生まれて初めての感情
ラウドの昔の家を出て、2人はゆっくりとウィーゼルへと向かっていた。
ラウドはおもむろに口を開いた。
「なあ、そういやお前に1つ聞きたいことがあるんだが」
「ええ、何かしら」
「お前、あの王太子との婚約を破棄することに、本当に未練とかはないんだな?」
未練がないか。つまり、アレンを慕う気持ちがリーリアに残っていないのか、という意味である。
リーリアは考えた。
(もともとは親同士が決めた婚約で、わたくしはそれなりにアレン様と婚約者らしくやってきたつもりだったわ。……でも、そこに愛があるかと言われたら、少なくとも今、そんな気持ちはないわね)
「ええ、未練なんかないわ」
「そうか……」
ラウドは少し考え込むような表情を見せた。
しかし、すぐにニヤリと笑うと、すっかりいつも通りの彼に戻り、挑発するように口を開いた
「じゃあお前、あれか?貴族社会だと振られたってことで、傷物になっちまうってことか?」
「もう!だからそれを避けるために、こうしてあなたに協力を求めてるんでしょう」
「くくっ、分かってるよ、そんな怒るなって」
「怒ってなんかいません!」
「あー分かった分かった。まあ、もしお前が嫁に行き遅れたら、そん時は俺が貰ってやるよ」
リーリアの心臓が大きく音を立てた。
その言葉はいつもみたいに、ふざけた調子で。彼は今回だって、自分のことを揶揄っているに違いないのに。
それなのに、リーリアは胸のあたりがきゅっと苦しくなった。
リーリアは自分の顔に熱が集まっていることを感じて、これではラウドにまた揶揄われてしまう、と思ったが、横を歩く彼は、そんな彼女の様子に気付いているのかいないのか、珍しく黙ったままだ。
その時、リーリアはどこからか鋭い視線を感じた
(誰かがわたくしを見てる……?)
用心深く周りを見回すも、特に怪しい人物は見当たらない。
(気のせい、かしら)
リーリアは妙な気配に首を傾げていたが、そろそろウィーゼルに到着しようかという頃、ラウドが口を開いた。
「まあ、お前に王太子への未練がないことが分かって良かったぜ。予定通り、お前を魔導会で保護してやる」
「保護……ですって?」
「そうだ。まあその時が来れば、いずれお前にも分かるだろう。その前にお前は、この前話した茶会の件を進めてくれ」
「もう招待状を出して良いのね?」
「ああ。それともう一つ、執事用の服を1人分、ウィーゼルに送り届けてくれ。」
「……?え、ええ。分かったわ」
「頼んだぜ」
2人がウィーゼルに戻ると、すぐにマリーとヴィンセントが出口にやってきて彼らを出迎えた。
「やあ、2人ともお帰り」
「お嬢様、ご無事で何よりです。それより、その格好は?」
「ああ、これは、その……町娘に扮しているのよ。ミシェル嬢対策にね」
「なるほど、そういうことでしたか」
「ええ。それと、マリー、勝手にいなくなってごめんなさい」
「本当に心配いたしましたよ。こんなことは今回だけにして下さいまし」
「ああ、次からは馬車のところで待ち合わせにするから心配しなくていいぜ、メイドさんよ」
「え……!?」
「そうすればこいつが危ない目に遭っても俺がいるから大丈夫だ。そうだろ?」
「ま、まあ……そうですが……」
マリーは心の中で、そういうラウドもマリーから見れば十分危険要素だ、とツッコミを入れたが、しかしあまりリーリアを束縛しすぎるのも良くないだろうと思い、そういうことなら……と渋々納得した。
話がまとまったところで、リーリアとマリーは魔導士2人に別れ告げ、ウィーゼルを後にした。
馬車の中で、窓の外に目をやるリーリア。その姿を見ていたマリーは、心の中でため息をついた。
(お嬢様はすっかり、心ここにあらず、といったご様子ですね……)
リーリアは先ほどからずっと黙ったまま、遠くの景色をぼんやりと眺めている。しかし時折何かを思い出したかのように急に眉根を寄せ、頬を染めたかと思えば、その次には考え事を打ち消すかのように頭を軽く振る。それの繰り返しである。
そんな分かりやすい様子を見れば、口に出さなくても何かあったと言っているようなものだ。マリーはますます心配になってきた。
(これは、お嬢様の気持ちを優先するべきなのでしょうか?いや、でももしかしたら、傷心しているところをあの男につけ込まれているのかもしれませんし……)
マリーの考えに結論は出ないまま、馬車は屋敷に到着した。
リーリアは自室で1人になると、いてもたってもいられなくなって、両手で自分の顔を押さえた。
(わたくし、どうしてしまったの……!?)
ウィーゼルを出てからずっと、今日の出来事が頭から離れない。リーリアは何が原因なのかも分からないまま、ずっと落ち着かない気持ちでいた。
その時、軽快なノック音とともに、妹のマリアが入ってきた。
「おねえさま、お帰りなさい!」
「た、ただいま、マリア」
「今日はなんだか、いつもと違うのね!」
「ええ。そうなの。ちょっとお忍びで街に行かなきゃいけない用事があって、それでこの服を用意したのよ」
リーリアはマリアに説明すると同時に、この服を買った時のことを思い出した。
この服を似合うといって優しく笑った、彼の表情を。
「おねえさま、お顔が真っ赤よ?」
「そ、そうかしら?」
「うん!マリアわかったわ!おねえさまは、恋をしているのね!」
「こっ、恋!?」
にこにこと笑いながらとんでもないことを言い出すマリアに、リーリアはひどく動揺した。
(これが、恋だというの……?)
確かにこの気持ちが恋だとするならば、このやたらと落ち着かない気持ちも、胸の苦しさにも説明が付く。
だが、同時にどこかで違うと否定したい気持ちもあり、リーリアは簡単に結論を出すことはできない。何せ、彼女にとってこんな気持ちになるのは初めての経験なのだ、
「いい?マリア。お父様にもお母様にも、それからマリーにも、言っては駄目よ」
「おねえさまとマリアのひみつ?」
「そうよ」
マリアは目を輝かせ、それはそれは嬉しそうに頷いた。
「マリア、おねえさまとのひみつを守るわ!」
「ふふっ、ありがとう、マリア」
「ねえ、おねえさま。おねえさまが恋をしているのはどんな王子さまなの?」
「王子様?」
その言葉を聞いて、リーリアはマリアがおとぎばなしの中で恋というものを理解しているのだと納得した。であれば、ヒロインが恋をしているのはきっと、優しくて紳士的な王子様なのだろう。
リーリアは、この気持ちが恋なのかどうかは置いておくことにして、マリアに読み聞かせをするかのように語り出した。
「マリアの知っている王子様とはちょっと違うかもしれないわ。その王子様はね、いつも意地悪で、上から目線で……でも、とっても優しくて、誠実な人よ」




