大魔導士、化ける
部屋に差し込む日の光で、リーリアは目を覚ました。
昨晩、明日はいつもより早めに起きるとマリーに伝えておいたが、まだ彼女が部屋に入ってこないことから考えると、思ったよりも早く目が覚めてしまったらしい。
リーリアは寝ぼけ眼で、ベッドの上に寝転んだまま、大きく伸びをした。光が差し込んでいる方に目をやると、庭に面する窓が開いており、そのせいで部屋が明るかったようだ。
リーリアはもう少しだけ寝ようと、再び布団を引っ張り上げた。
枕に頭を沈め、目を閉じてすぐに、彼女はものすごい勢いで飛び起きた。
(って、なぜ窓が開いてるんですの!?)
部屋の窓とカーテンは、いつも寝る前にちゃんと閉めているし、マリーが来たわけでもないのに、どうして開いているのか。
(……まさか、侵入者!?)
リーリアが部屋の中を見渡すと、部屋の机の上に、見慣れない男が足を組んで座っていた。リーリアが慌てて人を呼ぼうとしたとき、それより先に、男が聞き覚えのある声で笑った。
「くくっ、ようやく起きたか、寝坊助」
「なっ、あなた、ラウドなの?!」
その声と紫色の瞳は間違いなくラウドなのだが、彼の黒髪はなぜか栗色になっており、その服装はまさに、リーリアが先日マリーに届けさせたものだ。
「ああ、髪が気になるか?これは客に覚えられても大丈夫なように、ちょっと変装しているだけだ。まあ、こんな服着ていりゃあ、カモフラージュとしては十分なんだけどな」
「そ、それもよ!どうしてあなたがその服を着ているの!?」
「どうしてって、そりゃあ決まってんだろ?今日一日、お前の執事として茶会に出るためだよ」
ラウドはゆっくりとこちらへ歩いてきた。
リーリアは自分が今寝巻き姿であることに気付き、あわてて布団を胸元まで引っ張り上げ、ラウドを睨みつけた。
「む、無理よ……!あなたに社交界で通用するほどのマナーが身についているとも思えないし、そもそもそう言ったものは嫌いだと言っていたじゃない!」
「いや、別に問題ないぜ」
ラウドはリーリアが喋っている間にも歩みを止めず、こちらに向かってくる。
「そ、それに!今わたくしは、寝巻き姿なのよ。ですから、一度部屋から出て行ってもらってもよろしくて……」
ラウドはベッドに手をついた。そして、少し屈みリーリアの顔を覗き込むと、今まで見たことがないような、爽やかな笑顔でにこりと笑った。
「なんと言われようと、俺は今日一日、あなたにお仕えいたしますよ。リーリアお嬢様?」
その言葉と笑顔はいつもの彼からはあまりにもかけ離れていて、今目の前にいるのはラウドではなく、全く別の誰かのようだ。
しかし、至近距離でリーリアに向けられている鋭い瞳は挑戦的で、こんな口調でも、やはり目の前にいるこの人は意地悪な大魔導士なのだと思い知らされる。
不意を突かれたリーリアは言葉を失い、だが精一杯抗議のつもりでラウドを睨みつけながら、自分の意思に反して熱くなっていく頬を恨めしく思っていた。
その時、ドアがノックされる音が聞こえた。
「お嬢様、おはようござ……」
入ってきたマリーは、ベッドに手をついて自分の主人に迫るラウドを見るなり鋭く叫んだ。
「何をなさっているのですか!?お嬢様から離れなさい!」
「まあそう睨むなって。大丈夫だ、何もしてねえよ」
両手を上げて降参のポーズを見せるラウドを思いっきり睨みつけ、マリーはささっとリーリアとラウドの間に入った。
「お嬢様、本当ですか?この男に何か変なことをされたりは?」
「え、ええと、大丈夫よ?……多分」
「多分とはどういうことですか!?」
「あーだから、本当に何もしてねえって。窓からちょいと入らせてもらって、そしたらすぐこいつが起きたんだよ。それで、ちょっと喋ってただけだ」
「喋るのにあんな至近距離で、しかもベッドに近づく必要はありません。それに、そもそも寝ている淑女の部屋に入るなど、言語道断です!」
「悪い悪い、次からは気をつけるぜ」
全く反省の様子が見えないラウドを見て、マリーは内心頭を抱えた。
(先日ヴィンセント様たちが言っていたのは、この事だったのですね!?)
確かに、よく考えれば分かるはずだった。ウィーゼルに届けた執事服は一人分、つまり、茶会でその服を着て潜り込む魔導士は一人だけということだ。そして、ヴィンセントやポムじいは、舞踏会の時の魔力査定で多くの貴族に顔が割れてしまっている。
であれば、人の魔力を判別するのに優れていて、かつ貴族に知られていない魔導士と言えば、ラウドしか残っていないのだ。
だからヴィンセントとポムじいは、ラウドの行動によってマリーが苦労する事を予見して、あのようなことを言ったのだろう。
マリーが朝から胃の痛みを感じていると、今まで黙り込んでいたリーリアはいつもの落ち着きを取り戻して、小さく咳払いをした。
「だけど、ラウド。今日一日、執事として潜り込むつもりなら、それ相応の態度でお願いするわ。もし、公爵家に仕える者として相応しくないようなら、すぐにその格好をやめてもらいます」
「分かったよ。じゃあ今から俺は、公爵家に最近入った執事のラウシュだ」
「ラウシュ、ね」
「さあ、お嬢様、そろそろお着替えを。それと……ラウシュ、いくつか注意点を説明させていただきたいので、私についてきて下さい」
「おう」
マリーはラウドを連れて厨房へ行くと、ティーポットを手で示した。
「お茶会において、メイドや執事の役割は様々ですが、基本的には皆さまにお茶をお淹れすることが多いです。ですから今、試しに淹れてみて下さい。もし味が悪かった場合には、さすがにあなたをお嬢様のお付きとして置いておくことはできませんので」
「いいぜ、やってやるよ。この茶葉を使えばいいんだな?」
「そうです」
マリーの見ている前で、ラウドはお茶の準備を始めた。いったいいつの間に習得したのか、とても手際が良く、手つきも悪くない。黙って作業していれば、本当の執事であるように見える。
難なくお茶を2人分のティーカップに淹れ終えたラウドは、不敵に笑った。
「ほら、終わったぜ」
「では、お手並み拝見ですね」
マリーはカップを持つと、口をつけた。手際だけでなく、味もなかなかのもので、ヴィンセントには劣るものの、こんな深みのある、まろやかな紅茶を淹れられるのかと驚かされた。
「……まあ、及第点ですね」
「だろ?」
「ヴィンセント様もお上手でしたが、もしかして、魔導会に入るにはお茶を淹れる技術でも必要なのですか?」
「んなわけねえだろ、まともに淹れられんのは俺とヴィンセントくらいだ」
ラウドはそう言うと、涼しい顔で自分用に淹れたもう一つのカップに口をつけ、一気に飲み干すと、満足そうに口角を上げた。
そんな彼が実は、以前街でポムじいに入手してもらった本を読んで、今日のためにウィーゼルで猛練習していたのであるが、それはここだけの秘密である。




