迫りくるタイムリミット
マリーはリーリアに指摘され、はっとした。
リーリアはさらに続ける。
「つまり、ミシェルがそのことを知らないということは、伯爵が集めている魔力がミシェルに付与されるような事は、あの2人の計画には入っていないという事よ」
「では、伯爵は集めた魔力をどう使うつもりなのでしょうか……?」
「うーん、そこまでは分からないわね……もしかしたら伯爵の独断で、ミシェルに力を与えようとしているのかもしれないもの。ただ、ミシェルの力を強くして何をするのか、そして、伯爵がそこまで男爵令嬢に肩入れする動機が分からないわ。破魔の力を持っている事とか、アレン様に近い場所にいる事を利用しようとしているのかもしれないけれど……」
リーリアは顔を上げた。
「あと、それとは別に確定した事があるわ。先ほどミシェルは、アレン様と取引をしていることを否定しなかった。という事は、少なくともアレン様がミシェルの企みを阻止しようとしているという事は本当なんだわ。……だから、そもそもアレン様がミシェルと浮気していた、というのは間違いだったのかもしれないわね……」
その時、部屋にノック音が響いた。入ってきたのはアレンだった。
「ただいま、リーリア。今帰ったよ」
「……まあ、お帰りなさいませ、殿下。こんなに早く帰って来られるとは、驚きましたわ」
リーリアは咄嗟に浮かべた微笑みで、動揺を隠した。彼は夕方には帰ると言っていたが、太陽はまだまだ高い位置にあるのだ。
「思ったよりも早く用事が済んでね。そうだ、君に話しておきたいことがある。良い知らせだよ」
「良い知らせ……もしかして、わたくしの封印に関することでしょうか?」
「うーん、残念ながらそれじゃない。だが、もっと良い知らせだよ。やっと、ミシェルを城から追い出す手立てが整ったんだ」
「……ええと、それはいったい…?」
「ミシェルは今、破魔の力という貴重な力を保護するために、王宮で保護しているだろう?」
「ええ、存じておりますわ」
「だが、逆に言えば、その理由さえ無くなってしまえば、彼女は王宮に顔を出すことも、何なら王太子の僕と面会することも難しくなるだろう?だって、彼女はそれを除けば、ただの男爵令嬢なのだから」
「……そ、そうですわね」
リーリアはアレンの言葉に、大きな違和感を持った。彼は以前からこんな言葉選びをしていただろうか。
「そうしたら、ミシェルはもう用済み。あいつに僕たちの婚約を邪魔される事もなくなるんだ。そうだろう?」
「………え、ええ」
先程から、アレンの様子がおかしい。ミシェルを追い出せると意気揚々に話す彼は、どこか狂気を纏っているように見える。
リーリアはそれに飲み込まれそうになって、思わず身震いをした。
「で、でも、具体的にはどのように?」
「1週間後、ミシェルの力を奪う予定だ」
「力を奪う?そんな事をしてしまって良いのですか?破魔の力は、国にとっても貴重な財産になりますのに……」
「問題ないよ。破魔の力が消えたことで動揺するような我が国ではないからね。それに、大切なリーリアを傷付けるような力なら、そんなもの、滅びてしまえばいい」
アレンの口調はさらに熱を持った。
「あと少しだ。あと少しで、邪魔なものが全て消える。やっと僕たちは結ばれる事が出来るんだよ。ねえ、リーリア。この件が無事に終わったら、僕たち、結婚しよう」
アレンがそう言った瞬間、リーリアの目の前で、バチンッ!と大きく火花のようなものが散った。リーリアはびっくりして固まってしまった。
「……あの、アレン様。今、何か起きませんでしたか?」
「ん?ああ、静電気じゃないかな?この時期にしては珍しいね」
「静電気、ですか」
春なのに静電気だなんて、とリーリアが訝しんでいると、アレンは完璧な笑顔で微笑んだ。
「何はともあれ、君が心配する事は何もないよ。君はただ僕に任せてくれれば良い。……1週間後、必ず決着をつけるから」
そう言い残して、アレンは部屋を出て行った。マリーはリーリアの元に駆け寄った。
「お嬢様、大丈夫でしたか?お怪我は?」
「怪我はないわ。ただ、もの凄くびっくりして……」
リーリアは息を大きく吐き出した。謎の火花についてもそうだが、他にも、色々と情報が多すぎて、頭の中は大混乱だ。
「アレン様、どうなさったのかしら。計画が整った事で、何か吹っ切れた感じだったけど、昔からああだったかしら……?」
「少し、いえ、かなり不気味でしたね。それに……こんなことを申し上げる立場でない事は重々承知しておりますが、お嬢様、本当に殿下と結婚するのでよろしいのですか……?」
「……仕方ないわ。家のためにも、昔から決められていた婚約者と結婚する。令嬢とはそういうものなのよ」
そう言いながら、リーリア自身、それをすんなりと受け入れられない気持ちがあった。
「……偶然か必然か分からないけれど、アレン様もミシェル嬢も、全ての決着がつくまで、あと1週間だと言っていたわ。だから、わたくしが自由に動けるのも、あと1週間よ。それまで、出来ることをしましょう」
「……はい、お嬢様」
マリーはリーリアの横顔を見つめながら、心を痛めていた。ラウドと会ってから、新しい感情に出会ってしまったリーリアにとってこの結婚は、耐え難いことなのではないか。
しかしリーリアは気丈にも微笑んで見せた。
「マリー、心配しないで頂戴。これが一番シュバルツ家の為になるのよ。もともと、家の安泰を守る事がわたくしの1番の望みだった。だから結婚することで、わたくしの目的も達成できるのよ。そうでしょう?」
「……はい」
「大丈夫。アレン様はわたくしを愛してくださっているし、わたくしがそれを受け入れれば良いだけなの」
リーリアは穏やかな笑みを浮かべているものの、マリーに対するその言葉は、まるで自分に言い聞かせているようだ。マリーは苦しかった。リーリア本人は、少なくとも今はもう、心からこの結婚を望んでいるわけではないと、分かっていたからである。
リーリアはマリーに、少しだけ1人にして欲しいと言った。マリーは心配そうにしていたが、彼女の意思を尊重し、部屋を出て行った。
(……これでアレン様がミシェルの企みとやらを無事に阻止できれば、元通りになるだけよ。わたくしったら、何をそんなに気落ちしているのよ)
リーリアは外の空気を吸おうと、部屋の窓を開け放った。今日も憎たらしいくらい春らしい快晴だ。
(……ラウドは今、どうしているかしらね……昨晩書いた手紙は、もう届いているかしら)
違う場所で、だが同じこの空の下にいる大魔導士のことを思うと、胸が苦しい。彼に会いたい。話がしたい。
(……ミシェルは、わたくしが魔導会を失うことになると言っていたわ。でも、どうしてそこで、魔導会が出てくるのかしら。彼女は魔導会をどうするつもりなの?アレン様との取引に、何か関係があるとか?)
リーリアは息を吐いて、壁に背を預けた。アレンは解決の目処が立った、などと言っていたが、リーリアにしてみれば、分からないことが多すぎる。
まず、ミシェルとアレンの取引について。アレンはミシェルの言うことを聞くフリをしないと、リーリアに危害が加えられると言っていた。だが、その危害とはいったい何なのだろうか?
そして、伯爵とミシェルの双方の思惑も謎のままだ。伯爵に関しては、彼がリーリアの6歳の誕生日に、リーリアに封印をかけた相手である事はもう分かっている。しかし、その時からミシェルと手を組んでいたとは考えづらい。
また、先日のお茶会で伯爵の次男、レイゼントに言われた言葉、あれは何だったのだろうか。
極め付けは、リーリアの封印について。アレンはこの事について何も言っていなかったが、彼はもしミシェルを王宮から追放することに成功したら、その時伯爵に封印を解かせるつもりなのだろうか。
(……結局、わたくし1人じゃ何も分からないじゃない)
リーリアは何だか急に、希望を見失ってしまったような気持ちになった。マリーがいてくれるとはいえ、父も母も妹も、そしてラウドもいないこの生活は、ひどく心細い。このまま1週間何もせずに結婚を待つだなんて、リーリアには耐えられなかった。しかし、だからといって、自分だけで何かができるとも思えない。
「………もう、駄目かもしれないわ」
リーリアがぽつりと弱音を吐いた、その時。
窓から差し込んでいる光に、人の形の影が落ちた。
「そう思うのは、まだ早いんじゃねえか?」
リーリアは勢いよく窓の方を見た。
会いたくて堪らなかったその人が、先ほどリーリアが開けた窓から、ひょいっと部屋に入って来る。
「よお、リーリア。元気にしてたか?」
「ラウド……!」
挫けそうになっていたリーリアの心に、温かい気持ちが溢れ返った。
「おいおい、随分歓迎してくれるじゃねえか。長い間会えなかったわけでもないのによ」
「だって……心細かったんですもの」
「ああ、お前の手紙読んだけどよ、やっぱ貴族ってのは大変だな。婚約者に言われたら、好きなとこで過ごすこともできねえなんて」
「…………本当、息苦しいわよね」
「おいおい、マジでどうしたんだよ?何か、嫌な事でもあったのか?」
心配そうにこちらを見るラウドの目は、ラウドのくせにとても優しくて。リーリアはそれを見て、さらに胸が苦しくなった。
彼女は重い口を開いた。
「……わたくし、あと1週間で、アレン様と結婚することになりましたの」




