始まりの朝
次の日の朝。
アレンは今朝は一緒に食事を取れないとの事で、リーリアは部屋で一人ぼっちの食事の予定だったが、リーリアの部屋で、こっそりマリーと2人で食べることにした。
しかし、マリーは一度承諾したものの、今もなお渋っている。
「お嬢様、やはり私が給仕をしなければ、他にそれをする者がおりませんので……」
「構わないわ。今日くらいはそんなこと考えないで、ゆっくり食べましょうよ。それとも、マリーはわたくしに一人きりで寂しく食事をしろと言うの?」
「い、いえ、そういう意味では……」
「なら良いじゃない。ほら、冷めないうちに食べましょう」
マリーは諦めたようにため息をついた。
「では、失礼致します」
リーリアとマリーは2人で、向かい合わせで食べ始めた。しばらく2人は黙々と食事に集中していたが、リーリアは正面に座っているマリーをちらりと見ると、少しだけ笑みをこぼした。
「……お嬢様?私の顔に何か付いていますか?」
「いいえ。そうではないの。ただ、こうして2人で過ごしていると、何だかわたくしにお姉様が出来たような気分だわ」
「私がお嬢様の姉、ですか?」
「ふふっ、そうよ」
「それは…!大変光栄です。いや、ですがそれ以上に私などが恐れ多いと言いますか……」
返答に困り、口をもごもごさせているマリーが珍しくて、リーリアはクスクスと笑った。
マリーはそれに気づくと少しだけ顔を赤くして、咳払いを一つした。
「……ところで、昨晩お話しして下さった事についてなのですが」
「ええ、何かしら?」
リーリアは昨日ラウドと会話した内容を、昨夜寝る前にマリーに全て話してあった。
「その、もし、この計画が上手くいったとして、お嬢様が魔導会で保護されるとなった際、アレン様との婚約は、いかがなさいますか?」
「そうね……確かにラウドの計画では、一時的にわたしくしとアレン様の婚姻を遅らせる事しか出来ないものね」
彼女は現在、言うなれば王宮に囲われてしまっている状態なので、ひとまず結婚から逃げられれば良いと思っていた。しかし、逃げたところで、アレンとの婚約が無くなる訳ではない。
「何か、婚約を破棄できるような、真っ当な理由になるものはないかしら……」
リーリアとマリーは同時に考え込んだ。2人揃って眉間にしわを寄せている。
「……封印を解くのに、何年もかかるから…というのはどうでしょうか」
「いえ、それではきっと駄目だわ。極端な話、命に別状がなければ、封印がかかっていても結婚するのに影響はないんですもの」
「そうですよね……」
リーリアは難しい顔のまま、思い切ったように視線を上げた。
「ねえ、マリー。いっその事、ミシェル嬢にアレン様と結婚してもらうというのはどうかしら」
「まさか、あの男爵令嬢の思い通りにさせると言うのですか!?」
「もちろん、向こうの企みを確認してからよ。もしわたくし達が、ミシェル嬢のやろうとしている事を知ることが出来て、そして、それが公爵家の妨げにならないのなら、わたくしとミシェル嬢の利害は一致する。違うかしら?」
「確かにそうですが……」
「そうしたら、アレン様はわたくしが魔導会に保護されている間に、ミシェルと結婚せざるを得ない状況になるかもしれないでしょう?」
「敵の敵は味方、ということですか。しかし、いくらアレン殿下が無理やりお嬢様を囲い込んでいるとは言え、やはり、一度殿下に結婚の延長か、円満な破棄が出来ないか、お話ししてはどうでしょう?」
「……それもそうね。そもそもアレン様は敵ではないし、もしアレン様の言う事が真実なら、今のところ後ろめたいことがあるのはわたくしですものね」
リーリアは息を吐いて自分を律した。やはり、婚約に関する大事な話は、相手にきちんと話すのが道理だろう。
「ふう……最近のわたくしったら、不誠実な行動ばかりだわ。自分が嫌になりそう」
急にしょんぼりとと肩を落としたリーリアに、マリーは優しく微笑んだ。
「いいえ。アレン殿下のことをすぐに切り捨てられないのは、お嬢様の誠実さゆえです。本当に不誠実ならば、他に好きな人が出来たと言い放って、さっさと姿を消すというものです。……それに、恋をすると人は変わると言いますからね。お嬢様も以前より随分表情豊かで、大胆な行動をされるようになりましたし」
リーリアはそこで、ふと違和感を覚えた。
「ええと、マリー、今何と言ったかしら?」
「え?ですから、お嬢様も年頃の娘らしく、恋をしてから随分変わられたと……」
「わ、わたくしが、恋をしているって、いつから知っていたの!?」
赤面し、途端に慌てふためく主人を見て、マリーは深く深くため息をついた。
「気付いてないとでもお思いでしたか?お嬢様は分かりやす過ぎです。なんなら、昨晩のお話を聞いている時に、お嬢様があの大魔導士に想いを伝えた話がどうして出てこないのかと、気になっていたくらいです」
「ど、どうしてって……別に、想いを伝えたりしていないからに決まっているでしょう?」
「……………はっ?」
マリーは固まった。そして、信じられないものでも見るかのような目で、リーリアに問いかける。
「いや、ですから、あの大魔導士の事が好きだとか、結婚したいとか」
「けっ……!?い、言わないわよ、そんなこと!」
「では、例えばアレン様の他に好きな人が出来た、と言って熱く見つめるとかは?」
「なっ、そ、そんな破廉恥な!」
マリーは額に手をやった。
この令嬢、どうしてこうも恋愛に関しての知識が浅すぎるのだろうか。王子様とお姫様が恋に落ちるようなお伽話くらいなら読んだことがあるだろうに、どうして。
「良いですか?お嬢様。そんな奥手では、あの大魔導士に逃げられてしまうかもしれませんよ?本当に彼を好きなら、婚約破棄なんてものではなく、2人で駆け落ちするくらいの覚悟をお持ちくださいませ」
「か、駆け落ち……!?」
「そうです。あくまで例え話ですけどね。そして、そろそろ想いを告げた方がよろしいかと」
「で、でも、振られてしまったらどうするの?」
「それは……」
それは無いだろう、と言いかけて、マリーは口を閉ざした。正直な所、ラウドがリーリアを気に入っていることには勘付いていた。しかし、それはマリーの口から言うことではないし、リーリアも少しは積極的になるべきだ。
「大丈夫です。お嬢様。もし振られてしまったら、殿下と結婚して安全な道を行きましょう。ね?」
「そ、それもそうね」
だんだん目的を見失いつつある2人であったが、リーリアもリーリアで、マリーの勢いに乗せられてしまっていた。
「ですが、お嬢様のペースもありますからね。告白のタイミングは、もちろんお嬢様にお任せしますよ」
「わ、分かったわ。ラウドに、告白すれば良いのよね……!?」
発破をかけてみたものの、まるで分かっていない様子のリーリアに、マリーは内心頭を抱えた。
リーリアの恋路は、まだまだ前途多難のようだ。
一方同じ頃、ウィーゼルでは。
「………へっくし!」
「どうした?ラウド。風邪でも引いたか?」
「いや、大丈夫だ」
「誰かに噂話でもされてるんじゃない?」
「あ?ああ、そんなことより、今日ここにお前を呼んだのは、他でもねえ。あいつの話をするためだ」
ウィーゼルの食堂には、ポムじいも他の魔導士もおらず、そこにいるのはラウドとヴィンセントのみであった。
「ああ、確かリーリアちゃんの封印をかけたのがあいつだって言ってたね。それに、レイゼント、あいつもリーリアちゃんの前に姿を現したんだっけ?」
「そうだ。単刀直入に言おう。俺は、リーリアを救いたいと思っている。だが、それには魔導会の協力が、特にお前の協力が不可欠だ」
ラウドがそう言うと、ヴィンセントはクスクスと笑った。
「……何笑ってんだ?」
「いやいや、ラウドがそんなに僕を大事に思ってくれているなんて、知らなかったよ」
「なっ……気持ち悪い言い方してんじゃねえよ!俺はお前のことを思ってだな、」
「分かってるよ」
ヴィンセントは真剣な表情になった。
「お前は、あの出来事を気にしているんだろう?このままリーリアちゃんに関わり続けることで、僕がまた傷ついてしまうかもしれないと、そう思ってるんだろう?……だけど、一つ言わせてくれ。あの出来事で、僕以上に深く傷ついたのは、ラウドだ。違うか?」
「…っそうだとしても、俺は大丈夫だ。それに、俺は、俺の周りの人間を、またあのクソ野郎に傷付けられるなんてまっぴらごめんなんだよ。俺は今度こそ、魔導会も、リーリアも守ってみせる。その覚悟がある」
ラウドの真っ直ぐな、鋭く射抜くような視線を受け止めたヴィンセントは、にやりと笑った。
「それでこそ大魔導士ラウドだ。お前は僕のことなんか気にしなくて良いんだよ。それに、僕が怖気付いているとでも思ったか?」
ヴィンセントは思い出していた。ラウドと遊んだ幼少期と、その平穏な日々が粉々に砕け散った、あの日のことを。
「ラウド。僕もリーリアちゃんを救う作戦に、全面協力させてもらうよ。あいつらと血が繋がってると思うとほんと吐きそうだけど、僕も一応長男なんだ。最悪な家族に、鉄槌を下さなきゃね」




