーリアと家族を合わせたくないのだろうか。
そこに、再び部屋の扉がノックされた。どこか慌てた様子で部屋に入ってきたのはアレンだった。
アレンは一瞬だけ顔をしかめたように見えたが、リーリアが瞬きをするとそれは消えており、彼はリューネに対して微笑みかけていた。
「これはこれは、シュバルツ公爵夫人。いらっしゃるのであれば、事前に仰って頂けましたら、僕が直接ご案内したのですが……」
「あら、別にそんな丁重に扱っていただかなくて良いんですのよ。 それとも、勝手に押しかけてはいけない理由でもあるのかしら?」
「いえ、とんでもございません。ですが、やはり義理の母上となる方を、ぞんざいに扱う訳にはまいりませんからね」
「それにしても、アレン殿下。私が見たところ、娘は元気にしているようですけれど、お手紙の中にあった“体調が悪い”というのはどういう事か、ご説明いただいても?」
リューネの物腰は柔らかく、優雅な微笑みをたたえているが、その目は笑っていない。
「そうですね、結婚のことを伝えたあと、リーリアの顔色があまり良くないように見えましたので、そう書かせていただきました。ですが、少々心配し過ぎてしまったようです。申し訳ございません」
アレンも微笑んでいるが、どこか警戒しているような目つきをしている。
「まあ、そういう事でしたの。てっきり、殿下が何らかの理由で、私たち両親を娘に会わせたくないのかと思っておりましたわ」
リューネの刺がある発言に、リーリアは内心で冷や汗をかいていた。一歩後ろにいるマリーを見やると、彼女も固まっている。
「そのような事は断じてございませんよ。誤解を与えてしまったようで、大変申し訳ありません」
「では、せっかく来たことですし、久しぶりに母娘の時間を過ごすとしましょうか。ねえ、リーリア?」
「は、はい、お母様」
そう言って、リューネはアレンの方をちらりと見た。遠回しに、アレンにこの部屋から出て行けと言っているのだ。
「では、僕は一度失礼いたします。どうぞごゆっくりお過ごし下さい」
礼をして扉へと向かうアレン。マリーは慌てて扉を開けた。
彼が退室する時、マリーは彼の顔を盗み見て、そして驚いた。
アレンの顔からは、先ほどの微笑みは跡形もなく消え失せており、そこにあるのは固く結ばれた口元と、冷ややかな眼差しであった。
こうも表情を切り替えられるとは、さすが王族といったところなのだろうか。何となくそれを不気味に思いながら、マリーは扉を閉め、リューネのところに向かった。
「奥方様、今お茶をお淹れいたしますね」
そう言って立ち去ろうとするマリーを、リューネは穏やかに制した。
「その必要はないわ、マリー。あなたにも聞きたい話があるの。それが終わってからで構わないわ。ほら、3人で座りましょう」
リーリアとリューネが向かい合って、マリーはリーリアの隣に腰掛けた。
リューネは座ってからというもの、微笑みを崩さずに、リーリアとマリーの2人に視線をやっている。
「お、お母様……?お話とは、いったい?」
「さっきあなたに会ってから考えていたのだけど、リーリア。あなた、少し見ないうちに随分顔つきが変わったわね?」
「え、ええと……そうでしょうか?」
「ええ。母には分かるわ」
リューネはにこにことリーリアを見つめながら、恐ろしく冷たい声でこう言い放った。
「リーリア、あなた、今とんでもなく情けない考え方をしているでしょう?」




